山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第42日

2010-10-12 00:45:20 | くるま旅くらしの話

第42日 <8月20日(木)>

 

行 程】 

道の駅:なとわ・えさん → 函館フェリー乗り場 → 大間フェリー乗り場 → 道の駅:よこはま → 道の駅:しちのへ(泊) <121km>

 

恵山の夜はいつものように浜に波打つ音が規則正しく続いて、もうここに来るとその音にすっかり馴染んでしまったようである。早朝4時に町の漁協からの連絡なのか、突然大音量のスピーカーが今日は昆布の出漁は中止する旨の放送をしていた。昨日から少し風が強くてうねりがあり、安全を期してのことなのであろう。外を見ると低く雲が流れており、恵山はそれに隠れて見えない。明けかけた恵山の港の明かりは、未だ眠りの中にいるようだった。旅先での早朝のこのひと時は、旅にあることを実感させる一ときでもある。

やがて空は明るさを増し、8時を過ぎる頃には、朝型の雲は消え去って、今日のかなりの暑さの到来を厳しく予告するかの様な空となってきた。今日はいよいよ北海道とおさらばする日である。函館港13時50分発のフェリーに乗れば、もはや40日間お世話になった北海道のくらしは、来年まで封印(?)されることとなる。旅の終わりのある種のあきらめのようなものを感ずる日でもあった。とにかくここ何時までもいるわけには行かないので、出発することにする。

途中北海道での最後の給油をする。満タンにして、後は高速道に入ってからもう一度給油をすれば家に着けるであろう。北海道は油の価格が総じて高かった。しかし、エリアによってかなりの差があるのは解せない。消費量の多い人口の多いエリアが高くて、地方の小さな都市のほうが安いというのは理屈の合わないような気がする。エリアによって価格の調整が行なわれているのではないかなどと勘ぐってしまう。年金暮らしの身には、理屈に合った価格かどうかが気になるのである。函館は、北海道としては、まあ、リーズナブルな価格帯であろうと思った。しかし、市の中心部よりも郊外に近い方、特にフェリー乗り場に近いあたりの方が安いようである。旅をしていると,その様な情報が自然と集まってきて、この業界の不可解さを実感するのである。

10時半ごろにはフェリー乗り場に着いてしまった。他に行くような場所も考えられず、3時間以上の待ち時間となるけど、暑さを凌ぐにはターミナルのビルの中の方が快適である。車を所定の場所に停め、ビルの中へ。高校野球が放映されており、報徳と興南の一戦を観戦する。きりっと締まったいい内容のゲームだった。報徳が得点を重ねていたが、後で知った結果では逆転で興南が決勝進出を決めたようである。昼食は車に戻り、そうめんを茹でて食した。こんなことが出来るのも、旅車のお陰である。そうこうしている内に13時が過ぎ、大間からの船がやって来て、間もなく乗船となる。

船の中ではもはや何をする気もなく、ひたすらに眠り続けて、目覚めれば間もなく大間の港だった。フェリーを降りてからは、一路横浜町の道の駅を目指す。いい天気で、やはり暑い。でも思っていたよりも湿気は少なくて、からりとした空気だった。左に輝く海が眩しい。下北半島北端の曲がりくねった道を走り終えるとむつ市街に入る。16時を過ぎた町の風景は、少し疲れ気味のようだった。市街地を走り抜けて行くと、今度は右手に陸奥湾の海が見えてきて、間もなく横浜の道の駅に到着する。17時丁度。ここに泊ってもいいのだけど、未だ日は残っており暑いので、ここでは名物のほたてコロッケなどを買って、今夜は七戸の道の駅に泊ることにしている。コロッケは辛うじて手に入れることができた。

七戸の道の駅に着いたのは日が落ちて間もない18時過ぎだった。先に来た時と少し景色が違うなと思ったら、1ヶ月前には柵などなかったのに、今は道の駅の裏側にある公園が柵に囲まれてしまっていて、その中に巨大な重機が鎮座していた。何やら再び大規模な工事が始まったらしい。新幹線の開業日(今年の12月上旬)が納期の仕事なのかも知れない。そんなにいろいろ手をかけなくてもいいのではないかなどと、勝手な反発心が少し動いた。駐車場に入ると、何と一昨日黒松内でお別れした名古屋からのMさんが先着されていた。

Mさんとは今年の旅で3回の出会いである。先日名刺を交換させて頂いているので、もう何の違和感もない知人である。先日の話の中で、浅虫の道の駅経由で青森からの東北道を行く予定とお聞きし、自分が七戸の道の駅経由で八戸道へ入って行くのもいいですよなどと話したのを、それじゃあチャレンジしてみようとここにお出でになったとか。少し早く着かれて、あまりに暑かったので近くの木陰で休んでおられたとのこと。これから近くの東八甲田温泉へ歩いてで向かわれるという。我々の方は温泉には行かずに、早めに休むことにする。一緒にお茶でもできればいいのだけれど、今回の旅では邦子どのにハンディがあり、それは来年に持ち越すことにした。

七戸の道の駅の夜は静かだった。北海道と比べると少し暑かったけど、それでも次第に涼しくなって眠りの妨げとなることはなかった。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第41日

2010-10-11 05:05:15 | くるま旅くらしの話

第41日 <8月19日(木)>

 

【行 程】 

東大沼キャンプ場 → 鹿部ロイヤルホテル(入浴) → 道の駅:なとわ・えさん(泊) <68km>

 

朝起きて外に出ると、キャンプ場の森に囲まれた駐車場の上の空は、紺碧に澄み渡っていた。2日も連続で快晴が続くなんて、駒ヶ岳の全容が見られるなって、北海道の旅では初めてのような気がする。本来当たり前のことが珍しいと感ぜられるのは、やはり普通ではないということの証なのかもしれない。雲ひとつない青空を見上げながら、昨夜の涼しさを思い出し、これが本来の北海道の夏だよなと、一人ごちたのだった。

今日も暑くなるぞと思った。今日は格別予定もなく、夕方までに恵山の道の駅に入り、Wお代官様にお会いして、お願いをしていたお土産の精算をさせて頂き、今年の北海道の旅の最後の夜をいろいろ歓談させて頂きながら過ごしたいと思っている。だから、日中は全く予定なしなのである。暑さの中を動き回っての観光めぐりなどには全く関心がない。函館名所なども未だ訪ねていない所は幾つもあるのだけど、もういいのである。無理して見て回るのではなく、何かのきっかけで本当に見たくなった時にそこに行けばよいのだと思っている。わけもわからぬまま見て歩いても、得るものは殆どなく、ただそこへ行ったという自己満足の欠片(かけら)が残るだけに過ぎないのだから。ま、そのことこそが観光の一番大切な意義なのだと考えている人たちには解せないことだと思うけど。

この東大沼キャンプ場は、駒ヶ岳の大噴火で吹き飛んだ土砂が川の流れを塞き止めて出来たらしい大沼の畔(ほとり)にあって、うっそうとした樹林に囲まれている。林間のキャンプ地はどんなにカンカン照りの日でも何の心配もない緑陰の中なのだけど、駐車場の方は、空が見える分だけ太陽の光の恵みが強烈で、逃げ場がない。しかし、縁の方は樹木があるので、日の当たり具合によっては木蔭があり、それをうまく使えば暑さを凌ぐことが出来る。ところがSUN号は図体がでかいので、樹木の伸びた枝が車体に引っかかってしまい、上手く木蔭に入ることが難しいのである。さて、どうしようかとしばらく様子を見ることにした。今日は平日であり、昨夜泊まった人たちの殆どは8時ごろまでには次の目的地に出発してしまっており、駐車場に残っている車は少なくなっている。それで、SUN号が独り占めにして良い木蔭もたっぷりあることが判った。

ということで、今日は昼過ぎまでここにジッとしていることにし、その後恵山に向かう途中に、鹿部町の温泉に立ち寄り湯をして、17時ごろまでに恵山の道の駅に着けるようにしたいと、凡その予定を決めたのだった。とにかくここにいる間は、好きなようにのんびり過すことにしたのである。考えてみれば、旅の間のんびり過すなどといいながら、本当にのんびり過ごした時間は少なかった感じがする。最後のチャンスなのであろう。

ところが、のんびりというのは、結構難しいようだ。好きなことを好きなように気ままにやって、などと言葉では格好良さそうなことが言えるのだけど、いざ実際に何をするのかといえば、ただ昼前から惰眠を貪るくらいのもので、音楽を聴くといっても1時間もすれば、又眠たくなってしまうし、本を読むというのも今一気乗りがしないといった有様で、結局は何がなんだかわけのわからない中途半端な時間の過し方となってしまったのだった。邦子どのの方も似たり寄ったりで、あまり寝すぎると頭が痛くなってしまうから、などといった具合である。

それでも強烈な日射しを避けて、木蔭に入って天然の涼風を存分に受けて過す時間というのは、真に果報というものであろう。暑さにもめげず、ご飯を炊き、味噌汁などを作って昼食を摂ったりしている内にあっという間に時間が過ぎて、14時も半ばとなったのだった。そろそろ出かけることにしようかと、その準備をする。それにしても何という快晴なのだろう。依然として上空には青空だけで雲一つないのである。ここからはほんの少ししか見えない駒ヶ岳も朝からくっきりと鋭鋒を空にかざしており、いつもは雲の中なのに、なんだか不思議さを覚えるほどだった。

14時半ごろ、鹿部の鹿部ロイヤルホテルに向って出発。勿論HOに掲載の無料入浴の恩恵に浴するものである。HOがなければ、なかなか思いついて行ける場所ではないと思う。しかしさほど高くない料金で日帰り入浴が出来るので、一度行っておけば今後は知った場所として利用する機会があるかも知れない。このような形で北海道や全国の入浴施設や宿泊施設などを知ることが出来るのはありがたいことである。15時少し前に到着。早速受付へ。丁寧な態度で無料の客を迎えて頂き恐縮する。HO掲載のホテルなどで、今まで一度も不愉快な応対を受けたことはない。この鹿部ロイヤルホテルもその応対は素晴らしかった。感謝、深謝。1時間ほど柔らかな湯を楽しみ、車に戻る。

