山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

午睡の常習化

2010-06-17 03:42:37 | 宵宵妄話

今日は異常に蒸し暑い日でした。夜来の雨は、朝になっても止まず、こりゃあ終日の雨になるのかなと思って、ゴミ出しなどの用事を済ませて一息ついているうちに、何だか眠くなってきてしまい、寝床に横になったら、そのまま眠ってしまって、目覚めてみれば昼近くとなっていました。

まあ、グータラな毎日です。雨が降らなければRVランド農園に出かけようかとも思っていたのでしたが、朝からの昼寝はその元気を失くさせてしまいました。目覚めた時には雨は降っておらず、もしかしたら寝付いた頃から天気は回復していたのかも知れません。昨日まで旅に出ていて、溜まった買い物をしなければならず、起き出して買い物に出かけた次第なのですが、それがまあ、今日の外の暑さといったら、気分が悪くなるほどでした。何しろもの凄い湿気なのです。洗濯物を干すなどしたら、乾くどころか、脱水前のレベルに戻ってしまうと思えるほどの蒸し暑さでした。

私は寒さにも暑さにも弱いタイプですが、どちらかといえば暑さの方を敬遠したく、とりわけて湿気のある暑さには気分が滅入ってしまいます。湿気の多い暑さは日本国の夏の基本要件になっているようですが、この頃は空調システムがかなり普及していますから、それに慣れてしまって、昔ほどに我慢が効かなくなってしまっているのかもしれません。毎年夏の北海道へ出かけてゆくのも、一つには湿気が少ないという恩恵を授かりたくてのことなのかも知れません。

とにかく今日の外の暑さは異常で、買い物が終って帰宅した後は、もう外へ出るのは一切止めることにして、遅い昼ご飯の後は再びの午睡となりました。日中の大半を寝て暮らすという、真に恵まれたグータラな一日でした。

さて、このグータラな過し方に対しては、我ながら時々如何なものかと思ったりしているのですが、それでも長いこと昼夜反対の時間の使い方を続けてきた私にとっては、昼よりも夜の時間の方がずっと価値があると思っていますので、あまり真面目に反省はしていないのです。物事をよく考え、それを整理して書きとめるという作業は、昼よりも夜の時間帯の方が向いているように思います。昼の時間というのは、身体を使って汗を流すのに向いているように思われ、歩きや畑仕事に使うのが一番だと思っているのです。

ということで、最近は日中に何もすることが無いときには、すぐさま寝床に入って午睡を貪ることにしています。そしてこの午睡の時間の量が次第に多くなり出したのを実感しています。更には、夜の眠りの時間も結構多くなってきています。つまり、一日の眠りの総量が次第に膨らみ出したということなのです。この原因の最大のものは、やっぱり老化の為せるものなのかも知れません。

私は、人は毎日あの世とこの世とを往復していると信じています。眠っている間は、人はあの世に行っているのだと思うのです。目覚めはこの世への復帰です。生きている間は、人はあの世へ行っても、いつでもこの世に戻ることが出来るのです。復帰できない眠りに就いたときが、この世とのお別れとなるのだと、もうこの考えは今では確信となっています。別の言い方をすれば、人は生きている間は、生まれた瞬間からこの世とあの世との往復を繰り返し、最後はこの世に戻れなくなって、永遠の眠りに就くということです。つまりは、人は生まれたときから、常に永遠の眠りに就く練習をし続けているのかもしれません。

妙な話となりました。この頃眠りの量が増え出したのは、あの世に行くための練習が度を増してきたからなのかも知れません。しかし、この午睡というグータラには、ある種の快感も含まれており、してみるとあの世へ行くというのは、さほどに恐いものでもなさそうだなどと考え出しています。ま、でももう少し、あと10年以上はくるま旅を続けたいなと思っていますので、この世への復帰が叶うことを願いながらの毎日なのです。

今日はあまりにも眠りすぎて、眠り姫ならぬ、眠りジジイとなってしまい、頭の中までがグータラとなってしまいました。失礼。

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前進しか運転できない老人の車にご注意あれ

2010-06-16 04:38:43 | くるま旅くらしの話

先週末の二日間、旅車関係のクラブキャンプがあって、群馬県みどり市の沢入(そうり)というところにあるキャンプ場の集まりに参加しました。久しぶりの参加で、懐かしいメンバーのお顔を拝見できるかなと楽しみにして行ったのですが、常連の皆さんの数は少しずつ少なくなって来ていて、代わりに新しい若い方たちの親子連れが増えて、この世界でも世代交代の波が確実に押し寄せているのだなあと実感しました。

1泊2日の行程では、せっかくの上州行が勿体ないと思い、クラブの集まりが済んだあとに近くの温泉場などを巡って帰ることにしました。今頃は、単に温泉に入るというよりも、上州の山々の鮮緑が目に沁みる季節であり、それを存分に味わおうという思いが強かったのです。キャンプが終った後は、赤城山麓を走る国道353号線に沿って走り、道の駅:グリーンフラワー牧場大胡などに寄り道しながら、三国街道須川宿の道の駅:たくみの里を訪れ、ここに一泊しました。

この道の駅は地元の方たちの努力が随所に現れていて、様々な地産物・工芸の工夫を凝らした体験施設などが設けられていて、私共にとっては魅力ある場所の一つです。蕎麦打ちとかこんにゃく、豆腐作りなどには一度も参加したことは無いのですが、そのような施設のある場所を見て廻るのも楽しみの一つなのです。ついでがあるときには必ず寄ることにしています。

で、今日の話はその翌日のこと。久しぶりに中之条町の四万(しま)温泉に入ろうと、昼少し前に温泉街のどん詰まりにある、日向薬師という国の重要文化財指定のお堂の傍にある「御夢想の湯」という、四万温泉発祥の地ともいわれている浴場に行った時の話です。とんでもない体験をしてしまったという、愚かな話なのです。

日向薬師は戦国時代の頃に創建された、群馬県では現存する最古の建築物だそうで、小さな薬師如来を安置した小さな茅葺の建物です。数百年の風雪に絶えたその姿には、何ともいえぬ貫禄というか、歴史の重みのようなものを感じます。今でも参詣者は絶えることなく、小さな如来像は世の善男善女を温かく見守ってくださっておられるようです。

このお堂の直ぐ下に、四万温泉発祥の湯といわれる「御夢想の湯」があるのですが、この湯の傍に10台ほどの駐車場があり、何時もそこにお世話になるのですが、この駐車場に至るまでの道が狭く、最後の40mほどは離合の困難な状況となっています。幸いなことに、今まで離合の憂き目に出会ったことはなく、今回も大丈夫だろうと、参詣と入浴を終えて出発したのですが、運悪くその細く狭い道を30mほど行った所で下から坂を登って来た車と出会ってしまいました。

