今の時代ほど空しい誹謗中傷が、恰も正義の如くに闊歩している世は無いのではないか、と思うほどです。世の中の至る所で、ライバルというのか、対抗者を攻める手立てとして、あること無いこととにかく相手の弱点を拾い出して大騒ぎをするという戦法が流行している感がします。
ま、内部告白などという、止むにやまれぬ非を責める出来事もあるにはあるのでしょうが、それらを引っ括って皆正義などと信じ込むのは、脳みその存在を疑う輩の振る舞いのように思えてなりません。清廉潔白な人間しか政治をできないなどというのはまったくの幻想であり、たった一人で政治に係わることなど不可能なわけですから、関係者の中に多少腹の黒い奴や茶色のものが混ざったりしているのは当たり前と考えなければ、永遠に本物の政治など具現できるはずもありません。政治屋やマスコミが僅かの濁りを騒ぎ立てる前に、今の世に必要な政治をどう実現するかを、もっともっと議論して欲しいものです。
何とも言いようの無いほど現実とズレまくった内閣牽引者が当然の結果として消え去って、ホッとしたのも束の間、新しい内閣が発足した途端、何人かの閣僚の不正処理の話題が降って湧いています。それが本当であっても嘘であっても、もういい加減にして貰いたいというのが、私だけではなく、国民大半の思いではないかと思うのですが、これは誤った感覚なのでしょうか?
治世に係わる人たちは、もっと真面目に大局観を持って本来の仕事に取り組んで欲しいものです。与党も野等ももっと真剣に世の中をどうするかを考えて貰いたいものです。政権をとった民主党も、奪われた自民党も、己らの主導権を確保したいばかりで、政治本来の目的や役割を忘れ果て、何一つ前向きの議論をしていない感じがします。
この頃は、政治と金の問題が恰も日本の国政を汚しまくっている感の様な話題ばかりが目立ちますが、巨額な金が動いているというような事件ならともかく、チマチマした重箱の隅を突いた様な出来事を拡大して騒ぎまくるなどというのは、国政を愚弄するのも甚だしいと思えてなりません。欠点ばかりを探しまくり、見つけたらそこに噛み付くというような政治屋さんたちの振る舞いには、もううんざりです。
更に付け加えれば、単なる事実の断片を、恰もその全体と奥底までを見抜いたかのごとくに、気取った正義感で報道するマスコミのあり方にもうんざりします。マスコミは本来客観性の高い報道をするべきで、事実の判断は読者に任せるべきなのに、その客観性を薄れさせ、世論を誘導しているかのごとき印象を受けることが多いのです。
これらの背景には、国民とか大衆とかいうコンセプトで安易に括られている、この国のこの世に住む人々の身勝手な主体性のようなものが横たわっているように思います。その身勝手さというのは、極端に言うのなら、自分の今日のことに目一杯で、せいぜい昨日と明日くらいのことしか考えないという軽さにあるような気がします。このような大衆の身勝手に迎合するような政治を行なっているのが、政治屋という連中なのだと思えてなりません。
いうなれば、皆どっちもどっちという関係なのかも知れません。だからこそ、政治屋の人たちには、大局観を持った卓越した治世の策を講じて欲しいのです。選挙で勝ったらそれができるというのが今の政党の考えのようですが、何かを為し得たから、為し得ると期待できるから選挙に勝てるというのが本来の政治のあり方のように思います。その意味で、現政権は、重大な評価の岐路に立っていると思います。空しい口約束に声を張り上げるのはやめて、態度と行動で結果を示して欲しいのです。
もう一方の最大野党の自民党は、もっともっとしっかりしなければ、行く先は解党しかないように思います。野党となって以降、何ひとつ前向きで建設的な政策を示していない感じががします。過去の民主党の行動の二番煎じに甘んじているのは、一体どうしたことなのだろうかと、そのリーダーシップの無さに失望するばかりです。リーダーシップとは党首・総裁のそれではなく、この党全体の影響力という意味です。せせこましい欠点などを突いているのではなく、正面から堂々とこれからの日本をどうすべきかの政策を打ち出して欲しいものです。それができないのなら、これはもはや民主党の敵にすらもなり得ない感じがします。
とにかく、欠点を誹謗しあう議論からは、将来を見据えた逞しい道筋など何も見えてくるはずがありません。鎖国の江戸の幕末から変わった明治の国政が、この国を誤らせなかったのは、治世に係わった人々の国を思う思いの強さが、大局観で一致しており、本物の正義が生きていたからのような気がします。その現実の裏面では、現代では信じられないような政治と金の汚れた関係も幾つもあったのだと思います。それを許すことなどとても出来ませんが、しかしこの国を何とかしようという思いまで、その汚れと一緒に葬ってしまう気にはなれません。今の世に欠けているのは、政治屋の国を思う気持ちの強さなのであり、その貧困さが、ささやかな不正の誹謗中傷なんぞにすら負けてしまうことにつながっているのだと思えてなりません。
今日は別の話を書く予定でしたが、無性に腹が立って、このような次第と相成りました。情報化社会は同時に情報過多社会でもありますが、そのような世の中で、妙な正義感などを振り回す前に、政治屋の皆さんやマスコミ関係者は、もっと真面目にこの国のことを考え、その実現の方向へエネルギーを向けて欲しいものです。
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