入浴の後は、ひたすらR278を走って恵山を目指す。日射しは相変わらず厳しくて、サングラスは不可欠だ。昆布漁は相変わらず続いているようで、道の両側の狭い平地に敷き詰められた小石の干し場には、今採ってきたと思われる、海水の滴る褐色の昆布が敷かれていた。干し始めたばかりの昆布を見ると、まさに海の幸だなあと実感する。干しあがった昆布よりも採りたての黄金色に輝く昆布に一段と魅力を感ずるのである。3mを超えるほどの大きなものもあり、なんだかんだ言いながらも、北国の海の幸は未だ守られているのだと思った。これは、山中に牧場の廃屋を見るよりは、ずっと元気の出る景色である。

トンネルを幾つか潜り、今は函館市となった椴法華(とどほっけ)村を過ぎると、間もなく恵山の道の駅に到着。前回からもう6週間近く経っている再訪だった。今日は旅の最後の夜なので、間に合えば道の駅の名物になりつつあるガゴメ(=根昆布)ラーメンや根ぼっけ丼などを食べたいと考えている。いつも遅かったり早く着き過ぎたりして、まだ食べたことがない。17時に3分前に着いて、店に飛び込んで聞いたら、もう終りなのだけど、作ってもいいということだった。危うくセーフである。ラーメンは熱いので避け、根ぼっけ蒲焼き丼と根ぼっけの炙り寿司というのをオーダーした。少し待って、出来上がったものを食す。根ぼっけというのはどうやら地元で獲れる真ホッケのことらしい。炙り寿司はそれを炙って握り寿司にしたもので、2種あって、一つはネタの上に何やら塩味のする昆布の粉のようなものをまぶしたもの、もう一つは関西の握り風にネタの上にタレを塗ったものである。炙ったホッケは思ったよりも脂があり、なかなか美味かった。又根ぼっけ蒲焼き丼の方は、ホッケの半身を焼いたものを蒲焼きにしてどんぶりのご飯の上に乗せ、たっぷりとタレをかけたもので、このタレとホッケの味が微妙にウマが合って、これ又美味だった。旅の締めくくりの外食としては、十二分に満足だった。(念のため申し上げれば、一人で二人前食べたのではなく、炙り寿司の方は自分で、丼の方は邦子どの。お互いにちょっぴり相手のメニューを試食したということです)

  
道の駅:なとわえさんの食堂で味わえる、左根ぼっけ炙り寿司と右根ぼっけ蒲焼き丼。いずれも地元で獲れた新鮮なホッケをベースにした食材で作られている。ホッケの寿司というのは初めてだったが、なかなかの美味だった。

満腹になった後は、車をキャンプ場の方に移して、しばらく休憩する。暮れてゆく海には少し風が強まったのか、うねりが大きくなって白波を立てながら渚に押し寄せていた。海鳴りというのか、潮騒というのか、山で育った自分にはどちらがどうなのか良く判らないけど、ここに来ると海の生命の鳴動ようなものを感ずるのである。

18時近くになって、訪ねようとしていたWさんから電話があり、早速お邪魔することにする。6週間ぶりの再会だった。玄関を入って驚いたのは、奥さんが松葉杖をついておられたことである。どうされたのかとお聞きすると玄関先の段差のある箇所で足を踏み外して、運悪くひびが入るという怪我をされたとか。もう2週間にもなるとのことで、ギブスが痛々しかった。思ってもいなかったことなので、本当に驚くとともに、我が身を振り返って気をつけないといかんなと思った。自分も昨年は旅の中で胸を箱の角に思いっきり打ち付けて肋骨を痛め、1週間ほどは寝返りも出来ないほどの痛い目にあった。恐らくひびでも入っていたのだと思うが、とにかくじっと我慢して何とか治して戻ったのだった。何処にどんな災難が待ち受けているやも知れず、うっかりと過信は禁物だなと思った。とにかく1日も早い本復を願うのみである。

それから後は、いつものようにあれこれと尽きない話題に歓談の時間が過ぎた。Wさんは今のところはくるま旅を休んでおられて、専ら小鳥の飼育など家での暮らしに専念されており、それらの話も面白かった。その中でもカナリアにテープで鳴き声を聞かせながら幼鳥を育てるというのが面白かった。親鳥のいない幼鳥にはお手本が必要とかで、特別に鳴き声の品評会で優勝したような鳥の鳴き声をテープに吹き込んで聞かせるようにしているのだそうな。鳥にも競争心のようなものがあり、相手の上を行く鳴き方が他を制するという様な話は、生存競争の一つの姿として面白いなと思った。メスの関心を引くためにしっちゃかめっちゃかな振舞いをして気を引こうとしている鳥の世界の話をTVで見たりするけど、鳴き声でも同じ様なことがあるようである。さて、来年来た時には、小鳥達に囲まれてWさんはどのような姿になっているのだろうか。楽しみである。

Wさんにはお土産の購入に関してお手を煩わしご迷惑をお掛けしてしまった。21時を過ぎて、その土産物を受け取りながらお宅を辞す。いや、いやあ、今年も又本当にお世話になりありがとうございました。ご自宅から旅車までは1分もかからない。嬉しくもありがたい距離である。今日の海は少し荒れ気味なのか、漁火は見えなかった。イカ漁は休みなのかも知れない。車に戻り、就寝の準備をする。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第40日

2010-10-10 04:40:59 | くるま旅くらしの話

第40日 <8月18日(水)>

 

【行 程】 

道の駅:くろまつない → 長万部・鈴木水産店 → JR森駅前売店 → 森町ちゃぷ林館駐車場 → 東大沼キャンプ場(泊) <118km>

 

朝起きると極上の青空が広がっていた。雲一つないからっとした快晴の空だった。こりゃあ、今日は暑くなるぞと思った。今回の旅では、一度も見たことのない上機嫌の空だった。昨夜の冷え込み(?)はかなりのもので、これぞ北海道の夏夜だ!と快哉を心の中で叫びながら、その涼気を味わったのだった。5時ごろから2時間ほど旅の記録を書いている内に気温は益々上がり、日射しが厳しくなってきた。

今日は明後日のフェリーの乗船に合わせた、いわば調整の日の感じがある。特に見たいという所もなく、入りたいという温泉もない。HOには近郊に幾つかの無料で入れる温泉が紹介されているけど、何でもかんでも入って見たいという思いもない。ただのんびりと過したいだけなのである。しかしこの暑さでは、木蔭のない駐車場の多い北海道では、涼しさを楽しみながら昼寝の出来るような場所を探すのは至難のことであろう。とにかく夕方までには七飯町にある東大沼キャンプ場に入り、そこで一夜を過ごす考えでいる。

ちんたらと出発の準備をしてそれが終り一息ついていると、名古屋ナンバーの方が話しかけてこられ、これから出かけられるという。お話では、自分たちと略同じ日程で、明後日の1便早いフェリーで、大間に向われるという。2日ほど前、ルスツの道の駅裏にあるキャンプ場でお会いして2度目の出会いであり、何となく親近感を覚える方だった。その様な思いを同じように抱かれたらしく、名刺の交換をさせて頂くこととなった。Mさんとおっしゃる名古屋は守山区にお住まいのご夫妻だった。名古屋にはMという姓が結構多い。守山といえば、その昔仕事で少しばかり暮らしたことがあり、名古屋の中の最も名古屋らしい匂いというか、風土を感ずる場所だと思っている。太閤さんの出身地の中村区辺りは、今は名古屋の風情は失われてしまっている感じがする。その点、守山辺りは昔の名古屋をまだ残しているのではないか。ま、これは自分の勝手な想像だけど。そのようなことを思いながらMさんご夫妻と話をしていると、なかなか別れ難くなってきて、しばらくの間あれこれと話が続いた。

とにかく暑いので、車の日陰に入って話は続いたのだが、話をしている内に旅の知人との関わりが出てきて、話題は尽きることがない。旅での出会いは、このようにして宝物が輝き始めるのである。お互いに記念写真(?)をカメラに収めて、来年の再会を期してお別れしたのだった。

その後、我々も出発することにしたのだが、その前にこの道の駅にも公共ネットのパソコンがあるはずだと、そこへ行ってみた。確かにそれらしいのが1台置いてあり、操作をしてみたのだが、スピードが抜群に遅い。自分のブログ画面を見てみようとキーワードを入れてもなかなか出てこない。あまりにも遅いので、これはもう使わせたくはないのだと判断し、止めることにした。この道の駅だけではなく、案内書に掲載されているマークは他の場所も皆一緒だけど、その実態は区々であり、関係者の意図の違いを改めて実感したのだった。やっぱり、次回の旅からは、何処へ行っても自分のパソコンでネットを使えるようにしておかなければと、思いを新たにしたのだった。

気がつけば11時近くになっていた。恐らく昨夜ここに泊った車の中で、我々が一番遅い出発者だったのではないか。強烈な日射しの中を長万部方面に向けて出発する。道は空いており、うっかりするとスピードの出し過ぎとなるので、気をつけながら運転する。遅く走ることにようやく馴れてきたようだ。数年前まではなかなかそれが出来なくて、ストレスが溜まることが多かったのだけど、今は自信を持ってスピード狂は過去の話とすることが出来そうだ。これも老化の一つの現われなのかもしれない。長万部のいつもの売店で、カニ弁当を買う。これは邦子どのの分。更にそのままR5を走って、森町のJR森駅で名物駅弁のイカ飯を買う。これが今回の旅での最後の美食となるはずである。とにかく暑いので、少しは涼しさの期待できそうな所をと考え、何年か前に行ったことがある、ちゃぷ林館という森町の温泉施設に行ってみることにした。

今日は全くの快晴で、先ほどから駒ヶ岳の雄姿が目前に迫ってきている。ちゃぷ林館に行く途中の道に、その勇壮な景観をカメラに収める絶好の場所があるのを思い出し、そこを通って行くことにした。思い出しながらの道だったけど、案外と良く覚えていたものである。その場所は何年か前と少しも変わっていない感じがした。駒ヶ岳の景観も同じだった。変わっているとすれば、今日のあまりにも良すぎる天気と、撮影者の年齢が太ったことくらいであろうか。何枚かをカメラに収めた後、ちゃぷ林館へ。少しばかりの木蔭は、先客の車に殆ど占有されていていたけど、僅かに小さな木蔭があるのを見つけてそこに車を停める。外は強烈な日射しだけど、そよ風が吹いており、窓を開けると風が良く通って気持ちが良い。しばらくここに落ち着くことにした。