このような離合の難しい場所での不幸な出会いは、旅をしている間には、何度か出くわしています。例えば四国の八十八箇所めぐりの旅では、毎日がその連続で、ヒヤヒヤのし通しでしたが、幸いなことにトラブルになるようなことは一度もありませんでした。

しかし、今回はこのたった40mほどの短い区間で、腹の底か怒りのマグマが煮えたぎるようなトラブルが発生しました。この40mの道は幅が3mほどで、私の旅車ではギリギリの状況です。途中に店の建物などもあり、そこは少し道幅が広くなってはいますが、とても離合が出来る状況ではなく、離合となれば、坂を上がって来た車が10mほどバックして横道に入るか、又は私が30mを戻って駐車場にバックで車を入れるかのどちらかしかありません。

前方の相手車は、ワンボックスのライトエースで、車の幅はさほどではなく、10mバックして貰って横に入ってもらえば大丈夫と思い、そうしてくれるのかなとしばらく待ったのですが、全くその気配はなく、離合のできないと判っている店の前の少しあるスペースに車を入れたまま動かないのです。しばらく待っていても反応がないので、家内が交渉に飛び出していったのですが、反応は全く正反対で、バックはしないと言い張るのです。それどころか、止めた車を少しずつ前進させてくるのです。これには驚くと同時に怒りがこみ上げてきました。降りて相手の前に行き、どういうことなのかと糾したのですが、全く聴く耳を持たず、バックなどとんでもないという主張のみならず、又また前進させて来るものですから、到頭癇癪を起こして怒鳴りつけてしまいました。こんな時感情を爆発させたら、相手の思う壺に嵌るというのは承知の上でも、できの悪い自分には、やっぱり我慢出来ないことでした。

このようなバカを相手にしていても埒が明かないので、やむなくバックしたのですが、私の旅車は運転席の車幅に比べて後ろの方の幅が広くなっているため、バックはものすごくやりにくいのです。カリカリしながらのバックでしたので、やはり左方後部が死角になり、出ていた石の壁にぶつけてしまいました。ガン!という衝撃に車を止めて出て見ると、後部ステップの辺りが傷になっていました。癪に障るので、一言文句を言おうと目の前に迫って車を進めている相手車の運転者に、お前さんのおかげで車をぶつけてしまったと言ったら、何とそいつが言うのは、俺には関係ないなどとうそぶくのです。イヤア、ここまで来ると怒り心頭に発すです。運転席から引きずり出して、ぶっ飛ばしてやりたいという衝動に駆られましが、もしそれを敢行したなら、たちまち明日の新聞の話題となり、傷害罪もしくはそれ以上の何とか罪で刑務所行きになってしまうに違いありません。まあ、何とかこれは我慢して、どうにか苦手のバックをして離合を終えたのですが、このような性質の悪い人間に出合ったのは、旅を初めてからは愚か、車を運転して以来初めてのことでした。

その相手車の人は、正常であれば、普通の人なのだと思います。私とほぼ同年代の人のようでしたが、自分の我を通すというのがこの人の信念のようです。人間いざという時その本性が現れるのだといわれますが、この人物の車の運転は、前進あるのみで、状況判断が全くできないようです。最近は認知症患者の運転が問題化していますが、これと似たような傾向を感じました。

斯く言う、私自身も、このようなことでカッカしているのですから、ま、同じようなレベルの者なのでありましょう。老人同士が道を譲り合えないで、我をぶつけ合って口論するなんて、考えてみればバカな話です。しかし、どうにも腹の虫が収まらないので、先ずは今日のブログはこれを一発書いて、ガス抜きというか、うっ憤晴らしをしようということになりました。

「足立501 ふ34-73」のナンバーの車に、狭い道で出合った時には、くれぐれもご注意あれ。この車の運転者は前進あるのみなので、その覚悟をしてバックを心がけられたし。

   

「足立ナンバーの車には要注意」とは、ひと昔前の東京では常識だったが、それはダンプの話だけかと思っていたら、今頃は紳士面した老人の運転する足立ナンバーにも要注意のようである。そう思いたくなるこの車だった。

状況判断のできない運転者の車にぶつかった時には、さて、どうすれば良いのか、これが今後のくるま旅の一つの課題となりました。やれやれ。

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竹の子を採る

2010-06-12 05:03:14 | 宵宵妄話

梅雨入りの少し前の今の時期が、この守谷市辺りの竹の子採りの最適期です。普通竹の子採りといえば、孟宗竹の方を言うようですが、もうその時期はとっくに過ぎて、孟宗竹は立派な若竹が先輩に伍して、初めての初夏の風を味わっています。私にとっては孟宗竹の竹の子には殆ど関心がありません。京都や山陰・九州ならともかく、このあたりの孟宗竹は、ホンの少しでも時期を逸れて収穫したならば、味覚的には大味の、エグ味の多い竹の子となってしまい、つまらないのです。

私にとっての竹の子といえば、それは真竹か淡竹(ハチク)のことです。真竹よりも淡竹の方がより上等な味がしますが、真竹も孟宗竹と比べれば、より繊細さを備えた味だと思います。守谷市近郊では、大半は孟宗竹の竹林で、それに付随して真竹を植えているところが多いようです。淡竹の竹林は殆ど見当たらず、店でも売っているのを手に入れることは困難です。殆どの竹林は、民家の屋敷林のようなケースが多く、勝手に採ることはできません。断り無しに民家の敷地に入って竹の子を採れば、これはドロボーとなってしまいます。とかく窮屈な竹の子採り環境にあります。

以前九州に住んでいた時には、竹の子採りの環境には恵まれていました。関東周辺とは違って、九州には国有林の中にも無造作に竹林が含まれていました。竹は南方系の植物ですから、九州エリアでは育ちやすいのだろうと思います。市街地からちょっと離れた山に入ってゆけば、幾らでも竹の子を採ることができました。興奮して採っているのは私くらいのもので、一緒に山に入っている人を見かけたことは一度もありませんでした。あの頃はまだ熊君たちも山奥に納まっていたようでしたから、竹の子採りの者にも幸いでした。

