山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

午睡の常習化

2010-06-17 03:42:37 | 宵宵妄話

今日は異常に蒸し暑い日でした。夜来の雨は、朝になっても止まず、こりゃあ終日の雨になるのかなと思って、ゴミ出しなどの用事を済ませて一息ついているうちに、何だか眠くなってきてしまい、寝床に横になったら、そのまま眠ってしまって、目覚めてみれば昼近くとなっていました。

まあ、グータラな毎日です。雨が降らなければRVランド農園に出かけようかとも思っていたのでしたが、朝からの昼寝はその元気を失くさせてしまいました。目覚めた時には雨は降っておらず、もしかしたら寝付いた頃から天気は回復していたのかも知れません。昨日まで旅に出ていて、溜まった買い物をしなければならず、起き出して買い物に出かけた次第なのですが、それがまあ、今日の外の暑さといったら、気分が悪くなるほどでした。何しろもの凄い湿気なのです。洗濯物を干すなどしたら、乾くどころか、脱水前のレベルに戻ってしまうと思えるほどの蒸し暑さでした。

私は寒さにも暑さにも弱いタイプですが、どちらかといえば暑さの方を敬遠したく、とりわけて湿気のある暑さには気分が滅入ってしまいます。湿気の多い暑さは日本国の夏の基本要件になっているようですが、この頃は空調システムがかなり普及していますから、それに慣れてしまって、昔ほどに我慢が効かなくなってしまっているのかもしれません。毎年夏の北海道へ出かけてゆくのも、一つには湿気が少ないという恩恵を授かりたくてのことなのかも知れません。

とにかく今日の外の暑さは異常で、買い物が終って帰宅した後は、もう外へ出るのは一切止めることにして、遅い昼ご飯の後は再びの午睡となりました。日中の大半を寝て暮らすという、真に恵まれたグータラな一日でした。

さて、このグータラな過し方に対しては、我ながら時々如何なものかと思ったりしているのですが、それでも長いこと昼夜反対の時間の使い方を続けてきた私にとっては、昼よりも夜の時間の方がずっと価値があると思っていますので、あまり真面目に反省はしていないのです。物事をよく考え、それを整理して書きとめるという作業は、昼よりも夜の時間帯の方が向いているように思います。昼の時間というのは、身体を使って汗を流すのに向いているように思われ、歩きや畑仕事に使うのが一番だと思っているのです。

ということで、最近は日中に何もすることが無いときには、すぐさま寝床に入って午睡を貪ることにしています。そしてこの午睡の時間の量が次第に多くなり出したのを実感しています。更には、夜の眠りの時間も結構多くなってきています。つまり、一日の眠りの総量が次第に膨らみ出したということなのです。この原因の最大のものは、やっぱり老化の為せるものなのかも知れません。

私は、人は毎日あの世とこの世とを往復していると信じています。眠っている間は、人はあの世に行っているのだと思うのです。目覚めはこの世への復帰です。生きている間は、人はあの世へ行っても、いつでもこの世に戻ることが出来るのです。復帰できない眠りに就いたときが、この世とのお別れとなるのだと、もうこの考えは今では確信となっています。別の言い方をすれば、人は生きている間は、生まれた瞬間からこの世とあの世との往復を繰り返し、最後はこの世に戻れなくなって、永遠の眠りに就くということです。つまりは、人は生まれたときから、常に永遠の眠りに就く練習をし続けているのかもしれません。

妙な話となりました。この頃眠りの量が増え出したのは、あの世に行くための練習が度を増してきたからなのかも知れません。しかし、この午睡というグータラには、ある種の快感も含まれており、してみるとあの世へ行くというのは、さほどに恐いものでもなさそうだなどと考え出しています。ま、でももう少し、あと10年以上はくるま旅を続けたいなと思っていますので、この世への復帰が叶うことを願いながらの毎日なのです。

今日はあまりにも眠りすぎて、眠り姫ならぬ、眠りジジイとなってしまい、頭の中までがグータラとなってしまいました。失礼。

コメント
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