お湯を沸かしお茶を淹れて、先ほどの駅弁などをじっくりと味わう。ま、じっくりとなどと思いながらも口の方の動きは結構早くて、これは気持ちと動きとには大きな差がある。いつも邦子どのに嗤われる次第である。食事が終わって時計を見たら13時を過ぎていた。ここから東大沼のキャンプ場までは20分もかからない。恐らくそこへ行っても暑さは凌げないだろうと思い、しばらくここで昼寝をすることにした。お腹が膨らんで、瞼が下がってきて、そよ風が窓から心地良いという環境では、眠りの質が悪いはずはない。ということで、それから16時近くまで眠りを貪ったのだった。

目覚めて、後は東大沼のキャンプ場に行くだけである。外は相変わらずの強い日射しが続いており、駒ヶ岳も颯爽と空に偉容を誇っていた。R5に出て少し坂道を走り、左折して道道に入り少し行くとJRの踏切を通過する。いつもだとそこから左折してキャンプ場に行くのだが、今日は反対側から行くことにした。というのも、左折側を行ったのでは森の中に造られた道からは駒ヶ岳を見ることは全く出来ないからである。右側の道からは直ぐに大沼の駅前の小さな繁華街に出て、そこは有料の駐車場しかなく駒ヶ岳も有料でないと見られないため敬遠して、先に行くこととなる。あっという間に駅前を通過し、湖の周回路を行くと2箇所ほど駒ヶ岳を湖水の向こうに望見することが出来る場所があるのである。そこに立ち寄り写真などを撮りながらキャンプ場に着いたのは17時少し前だった。

   

大沼東部からの駒ヶ岳の眺望。この山は冬の冠雪のときも美しいが、夏の季節もその美しさは不変である。見る場所によって様々に姿を変えるのは、爆発の激しさを反芻しているからなのかも知れない。

このキャンプ場には毎年必ず訪れるといってよい。今年も2回目である。大沼湖畔の森の中にあり、何ともいえない緑の世界が心を落ち着かせてくれるのだ。この緑陰の空気が嬉しくてここに来たくなるのである。今日のキャンプ場は普通の混み様というべきか。バイクでの人や近隣からテントを持参で来られている方が多いようだった。キャブコンはSUN号だけだった。隅っこの方に錨を下ろす。格別何をすることもない。TVなどを見ながら、ちんたら時間を過ごし、夕食を済ませて、ようやく涼しくなってきた夜を迎えて、旅もあともう少しだなァなどと思いつつ寝床に横たわる。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第39日(その1)

2010-10-09 04:28:29 | くるま旅くらしの話

第39日 <8月17日(火)>(その1)

 

【行 程】 

道の駅:そうべつ情報館 → 若さ芋本舗(洞爺湖町) → 黒松内ブナセンター → 道の駅:みなとま~れ寿都 → 道の駅:くろまつない(泊) <107km>

 今日も天気は曇りから始まるようだ。曇っていても見えている昭和新山が珍しく霧の中だった。しかし頭上の雲は薄く、青空も少し覗いており、やがては暑くなるに違いない。

今日はこの洞爺湖辺りからは少し南下する予定でいる。以前から一度見たいと思っていた黒松内町のブナの北限の森を訪ねたいと思っている。そして、直ぐ近くの道の駅でゆっくり一夜を過ごすつもりでいる。当初はもう一度真狩を通って、ニセコに出てR5を南下するコースを選ぼうかと思っていたのだが、かなり遠回りとなり、もう湧水も汲んであり特に残すような未練はないので、素直に噴火湾沿いのR37を行くことにした。

それほど急ぐ必要もないので、ゆっくりと朝の作業を行い、9時にオープンした駅舎の中で、恐らく今回の旅では最後となると思われるブログの更新を行なう。昨日と合わせてここで3回も更新が出来たのは嬉しい。しかし、書く内容としては、どうしても直近の様子やこれからの予定などになってしまうので、読まれる方からはくどく、つまらないものとなってしまうに違いない。編集ページを開けて見ると、昨日などかなりのアクセスを頂いているのに驚いた。いつの間にかgooブログの加入者は145万件を数えており、その中でアクセス数が6千番台にランクされているのを少し不思議に思った。

ブログの更新をした後、もう一度物産売り場の方を覗き、モチトウキビに今年の別れの挨拶をした。今日も数袋が並んでいたが、恐らく直ぐに無くなってしまうに違いない。もう一袋買おうかとも思ったが、昨日買った分が未だ茹でないまま残っており、幾らなんでもそうそうトウキビばかりを食べているわけには行かないので、我慢した。

10時少し前出発。先ずは邦子どのが希望する洞爺湖温泉街にある「わかさいも」という菓子舗に寄ることにする。道の駅を出てR453を少し行くと洞爺湖に向う道道との交差点があるのだが、その信号の少し手前に水道と思しき水が大量に溢れ出して流れている箇所があり、もう3日にもなるのに、ずっとそのままの状態で流れているのが気になって、邦子どのが記念の現場写真を撮っていた。近くに川などのある様子もなく、これほどの水が道路まで流れ出続けているというのはどうにも解せない。もし水道の水なら、町は直ぐにでも何らかの手当てをすべきではないか、などと野次馬コメントが出てしまうのは、道の駅では公園の水道栓は停められており、それを使えなかった恨みのようなものがあるからであろう。それにしてもケチの一方で大ムダをしているという様な行政の所作は、全くないとは言えず、この流水がそれに該当しなければ良いがと思った。

わかさいもというのは、芋風の甘い菓子で、洞爺湖温泉街の中では一番の名物のようだ。邦子どのはさほどの甘党ではないけど、このホンワカした味が好きなようで、ここへ来ると必ず寄って買い求めている。わかさというと若狭を思い出すけど、何か関係があるのかもしれない。しかし若狭が芋の名産地だとは聞いていないので、見当違いの所以(ゆえん)なのかもしれない。大して興味の無いものに対しては、ただいい加減な推量をして待つだけである。

目的を果たした後は、洞爺湖に別れを告げてR230に入り、長いトンネルを2つ潜ってR37に出て、噴火湾を左下方に見ながら長万部の方へ向う。まだ天気の機嫌は回復していないようで、時々雨粒がフロントガラスに付いてきていた。間もなく豊浦の道の駅を通過。寄ろうかとも思ったけど、何もなさそうだし、駐車場も傾いていて狭そうなので止めにした。幾つかトンネルを潜って海岸からはかなり高い位置の崖の上を国道は走っているようだ。所々海の見える駐車場がつくられているようだが、そこは下から見れば切り立った崖の上といった場所のようである。高い所からの景色はあまり好きではない。正確に言えば、景色は好きだけど、足に震えを覚えるような高所は好きではないということである。高所・閉所恐怖症の兆しは古希を迎えても少しも変わらず、これは年齢とは関係がないようである。だから、その様な場所には停まらない。

やがて平地に近くなってしばらく行くと、黒松内市街に向う道道の案内板があった。長万部まで行って、それからR5を小樽方向へ戻ろうかと考えていたのだが、この道を行くのも面白いかも知れないと、急遽右折してその道道に入る。幹線の国道よりも地方道の方が面白くて好きだという、愛媛は松山のKさんの話を思い出した次第であった。確かに幹線国道は車ばかりで、決まったような風景が多くつまらないことが多い。北海道の場合は、少し趣きが違うようには思うけど、例えばその地に暮らす人たちの様子などをより身近に知るには、地方道の方がはるかにそれを教えてくれるように思う。熊や鹿だって、その存在を目に出来るのは恐らく国道よりも地方道の方がずっと可能性が大だと思う。まだ熊は見たことはないが、鹿やキタキツネは地方道の方がはるかに多くお目にかかっている。

というわけで、道道266というのに入って、そこからはもっとゆっくりと走ることにした。対向車も後続車も殆どない運転環境である。道端には菊イモの花に良く似たハンゴン草の花がたくさん咲いていた。この道は、概して起伏が少なく、両側に少し高い丘を抱く程度であり、黒松内町というのは、意外と平らな低地が多い地形なのかも知れないなと思った。所々に牧場があるのだけど、その多くは廃屋となってしまっているようで、牧草地もかなり荒れて雑草が茂り出しているようだった。廃屋となりかけた建物の傍には、きれいに揃えて積まれた薪の山があり、もしかした今年の冬を迎える人がここに住んでいるのかもしれないと思ったりした。

いずれにしてもこの風景は北海道の農業の厳しさを語っているようで、その未来を暗示しているようにも思えた。旅をしていて、特に地方道を走ってみると、山中に行けば行くほど農場の廃屋が目立つようになる。哀しい風景である。牛のいない寂れた牛舎や干草を積めないほどに破れたサイロ。朽ち果てた人家などが点在している風景を見ると、かつてそこに人や牛たちが住んで元気に動き回っていたことを思い、時間の経過とともに大きく変化せざるを得ない人間の営みというものの儚さのようなものを思わずにはいられないのである。

しばらく行くとR5にぶつかり、それを左折して少し行って、今度は右折して道道を歌材の方に向う。歌材という所がブナの北限の森がある場所なのである。間もなく市街地に入り、左折して立派なスポーツ施設などがあるエリアを少し通り過ぎて左折し、坂を上るとそこにブナセンターというのがあった。ここは以前にも一度来たことがあるのだが、その時は休館日だった。おまけにその日は途轍もない大雨の日でとても付近を歩く気にはなれず、そのままおさらばしたのだった。ま、場所の確認に来たようなものだった。今回は開館しており、天気も良い。久しぶりにブナの樹にもお目にかかれそうである。特別に大騒ぎをするほどのことでもないのだけど、ブナの樹が好きである。ケヤキに似たあの樹肌の感触がいいのだ。老人の肌のシミのようなものがあるのは少し抵抗があるけど、東北の山などの樹陰の癒しはブナの森が一番だと思っている。この黒松内が今のところブナ君たちが住める最北端だというのだから不思議な気がする。東北の方のもっと寒い場所に頑張っているブナ君もいるように思うのだけど、実際はなかなかそうはなっていないようだ。