守谷に住むようになって、毎日歩き続けていますので、大方の地形とどこに何があるのかということは自然と判ってきています。私は自然に在るものをそのまま身体に取り入れたいという本能的願望を持っており、その獲物がどこにあるかについては、歩きながらの観察でかなりの情報を収集しているのです。今頃は桑の実の熟れる季節ですが、それはどこに行けばゲットできるか、木苺はどこへ行けば味わえるのか、ヤマモモの実はどこに行けば手に入るのか等々、マップを作る自信もあるほどです。いやはや。

さて、その竹の子ですが、合法的(?)に手に入るのは、小貝川の堤防にある竹林だと見当をつけました。小貝川には堤防の地盤保護・強化のために、竹を植えてある場所が何箇所かあります。この竹林が小さな規模の場合は、竹の子を採るのは犯罪行為になってしまうのかもしれませんが、毎年本来の竹藪を乗り越えて、何十本もの竹の子が堤防の土手に侵入して生え、それを後で伐採しているという状況では、多少竹の子を採ったとしても犯罪にはならないだろうと勝手に判断して、それらを頂戴しているというわけです。

川岸に植えられている竹林の場合は、真竹が多いようです。土地の所為なのか、川岸の真竹はあまり大きくならないものが多いようで、竹の子採りには真に好都合です。あまり太くない方がエグ味が少ないので、わざわざ糠などを入れて茹でなくても大丈夫だからです。糠や米汁などを必要とするような竹の子は、私の場合は基準外です。

さて、その竹の子を数日前採ってきました。まだ少し早い時期だったのか、今年は気候不全で遅れているのか、小さめのものばかりで、皮をむくとホンの少ししか本体がありませんでしたが、その分味の方は保証付でした。早速茹でて貰い、竹の子ご飯を作ってもらいました。酒と醤油で味をつけた久しぶりの竹の子ご飯は、美味でした。又残った分は、我が家の定番であるカツオ節をまぶした素朴なしょうゆ味の煮付けにしてもらい、これは酒の肴に最高でした。

竹の子は、繊維ばかりの食べ物ですから、あまり消化はよくないようです。しかしカロリーは少ないので、多少多めに食べても、ダイエットの人には影響が少ないのではないかと思います。九州に住んでいた頃、焼酎ブームが沸き起こり、様々な焼酎が造られ、中にはコーヒー焼酎だのわかめ焼酎などというのまで店頭に並んでいました。その道の専門家の話では、その原材料となるものに僅かでもデンプンが含まれておれば焼酎を造ることが可能なのだそうです。ということはデンプンの含まれていない植物からは焼酎は出来ないということで、その例として竹の子が挙げられるのだそうです。そういえば、竹の子焼酎というのは見当たらず、耳にしたこともありませんでした。竹の子は繊維ばかりでデンプンは含まれていないため、製造不能ということなのでした。そのようなことを聞いていたものですから、竹の子は糖尿病持ちには好都合の食べ物であると信じ込むようになっています。

美味かった竹の子に味を占め、一昨日もう一度竹の子を採りに行き、今度は自分で一工夫して何かを作ってみようと思い立ち、メンマ風の食べ物ができないか、トライしてみることにしました。結構うまくいったので、それをちょいと紹介します。

茹でた竹の子を3~4センチの長さに切り、それを繊維に沿って1~2ミリ幅に薄く切ります。要するにシナチク風に切るわけです。この切ったものは、まだ水分が多すぎますので、フライパンに入れで熱し、水分を飛ばします。これをお皿などに入れておき、今度はフライパンにサラダ油を入れ、熱した中に入れて万遍なく火を通して炒めます。十分に火が通った頃を見計らって、予め用意しておいたタレ(醤油:みりん:酒=ほぼ1:1:1 数量は竹の子の量に見合うレベルで決める)をその中に入れ、再度強火で炒めます。時間は適当ですが、3~4分ほどでしょう。竹の子が美味そうに見えてきたら火を止めて出来上がりです。食べるときには、そのままでも十分OKですが、これにラー油を2~3滴落とすと、これはもう酒の肴には最高の食べ物となりました。

今年の竹の子採りは、この新メニューのおかげで、あと何回か出かけることになりそうです。ヒマに任せた、真に他愛ない日常なのであります。

※ 今日から2~3日間、クラブキャンプへの参加を兼ねて小さな旅に出かけます。よってブログは休みます。

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政治屋共、いい加減にしろ!

2010-06-11 04:53:31 | 宵宵妄話

今の時代ほど空しい誹謗中傷が、恰も正義の如くに闊歩している世は無いのではないか、と思うほどです。世の中の至る所で、ライバルというのか、対抗者を攻める手立てとして、あること無いこととにかく相手の弱点を拾い出して大騒ぎをするという戦法が流行している感がします。

ま、内部告白などという、止むにやまれぬ非を責める出来事もあるにはあるのでしょうが、それらを引っ括って皆正義などと信じ込むのは、脳みその存在を疑う輩の振る舞いのように思えてなりません。清廉潔白な人間しか政治をできないなどというのはまったくの幻想であり、たった一人で政治に係わることなど不可能なわけですから、関係者の中に多少腹の黒い奴や茶色のものが混ざったりしているのは当たり前と考えなければ、永遠に本物の政治など具現できるはずもありません。政治屋やマスコミが僅かの濁りを騒ぎ立てる前に、今の世に必要な政治をどう実現するかを、もっともっと議論して欲しいものです。

何とも言いようの無いほど現実とズレまくった内閣牽引者が当然の結果として消え去って、ホッとしたのも束の間、新しい内閣が発足した途端、何人かの閣僚の不正処理の話題が降って湧いています。それが本当であっても嘘であっても、もういい加減にして貰いたいというのが、私だけではなく、国民大半の思いではないかと思うのですが、これは誤った感覚なのでしょうか?

