今日は日帰りでRVランドの農園へ行ってきました。旅の出発日が決まったので、その準備もあるため日帰りとした次第です。先日播いたライ麦は元気良く芽生えて生長していましたし、ほうれん草や春菊も芽を出してくれていました。種を見ている時は、これが生きているとはなかなか思えないのですが、芽生えた小さな緑色の葉が風にそよいでいるのを見ると、ああ、生きているんだなあとハッキリ確認することが出来ます。農事をしていて一番嬉しく感激する時です。
今、園主のAさんと自然栽培の勉強に取り組み始めています。そのことにちょっと触れたいと思います。
一般的に自然農法と呼ばれている農作物の生育方法があります。その基本は、耕さない、草取りをしない、肥料をやらない、農薬を使わないという考え方に基づいたやり方で、要するにやることといえば種を播くことと収穫をすることだけという方法です。農業に従事する人にとっては、真に好都合な農法で、種まきをすれば後は実りの獲物を得るだけというのですから、誰だって憧れる筈の農法です。でも、現実にはこのようなやり方を取り入れている農業関係者は少なく、特別視されているのが現状です。
私自身もその昔、農事に携わっていた亡き母の手伝いをさせられましたが、勿論自然農法などではなく、種を播く前に良く耕し、堆肥などを入れて地力をつけ、種まきの際には元肥を施し、生長が始まったら途中で追肥などを行なって、生長を邪魔する憎っくき雑草どもを退治しながら稔りを待ち、やがて待望の収穫の作業に入る。これが農業の基本パターンだと思っていました。使用する肥料は化学肥料を含めて、作物の種類によって食物の三大栄養素であるN(=窒素)・P(=燐酸)・K(=カリウム)のことを考えながら施すのだと信じていました。
この農事のサイクルの中で、どれだけ汗を流すかが百姓の勝負どころなのだと母に教えられたのを覚えています。頭を使うのを忘れ、身体を動かすのを怠けていると、その結果はたちまち作物の出来具合に反映されるのだとも。私の母は、元々農業などには無関係の人だったのですが、戦後の食糧難の時代に父と共に開拓地に入植し、やがて会社勤めに復帰した父の分を埋めるべく、子供たちのためにもと、働きに働いた人でした。好きでもなかった農業もやがては母の人生を完全に支配するものとなり、母はその中から多くのことを学び、自分の信条としていったように思います。その母の教えは、今でもいろいろな場面で生きていると思っています。
ところが自然農法というのは、一見では真にグータラで、一所懸命農事に勤しむ百姓を愚弄するような感じがするのです。何しろ耕しもせず、肥料もやらず、雑草もほったらかしにしていて、最後の獲物だけをものにできるというのですから、真面目にやっている者から見れば信じられないというよりも、これはデタラメの放言に過ぎないと思わざるを得ないと思います。
自然農法の提唱者の中では、福岡正信、岡田茂吉などという方が有名ですが、まだ現役の頃にこれらの方の発想に興味を持ち、関連著書などを読んだことがありますが、農法というものは、頭の中で解るだけでは何の役にも立たず、実際実践してみて初めてその価値が解るものであり、土地も畑もない会社勤めの身では、ヘエーなるほどで終る結果となりました。半ば信じ、半ば信じられないなというのが感想でした。しかしまあ、現実にそのやり方を実践して成果を挙げておられるのですから、そのことだけは否定は出来ないと思いました。
それが、Aさんの農園を手伝うようになって、ちょっぴり関心が高まっていたのでした。そんな時、Aさんから自然栽培の話が出たのです。泊りの時の一杯やっている話の中で、りんご農家の木村さんという方の話が出ました。その時、これを読んだことがありますかと出されたのが、「リンゴが教えてくれたこと」(木村秋則著 日経プレミアシリーズ)という本でした。Aさんの話では、この木村さんという方は、自然栽培に取り組んで、あらゆる試行錯誤を重ねても上手くゆかず、切羽詰って死のうとした時に、ふと大自然の中に生きる樹木や草の有り様に気づき、そこにヒントを得て死の縁から甦って更に研究を続けて、ついにりんごの無農薬・無肥料栽培を成功させたとのことです。幾つかのエピソードや自然栽培(木村さんは自然農法とは言わず自然栽培とおっしゃっている)についての不思議な成果などについて「すごいですねえ」と話すAさんの感想を聞きながら、自分もその本を読んでみようと思ったのでした。
翌日早速本屋に行き、その本とついでにもう一冊関連本を買い求め読みました。一気に読み終え、そのポイントをメモしました。イヤア、久しぶりに感動しました。半端な取り組みではありませんでした。それまで全く存じ上げていなかったのですが、木村さんは今では広く海外にまで名の知られた方で、NHKのプロフェッショナルという番組にも出演されており、その自然栽培に関する普及活動は多くの成果を生み出しつつあるようです。又自然栽培に関する考え方も、種を播き収穫するだけというような極端なやり方ではなく、科学的な裏づけもきちんと為された真に合理的なもので、一々首肯できる説明に心を打たれました。
しかし、これだけではやっぱりダメなのです。農業とか農法とか言うものは、実践がなければダメなのです。理屈だけでは作物はその通りには育たないのです。理屈だけで育つのは、不自然栽培なのです。大自然のありのままの力をそのまま使って、力強く育て稔らせた(=稔ってくれた)という事実があって、初めて本物となるのだと思います。
このことは深い意味を持っているように思います。大自然というのは、実は皆同じではなく、極端に言うなら皆全く違うのです。木村さんのりんご農園のある青森県の岩木町と茨城県の筑波山麓のRVランドの農園とでは、自然のありようが本質的に違うのです。ということは、木村さんがおやりになったことをそっくりそのまま行なっても、同じ成果は期待できないと考えるのが正しいということでしょう。木村さんが気づかれ、強調されていることは自然栽培に関する原理・原則に過ぎないのです。このような言い方は無礼千万であるかもしれません。でもそのことは木村さんも認めてくださるのではないかと思っています。応用編は自分自身で見つけ出さなければならないのです。原理・原則を眼前の実態の中でどう活かしてゆくかは、自分自身の課題だと思っています。
ということでAさんと自然栽培についての勉強を始めることにしました。勿論リーダーはAさんです。Aさんも私も同い年なので、残りの時間があまり多くないことに気づいています。何しろ果樹中心の農園ですから、生育に時間が掛かるのです。樹木たちが早く育って早く実を付けてくれるとありがたいのですが、自然の有り様を崩せばこれはもう自然栽培とは言えず、さりとて悠長に構えてもおられず、辛いところです。ま、100%自然栽培とはいえなくても、安全で安心のレベルを確保しながら、良いとこ取りをしつつ、RVランド農園らしい成果を挙げてゆけばいいのではないかと思っています。
それにしても、この歳になってこのような楽しみを味わえるというのは真に嬉しいことです。Aさんに感謝すると共に、これからも一緒に大自然に学んで行きたいと思います。