早速センターの中に入らせてもらった。ブナセンターはその名称どおり、黒松内の北限のブナの謂れや現状などについて詳しい情報を展示、紹介していた。又奥の方には木工の工作室や陶芸室などもあり、大人も子供も木や土に親しむのを一緒に楽しめるような工夫がされていた。その他にも地学や考古学の資料なども展示されていて、いろいろと勉強になった。少し賢くなったような気分でセンターを出た後は、少し先の方にあるブナの樹のある森の小路を歩くことにした。往復20分くらいのコースなので、邦子どのも大丈夫だろうと思った。樹木の知識というのは先ずは本物の樹木を見て、触って実感してからでないとないと身につかないように思う。樹木によらず自然界のことは全て同じだと思うけど、特に樹木というのは難しいように思う。野草とは違って、育つ時間のレベルが大きいので、そのギャップについて行けないことが多いのだ。

例えば、ブナの苗が5年経って小さな木になった時の姿と、その50年後、200年後とは相当に異なったものとなっていると思う。葉は同じでもその付き具合も相当に違うはずだ。5年物のブナの苗木の葉は、枝の数も少なくて50年後のそれとは比較にならないと思う。人間の一生が僅かに80年余なのに較べると、樹木達の生きる時間の物指しはスケールが違っており、その様な見方で樹木に接しないと樹木についての知識は曖昧なものとなってしまうような気がする。何年か前、屋久島に縄文杉に挨拶に行って以来、自分の樹木に対する考え方は大きく変化したように思う。北限に生きるブナたちが、他のブナたちとどう違っているのかは興味のあるところである。人間よりも何回りも長い時間の物指しで、彼らはどのような生き方を心がけてきたのか。この北限のブナ林が発見されたのは明治時代の頃だというけど、その前から樹木たちは生きて来ているのだから、それなりの知恵を発揮しているはずなのである。ブナセンターの解説の中では、内地のそれに較べて葉が大きく、数が少ないという様なことが書かれていた。少ない日照時間を有効に生かすためには葉を大型にして、その分、数を減らさざるを得なかったということなのかもしれない。小道の中のブナの姿を見ながら、時々その樹肌を撫でたりしながら、落葉でフカフカした足底の感触を楽しみながらの森の散策だった。

   
ブナの木の緑。猛暑の夏であってもこの木の下に来るとどんな暑さでも穏やかな緑に包まれて、身も心も癒される。

邦子どのが森の下草の中にギンリョウ草を見つけた。上の方ばかり見て歩いていたので気づかなかったのだが、言われてみて下の方を見ると、歩いてきた小道の両側にはかなりの数のギンリョウ草が点在していた。これほどたくさんのこの花を見るのは久しぶりのことである。ギンリョウ草というのは、腐葉土などに寄生して生える葉緑素のない植物で、春蘭の花に良く似た姿をしている。透明感のある白っぽい姿は、何となく幽霊のイメージにもつながる感じがする。しかし、この植物が見られるというのは、この森の土が豊かである証拠なのかもしれない。何枚かをカメラに収めた。いい時間だった。
   

ブナの木の下は、落ち葉が積もってフカフカとしていて、そこには随所にギンリョウ草が生えていた。この寄生植物は、幽霊花などと呼ばれることがあるらしいけど、それがたくさん生きてゆけるのは、森の豊かさを示しているのかも知れない。

(その2へ続く)

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第39日(その2)

2010-10-09 04:27:44 | くるま旅くらしの話

(続き)

車に戻り時計を見ると、12時近くになっていた。さて、どうするか。今から黒松内の道の駅に行くには少し早や過ぎる。さりとてここで昼食にするにもどうかなという感じなのだ。しばし考えた結果、今日は風も殆どないし、晴れて良い天気なので、比較的近くにある寿都(すっつ)の道の駅に行ってみることにした。寿都は以前通った時に強烈な風に見舞われ、危うく車をひっくり返されそうになったことがあり、それ以来通るのを止めていた場所なのである。SUN号にとって、風ほどの大敵はない。とにかく行きたくはない場所なのであった。ここからは15kmほどなので、風の吹いていない今日ならば、大丈夫だろうと思った次第。それに新しく出来た道の駅には未だ一度も行っていない。ということで、寿都に向う。

黒松内から寿都に向う道を通るのは初めてのことである。山道なのだが、比較的平らな道で、さほど時間も掛らずにR229まで出て、間もなく寿都の道の駅に着いたのだった。道の駅は港の直ぐ傍にあって、みなとまーれなどという程度の低い駄洒落のような名前がついていた。最初は何処が駐車場なのか判らず、波止場の方まで行ってしまい、駅舎の建物の下の方がそうなのだと気づき戻ったりした。狭い駐車場の小さな道の駅だった。駅の建物の下には、「にしん街道」と書かれた史跡の案内標があり、幾つかの錆び果てた漁船用の錨が置かれて展示されていた。この町もかつてはにしん漁で大いに栄えたのであろう。今も漁業は盛んな余だけど、今日の港は静かである。

   

道の駅下の片隅にある「にしん街道」の記念標。北海道にはにしん漁最盛期を偲ぶ記念碑が多いが、ここ寿都はその中でも5本の指に数えられる場所であったらしい。この場所しか気づかなかったけど、町の中を歩けば往時を偲ぶ建物などが見られるのであろう。

回復した天気は猛烈な暑さで、それは暑いというよりも熱いという表現の方がぴったりしている感じだった。木陰に入れば涼風があるのだけど、そうでない場合は輻射熱が赤外線治療器具のような熱さだ。

昼食用に何か適当な獲物はないかと近くの商店を覗いたけど、商品までが皆暑さに参っているような感じがして、食欲をそそるようなものは見当たらなかった。やむを得ず、車を波止場の方に移動して、少しばかりの日陰を探して止め、カセットコンロを車の外に出して未だ茹でてなかったモチトウキビをやっつけることにした。邦子どのは味噌粥である。外は少し風があって、湯がくのには少しやりにくかったが、20分ほど掛って茹で上がったトウキビは、やっぱり美味かった。一昨日からもう80列も食べたことになる。計算しやすい食べものである。とにかく暑くて、他に興味を引くものもないので、黒松内の道の駅に行って早めに休むことにして寿都を後にする。

黒松内の道の駅に着いたのは、15時を少し回った頃だった。駅の駐車場の端の方にビルダー(=キャンピングカーの製造メーカー)が自分のと同じ車が2台停まっており、近くに行って見ると昨日ルスツのキャンプ場顔を合わせた名古屋ナンバーの方と、もう一台は東京練馬ナンバーの同じTACOSのマークをつけたSUN号と同じタイプの車だった。TACOSの方は知っている人かもしれないとオーナーが来るのを待って話しかけたのだが、初めて会う方だった。最近のクラブキャンプには出ておられないとのこと。旅のベテランの方のようである。しばらく三者であれこれ車などの話を交わす。もはや我々のビルダーは倒産してしまったのだけど、同じ会社製の車には何となく親近感を抱くというのは、人情というものであろう。

その後は、先ずは夕方まで一眠り。天気は良すぎて相変わらず暑いのだけど、車の中は風が良く通って、それほど暑さは感じない。これが北海道本来の夏の天気なのだなどと思いながら、午睡を貪る。目覚めて夕食はジャガイモの塩茹で。ルスツで買った100円で10数個のキタアカリは、茹でるとどれも表皮が破裂して、満点の美味さだった。ご飯など不要である。どんなに頑張って作っても、北海道のジャガイモには敵わない。夜はTVを見たかったけど、特にNHKの写りが悪く、早めに寝ることにした。寝しなに蚊が侵入したらしく、邦子どのが大騒ぎをしていたが、さて、どうなったのか。日が沈んでからは急速に気温が下がり、やがては寒いほどになったので、蚊の奴も寒さに縮こまって、吸血どころではなかったのではないか。いつの間にか眠ってしまった。良くもまあ、眠れるものである。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第38日

2010-10-08 03:04:54 | くるま旅くらしの話

第38日 <8月16日(月)>

 

【行 程】 

道の駅:そうべつ情報館 → 洞爺湖町噴火記念公園 → 道の駅:ルスツ230 → 真狩湧水 → 道の駅:230ルスツ(→デイキャンプ場) → 道の駅:とうや湖 → 洞爺湖温泉・湖畔亭 → 道の駅:そうべつ情報館(泊) <97km>

 

昨夜はちょっとしたトラブルがあった。邦子どのが深夜に急にお腹が痛くなったらしく、その対応に少しばかり振り回された。やはり薬の飲用の影響があるのかもしれない。ずっとお腹の調子がスッキリしないようである。モチトウキビなどは厳禁のようだ。自分が気にいっているからといって、相手にやたらに勧めるつもりなど毛頭ないのだけど、あまりにうめ~うめ~と山羊や緬羊みたいに騒ぐものだから、邦子どのもついその気になって手を出してしまったのかも知れない。ま、大したこともなく収まったようで、先ずは重畳。

朝までには雨は上がって、少し青空が覗いていた。今日は暑くなりそうである。この道の駅の欠点は、水が汲めないということである。近くの公園には1箇所給水栓があるけど、それは休日のイベント用に使われているだけで、平日は使えない。この問題を除けば、ゴミ処理も有料で受け付けて貰えるのでありがたい。有料でも良いから、何とか給水が可能となればもっとありがたいのにと思う。このような思いは、現地の為政者には先ず届かないと思って間違いない。

というわけで、今日はここを出て、水を汲み、その後HOを利用させて頂いて洞爺湖温泉のどこかの風呂に入ることにしたいと思っている。泊まる場所などはまだ考えていない。先ずは車の中の全ての水を新しいものと入れ替えることにして、残っている水を排水した後、真狩湧水に向う。水槽タンクの中は継ぎ足しの水となってしまっているので、時々入れ替えをしておく方がより衛生的である。羊蹄山の湧水の中では何と言っても京極町の噴出し公園が有名だが、この真狩の湧水も引けをとらない水量で、人気も大きい。真狩村は演歌の細川たかしの出身地で、彼はこの町最高の有名人だが、自分にとっては真狩で最も親近感を覚えるのは、彼ではなくこの湧水である。洞爺湖町の温泉街を抜け、坂を登ってカルデラの畦に出てしばらく走ると、道の駅:とうやがあるのだが、往路はこれはパス。少し走って、道の駅:ルスツに立ち寄る。帰りでもいいのだけど、此処には美味しい豆腐があり、今日はそれをどうしても賞味したい。先に手に入れておこうという魂胆。この道の駅も新鮮な地元産野菜などで人気があり、いつも賑わっている。今日もかなりの混雑だった。早速売店に行って見たのだが、豆腐売り場は空だった。店の人の話では、未だ入っていないとのこと。それじゃあ先に水を汲もうと真狩湧水に向う。