治世に係わる人たちは、もっと真面目に大局観を持って本来の仕事に取り組んで欲しいものです。与党も野等ももっと真剣に世の中をどうするかを考えて貰いたいものです。政権をとった民主党も、奪われた自民党も、己らの主導権を確保したいばかりで、政治本来の目的や役割を忘れ果て、何一つ前向きの議論をしていない感じがします。

この頃は、政治と金の問題が恰も日本の国政を汚しまくっている感の様な話題ばかりが目立ちますが、巨額な金が動いているというような事件ならともかく、チマチマした重箱の隅を突いた様な出来事を拡大して騒ぎまくるなどというのは、国政を愚弄するのも甚だしいと思えてなりません。欠点ばかりを探しまくり、見つけたらそこに噛み付くというような政治屋さんたちの振る舞いには、もううんざりです。

更に付け加えれば、単なる事実の断片を、恰もその全体と奥底までを見抜いたかのごとくに、気取った正義感で報道するマスコミのあり方にもうんざりします。マスコミは本来客観性の高い報道をするべきで、事実の判断は読者に任せるべきなのに、その客観性を薄れさせ、世論を誘導しているかのごとき印象を受けることが多いのです。

これらの背景には、国民とか大衆とかいうコンセプトで安易に括られている、この国のこの世に住む人々の身勝手な主体性のようなものが横たわっているように思います。その身勝手さというのは、極端に言うのなら、自分の今日のことに目一杯で、せいぜい昨日と明日くらいのことしか考えないという軽さにあるような気がします。このような大衆の身勝手に迎合するような政治を行なっているのが、政治屋という連中なのだと思えてなりません。

いうなれば、皆どっちもどっちという関係なのかも知れません。だからこそ、政治屋の人たちには、大局観を持った卓越した治世の策を講じて欲しいのです。選挙で勝ったらそれができるというのが今の政党の考えのようですが、何かを為し得たから、為し得ると期待できるから選挙に勝てるというのが本来の政治のあり方のように思います。その意味で、現政権は、重大な評価の岐路に立っていると思います。空しい口約束に声を張り上げるのはやめて、態度と行動で結果を示して欲しいのです。

もう一方の最大野党の自民党は、もっともっとしっかりしなければ、行く先は解党しかないように思います。野党となって以降、何ひとつ前向きで建設的な政策を示していない感じががします。過去の民主党の行動の二番煎じに甘んじているのは、一体どうしたことなのだろうかと、そのリーダーシップの無さに失望するばかりです。リーダーシップとは党首・総裁のそれではなく、この党全体の影響力という意味です。せせこましい欠点などを突いているのではなく、正面から堂々とこれからの日本をどうすべきかの政策を打ち出して欲しいものです。それができないのなら、これはもはや民主党の敵にすらもなり得ない感じがします。

とにかく、欠点を誹謗しあう議論からは、将来を見据えた逞しい道筋など何も見えてくるはずがありません。鎖国の江戸の幕末から変わった明治の国政が、この国を誤らせなかったのは、治世に係わった人々の国を思う思いの強さが、大局観で一致しており、本物の正義が生きていたからのような気がします。その現実の裏面では、現代では信じられないような政治と金の汚れた関係も幾つもあったのだと思います。それを許すことなどとても出来ませんが、しかしこの国を何とかしようという思いまで、その汚れと一緒に葬ってしまう気にはなれません。今の世に欠けているのは、政治屋の国を思う気持ちの強さなのであり、その貧困さが、ささやかな不正の誹謗中傷なんぞにすら負けてしまうことにつながっているのだと思えてなりません。

今日は別の話を書く予定でしたが、無性に腹が立って、このような次第と相成りました。情報化社会は同時に情報過多社会でもありますが、そのような世の中で、妙な正義感などを振り回す前に、政治屋の皆さんやマスコミ関係者は、もっと真面目にこの国のことを考え、その実現の方向へエネルギーを向けて欲しいものです。

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野草談義:白い花(ドクダミ)

2010-06-10 04:36:22 | 宵宵妄話

「白い花」というタイトルの歌があります。この歌を初めて聴いたのは、まだ現役のサラリーマン時代で、20年ほど前に紀州の紀伊勝浦のホテルに3週間も缶詰になって、インストラクターの資格取得の研修を受けていた時でした。丁度その頃糖尿病の宣告を受けたばかりで、毎日ホテルで出るご馳走を、如何に食べないで済ますかという難題にぶつかっていました。2月の寒い日、その日は休日で研修は休みだったので、その時間を利用して勝浦から串本まで歩くことにしたのです。歩きながら研修の内容の暗記に取り組み、それに飽きるとポケットラジオのFMで音楽を聴いたりしながらの5時間あまりの行程でした。さすがに帰りはJRのお世話になったのですが、50名近く居た研修受講者の中で、このようなバカなことをしたのは私だけだったと思います。

その歩きのラジオの中で、「白い花」という歌を初めて聴いたのです。その時の歌い手は北原ミレイでした。彼女の歌のファンでもある私は、これはいい歌だなあと、そのとき凄く印象に残ったのです。研修が終って家に戻り、早速北原ミレイのレコードを買い、この歌を覚えるべく練習に励んだのですが、どうも上手く歌えず、未だに音程は外れっぱなしで、ものになっていません。

その後の調べで、この歌は山崎ハコという方の作詞・作曲で、歌もご自身が歌っておられるというのを知った次第です。私は山崎ハコという方を全く知りません。ニュー-ミュージック関係の方なのでありましょう。演歌中心の私にはそちらの方はさっぱりわかりません。でも、この歌はとてもいい歌だと思います。ご参考までに記します。

「白い花」  作詞・作曲:山崎ハコ 

私の目の前の白い花 人目にもつかず咲いているけれど

幸せそうに ほほえんで 香りを漂わせる
できることなら この指で お前を摘んでしまいたい
あの人の心に 誇らしく 咲いてるお前を

白い花びら はにかんで とてもきれいに見えるわ
お前のように 咲きたかった あの人の心の中に
ひそかに きれいに 咲くがいい 美しい白い花よ
あの人と いっしょに 生きて行け あの人をなぐさめながら

お前をみつめて 生きて行く 私の気持ち知らないで
私にやさしいほほえみを かえす 白い花
ひそかに きれいに 咲くがいい ほほえむ 白い花よ

あの人と いつまでも 生きて行け あの人をなぐさめながら

 

さて、今日の話は白い花のことです。白い花はたくさんあって、人それぞれに思い出の白い花というのがあるような気がします。私にとっての白い花といえば、それはドクダミの花なのです。この歌の白い花は多分ドクダミの花のイメージではないと思いますが、私にとっての白い花はどうしてもドクダミなのです。

   

ドクダミの花。白い4片はガクで、花は真ん中の棒状の部分に花粉のように付いている黄色い小さなものがそれだという。でもガクを含めた全体が、この花の生命の表現の結晶なのだと思う.

