山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

沢入キャンプ場朝の逍遙

2010-06-23 04:55:40 | くるま旅くらしの話

先日群馬県の沢入(そうり)という所にクラブキャンプに出かけたときの話です。前日のメインイベントが終って、翌日は三々五々の解散となるのですが、その日の早朝周辺の散策に出かけました。老人の朝は早く、小鳥たちがさえずりを始める4時前にはパッチリと目覚めて、後はもう起床のタイミングを計るだけです。幸い天気は良さそうなので、5時には起き出して付近の散策に出かけることにしました。

沢入のキャンプ場は、奥入瀬川の草木ダムの上流にありますが、もしかしたらこの辺りまではダム湖の一部といって良いのかも知れません。何しろ初めて来た場所なので、全く土地勘が無く、道がどのようにつながっているのかもさっぱり判りません。昨日は、近くを走るおいらせ渓谷鉄道の鉄橋を走るらしい音が谷間に鳴り響いていましたが、その鉄道もどこをどのように走っているのか良く判りません。

とにかく近くにあるはずの沢入駅に行ってみることにしました。キャンプ場の入口に戻って、駅に向かう坂道を下りると、奥入瀬川に架かる橋があり、どうやら駅はその橋を渡った川向こうにあるようでした。かなりの高さのある橋で、高所恐怖症の気のある私には、下を覗きこむにはちょっぴり勇気の要る高さでした。橋を渡ると直ぐ近くに比較的新しい木造の駅舎があり、小さな駅前広場がありました。5時を過ぎたばかりの時間帯では、まだ電車は走っておらず、誰も見当たりません。駅前にある数軒の住宅の人たちも皆さん眠りの中にあるようでした。

  

左はおいらせ渓谷鉄道沢入駅の駅舎。木造の愛着を覚える建物である。無人駅ではあるけど、綺麗に使われているのがわかる。右は時刻表。列車の走らない時間帯もある。

キャンプ場側からは、川向こうに道があるとは思えなかったのですが、行ってみるとちゃんとした舗装道路が走っており、それは県道343号線なのでした。もしかしたら先ほどの橋の他にも、この先に向こう側へ渡る別の橋があるかもしれないと、その道を行ってみることにしました。駅近くには旧東村の管理する「陶器と良寛書の館」という妙な名前の資料館がありましたが、これはこの村出身の方のコレクションを披瀝したものとのことでした。勿論開館前で中に入ることはできません。そのまま素通りです。

駅から100mも行くと民家は無くなり、山裾が迫ってきているだけです。僅かの民家の中に、木造の瀟洒な家がありましたが、どうやら今は無住らしく、やや荒れかけていて、村に生きることの難しさを語る遺物のような感じを受けました。そういえば、ここに住む人たちは、どういう仕事で生計を立てているのかと思いました。農林業の他にはこれといった産業も見当たらず、高齢化の波をかぶった過疎地帯では、厳しいくらしを余儀なくされているのだと思います。

   

おいらせ渓谷鉄道の鉄橋の景観。橋の向うはトンネルである。いずれの地でも、渓谷に沿って走る鉄道には鉄橋とトンネルが多い。この橋とトンネルが、この地に住む人たちをいろいろな意味で支えているのであろう。

少し行くと、白い藤の花のようなものが目に入り、良く見ると、それは藤ではなく樹木なのでした。ニセアカシアの花なのかなと近づいて良く見たのですが、それではなく、あまりというか全く見たこともない木の花なのでした。もしかしたらナンジャモンジャノ木なのかもと思いました。ひとつばだごの木のことをナンジャモンジャと呼ぶらしいですが、どうもそれとは少し違うようです。このような所にひとつばだごがあるとも思えません。とすれば、これこそ真正正銘のナンジャモンジャノ木に違いないと思いました。

   

ナンジャモンジャの木と花。一見目立たないのだけど、傍に行ってよく見ると、純白の花が美しい。花が細やかで、ヒトツバダゴとは違う感じがした。

更に歩いてゆくと、道端に黄色い熟れた実をつけた木苺を見つけました。このような野の草の実を見つけるのは、その昔村の野山を駆け巡って育った者にとっては、当たり前の特技なのかも知れません。こちらが見つけようと思わなくても、木苺の方から、ここにいるよと教えてくれるのです。久しぶりに一粒だけほんのりとした甘さを味わわせて頂きました。

   

木苺の実。50年以上も前の頃には、我が家の近くの山あいには、どこにでもあったのに、今ではもうこのような場所にひっそりと実をつけているだけなのかも。

しばらく行くと、何と発電所がありました。群馬県沢入発電所とありました。電力会社ではなく、県が管理しているというのは珍しいなと思いましたが、それ以上の詮索は無用です。ここまで2kmくらいの歩きだったと思います。この先に反対側に渡る橋が無いのであれば、そろそろ引き返す必要があります。どうするか少しためらいましたが、いい空気だし、多少歩きすぎてもいいやと思い直し、先に行くことにしました。右下の川はいつの間にか渓谷の様子が変わって、湖の姿になっていました。橋がなくて、このまま歩き続ければ草木ダムに行くことになってしまいますが、そこまではあと4kmくらいはあるでしょうから、戻りが厳しくなってしまいます。そんなことを考えながら歩いていると、橋が見えてきました。東宮橋と書かれていました。ヤレヤレ一安心です。

その橋を渡って、少し行くと右手に神社がありました。昔の村社で、東宮神社とありました。先人に敬意を表して参拝しました。境内の横にある石碑のようなものを見ると、大山祇命(おおやまつみのみこと)と刻んであり、珍しいなと思いました。というのも直ぐに愛媛県の大三島にある大山祇神社のことを思い出したからです。確かあそこは俗に海賊の守り神といわれていますから、こんな山の中に何故?と思ったわけです。しかし、もともと神話では大山祇命とは、大いなる山の神ということですから、このような山中に祭られても不思議ではなく、むしろそれが相応しいと言えるのかも知れません。

   

村社東宮神社。その昔には合併前の沢入村というのがあったのかもしれない。或いは、東村の村社だったのかも。この地に住む祖先の人たちの心の拠り所として、大切にされていた場所だということがわかる。

神社の脇には昨日通ってきた国道122号線が走っており、そこからはこの味気ない道を通って、キャンプ場に戻ったという次第です。この間1時間半ほど、万歩計では7千歩程度でしたから、歩いた距離は4km足らずだったような気がします。自然観察の道草をたっぷり味わいながらのいい時間でした。6時過ぎに戻ってきても、まだ大半の人たちは眠りの中にあったようです。私は随分と得をしたような気分になりました。

今回は旅というわけではありませんでしたが、旅先では、いつもこのような歩きを心がけることにしています。くるま旅は、車で移動するばかりで、名所旧跡も僅かな時間で性急に見てまわり、あそこも見た、そこにも行ったなどと、その数を自慢するなどというのは、本当の旅の楽しさを解しない者の振る舞いのように思います。ま、それぞれお好きなように自分の旅のスタイルを作ってゆけば良いのだとは思いますが、旅は量や幅ではなく、出会いと感動の深さにこそ意義があると私は思っています。そのためには、歩くことがとても大切と考えます。

コメント
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