真狩湧水の水汲み場は、今まで見たこともないほど混雑していた。いヤア、驚いた。こんなに大勢の人が来ているなんて想像もしなかった。車の置き場所もないほどだ。ようやく空きスペースを見つけて、空いているホースを探して水を汲む。このような混雑の時には、邦子どのの方が要領がよい。力仕事はダメだけど、チョッコし声を掛けて汲ませて貰うワザは自分のレベルをはるかに超えている。30分近く掛って、何とか予定の水を汲むことができた。来訪者の殆どが、1~2本のペットボトルを満たすなどではなく、皆さん大量の入れ物を用意してくるので、待ち時間もかなりのものとなってしまう。やっぱり、このような時間帯ではなく、早朝の5時くらいでないと落ち着いて水が汲めないなと思った。それにしてもここの湧水の水量は大変なもので、どんなに大勢の人が来ようと、供給はビクともしないのである。汲まなければただ流れ去ってしまうだけなので、これを東京の人などに分けてあげられたらどんなに喜ぶかと、勿体ないなと出来もしないことを思ってしまう。飲料水ももうこれで帰宅するまで大丈夫だ。

再び来た道を戻って、ルスツの道の駅へ。途中にある真狩の道の駅は今回はパスする。ルスツの道の駅で、豆腐はどうかと再度覗いたけど音信沙汰なし。どうやら今日は休みのようだと諦める。汲んできた水で冷たいそうめんを食べることにして、道の駅の裏にある無料デイキャンプ場の駐車場へ。数台の先着の旅の車がいた。昨年もここに寄ったが、関西系の方が多いようで、今年も皆さん名古屋や奈良など関西方面のナンバーだった。このキャンプ場には、炊事場もあり、これらを無料で使えるのはありがたい。早速そうめんを茹で、冷たい水に晒して食べる。暑い時のそうめんは何よりのご馳走である。ましてや冷たい汲みたての名水を使えるなんて、真に贅沢である。買ってきた大根をおろして、おろしそうめんにして食した。美味なり。言うことなし。

食事の後は小休止。邦子どのは午睡。自分の方は豆腐を諦めきれずにもう一度売店に出向く。しかし、どんなにしつこく求めても、無い物はやはり無い。やっぱりダメだった。この間に空の様子が急変して雨が落ち出した。此処は山と山に挟まれて、目まぐるしく雲が湧き乱れる場所で、上空は不安定な気象のようである。先ほどから羊蹄山を隠し続けている雲の一部が、この地にも乱れ落ちて来出したようだ。慌てて車に戻る。入浴の受付時間のリミットが16時なので、その1時間前くらいには入ることにしようと、ボチボチ出発することにした。

来た道をそのまま戻るのはチョッピリ不本意だけど、今日の場合は仕方がない。途中道の駅:とうやに寄る。ここは小さな道の駅だけど、野菜なども時々思わぬ掘り出し物があるので、無視できない場所である。売り場を覗くと、片隅に豆腐があった。ルスツのよりは小型で値段も安いけど、美味そうな感じだった。朝からずっと今日は冷奴が食べたいと思っていたので、迷わずゲットする。邦子どのはパンを追加して買ったようである。

洞爺湖温泉では、湖畔亭という大きなホテルの湯に入らせて頂くことにした。ここには9階に展望大浴場があり、湯船から洞爺湖の大パノラマを贅沢に眺望しながら楽しむことが出来る。昨年もお世話になっている。早速手続きを済ませ、エレベーターで9Fへ。思ったよりも混んでいて、小さな子供さんが嬌声を上げて走り回っているのに少し調子が狂ったけど、ま、これは致し方なし。露天風呂(この場合は、9Fであっても、窓ガラスなどでの仕切りが無く、直接外気と接している風呂の部分を指すらしい)の桧の桶に入って洞爺湖を見下ろしながら、こんな贅沢をタダでさせてもらって良いものなのだろうかと、なぜか少し後ろめたさを感じたのだった。小者の証拠なのだと思う。1時間ほど温泉を楽しんで、車に戻る。

さて、今夜は何処に宿を求めるか、しばし迷う。この温泉街の外れの方に噴火記念公園というのがあり、昨年はそこの駐車場に泊ったこともあったのだが、今年は先ほど行って見ると、旅車はあまり見当たらず、給水施設なども使えないようになっているし、トイレなどもあまりきれいではないようだ。どうも乗り気がしない。ここの地に泊れば、洞爺湖の湖面に毎日打ち上げられている花火を観賞できるのだが、それよりも安全・安心と安眠の方が大切と考えて、ここからはさほど遠くない昨日と同じ壮瞥町の道の駅に泊ることにした。

17時過ぎ、7kmほど離れた壮瞥の道の駅に到着。今朝ここを出る時には、又戻ってくるとは考えていなかったので、なんだか少し恥ずかしいような気分もある。今日は天気が良かったので電気もたっぷり蓄えてあるし、水の方も十二分に満たされている。結局、今日はこの電気と水のという二つのライフラインを満足させるために動き回ったようなものだった。ま、このような時もあるのだと思った次第。モチトウキビと冷奴で一杯やりながら、早めに寝ることにした。いつも早めにと決まっているのだけど。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第37日

2010-10-06 05:17:46 | くるま旅くらしの話

第37日 <8月15日(日)>

【行 程】 

終日、道の駅:そうべつ情報館にて過す <0km>

涼しい夜は北海道に滞在している証明である。昨夜も快眠を味わって、4時過ぎまでトイレにも行かずに眠りと夢の世界を彷徨し続けた。いつものパソコンに向ったのは5時過ぎだった。既に外は明るくなっており、起き出した旅車の人たちの中には、出発の準備を終えて一休みしているらしい人も居られたようだった。8時近くまでには書き物を終え、邦子どのもようやく起き出す。まだ7時を少し過ぎたばかりだと思っていたらしく、TVの朝ドラがない日曜日と知って、安堵したようだった。よく眠れるということは、何よりも健康のための最良の薬であり、大事なことである。

さて、今日はどうしようか。特別予定はないのだ。お盆の終りの日で、日曜日とあって、道は混んでいるだろうし、又無料の温泉施設もこの期間は対象外となっており、特に移動するニーズは薄い。もう一日ここに泊って、それから動いてもいいかなとも考えている。その様なことを思っていると、朝方にメールがあり、誰からだろうと思って見てみると、何と津軽海峡フェリーからだった。20日の乗船のガイドだった。今頃は予約者に対して、自動的にこのようなサービスをしてくれるらしい。うっかり乗船日を忘れたり、取り違えたりしてしまう人もいるからなのであろうか。あと5日後には北海道を離れることになる。今回の旅もいよいよ最終行程に入っていることを実感したのだった。

9時から駅の地産物の販売所が開店になり、早速出向いて、モチトウキビは入っていないかと探す。あった!昨日はなかったトウキビの陳列棚の中に8列の少し紫色をした粒のトウキビが袋に入って並んでいた。普通のトウキビは、皮を剥かないまま売られるのだけど、このトウキビは皮を剥いて袋に入れられている。というのも、もし皮付きだったなら、知らずに買った客からクレームがつくからなのかも知れないなと思った。というのも、普通のトウキビは、たった8列などではなくもっともっと実の粒の量が多い。それに紫色などと薄気味悪い色などではない。食べてみればさっぱり甘くなくて、ただモチモチの食感だけなのである。これでは誤解を招く心配があると考えて、生産者の方は販売に際してわざわざ皮を剥いて陳列しているのであろう。

   

販売されていたモチトウキビ。普通のトウキビは黄色か白でもっと粒の数が多く、食べるとやたらに甘味が強いのだが、このモチトウキビは、見た目にはごついけど、食べるとモチモチ感があり、あごが疲れてしまいそうになる。大人の味のトウキビである。

レジでの支払いの時に、生産者の住所などが判らないかと訊いてみた。袋に貼ってあるラベルに、生産者の電話が印刷されているので、そこに問い合わせてみて欲しいということだった。というのも、どうしてもこのトウモロコシの種を手に入れたいと思ったからである。来年、RVランドの実験農場にてこれを作って見たいと思っているからだ。じゃあ、後で電話してみようと思ってレジを終えて車に戻ろうとしていたら、邦子どのが呼びに来て、今丁度生産者の方がトウキビを運んで来られたと、販売所の方から声を掛けられたという。急いで名刺を持ってお会いしに行った。

前川農園という所の方で、恐らく前川さんとおっしゃるのだろうと思った。農家の主婦と思しき方で、早速挨拶と一緒に、種を分けて頂けないかのお願いをして見た。売店の人の話では、今売られているものを乾かせば種として使えるようなことを行っていたけど、それは無理でしょうとお聞きすると、やはりそうだと言う話だった。販売用とは別の畑に種専用のものを作っており、それの収穫は9月の末ごろとの話だった。それで、どれほどの作付けなのかと聞かれたのには少したじろいでしまった。大規模に作るのではないかと思われたらしい。せいぜい2~3本ほどの種があればそれでいいのですと話すと少し気抜けされたようだった。申し訳なし。追って、その時期が来たら電話しますのでよろしくお願いしますと名刺を渡してお願いをした。これで一先ずは安心である。

買ったモチトウキビを早速茹でて食べてみる。モチモチの食感がなんとも良い。やたらに甘くないのが更に良い。今頃のトウキビの全ての品種が甘すぎると思っている。甘ければ甘いほど喜ぶ人間ばかりなのだと考えるのはどうかしているのではないか。そもそも甘いというのは子供の味である。大人の癖にやたらに甘いものが好きというのは、未だ本物の大人になっていない証拠のような気がする。辛さや苦味の味を噛みしめることができて、初めて本物の甘さというのが分るというものであろう。甘さというのは、やたらに糖度が高ければ良いというものではないのだということが分るのだと思う。ま、このような理屈はどうでも良いことなのだが、馬の骨としては、一言強調させて貰いたい。