ドクダミという野草を知らない方は少ないような気がしますが、今頃は都会では探すのが難しいのかも知れません。守谷市辺りでは、ちょっとした草叢や林の木陰にはごく普通にどこにでも目に付く野草です。手に取ると独特の臭いがして、これはどちらかといえば異臭とか悪臭という部類に入るのかも知れません。この臭いの故にドクダミを好まない人が大勢居るような気がします。私もその一人でした。

しかし30年ほど前、漢方の生薬に関心を持ち、野にある野草を調べている内に、ドクダミというのが並々ならぬ力を持った草であることが解るにつれ、その見方は大きく変わって来たのです。ドクダミはその名前からして、毒を溜めるといういわれですから、まるでこの草が毒の塊であるかのようなイメージを持ってしまいます。それにあの臭いです。知らない人が忌避するのも当然かも知れません。しかし、この野草の生薬としての力は、その名前が十薬(=重薬)と呼ばれているように、一つでたくさんの効能を持つものとして認知されているのです。

自分でこの草を取ってきて陰干しにして乾燥させ、それを煎じて飲んだこともありますが、野に生えている時とは違い、異臭は全くなく、煎じて飲んでもさほどの飲みにくさも覚えない、味わいなのです。そのようなことを知り、自分でいろいろやってみたりしているうちに、ドクダミに対する偏見は全く消えてしまいました。

さてさて、ドクダミの生薬としての効能のことは措くとして、本題の白い花なのですが、私が白い花といえばドクダミをその代表として思い浮べるのは、この草の秘めた美しさをその白い4片の花びらに感ずるからなのです。(実はこの花びらは、花ではなくガクなのだそうです)特に木陰の少し光の乏しい場所に生えているドクダミは、葉も茎にも清潔感があり、それが純白で透明感のある花を付けているのを見たときには、一種の気高ささえも感ずるくらいです。その異臭の故に嫌われながらも、知らないところで献身的に命の長らえのために尽くす力を秘めた、この草の魂の精がこの白い花に現われている感じがするのです。

世の中にはこれ見よがしに綺麗さや可愛さを吹聴する世界が溢れています。それを煽るのを商売にした人が、得意げに他人の身なりを批評して、ファッションのセンスがどうたらこうたらなどとコメントしたりしていますが、それらは私の美の感覚からは遙かに遠い虚構の世界の出来事のように思います。本当に美しいものは、ありのままの姿なのであって、それは心と表現が一致しているものなのだと思うのです。奇を衒(てら)い、これ見よがしに作られた美しさなどというものは、インチキに決まっています。今の世はインチキが溢れている感じがします。

芸能界などに住む人間は、それを武器にしなければならない面があり、致し方ないと思いますが、別の世界に住む人たちが、それをいたずらに羨ましがったり、憧れたりするのは、如何なものかと思います。この国に住む全ての人々が芸能人のようになってしまったら、この国は破滅・滅亡することは必定です。

野草の世界には芸能人のような存在はありません。それに似た存在といえば、それは人間が作り出した園芸種しかないように思います。園芸種と化した野草は、人間どもにその魂を売ってしまったのか、或いは略奪されてしまったのか、とかく華美な出で立ち・振る舞いをしているものが目立ちます。そしてその殆どは薄命のような気がします。ま、中には野に逃げ出して、再び本来の野生を取り戻したハルジオンやヒメジオンのようなものも、居るには居るようではありますが。

ドクダミの花の美しさは、ドクダミが秘めた心を素直に表わしているところにあるように思います。山崎ハコさんの「白い花」の詩のモチーフも、心を素直に表わして咲いている白い花に、自分の失恋の痛みと諦めを譲った心境を託していることでありましょうから、この花もドクダミと同じような存在なのだと思うのです。自分の大切なものを知らず奪われてしまうとも、その白い花の美しさにはとても敵わないという、その心映りのありようは、私にはドクダミの花が一番相応しいように思えるのです。

   

花は可憐だけど、ドクダミは強靭な生命力を持った野草で、どのような厳しい環境の場所でも、その存在を静かに主張している。

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5年目の開花

2010-06-09 05:19:32 | 宵宵妄話

3日ばかりブログを休みました。書く材料が無いのでそうしたわけなのですが、何だか読書子を騙してサボっているような気分になって、罪悪感を覚えたりしているのは、一体どういうことなのか自分でも解りません。もしかしたらある種の中毒症にかかってしまっているのかも知れません。今のところ自覚している中毒症といえば、アルコールだけなのですが、最近はブログの書き込みも加わってしまったようです。したがって、休憩というのはサボりの気休めのようです。

しかし書く材料が乏しいという現実は如何ともし難く、くるま旅に出かけていない状況では、真に困ったものです。で、このような時には、普段のくらしの中からの出会いを掘り起こすしかありません。となれば、これはもう野の草やその花のことなどについての思いなどを話材にするのが一番無難のような気がします。

何故野の草や花なのかといいますと、私には二つの理由があります。その一つは、私は二十年来の糖尿病患者で、運動療法の一つとして毎日歩くことを自分に課しており、その距離はおよそ8~10km。万歩計では平均が1万5千歩弱。時間的には1時間半~2時間ほどになります。この歩きの時間帯の一番の楽しみが足元周辺の草や樹木などの観察なのです。もう一つの理由は、世の中に対する反発心と言えるかもしれません。というのも、今の世の中の多くの人たちには、目立つものにしか目を向けないという傾向が強いように思われるのです。(というよりも作られた目立つものに、無理やり目を向けさせられてしまっていて、自分が本当に見たいものを置き去りにさせられているというのが実態なのかも知れません) 狷介固陋な老人である私の反抗心は、その反動として、誰も忘れ果てて居て見向こうともしないものたちへ目を向けることを心がけ、その代表として、いつも野の草や木々たちを取り上げ、彼らによって癒されていることになるのです。

草の花というのは、毎年ほぼ決まった時期に花を咲かせるのですが、木の花というのはそれが咲き出すまでには、どのような決まりがあるのかも判らず、私共の思いとは係わりなくなかなか開花期が分りません。先日我が家の庭のオオヤマザクラについて書きました(4/25「馬骨桜咲く」)が、今日はもう一つ5年前に生垣の袂に植えたサツキたちが、初めて満杯の花を咲かせてくれたという話です。

   

今年の4月初め、この木が誕生してから初めての花を咲かせてくれた。花の咲かない桜を馬骨桜と呼ぶことにしていたが、待てば海路の日和ありは、馬骨にも当て嵌まるものであった。

我が家は四方を生垣に囲まれています。南側と道路に面した東側は我が家の生垣、西と北側は2軒の隣家の生垣です。南側にはイヌツゲを植え、東側は玄関と駐車場を除いた箇所にこれも自分で選んだイヌ槙を植えています。西側の隣家ではヒイラギを、そして北側のお隣は草ツゲを植えておられます。これらの緑の生垣には満足していますが、道路に面した5mほどのイヌ槙の生垣には、少し変化をつけようと、その袂にサツキを植え、更にその手前に芝桜を植えました。

