山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第35日

2010-10-04 05:01:29 | くるま旅くらしの話

第35日 <8月13日(金)>

【行 程】 

Aさん別荘(泊) → 道の駅:マオイの丘公園 → 道の駅:サーモンパーク千歳(泊) <23km>

爆睡のお陰で、3時半には目覚める。このような時には、もう眠る必要は無い。とすれば起きるだけである。TVをつけて見たら、もう台風のことなど何も報道されておらず、日本からは遠ざかったのか或いは消滅してしまったらしい。外を見てみると、雲はあるけど青空も少し覗けるようで、この分だと今日は天気が回復するのではないかと思った。毎日天気のことを心配するのは、旅に出てからの1日の始まりはその日の天気に大いに影響されるからなのである。

いつものように記録の整理をして、それが終える頃に外を見ると再び霧がかかり、先ほどの青空は隠されてしまっていた。未だ天気は不安定さが居残っているのかも知れない。5時を少し過ぎていた。このところあまり歩いていないので、散歩に出かけることにした。ご老女()お二人は、未だよくお休みのようである。車を出て、直ぐ裏の道道を由仁町方向へと行ってみることにした。

マオイの山塊の南山麓を取り囲むように何本かの道路が造られているようで、別荘のあるこの地はその南側の位置しているようである。由仁町の方に向かう道は上り坂が続き、進むにつれて長沼町の平野に広がる田園地帯の向こうに北広島や札幌の市街地などが展望できて、その彼方に左方には恵庭岳や樽前山などが遠望できる。道路の両側には林を伐り開いた中に幾つもの別荘風の家が建っていた。中には定住していると思われる家も多く、この地だとどのような暮らしをされるのかなと思った。少し行くとハイジ牧場というのがあり、これは下の方にある道が正規の入口となっているようで、それはここからだと3kmくらいは離れているように思われ、この牧場の広さがかなりのものであることを感じさせた。遠く牧場の中には使命の終わった電車らしい乗り物が、丘の上に据えつけられているのが見えた。アルプスの少女ハイジに因んで、高原を走る電車のイメージで色が塗られているようで目だった存在に思えた。とにかく広く大きな景色である。

更に少し行くともう建っている家はなくなって、道の両側は白樺やイタヤカエデそれにトドマツなどの林だけとなり、道端には咲き始めた背高アワダチソウの黄色い花が目立っていた。この花が浸蝕している場所には、珍しそうな野草を見つけるのは難しい。ほんの少しホサキシモツケの花があり、別海町辺りだと主役のこの花も、ここでは押しのけられた存在なのだなと思った。所々森の中に入ってゆく道があり、そこにはチエーンで進入禁止の表示がしてあり、そこに下がった札に「熊注意」とあった。この辺りに熊が棲息しているとは思えないけど、しばらく行くと又同じ様な表示がしてあり、「熊出没注意」ではないから大丈夫だと思ったけど、この道の先がどのような状態なのかが判らないので、由仁町との境目まで行って、引き返すことにした。熊君と出会っても大丈夫という準備をしていなかったので、万が一のことを考えての判断だった。

来た道を戻り、別荘への入口を更に下って長沼町の平野部の方に行ってみることにした。昨夜奥さんにこの辺でドブロクの製造販売が特に許されている農家が6戸ほどあるというのをお聞きし、その一つの木村農園というのが直ぐ下にあるとおっしゃっていたので、それを確認してみようと思ったのである。この道は車で何回か往来しているので、凡その見当はついている。坂を下ってゆくと八幡神社というのがあった。車で通るときはサッと見るだけで、神社の建物がユニットハウスの物置のような造りなのを不思議に思っていた。参拝に寄ると、境内の横にこの地区の集会所が建てられていた。神社には鳥居もあり、手水もあって、30mほどの参道も整備されていた。この地の開拓の先達たちの心の拠り所のシンボルとしてこの神社が勧請されたのだと思う。社殿は風格がなくてもこの地の人々の思いは、ここに一つの形となって集まり、豊穣や安泰の願いの実現に大きな力となっているのがよくわかる様な気がした。拍手を打って参拝する。

   

マオイの丘の麓に建てられている八幡神社。真に質素な建物だが、この地に入植した人たちの心の拠り所として崇敬されてきているのを感じた。

その先を少し行くと木村農園があった。建物に向う100mほどの道の両側にはカンナが植えられ、赤い花が少し目立っていた。カンナにしては背丈が低いのは、気候の所為なのであろうか。アジュガの花が今頃咲いているのを見て、守谷市との気候の違いを改めて思った。農園はまだ眠りの中なのか、人の気配は感ぜられず、今はドブロクを買うつもりもないので、場所だけを確認して、別荘に戻ることにする。

別荘に戻る頃には天気はすっかり回復し、暑さの再来を警戒する気持ちが強くなり出した。1時間半ほどの久し振りの歩きだった。万歩計は1万歩を少し上回っていた。車の中でニュースなどを見ていると、どうやらお二人とも起きだしたらしく、それらしき動きが伝わってきた。Aさんにお世話になってから今日で4日目を迎えている。くるま旅をしていることを忘れてしまいそうである。親戚以上の親しみを感ずる存在となってしまっている。不思議な出来事である。今までのくるま旅の中で、様々な出会いがあったけど、この出会いほど不思議さを感ずるものはないように思えた。昨年、馬追の名水を汲みに行った時に奥さんから声を掛けられ、ほんの少し車の中を覗いて頂いただけのご縁が、その後別荘までご案内頂き、お茶や採りたてのジャガイモの蒸かしたのをご馳走になったりして、たった2時間ほどのご夫妻との歓談から、今回のこのような時間の過し方につながっているのは、不思議としか言いようがない。このご縁は、少しオーバーに言うならやはり天の授けてくれた人生の宝物の一つに違いないのだと思う。

