山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

みどり市に納得

2010-06-21 06:08:27 | くるま旅くらしの話

先日TACOSという名のキャンピングカークラブの集まりがあって、久しぶりに参加しました。このクラブは旅車の購入先に係わる集まりで、毎年春と秋に2回のクラブキャンプがあり、その他に有志による随意のキャンプ活動を行なっているようです。私共は、くるま旅との日程がなかなか合わず、不参加のことが多いのですが、今回は運よく参加できたというわけです。

クラブキャンプの場所は、群馬県みどり市の沢入(そうり)というところにある、ファミリーキャンプ場:そうりという所でした。群馬県地方には、草津や六合村そして四万温泉などには良く出かけるのですが、みどり市というのもよく知らなければ、沢入などという地名も知らず、初めて訪れる場所でした、

3年前だったか、初めて「みどり市」という標識に気づいて、一体これはどういう市なのかと疑問を覚えたことがあります。それは前橋を通過して、国道50号線をしばらく走っている時で、たしかこの辺りは笠懸町だったはずなのに、合併でこのような名前の町となったのかと、気づいたのです。それにしても、みどり市とは酷い命名だなと、大いに反発を感じたのでした。というのも、今までのこの辺り名残りが全く感ぜられない、突然の降って湧いたような市の名前だったからです。あとで調べましたら、笠懸町の他に大間々町と東村の3町村が合併してみどり市となったということでした。

私共の年代では、旅するに当たって、行く先々の地名というのは、以前の地図に載っているものが凡そ頭に入っており、大間々とか東村といえば、それだけで大体の見当がついたものです。地図を眺めるのが好きな私は、トイレの中に全国の大型判地図を常に何冊か置いてあり、旅のコースを決めたりする場合の参考に、結構時間をかけて覗いているのです。ですから、まだ行ったことのない場所についても、ある程度のロケーションのイメージを思い浮べることができます。大間々といえば、ああ、確か桐生の隣町だったな、とか東村といえば、渡良瀬川に沿った星野富弘さんの美術館のある所だよなと、まだ行っていなくとも凡その見当がつくのです。

しかし、みどり市などと突然言われてしまったら、これはもうお手上げです。そのような市がどこにあるのかなど見当もつきません。何しろ私のところにある地図は、全て10年以上も前のものですから、高速道路だってまだ完成していないのが多いのです。新しく買うにも昔のB4判の大型ものが無くなってしまい、皆A4判になってしまいました。小型の地図は何度もページをめくらなければならず、使うのに不便です。最近はナビの普及で、書店店頭の地図は少なくなってしまっているようで、ナビなし主義の私にとっては、憤懣が募って来ています。全国の分県地図を揃えたいところですが、高価だし、しょっ中内容の変更があるのでは堪ったものではありません。ナビのような文明の利器は、利便性においては優れていますが、一方では人間の想像力などを退化させ、横着者に導くような気がします。抵抗する意味でも古い地図にこだわって使い続けているのですが、地形はそれほど変わっていないとしても、行政上の理由でその名称が変更されるというのは、致命的な問題です。

初めてみどり市なるものに気づいたときには、このような名称をつけるなんて、ナンセンス極まりないと思ったのでした。どうしてかといえば、全国どこへ行ったって、日本は緑の多いところは無数といっていいほどあるのです。よりによって「みどり」と名付けるなんて、忍者の葉隠れの術みたいなものではないですか。まるで、昔の3町村の面影を全く消してしまうための命名のような気がするのです。

ま、今回の平成の大合併では、茨城県の小美玉市のように合併前の3町村の名前の頭文字を一つずつ取り入れて名付けたり、青森県の七戸町のように、どういうわけか合併後の本庁舎を合併先の天間林村に移したりしているなどと、まともに考えれば何だかへんだなという現象が生まれていますから、わけのわからない行政行動というのは、世の常なのかも知れません。くるま旅くらし志向の私の希望としては、合併に当たっては、それまでの土地のイメージが少しでも残るような命名を心がけて頂きたいものです。