隙間のあったイヌ槙の生垣も最近はすっかりそれがなくなって、ようやく生垣らしくなりました。一番手前の芝桜は半端な咲きぶりでしたが、今年は満杯の花を咲かせてくれて、しばらく春を告げ続けてくれ、目を楽しませてくれました。問題はその中間にあるサツキたちです。芝桜よりも3年も前に植えたのですが、去年までは10株ほどあるそのどれにも花は殆ど見られず、気まぐれに数輪の花が目に付くだけだったのでした。

   

今年4月の我が家の芝桜の咲きっぷり。2年目でようやく用意したスペースが花で埋まった。左上はサツキ。

サツキというのはつつじの仲間で、ツツジよりも花の咲くのが遅く、ツツジが咲き終わった丁度今頃が花の最盛期です。今頃はツツジもサツキも全く同じものだと思っている人が多いようですから、小ぶりの花を見てもそれがサツキなのだなどとはあまり気にせずに皆ツツジなのだと思って見ているのかもしれません。どうでもいいようなことですが、サツキさんたちから見たらちょっぴり心外なのではないかと思ったりしています。

ところで、その花咲かずの(いわば馬骨サツキ?)サツキたちが、なんと今年は見事に全身満開の花を咲かせてくれたのです。どうせ今年も咲かずじまいで終るのだろうと、全くあてにしていなかったものですから、蕾があることにさえも気づきませんでした。それが一斉に花を開いたときには、エッ、どうしたんだ!と感動よりも驚きの方が強かったのでした。

   

今年初めて満杯の花を咲かせてくれたサツキたち。まだきちんと整枝していない。来年はもう大丈夫でしょう。下段は花の咲き終った芝桜たち。通気が悪いので、上部を刈り取ってある。

買った時は一株500円の、これ以上小さな株は売り物にはならないだろうと思われるほどのレベルで、直ぐに花が咲くなどとは思ってもいませんでしたから、翌年は少し大きくなった株にも殆ど花は期待していませんでした。しかしそれから3年もすると他所の同じ大きさ或いはもっと小さな株でも満杯の花をつけているのを見て、我が家のサツキは一体どうなっているのだろうと、今度は不信感が膨らみ出したのです。いつか必ず咲くのだと思いつつも、家内の酷評を聞かされると、時に自信がぐらつき、やっぱりこれらは超不良品の連中で、花咲く力も無い名ばかりサツキだったのではないか、などと疑心暗鬼に揺れたのでした。

真に人間の身勝手というのはお粗末なものです。「恥を知る」などということばは、厚顔無恥の今の時代では遠の昔に死語となってしまっているようですが、今年満開の花を見せつけられて、嬉しいと同時にサツキさんたちに対して深く恥じ入った次第です。彼女たちの持っている時間観念と、せっかちな人間である我が身の時間感覚との違いを思い知らされた感じがします。サツキというのは、株分けした小さな苗を育ててから数年以上を経て初めて花を咲かせるものなのだということに、今年ようやく気づいたということなのです。

同じように我が家の庭には、せっかちな期待を裏切り続けている樹木が幾つかあります。柚子の木などは、実はおろか花が咲くまでにもあと数年は掛かることでありましょう。もしかしたら、私があの世に行った頃に初めて期待を満たしてくれるのかも知れません。あの世に行ってしまえば、見ることも味わうこともできなくなりますが、それでもいいと思うことにしています。人間にとって必要で大切なのは、結果を味わうことなどよりも、ずっと期待を持ち続けることのような気がするからです。

とはいうものの、今年初めて見事に結果を見せてくれたサツキたちには、やっぱりありがとうを言いたいと思います。花が咲き終わったら、刈り込みをして、お礼の肥料を施させて貰って、来年の一層の花の賑わいを期待したいと思います。

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又また休憩です

2010-06-06 04:10:24 | 宵宵妄話

ブログを休むのに一々お断りを申し上げることも無いと思うのですが、どうもこの頃は今一書く材料というか、その気になるようなテーマが見つからず、ちょっとした(或いは大きな)スランプに陥っているようです。

世情の表面的変転の早さと、底に沈んでいるこの国の疲労の澱(おり)のようなものが、私自身をも疲れさせているのは、古稀を迎えている所為なのかも知れないなどと思ったりしながら、送り過しているこの頃です。

政変の動きにも、子殺しや詐欺事件の頻発などにも、一々腹を立てるのも億劫となり出しました。又か、又か、又またかぁ、という出来事の連続では、何ごとにも鈍感になるのは、むしろ健康な証なのかもしれません。

6月は梅雨の季節。何かを期待するには無理のある感じのする季節です。7月には北海道行を予定していますが、それまでは庭や畑の草取りなどをしながら、予楽を膨らませることにしたいと思っています。

出来ないことはやらない。書けない時は書かない。どうやら少し休憩をした方が良さそうです

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RVランド牧場の朝

2010-06-04 05:14:20 | くるま旅くらしの話

5月の大型連休明けから、毎週1泊2日の小さな旅に通っています。変な言い方ですが、ボランティアの農事作業は、私にとっては心浮き立つ小さな旅なのです。

「牧場の朝」という文部省唱歌があったと思います。「ただ一面に立ち込めた 牧場の朝の霧の海 ポプラ並木に うっすりと 黒い底から 勇ましく 鐘が鳴る鳴る カンカンと、……」 これは牛などを飼う大型牧場の夜明けの情景を歌ったものだと思いますが、RVランド牧場の場合は、朝の始まりは鐘などの人工的な音ではなく、小鳥たちの鳴き声です。どの鳥が一番早起きなのかは判りませんが、3時半過ぎになると、一しきり目覚めのさえずりが始まります。

老人の目覚めは早く、時として小鳥たちのさえずりを待つこともあるのですが、今朝はホンの少し小鳥たちよりも遅れを取ったようです。4時過ぎ寝床を後にして旅車の外に出ると、快晴の空の下に日の出を待つ新緑が目に飛び込んできます。木々たちも又眠りから醒めて、清新な朝の空気を胸いっぱいに呼吸しているのが聞こえてくるようです。

   

新緑に染まるRVランド牧場の朝の幼木たち。一日の中で一番空気が美味しい時間帯ではある。

やがて太陽が昇るころには、小鳥たちの鳴き声は本格化し、あちこちでそれぞれの美声を競い合っているかのごとくです。「コッチャコイ、コッチャコイ」というけたたましいコジュケイや「トッキョキョカキョク」のホトトギス。それにキジも鳴かずば撃たれまいの「ケーン」という魂消た大声。雀やシジュウカラたちの鳴き声は間奏なのかそれとも幕間の雑声なのか。まあ、賑やかです。