トウキビを茹でたり、A菜園から頂戴した茄子の漬物などを作っている内に、午前中があっという間に過ぎてしまった。道の駅の来訪者もかなり多い。ジオパーク関係が目当ての人は少なく、その殆どは地元産の新鮮な野菜や、アイスクリームなどを買い求めているようだった。気になってモチトウキビの売れ行きを見に行ったりしたが、どうやら評判は良いらしく、午前中の内にその殆どが売れてしまっているようだった。知っている人は知っており、昔の味を懐かしがっているのだと思った。何しろ自分の知っている所では、モチトウキビは此処と三笠の道の駅の及川商店、それに未だ見たことは無いけどニセコの道の駅の傍に昔トウキビの看板が出ていただけである。広い北海道といえども、この3箇所だけなのだ。そして壮瞥町では作付けしているのは前川農園だけと、前川さんが言っておられた。又々、モチトウキビの話となってしまった。

午後から雲が多くなり出し、おかげさまで暑さを凌ぐには好条件となった。モチトウキビで一杯やって、先ずは午睡を愉しむ。起き出したのは15時過ぎ頃か。情報館という名の道の駅には、公共ネット用のパソコンが置いてあり、昨日それを使って久しぶりにブログの更新をしようと試みたのだったが、ワープロ機能が使えず、IDやパスワードが皆大文字となってしまい、アクセスが出来なかった。それで諦めていたのだが、念のためもう一度やってみようと画面に向うと、何と今日はちゃんと小文字での入力が出来るではないか!ちゃんとアクセスすることが出来たのだった。どうなっているのかと一言文句を言いたいところではあるけど、ま、その前に先ずは更新をしようと打ち込む。突然のことなので、とっさに書き込むことも少なく、とにかく旅の現状などをお知らせすることにした。前回の更新から早や半月が経過しており、8月になってからは初めての更新だった。在宅時は殆ど毎日更新しているので、この怠慢はいずれお釣りつきで戻ってくることであろう。とにかく更新を終えてホッとしたのだった。

夕方からかなりの雨になった。今日は終日雲が多くて、ソーラーは大して働いていない。車も全く動かしていないので、電気の心配がある。夕方から大河ドラマをみる予定があり、2時間半くらいはTVなどで電力を消費しなければならない。ということで、夜間のパソコンでの書き物は控えることにする。この電気の問題は、旅の間の悩みの一つである。しかし、この夜は大した問題にもならずに過ぎたのだった。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第36日

2010-10-05 03:19:32 | くるま旅くらしの話

第36日 <8月14日(土)>

【行 程】 

道の駅:サーモンパーク千歳 → 道の駅:ウトナイ湖 → 白老町・虎杖温泉(ホテルオーシャン) → (途中から道央道) → 道の駅:だて歴史の杜 → 道の駅:そうべつ情報館(泊) <124km>

今日も良い天気のようである。空の半分ほどは薄い雲が広がり、残りは青い色だ。暑くなるぞと思ったが、恐らく夕方からは涼しくなって、凌ぎやすくなるに違いない。

今日から、少しずつ南下するつもりでいる。今はお盆の真っ最中で、大都市圏では帰省の大渋滞が始まったとの報道が賑やかだけど、北海道の場合は、札幌近郊といえども大した渋滞にはならない。渋滞している時は、高速道を下りて一般道を行った方が早いからである。ま、札幌都心辺りではそうも行かないとは思うけど、東京などとは比較にならない様に思う。今日の予定としては、苫小牧の方を行き、HOを利用して白老町の虎杖温泉に入り、そのあとは高速道を使って伊達の道の駅に行き、もし状況がよければそこに泊ってしまおうかと思っている。伊達の道の駅ではネットを使うことが出来ると資料には書かれているので、長いことご無沙汰しているブログにお詫びの報告を書きたいなどと考えている。

急いで出発する必要もないので、朝食もゆっくり摂り、後片付けもゆっくりと行なう。千歳市には支笏湖から流れ出す千歳川の水を存分に使える水道があり、厚生省のおいしい水道水に選ばれているとか。守谷での我が家は、普段から市販されている支笏の水を愛用している。この道の駅には、公園の脇にその水道水を汲む所があり、いつもそれを利用させて貰っている。以前、10Lのポリタンで何度も水を運んでいたら、市の関係者らしい人に声を掛けられ、車を持ってきて、水道に直結させて汲んでもいいですよ、と声を掛けられたことがある。嬉しかったけど、水汲みは自分の運動のためであり、わざわざ車を遠くに停めて運んでいるくらいなので、お礼を言っただけにしたのだった。自慢の水を多くの人に味わって欲しいという気持ちが感ぜられて、爽やかな気分となった。道の駅の殆どでは、水の補給施設などとんでもない話で、トイレの手洗いを除いては、一滴たりとも使わせないという敵意が漲っている感じがする。水不足が常態化している行政の場合は止むを得ないとしても、直ぐ傍を清流が流れている町村でもこうなのだから、その魂胆が判らない。恐らくマナーが悪くて、水道施設を汚すのは未だしも壊したり流しっぱなしにしたりする者が居るので、それに対して業を煮やしたのだと思うが、撤去したり設置しなければそれで済むと考えるのは、為政側の根本的な間違いだと思う。ほんの僅かな不心得者の行為に惑わされて、ネガティブな対応をとり続けていれば、この世は健全性を失い未来は益々暗いものとなってしまうに違いない。そして、自分の願うくるま旅くらしの世界など、到底到来するはずもなく、定年後は車中泊などと呼ばれる窮屈な旅を、水ドロボーやゴミの不法投棄などの疑いを掛けられながら、続けざるを得ない人が増えるに違いない。

ちょっと話が横道に逸れたのはいつもの通りなのだが、実はこの後、大変感動的な出来事があったのである。予てよりこの道の駅というか、千歳市には好感を抱いていたのだったが、残念ながらゴミの処理に関してはその様な設備は見当たらず、ここで発生したゴミは車の後に載せているゴミ箱に一時保管することにしていたのだった。出発前に一息入れようと邦子どのと窓外を見ながら雑談していると、市の関係者と思われる一人の人が、猫車を押しながら公園や駐車場内に落とされている小さなゴミを拾っているのが目に付いた。タバコの吸殻などを捨てるばか者がどこにもいて、本当に腹が立つのだが、これを一々拾うというのは大変だなと話していたのだった。そのついでに、まさか自分たちにゴミはないかなどと声を掛けてくれたりはしないよなあ、とも話していたのだが、何とその人は自分たちの車の傍に来られると、「ゴミはないですか?」と本当に声を掛けてくれたのだった。いヤア、驚いたのなんのって。「エッ、ゴミを出していいのですか!ちょっと待ってください」と慌てて車の後に括りつけてあるゴミ箱からゴミを取り出したのだが、食べるに至らなかった大きなメロンなどがあって、如何なものかと話すと、いいですよとのこと。いヤア、ゴミを回収されている方から声を掛けられたのは初めてです、と話すと何事もないように黙って苦笑されていた。

   

広い駐車場内を生ゴミを回収して回っている千歳市の関係者の方。このような光景を見たのは初めてだった。感動した。

   

このような回収車が何台か用意されており、生ゴミを集めておられた。この取り組みに賞讃のエールを送ると共に、回収される生ゴミが次第に少なくなることを願いたい。

今まで自分たちなりに日本各地を旅しているけど、このような経験は本当に初めてだった。実に嬉しい経験だった。市当局が関係職員全員にこのような指示を出しているとは思われず、この方の自主的な行為だったのかも知れないけど、益々千歳市というのが好きになった。後で気づくと、この方だけではなく、3人ほどで構内のゴミの回収を行なっておられたようで、街をきれいに、公共の場所をきれいにという呼びかけを、真っ先に実践しておられたのだった。これらの美化運動に大いなるエールを送るとともに、自分自身もより一層旅のマナーには気をつけなければならないなと思った。

10時近く、千歳の道の駅を出発する。苫小牧方面への道を走るのは久し振りのことだ。いつもは支笏湖への道道を行き、美笛峠から洞爺湖に向うことが多いのである。新千歳空港の脇を通過し、しばらく行くとウトナイ湖という道の駅があった。どうやら最近オープンしたようで、建物等は新しかった。ちょっと寄って中を覗いてみた。特に目立って興味を引くようなものは見当たらなかった。直ぐに車に戻ったのだが、邦子どのはなかなか戻ってこない。後で聞いたら、駅の裏側がウトナイ湖という湖だったようで、そこまで行って見て来たとのこと。ちっとも知らず、ウトナイ湖というのは道の駅の反対側にあって、ここからは少し歩かないと見えないのだとばかり思っていた。ま、この次の機会を待つことにしよう。

苫小牧というのは良くわからない街である。何処が中心街なのか、何処が新しく、何処が古いのか、街がどのように出来ているのかさっぱり見当がつかない。道路もまっすぐなようでいて、直角に曲がったりする箇所が多くて、旅の者にはわかりにくい。わからなくてもいいのだけど、印象としては、千歳市などの足元にも及ばない淋しい街のような気がする。何処かで給油をしようと考えていたが、思ったよりも給油スタンドが少なく、又価格が高い。北海道を回っていて、リースバブルな給油価格だったと思うのは、紋別市付近だけである。それ以外は、大都市圏でも価格が高すぎるように思う。この差が何処から生まれるのか、L当り20円近くも差があるというのは、どう考えても解せない。とにかく少しでも低価格の店でと探していたら、行列をなしている所があった。それでも守谷市などよりは少し高いのだが、この辺りではずば抜けて安いと感じた。しばらく並んで満タンにする。

給油の後はひたすら走り続けて、白老町の虎杖温泉へ。虎杖とは植物のイタドリのことである。北海道のイタドリは大型で丈が3m以上もあるものが多い。虎杖浜というのがあり、そこにはかつてたくさんのイタドリが茂っていたのだと思う。その近くに温泉が掘り当てられ、今はそこに温泉街が生まれているようだ。ここは登別の直ぐ近くで、白老というよりは登別といった方が相応しいようなロケーションである。道路の横にあるホテルオーシャンという所の温泉に立ち寄り湯をする。