さて、そのみどり市ですが、目当てのキャンプ場は、桐生市の郊外から国道50号線を右折して、県道をしばらく走って旧大間々の市内を通過し、間もなく国道122号線に入り、これを渡良瀬川に沿って30kmほど行った所にあります。この道を走るのは初めてです。キャンプ場の傍には渡良瀬川を塞き止めた草木ダムがあり、その上流には有名な足尾銅山があり、それを更に走ってゆくと日光のイロハ坂の下に出ることができます。予てより一度は通って見たいなとは思っていたのですが、なかなかその機会がありませんでした。

大間々の市街地を抜けると、たちまち渡良瀬川の急流を見下ろす崖の上のような場所で国道122号線に出会います。これをしばらく走ると、道の駅:くろほね・やまびこがあり、ここで少し休憩しました。この道の駅は旧黒保根村にあり、その名もそれを語っています。何とこの黒保根村は、隣の新里村と一緒に桐生市と合併しているのです。みどり市を挟むようにして桐生市があるのも変な感じです。今回の合併でこのような変な場所は、確か北海道の釧路や日高町にも生まれていました。地続きでない行政エリアというのは、何だかやりにくくてロスも多いような気がするのですが、黒保根村は、よほどにみどり市との合併を嫌ったのか、或いは桐生市の方が好きだったのか、或いは又またどちらの方が甘い蜜が吸えると判断したのか、部外者にはどうでもいいことではあります。

余計な話が相変わらず多いですが、ま、そのようなことを考えながら川の上流に向かい進むと、間もなく草木ダムが見えてきて、その少し先に道の駅となった富弘美術館がありました。星野富弘さんについては、説明不要の絵描きさんであり、詩人であると思っています。亡き畏友の安達巌は両腕を失くしたというハンディを持つ洋画家として世界一流だったと思いますが、更に厳しいハンディを持つ星野富弘さんは、画家だけではなく何よりも詩人であられると私は思っています。一度その絵画館を訪ねたいと思っていますが、まだ未訪問であり、今回は予定には入っていません。そこから少し走って、渡良瀬渓谷鉄道の沢入駅に向かう坂道に入ると、直ぐ手前がキャンプ場の入口でした。家を出てから3時間ほどの行程でした。

桜などの鮮緑の樹木に覆われたキャンプ場は、よく手入れもされており、とてもいい環境でした。どこもかしこも緑です。直ぐ傍の草木ダムも四方を囲む山の緑に染まっています。そういえば、大間々を出てからは、もうどこも緑の世界でした。車の運転をしなければ、その緑を存分に味わったことでしょう。東村に来てからは、特に緑が鮮やかさと濃さを増して、これはもうまさに緑の世界だなと思うようになりました。同時に、次第にみどり市というのも悪くはないなと思うようになってきました。市というイメージからは遠いけど、今の世では、市というもののイメージを変えなければならないのだと思えば、みどり市という行政名も何だか納得できるような気がしてきたのです。

   

緑の溢れたキャンプ場の風景。この日は40台ちかい車が集まり、大いに賑わった集まりとなった。

旅をしていると、このみどり市を凌ぐような緑に埋まった町や村を幾つも数えることができますが、益々紛らわしくなりますので、これからの合併・統合などにおいては、行政関係者はよくよく全国の市町村名を精査して、同じ名前などを使わないようにくれぐれもご留意いただきたいと思います。野次馬の身勝手な感想と要望でした。

      

沢入駅付近の橋の上から見た渡良瀬渓谷の景観。かつてこの辺りは、足尾銅山の鉱毒の被害で、一匹の魚も棲めなかったのであろう。僅かな時間しか経っていないのに、人間の為すことは、早や今は昔のこととなってしまっている。

コメント
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