その中でも、何といっても存在感を一際主張しているのが、地元のウグイスたちです。牧場近くの林の中には、毎度決まって頑張っているのが居て、これは「ホー、ホケキキョ」と鳴いています。これが鳴き終ると、それに呼応して近くの林で同じように「ホー、ホケキキョ」と聞こえてきます。するともう少し離れた林の方から又々同じ鳴き声で「ホー、ホケキキョ」と応じるのです。

ウグイスの鳴き声については何回か書いていますが、守谷市の我が家近くでは、「ホー、ホケキョケ」だし、小貝川の堤防の藪では「ホー、コッチャコイ」などととぼけた鳴き方をする奴もいますが、このRVランド牧場近くでは、「ホー、ホケキキョ」が正統の鳴き方のようです。この辺りは、ホケキキョの一族が支配しているのでありましょう。ホケキョの前にキが一つ入ると、何だか気が抜けた鳴き声に聞こえるのは、これは駄洒落ではなく、本当です。

このところ3週間連続で牧場に通っていますが、もうすっかりこの声を聞くのが定着してしまったようで、彼らがしばしの休憩なのか、鳴き声が途絶えると、どうしたのかなとちょっぴり気になるようになりました。

昨日は家で育てていた野菜の苗を持ってきて植えつけました。枝豆は丹波の黒田大豆にしました。ケールも植え付けて、やがて青汁で健康管理に役立たせようと考え、花と味を一緒に味わうべく花オクラも植えました。サツマイモを植えたのは先週でしたが、まだしっかり根づいてはいないようです。まあ、大丈夫でしょう。直播のラディッシュは、あと2週間もすれば食卓の上に載ると思います。

さて、今日からは花畑の整理を手がけることにしようと、思案中の朝です。もはや、この楽しみは牧場主を上まって来ているようです。 

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スイカズラ

2010-06-02 04:56:23 | くるま旅くらしの話

ブログの記事のネタも少なくなりました。長期間のくるま旅から遠ざかって、もう半年以上の時間が経っていますので、くるま旅について書けるネタも尽きてしまいそうです。今年の旅は、7月に北海道を予定していますが、まだ1ヶ月あまりの時間があります。実に待ち遠しいですなあ。

さて、今のところは近場の短期間の旅に甘んじていますが、負け惜しみを言うなら、人生は毎日が旅のようなものと思えば、出会いと発見そして感動は、何時でもどこにでも存在しているということでありましょう。私の場合は、特に毎日の歩きの中に、それを感じています。勿論負け惜しみなどではありません。

今日はスイカズラの話です。スイカズラをご存知でしょうか?都会のコンクリートばかりの世界には、なかなか見当たらないかも知れません。少し田舎が混ざっていて空き地があれば、そのような所に今頃白か黄色の花を咲かせている、少し頑丈そうな蔓性の植物に気がつくのではないかと思います。それがスイカズラです。

   

スイカズラの花。これは半月ほど前に撮ったもの。今頃は花びらはもう黄色くなっている。

カズラとは蔓や葛と書きます。蔓を伸ばして樹木や垣根などに絡み付いて蔓延(はびこ)るタイプの植物の総称がカズラです。有名なところでは、鮮やかな大輪の花を咲かせるノウゼンカズラや、葛(くず)、藤などが挙げられると思います。この種の植物は、時々木なのか草なのかどちらなのかと迷うことがあります。竹もそうですが、このカズラ類も、年を経れば、見た目には自ずと風格のようなものが備わって来ますので、こいつらにはもしかしたら年輪のようなものがあるのではないか、などと思ってしまうのです。

しかし、概してカズラ類にはあまり好感を持てません。というのも、他の樹木に絡まり、時には締め上げて、のうのうと感謝もせずに生きているからです。葛などは荒地の土手などの弱い土壌を支えるには役立っているようですが、造林のために植えた幼木の傍などに生えようものなら、数年も掛からずして幼木全体に取り付いて枯らしてしまうことでしょう。また藤なども花を見ている限りは綺麗だなと感動したりしますが、これに絡みつかれた樹木から見れば、甚だ迷惑な存在であるに違いありません。どの世界にも、このような生き方をしているものは存在するようです。

ところで、スイカズラの話ですが、私の住む守谷市では至る所に見掛けることが出来ます。工場団地の垣根や高速道路の柵などに絡み付いて、今頃は白や黄色の花を咲かせています。ちょっと目には目立たないので、気づかずに通り過してしまいますが、良く見るとなかなか変わった花であることが分ります。ルーペで覗き込むと、そこに自然界の造詣の妙を感じることができます。この花は唇状花というのでしょうか、唇の形をした花なのです。普通唇状花という場合、例えばホトケノザや紫蘇の花のように口をつぼめたような形が多いのですが、スイカズラはより大型で口を開けっ広げたような花が多いようです。品があるようなそうでないような、不思議な感覚に囚われます。

スイカズラというのは、もともと吸い蔓と書くようで、その名の由来は花を摘んで口に当て、その細長い先端から蜜を吸ったということにあるとのことです。その昔砂糖などが高価な貴重品であった時代に、人びとはその代用に、鳥や昆虫のようにして素朴な甘味をこの花から恵まれていたのでしょう。私はまだその蜜を吸ったことはありませんが、一度は試しておく必要があるようです。

スイカズラは、咲き始めは白い色ですが、次第に黄色に変わってゆきます。このため金銀花とも呼ばれ、その蕾を生薬として用いる時には、薬にこの名が付いたとのことです。又秋から冬の間の茎葉は忍冬(すいずら)と呼ばれる生薬として使われるということです。

その昔の小学生の頃、スイカズラという呼び名を初めて知ったのですが、それは学校の先生方の小さな回覧誌のタイトルに「忍冬」と付けられているのを見て、これは何と読むのだろうと疑問を持ったからでした。しかし小学生には辞書を引く力も、又身近に辞書も無く、ずっとこの字のイメージだけを覚えていて、それがスイカズラのことだと知ったのは、中学生になってからだったと思います。幼い頃に気になった植物が、誰にも一つや二つはあるのではないかと思いますが、私の場合は、スイカズラが一番だったように思います。

就職のため上京して以降は、都市部ばかりのくらしとなり、その殆どがコンクリートの中でのくらしであり、更には家と会社を往復するばかりの毎日だったこともあって、長いことスイカズラなのことなど忘れ果てていたのでした。それがこのところは毎日の歩きの中で、お目にかかることができ、嬉しい限りです。他の方々には何の感興ももよおされない平凡に見える花なのですが、わたしにとっては、様々なことを思い浮べさせてくれる花なのです。今日もまた、少し黄色が増えた花が待っていてくれることでしょう。