小1時間ほど温泉を楽しみ、昼食は伊達の道の駅で摂ることにして、伊達までは高速道を使うことにした。室蘭市内の混雑を避けたいと考えたからである。登別東ICから伊達ICまでの間は、大した混雑もなくあっという間に通過してしまった。土曜日なので無料ではと思っていたら、邦子どのに休日は1000円だといわれて、そうだったかと思い出した。ここは実験区間ではないため、有料なのである。下りる時に表示を見たら割引で550円とあった。総じては安くなっているのだろうけど、無料があったり、割引があったりで、このところの高速道は料金の扱いが極めてわかりにくい。まさに政治の変転と同じ感じがする。何時になったら安定して無料(?)となってくれるのか。たまにしか高速道を使わないのだけど、勝手にその様なことを思った。

伊達の道の駅は、今までいつ来ても混んでいたが、今日も広い駐車場一杯に車が溢れている感じだった。端の方に車を停め、何か食べるものはないかと店の方に行ってみたが、人ばかりでゆっくり食べる店も場所もない。また、ここでは公共ネットが使えると期待して行ったのだが、一応その様なことが資料には体裁よく書かれてはいるものの、その機器にはマウスもキーボードもなく、あるのは伊達の町の情報を一方的に押し付ける画面ばかりで、何だこれは!と腹が立った。地方の行政の考えることは、こんなことばかりなのかとガッカリする。自分たちの思いばかりを伝えさえすればこの町がわかってもらえると考えるのは、本当の大人の考えることではないのではないか。自己利益中心の効率主義の狭隘な思考がこの世を隅々まで食いつぶしているのを実感した。こんな所には何時までも居たくないと逃げ出すことにした。

14時を過ぎており、とにかく腹が減ってきている。○○食堂のようなものがあると助かるのだけど、こんな田舎町には進出しても商売にはならないのであろう。ラーメン屋くらいしかない。ラーメンはもう今年の分は食べ終えている。などとブツクサいいながら走っている内にたちまち道の駅:そうべつ情報館に到着。ここで大急ぎでお湯を沸かしうどんを作って飢えを満たす。ヤレヤレである。疲れたので、今日はもう移動することを止め、ここに錨を下ろすことに決める。遅い昼食を摂りながらそのようなことを決めるのは珍しい。だんだんと老化が進んでいる証なのかもしれない。

この道の駅は、洞爺湖サミット開催年度頃に建物を新しくして、その中に有珠山の噴火活動などこの辺一体の火山防災体制などを紹介したパノラマ模型などが作られている。洞爺湖サミット時のデモ施設の一つとして作られたのだと思うけど、何につけても建物が新しくなり駐車場も広くなって、地元の新鮮な野菜などを求めて大勢の人が来るようになったのは喜ばしいことだと思う。ここへ来る人の90%以上はあまり火山活動のことなどには関心がないようで、2階の展示室に上がる人の大半はトイレの利用者となっているのが現実のようだ。

また、この地は世界ジオパークというものに指定されており、昨年の8月に認定されたとか。ジオパークというのは地球科学的に見て重要な自然遺産を含む自然に親しむための公園という意味だそうな。日本では世界ジオパークに認定されているのは、ここ洞爺湖有珠山ジオパークの他、糸魚川ジオパーク、島原半島ジオパークの計3箇所だけとか。これはネットで調べた結果であるけど、詳しいことは良く分らない。

ところで、昨年この道の駅でモチトウキビを見つけて、興奮したのを忘れることはできない。何の気なしに野菜売り場を見ていたら、昔懐かしい8列のモチトウキビが置かれていたのだ。半信半疑で買って茹でて食べてみたら、真正正銘のモチトウキビだった。子供の頃食べたトウキビといえば、今なら家畜の飼料レベルのものが殆どで、その後食用としてこのモチトウキビが市場を席巻したのである。その後様々な品種改良がなされ、次第に甘味の増したトウキビが増えて、今頃はトウキビといえば甘いのが当たり前で、しかも甘いほど美味いなどと錯覚している風潮にあるようだ。生で食べるトウキビなども出来(しゅったい)して、自分のような偏屈者には真に嘆かわしいトウキビの世界に成り果ててしまっている。それが、去年ここに来て奇跡的に昔の味を味わうことができ、甚(いた)く感動したのだった。今年はどうなのか、まさか去年で打ち切りになどしては居ないだろうと、チョッピリ心配しながらの来訪だったのである。先日の三笠の道の駅では、今年は日照時間の所為で生育が遅れていると聞いているので、この地はどうなのかと思ってもいるところである。

早速売り場に行ってみたけど、野菜類の殆どは売切れてしまっていて、トウキビも残っているのは甘い奴ばかりだった。期待を明日に残して、今日は野菜はA菜園のものを心行くまで頂いて味わうことにした。暑かった日中も夕方になるとそよ風が心地良く車の窓を駆け抜けて、良い感じとなった。いつもは有珠山や昭和新山を間近に眺めて、寝ている間に突然噴火したらどうすると、妙にここに泊ることを避けていたのだったが、今日は何故なのかその様な心配は入り込んで来なかったのである。久しぶりにご飯を炊き、A菜園のナスとピーマンそれにシシトウを味噌炒めにして食す。美味なり。新鮮な野菜にはその育成者の思いと野菜そのものの生命が息づいているようで、それをそのまま頂けるというのは、この上ない果報である。ビールと頂いた焼酎で一人一杯やって、TVの方は邦子どのにお任せして早めの就寝となった。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第35日

2010-10-04 05:01:29 | くるま旅くらしの話

第35日 <8月13日(金)>

【行 程】 

Aさん別荘(泊) → 道の駅:マオイの丘公園 → 道の駅:サーモンパーク千歳(泊) <23km>

爆睡のお陰で、3時半には目覚める。このような時には、もう眠る必要は無い。とすれば起きるだけである。TVをつけて見たら、もう台風のことなど何も報道されておらず、日本からは遠ざかったのか或いは消滅してしまったらしい。外を見てみると、雲はあるけど青空も少し覗けるようで、この分だと今日は天気が回復するのではないかと思った。毎日天気のことを心配するのは、旅に出てからの1日の始まりはその日の天気に大いに影響されるからなのである。

いつものように記録の整理をして、それが終える頃に外を見ると再び霧がかかり、先ほどの青空は隠されてしまっていた。未だ天気は不安定さが居残っているのかも知れない。5時を少し過ぎていた。このところあまり歩いていないので、散歩に出かけることにした。ご老女()お二人は、未だよくお休みのようである。車を出て、直ぐ裏の道道を由仁町方向へと行ってみることにした。

マオイの山塊の南山麓を取り囲むように何本かの道路が造られているようで、別荘のあるこの地はその南側の位置しているようである。由仁町の方に向かう道は上り坂が続き、進むにつれて長沼町の平野に広がる田園地帯の向こうに北広島や札幌の市街地などが展望できて、その彼方に左方には恵庭岳や樽前山などが遠望できる。道路の両側には林を伐り開いた中に幾つもの別荘風の家が建っていた。中には定住していると思われる家も多く、この地だとどのような暮らしをされるのかなと思った。少し行くとハイジ牧場というのがあり、これは下の方にある道が正規の入口となっているようで、それはここからだと3kmくらいは離れているように思われ、この牧場の広さがかなりのものであることを感じさせた。遠く牧場の中には使命の終わった電車らしい乗り物が、丘の上に据えつけられているのが見えた。アルプスの少女ハイジに因んで、高原を走る電車のイメージで色が塗られているようで目だった存在に思えた。とにかく広く大きな景色である。

更に少し行くともう建っている家はなくなって、道の両側は白樺やイタヤカエデそれにトドマツなどの林だけとなり、道端には咲き始めた背高アワダチソウの黄色い花が目立っていた。この花が浸蝕している場所には、珍しそうな野草を見つけるのは難しい。ほんの少しホサキシモツケの花があり、別海町辺りだと主役のこの花も、ここでは押しのけられた存在なのだなと思った。所々森の中に入ってゆく道があり、そこにはチエーンで進入禁止の表示がしてあり、そこに下がった札に「熊注意」とあった。この辺りに熊が棲息しているとは思えないけど、しばらく行くと又同じ様な表示がしてあり、「熊出没注意」ではないから大丈夫だと思ったけど、この道の先がどのような状態なのかが判らないので、由仁町との境目まで行って、引き返すことにした。熊君と出会っても大丈夫という準備をしていなかったので、万が一のことを考えての判断だった。

来た道を戻り、別荘への入口を更に下って長沼町の平野部の方に行ってみることにした。昨夜奥さんにこの辺でドブロクの製造販売が特に許されている農家が6戸ほどあるというのをお聞きし、その一つの木村農園というのが直ぐ下にあるとおっしゃっていたので、それを確認してみようと思ったのである。この道は車で何回か往来しているので、凡その見当はついている。坂を下ってゆくと八幡神社というのがあった。車で通るときはサッと見るだけで、神社の建物がユニットハウスの物置のような造りなのを不思議に思っていた。参拝に寄ると、境内の横にこの地区の集会所が建てられていた。神社には鳥居もあり、手水もあって、30mほどの参道も整備されていた。この地の開拓の先達たちの心の拠り所のシンボルとしてこの神社が勧請されたのだと思う。社殿は風格がなくてもこの地の人々の思いは、ここに一つの形となって集まり、豊穣や安泰の願いの実現に大きな力となっているのがよくわかる様な気がした。拍手を打って参拝する。

   

マオイの丘の麓に建てられている八幡神社。真に質素な建物だが、この地に入植した人たちの心の拠り所として崇敬されてきているのを感じた。

その先を少し行くと木村農園があった。建物に向う100mほどの道の両側にはカンナが植えられ、赤い花が少し目立っていた。カンナにしては背丈が低いのは、気候の所為なのであろうか。アジュガの花が今頃咲いているのを見て、守谷市との気候の違いを改めて思った。農園はまだ眠りの中なのか、人の気配は感ぜられず、今はドブロクを買うつもりもないので、場所だけを確認して、別荘に戻ることにする。

