山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

北海道旅の記録の長期連載を終えて

2010-10-16 00:10:06 | 宵宵妄話

 

 1カ半という長期にわたる旅の記録の連載でした。読まれた方の中には、毎日同じ様なことばかり、良くもまあ飽きもせずに続けるものだと呆れた方もおられるのではないかと思います。でも日々の暮らしというものは、それが旅であってもなくても、とてつもなく劇的というような出来事はなかなか起きないものです。平凡な出来事の中に、ちょっぴり心を騒がせ浮き立たせるようなことが混ざるのが暮しというものです。旅の暮しというのもその意味では似た様なものだと思います。でも一つ大きく違うのは、旅暮しは毎日が新鮮で刺激的だということです。私共が飽きもせずに毎年北海道の夏を訪ねるのは、単なる避暑や観光などではなく、様々な出会いを通してその新鮮さと刺激に憧れるからなのだと思います。

 さて、長い間記録の掲載をしている間に、熾烈だった猛暑の怨念も次第に収まって、今では朝夕は涼しさを通り越して寒さを感ずるほどの気候となりました。ようやく生きた心地がするようになったと言ったら、些かオーバーなのかも知れませんが、今年の暑さは自分自身の加齢から来る体力の衰えに追い討ちをかけるほどの厳しいものでした。やはり人間が人間らしく穏やかに生きてゆくためには、ほどほどの暑さとほどほどの寒さが必要なのだなとしみじみ思うこの頃です。

 この記録を掲載している間は、真に怠惰な時間を過ごした感じがします。何しろブログの更新の方は転写の作業だけで済みますので、書くための努力を必要としません。書くことをライフワークのスタイルにしようと考えているくせに、一度楽する味をモノにしてしまうと、煩わしいことは忘れてしまおうなどと平気でそう思うようになってしまうというのは、呆れ返るというよりも恐ろしいことのように思います。反省しきりです。

 この1ヶ月半の間に、世の中ではいろいろな出来事がありました。天気の変動だけではなく、政治・経済界の動向も大きなものでした。民主党の党首選び騒動の後の中国のゴリ押し外交問題などの発生、景気の先行き不安感の増大等など毎日毎日良くもまあこのような暗い話ばかりが湧いてくるものだろうと、世の中の流れの方向が楽観ではなくひたすらに悲観を目指しているように思えてなりませんでした。辛うじてノーベル賞をお三方が受賞されるという話などがあって、そう、昨日はチリの落盤事故で地下700mに69日間も閉じ込められていた33人が全員無事に救助されたという明るい話もありました。ま、ちょっぴり救われた感はありますが、それが世の中の流れを明るい方向へ引き戻してくれるとも思えません。

このような時に何が一番自分の迷いを解きほぐしてくれるかといえば、本当は旅に出かけることなのだと思っています。でもそれが直ぐに叶わぬ状況の中では、とにかく自然と対峙してありのままのその姿を見つめることが有効のような気がします。それを一番実現できるのが歩きです。

北海道から戻った後の歩きは、旅の間にあまり歩けなかった反動もあってなのか、9月などは毎日の平均が1万7千歩を超え、月間では52万歩を超えました。歩きのときの自然観察は実に楽しく、またあれこれと思いをめぐらすのも至高の楽しみです。道端の野草たちや川の流れ、樹木たちと風との囁きあいなどを立ち止まって聴く時には、戦国時代の世捨て人のような感覚に捉われます。どんなに地球が破壊され浸蝕されても、大自然というものには悲観も楽観も存在せず、世捨て人にいろいろなことを教えてくれるようです。(自然と対峙している時にはもはや自分は世捨て人となっていることは明らかのような気がします)

もう一つ迷いを覚ましてくれるのは農事に勤しむことです。現在市からお借りしている菜園は、わずか30平方メートルに過ぎませんので、野菜の手入れなどをしてもすぐに終わってしまい、物足りないのです。それでこのところ雨が降らない時には、毎週1泊しながら、我が家から50kmほど離れた石岡市にあるRVランドの農場に出かけて、果樹や蔬菜園芸などの面倒見のボランティアをさせて頂いています。1.5ha(約4500坪)の農場の中での様々な樹木や作物や雑草とのしみじみとした対話は、歩きの時とは違った空間の中で満たされたものとなっています。


「マリちゃんよ、暑かったなあ今年の夏は」

「んだね、あんまり暑いんで、わだしも花を持ち上げる元気がなぐなっちゃったよ」

「そこは高畝なので、なかなか水が来ないからなあ、悪いなあ」

「そうだよ、アンタがわだしをこんなどこさ植えっからだよ」

「だけどなあ、マリちゃん、お前さんに囲んで貰って、中のケール君の葉っぱにつく虫を追っ払って欲しかったんだよ」

「そんなごど言ったって、わだしが参っちゃったら、元も子もねがっぺよ」

「そりゃまあ、そうだけど。でもケール君も全滅しちゃったなあ」

「虫に食われる前にしなびて消えちゃったんだがら、それはやっぱりアンタの畑作りと、種のまき方がへだ(下手)だったからだっぺよ」

「そうだよなあ、勉強不足だよなあ」


マリちゃんというのは、マリーゴールドのことです。茨城の地のマリーゴールドは、茨城の田舎ことばに染まっています。今の時期、辛うじて生き残った畑の脇のマリーゴールドは、涼しさを味わって生き返ったように最後の花を勢いづかせて咲いていますが、その心境たるや複雑に違いありません。育ちそこなったケール(キャベツの原種で結球しない植物。日本では青汁などに使われることが多い)の残した何も生えていない地面を見ながら、マリーゴールドに叱られるのに甘んじなければならないと思った次第です。

 ま、このようにして時々浮世の迷いから開放されながら日々を過しています。しかし何時までも世捨て人の真似事のようなことをしてばかりいるわけにも行かず、そろそろ目を覚まして浮世の迷路を少しずつ前進してゆかなければならないと思っています。ということでこれからは再び物書きの難行苦行(?)の楽しみに向かうことにしました。

コメント
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