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畏友の叱責

2010-06-01 05:20:33 | 宵宵妄話

私の畏友といえば、それはもう亡き安達巌一人なのですが、実はもう一人私自身の中にもっと恐ろしい畏友が住み着いています。この畏友は、30年ほど前からそろそろと私に近付いてきて、20年程前にはすっかり定着してしまいました。その名はトークンです。トークン(=糖君)というのは、私が勝手につけた名前で、一般的には糖尿病と呼ばれています。

畏友というのは、敬服する友という意味ですが、畏友の「畏」という字の意味は、漢和辞典によれば、古い字形では鬼が棒を持って打つという意味を表わしており、音の読み方では「威()」という字に同じということだそうですから、畏友というのは、襟を正して向き合わなければならない、そのような厳しさを持った尊敬する友ということになります。

トークンなどと軽いトーンで呼ばせて頂いていますが、内心ではやっぱり、どこかきっちりけじめをつけて向き合わなければならない友である、と恐れを抱いている存在なのです。世の中では良く「一病息災」などといいますが、あれは自分が抱えた一つの病に対してしっかり向き合った健康管理を実行して初めて言えることばであって、持病が一つあればそれで息災などとは決して言えない話です。

初めて正式に(?)糖尿病の宣告を受けたときは、ちょっぴりショックでした。というのも、原因不明の病で1ヶ月も勤めを休まざるを得なくなった時の様々な検査の結果が、糖尿病からという診断だったからです。糖尿病の三大合併症といえば、目と腎臓と足の指先の壊疽が上げられますが、その時の私の場合は、これら合併症とは殆ど関係の無い症状で、とにかく体が急に言うことを聞かなくなって歩くこともできないような状況だったのでした。実のところ、振り返ってみてあれは糖尿病が原因などではなく、別の鬼の霍乱(かくらん)現象だったのではないかと思っているのですが、その時に血糖値が200を超えるほど高かったのも現実ですから、全く無関係ではなかったのだとは思います。

その後トークンとの本格的なお付き合いが始まりました。トークンとの付き合いの基本的な考え方は、この病は一度罹ってしまったらあの世に行くまで治らないものであること。ただし、正しくきちんとルールを守って病の管理をすれば、治った状態を維持し続けられるということ。ルールというのは、血糖値を一定のレベル(概ね110以下)に保つこと。ヘモグロビンA1Cという血液検査のデータ値を概ね6%以下に保つということ。私の場合はこの二つの指標レベル以下を確保することがルールであると考えています。

つまり、トークンとの付き合いは、このルールを守らなければ合併症につながる病となりますし、このルールをきちんと守れば健康な身体を維持できるということなのです。では、どうすればこのルールを守れるのかといえば、これには3つの方法があり、①は食事②は運動③は医薬品というものです。

糖尿病の基本原因は、摂取した食べ物のカロリー量が多すぎて、これを消化する際に必要なインシュリンというホルモンが不足してしまい、その結果消化された栄養素が、血液の中に完全に溶け込めないまま、血糖の状態で体中を血液に混ざって運ばれてゆくため、その血糖が細い血管の中で詰まってしまい、血行不良を起こして、必要な栄養が供給されなくなり、やがてその部分の組織が壊れて機能しなくなるというものなのだそうです。三大合併症はその典型なのです。

ですから、トークンとの付き合いは、要するに血液中の血糖を如何に少なくルールに沿って維持するかということにあり、出来る限り医薬品に頼らずに食事と運動によってこれを実現・維持するかにあるのだというのが、私の考え方なのです。医薬品の助けを借りるのは必要最小限が望ましいというのは、どんな良薬でも副作用が皆無などいうものは無いと考えるからです。薬を飲めば病が治るというのは明らかな間違いであって、身体を治すことができるのは、その身体が本来持っている生命力だけなのだというのが私の考え方であり、医薬品はその生命力の働きをホンの少しばかり手伝うに過ぎないと思っています。

どうやらいつの間にか糖尿病の理屈のような話となってしまいましたが、何しろトークンとは20年来の付き合いなものですから、彼の特徴というか、付き合い方については、トコトン研究(?)しましたので、その耳学問といえば、かなりのものだと愚かな自負を持ってしまっています。

ところでその耳学問で膨れ上がった重さに我を忘れた私は、最近少しばかり足の指先が痺れる感覚に襲われるようになりました。これは拙(まず)いなと思いました。合併症の一つの末端血流不足の前兆に違いありません。放置しておけば組織が壊れて壊疽となり、最悪の場合は指の何本かを切り落とすということにもなりかねません。そうなったら、88歳までは旅に出たいという願いも空しくなってしまいます。

こうなった原因は明白で、5年ほど前から病院に行くことを止め、それまで僅かに飲んでいた薬を飲むことも止め、最初はコントロールしていた食事の摂取レベルも次第に崩れて量が増え、守ってきたのは1日1万4千歩以上を歩くという運動だけでした。病院に行くことを止めたのは、受診するのにいつも3時間以上も待たされ、診察はたった2~3分で、後は薬の処方をして貰うだけという、バカバカし過ぎるその内容に腹を立て、これからは自己管理でやるからもう病院へは行かないと決めたからなのでした。

最初の勢いは良かったものの、愚かで弱い人間でしかない私が、妥協のレベルを抑えきれずに下げてゆくのは、予め想定されていた通りであり、気がついてハッと正気になれば、足の指先が痺れ出したという次第です。どんなに頭でっかちになって公言したとしても、それを実現・実行しなければ全くの虚言に過ぎず、それは己自身を欺いているということでもあります。今は、その後ろめたさに囚われ自己嫌悪に陥っている状況です。こんなザマでは、何処かの総理大臣のことなどを悪し様にいうことはできないなと、これ又反省しきりでもあります。

ということで、只今はトークンの厳しい叱責を受けているところです。改めて病院(今度は別の病院にしました)に出向いて、検査を受け、処置を指示して貰いました。ルールの数値をかなりオーバーしていましたが、想定の範囲であり、この後のお付き合いの襟を正せば、ま、指を切り落とすなどという無様(ぶざま)な状況には至らないで済みそうです。それにしても油断大敵ですね。大言壮語は己を欺く始まりだなあ、と改めて深く反省している次第です。いやあ、畏友のお叱りというのは、キツイものですなあ。しかし、ありがたいものです。

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