別荘に戻る頃には天気はすっかり回復し、暑さの再来を警戒する気持ちが強くなり出した。1時間半ほどの久し振りの歩きだった。万歩計は1万歩を少し上回っていた。車の中でニュースなどを見ていると、どうやらお二人とも起きだしたらしく、それらしき動きが伝わってきた。Aさんにお世話になってから今日で4日目を迎えている。くるま旅をしていることを忘れてしまいそうである。親戚以上の親しみを感ずる存在となってしまっている。不思議な出来事である。今までのくるま旅の中で、様々な出会いがあったけど、この出会いほど不思議さを感ずるものはないように思えた。昨年、馬追の名水を汲みに行った時に奥さんから声を掛けられ、ほんの少し車の中を覗いて頂いただけのご縁が、その後別荘までご案内頂き、お茶や採りたてのジャガイモの蒸かしたのをご馳走になったりして、たった2時間ほどのご夫妻との歓談から、今回のこのような時間の過し方につながっているのは、不思議としか言いようがない。このご縁は、少しオーバーに言うならやはり天の授けてくれた人生の宝物の一つに違いないのだと思う。

朝食はパン。わざわざ奥さんが地元のパンを買うために車で往復されたのである。下の畑で採れた野菜の味噌炒めをパンに載せての味わいは又格別のものだった。邦子どのとの二人の朝の食卓にパンに挟んだり載せるものといったら、せいぜいレタスをちぎったものくらいしかない。奥さんの心遣いのこまやかさに感謝しながらの食事であった。

今日はお別れをする日である。お昼頃までご一緒することにして、その後もあれこれと話題は尽きず、気がつけば12時近くとなっていた。腰を上げようとすると、奥さんがどうしても見て欲しい場所があるので案内したいとおっしゃるのである。それをお断りするのは無理というものである。ということで、その後奥さんの車に乗せて頂き、その場所をご案内頂いたのだった。先ず最初は、この別荘地エリアの中で、長沼町の田園などの極上の景観が楽しめる場所だった。今日は台風の影響から抜け出した広い北海道らしい平野の景観を堪能することが出来た。この地が何故別荘なのかも理解できた。元々はアーティストと呼ばれる人たちがここに居を構えて、それぞれの製作に取組まれた場所であるとか。そこに一般の人たちも住むようになったというお話であった。この大きな景観に常時触れることが出来れば、どのような領域のアートであっても、北海道の持つ何かをその表現の中に取り入れることが出来るに違いない。

   

丘の麓に点在する別荘のあるエリアからの景観。広がる平野の右手側の奥に札幌市街がある。平野は穀倉地帯となっている。

その後は隣の由仁町にあるゆにガーデンという花のテーマパークのような場所にご案内頂いた。洋風の建物が何棟か建っており、広い庭園の中を小さな連結バスが走っており、花園の中には結婚式場などもあるようだった。植えられている植物の多くはヨーロッパの植物のようで、イギリスの庭園を模した部分が多いとか。残念ながら自分には野草や日本の花の他は、殆どその名前を知らない。西洋の花も美しいけど、想像もつかない奇妙な形(なり)をしたのがあり、なんだか花としての素直さに欠けるような気がして、今一の感じがするのである。季節の花を紹介する掲示があったが、それを見ると5~6月頃が魅力的な花が多いようである。冬が終わり、雪解けも去って、新たに芽吹いた草たちが思いをこめた花を咲かせる季節がやはり一番なのだなと思った。この暑さでは、花たちも少し参りかけているような気がした。ご老女お二人は、何やら若返りのクリームのようなものを見つけたらしく、来年までには別人と見間違えられるほどの美肌になるのだと、半分本気がかった顔で話していた。ま、夢はたとえそれがどんなに不可能なことであっても、大きく膨らませることが大切であろう。ご健闘を祈るのみである。もはや毛生え薬など遠い過去になっている頭の自分などには次元の違う話であった。楽しいひと時であった。

   

長沼町の隣の由仁町にあるゆにガーデン。英国風庭園をベースにした広大な花のテーマパークである。この日は暑過ぎて花たちもぐったりとしていた。

15時近くに別荘に戻る。又またすっかり長居をしてしまった。お別れする前に、奥さんが下の畑にある数々の野菜を持ってゆくようにと、暑い中を懸命に用意して下さった。深謝一杯である。その様なときに、ご次男夫妻が別荘にお出でになり、これは又嬉しいことである。夏休みでご両親の元に帰省されたらしいのに、若しかしたら我々がすっかりご両親を乗っ取ってしまっていたのかも。申し訳もありません。お父さんの意思をしっかり受け継いだ好青年とお見受けした。又その連れ合いの女性もチャーミングデで、二お人良く似合いのカップルだと思った。

その3人の方々に見送られて別荘を後にする。この3日間車を殆ど動かさなかったので、少し慎重に運転することを心がける。先ずは近くの道の駅:マオイの丘公園に行き、トイレの処理などをする。道の駅は相変わらずの人気ぶりで、野菜等を買いに来る近郊の人たちで賑わっていた。我々の方は、先ほど奥さんに採って頂いた新鮮そのものの野菜を頂戴しているので、店の方には何の魅力も感じない。旅の車も何台か留まっていたが、知り合いの人は一人も居なかった。今日の泊りは千歳の道の駅にすることにして出発。

台風の影響から抜け出した空にはお天道様がずっと顔を出し続けていて、外はかなりの暑さである。道の駅に着いた16時半ごろは日陰が欲しい状態が続いていた。しかし、車の中は風が通って意外と涼しく、暑さはそれほど気にしなくても良いことがわかった。この道の駅には何度もお世話になっている。鮭のふるさと館という水族館のような施設があり、その近くには千歳川に仕掛けられたインディアン水車という鮭の捕獲装置があって、水力を利用して自動的に鮭を一網打尽にしている。採れた鮭は食用ではなく、採卵して孵化させ、再び川に返すためのものと聞いている。群れて遡上する鮭を一度に何匹も捕らえる様子はなかなか壮観である。その千歳川の両岸は森に囲まれた公園となっており、広い駐車場は市民や旅の者にとってはありがたい憩いの場となっている。

今日は日中かなりの人出だったようだが、夕方には車も人も次第に減って、やがてはここで夜を過ごす20台ほどの車の数だけとなった。夜になると涼しさは安定し、やがては風がなくても少し寒さを覚えるほどの快適さとなった。日中は暑いけど、夕方からは爽やかな涼しさが、そして夜には毛布一枚が欲しいレベルの一日、これこそが本来の北海道の夏の日なのだ。それがようやく戻ってきたようで、ホッとしながら眠りに就いたのだった。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第34日

2010-10-03 05:16:42 | くるま旅くらしの話

第34日 <8月12日(木)>

【行 程】 

Aさんご自宅 → Aさん別荘(泊) <20km>

台風が近づいているとの情報が次第に気になってきた。どうやら北海道の方に向っているらしい。何でまた、今頃こっちに来るんだと思わずには居られないが、天の気分なのだからしょうがないと諦めるしかない。この地も朝からかなりの雨が降り続いており、うっかり南下などすると大ごとに出くわす危険性もあるようだ。このような時には、ジタバタせずに安全な箇所にジッとしているのが一番無難である。さしずめは千歳辺りで風雨が通り過ぎるのを待てばいいのでは、などと思っていた。

ところが、朝食を頂いた後の奥さんの話では、今日も泊って頂くのが当然と考えておられたようで、少なからず驚いた。邦子どのがどのようなお願いをしたのかはよく判らないけど、こんなにも長く甘えてよいものかどうかチョッピリ疑問を抱いたのである。でも奥さんはご主人にも、今夜は別荘の方に泊まるからと承諾済みというお話だった。旅先でこれほどのご厚意に甘えたことはない。本当に良いのかしばらく迷ったのだが、結局はそれをありがたくお受けすることにした。というのも、昨夜の話でもご主人とはウマが合いそうで、また奥さんのお話も興味深いものがあって、邦子どのはもうすっかり古くからの親しき友人気取りなのである。このようなことも格別に珍しいことなのであった。

午前中は歓談をしながらゆったりと過し、午後になったのに気づいて、別荘の方に行くことになって移動する。台風は秋田に上陸の後、岩手県を横切りながら、少し南側に進路を変えたらしく、北海道は暴風圏からは外れることになったようであった。しかし、刺激された前線は雨を降らし続けており、この地も朝からずっと雨降りである。時々小降りにはなるけど、地盤は緩んで要注意である。全道各地に幾つもの警報が発令されており、安易な予断の許されない状況が続いていた。

別荘では、しばらく話の方はお二人にお任せすることにして、自分の方は、書きものの残りをこなした後、久し振りに高校野球をTV観戦する。甲子園の方は雨が上がって、球児たちは暑さの中で熱戦を繰り広げていた。その内になんだか眠くなり出し、しばらく午睡の世界へ旅立つ。暑さは何処かへ去ってしまったのか隠れたのか、雨降りを除けばまことに凌ぎやすい涼しさで、気持ちが良い。

目覚めたのは16時過ぎ、思い立って奥さんにSUN号(旅車)にお越し頂いて、三人でお茶を一緒にすることにした。考えてみれば、ずっと奥さんのお世話になりっ放しで、未だ一度も車の中の状況をご覧頂いていなかったのである。くるま旅というものがどのようなものであるかは、やっぱり旅車を覗いて頂かなければ判らないように思う。旅の本質は同じであっても、使用する車によってその実際の暮らしぶりにはかなりの差があるように思う。なかなかキャブコンの中に坐って話をする機会はないのではと思い、是非一度ご体験頂きたいと思った。それで、その後は車の中で少しばかり旅の話が弾んだのであった。気がつくと雨は止んで、遠く北広島や札幌辺りの街の灯が煌めき始めていた。

別荘に戻り、奥さんの特製スパゲッティをご馳走になる。具材の殆どは直ぐ下の畑から懐中電灯を照らしながら採ってきたものである。美味くないわけなど何処にもない。自分ひとりがそれを肴に一杯やり続けて、数杯分を体内に取り込んだのだった。こうなると入り口の方の動きも闊達となり、話し上手(=聞き上手)の奥さんに乗せられてしまった感じで、まあ、良く喋ること、我ながらあっけにとられるほどに歓談の主役となってしまったのだった。さすがの邦子どのもその毒気に疲れを覚えたのか、先に寝床に横になってしまっていた。気がつけば22時を過ぎており、あわてて饒舌を押さえる。いやあ、とんだ一幕でした。車に戻り、少し反省しながらたちまち爆睡に落ちる。

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