朝食はパン。わざわざ奥さんが地元のパンを買うために車で往復されたのである。下の畑で採れた野菜の味噌炒めをパンに載せての味わいは又格別のものだった。邦子どのとの二人の朝の食卓にパンに挟んだり載せるものといったら、せいぜいレタスをちぎったものくらいしかない。奥さんの心遣いのこまやかさに感謝しながらの食事であった。

今日はお別れをする日である。お昼頃までご一緒することにして、その後もあれこれと話題は尽きず、気がつけば12時近くとなっていた。腰を上げようとすると、奥さんがどうしても見て欲しい場所があるので案内したいとおっしゃるのである。それをお断りするのは無理というものである。ということで、その後奥さんの車に乗せて頂き、その場所をご案内頂いたのだった。先ず最初は、この別荘地エリアの中で、長沼町の田園などの極上の景観が楽しめる場所だった。今日は台風の影響から抜け出した広い北海道らしい平野の景観を堪能することが出来た。この地が何故別荘なのかも理解できた。元々はアーティストと呼ばれる人たちがここに居を構えて、それぞれの製作に取組まれた場所であるとか。そこに一般の人たちも住むようになったというお話であった。この大きな景観に常時触れることが出来れば、どのような領域のアートであっても、北海道の持つ何かをその表現の中に取り入れることが出来るに違いない。

   

丘の麓に点在する別荘のあるエリアからの景観。広がる平野の右手側の奥に札幌市街がある。平野は穀倉地帯となっている。

その後は隣の由仁町にあるゆにガーデンという花のテーマパークのような場所にご案内頂いた。洋風の建物が何棟か建っており、広い庭園の中を小さな連結バスが走っており、花園の中には結婚式場などもあるようだった。植えられている植物の多くはヨーロッパの植物のようで、イギリスの庭園を模した部分が多いとか。残念ながら自分には野草や日本の花の他は、殆どその名前を知らない。西洋の花も美しいけど、想像もつかない奇妙な形(なり)をしたのがあり、なんだか花としての素直さに欠けるような気がして、今一の感じがするのである。季節の花を紹介する掲示があったが、それを見ると5~6月頃が魅力的な花が多いようである。冬が終わり、雪解けも去って、新たに芽吹いた草たちが思いをこめた花を咲かせる季節がやはり一番なのだなと思った。この暑さでは、花たちも少し参りかけているような気がした。ご老女お二人は、何やら若返りのクリームのようなものを見つけたらしく、来年までには別人と見間違えられるほどの美肌になるのだと、半分本気がかった顔で話していた。ま、夢はたとえそれがどんなに不可能なことであっても、大きく膨らませることが大切であろう。ご健闘を祈るのみである。もはや毛生え薬など遠い過去になっている頭の自分などには次元の違う話であった。楽しいひと時であった。

   

長沼町の隣の由仁町にあるゆにガーデン。英国風庭園をベースにした広大な花のテーマパークである。この日は暑過ぎて花たちもぐったりとしていた。

15時近くに別荘に戻る。又またすっかり長居をしてしまった。お別れする前に、奥さんが下の畑にある数々の野菜を持ってゆくようにと、暑い中を懸命に用意して下さった。深謝一杯である。その様なときに、ご次男夫妻が別荘にお出でになり、これは又嬉しいことである。夏休みでご両親の元に帰省されたらしいのに、若しかしたら我々がすっかりご両親を乗っ取ってしまっていたのかも。申し訳もありません。お父さんの意思をしっかり受け継いだ好青年とお見受けした。又その連れ合いの女性もチャーミングデで、二お人良く似合いのカップルだと思った。

その3人の方々に見送られて別荘を後にする。この3日間車を殆ど動かさなかったので、少し慎重に運転することを心がける。先ずは近くの道の駅:マオイの丘公園に行き、トイレの処理などをする。道の駅は相変わらずの人気ぶりで、野菜等を買いに来る近郊の人たちで賑わっていた。我々の方は、先ほど奥さんに採って頂いた新鮮そのものの野菜を頂戴しているので、店の方には何の魅力も感じない。旅の車も何台か留まっていたが、知り合いの人は一人も居なかった。今日の泊りは千歳の道の駅にすることにして出発。

台風の影響から抜け出した空にはお天道様がずっと顔を出し続けていて、外はかなりの暑さである。道の駅に着いた16時半ごろは日陰が欲しい状態が続いていた。しかし、車の中は風が通って意外と涼しく、暑さはそれほど気にしなくても良いことがわかった。この道の駅には何度もお世話になっている。鮭のふるさと館という水族館のような施設があり、その近くには千歳川に仕掛けられたインディアン水車という鮭の捕獲装置があって、水力を利用して自動的に鮭を一網打尽にしている。採れた鮭は食用ではなく、採卵して孵化させ、再び川に返すためのものと聞いている。群れて遡上する鮭を一度に何匹も捕らえる様子はなかなか壮観である。その千歳川の両岸は森に囲まれた公園となっており、広い駐車場は市民や旅の者にとってはありがたい憩いの場となっている。

今日は日中かなりの人出だったようだが、夕方には車も人も次第に減って、やがてはここで夜を過ごす20台ほどの車の数だけとなった。夜になると涼しさは安定し、やがては風がなくても少し寒さを覚えるほどの快適さとなった。日中は暑いけど、夕方からは爽やかな涼しさが、そして夜には毛布一枚が欲しいレベルの一日、これこそが本来の北海道の夏の日なのだ。それがようやく戻ってきたようで、ホッとしながら眠りに就いたのだった。

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