山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

野草談義:白い花(ドクダミ)

2010-06-10 04:36:22 | 宵宵妄話

「白い花」というタイトルの歌があります。この歌を初めて聴いたのは、まだ現役のサラリーマン時代で、20年ほど前に紀州の紀伊勝浦のホテルに3週間も缶詰になって、インストラクターの資格取得の研修を受けていた時でした。丁度その頃糖尿病の宣告を受けたばかりで、毎日ホテルで出るご馳走を、如何に食べないで済ますかという難題にぶつかっていました。2月の寒い日、その日は休日で研修は休みだったので、その時間を利用して勝浦から串本まで歩くことにしたのです。歩きながら研修の内容の暗記に取り組み、それに飽きるとポケットラジオのFMで音楽を聴いたりしながらの5時間あまりの行程でした。さすがに帰りはJRのお世話になったのですが、50名近く居た研修受講者の中で、このようなバカなことをしたのは私だけだったと思います。

その歩きのラジオの中で、「白い花」という歌を初めて聴いたのです。その時の歌い手は北原ミレイでした。彼女の歌のファンでもある私は、これはいい歌だなあと、そのとき凄く印象に残ったのです。研修が終って家に戻り、早速北原ミレイのレコードを買い、この歌を覚えるべく練習に励んだのですが、どうも上手く歌えず、未だに音程は外れっぱなしで、ものになっていません。

その後の調べで、この歌は山崎ハコという方の作詞・作曲で、歌もご自身が歌っておられるというのを知った次第です。私は山崎ハコという方を全く知りません。ニュー-ミュージック関係の方なのでありましょう。演歌中心の私にはそちらの方はさっぱりわかりません。でも、この歌はとてもいい歌だと思います。ご参考までに記します。

「白い花」  作詞・作曲:山崎ハコ 

私の目の前の白い花 人目にもつかず咲いているけれど

幸せそうに ほほえんで 香りを漂わせる
できることなら この指で お前を摘んでしまいたい
あの人の心に 誇らしく 咲いてるお前を

白い花びら はにかんで とてもきれいに見えるわ
お前のように 咲きたかった あの人の心の中に
ひそかに きれいに 咲くがいい 美しい白い花よ
あの人と いっしょに 生きて行け あの人をなぐさめながら

お前をみつめて 生きて行く 私の気持ち知らないで
私にやさしいほほえみを かえす 白い花
ひそかに きれいに 咲くがいい ほほえむ 白い花よ

あの人と いつまでも 生きて行け あの人をなぐさめながら

 

さて、今日の話は白い花のことです。白い花はたくさんあって、人それぞれに思い出の白い花というのがあるような気がします。私にとっての白い花といえば、それはドクダミの花なのです。この歌の白い花は多分ドクダミの花のイメージではないと思いますが、私にとっての白い花はどうしてもドクダミなのです。

   

ドクダミの花。白い4片はガクで、花は真ん中の棒状の部分に花粉のように付いている黄色い小さなものがそれだという。でもガクを含めた全体が、この花の生命の表現の結晶なのだと思う.

ドクダミという野草を知らない方は少ないような気がしますが、今頃は都会では探すのが難しいのかも知れません。守谷市辺りでは、ちょっとした草叢や林の木陰にはごく普通にどこにでも目に付く野草です。手に取ると独特の臭いがして、これはどちらかといえば異臭とか悪臭という部類に入るのかも知れません。この臭いの故にドクダミを好まない人が大勢居るような気がします。私もその一人でした。

しかし30年ほど前、漢方の生薬に関心を持ち、野にある野草を調べている内に、ドクダミというのが並々ならぬ力を持った草であることが解るにつれ、その見方は大きく変わって来たのです。ドクダミはその名前からして、毒を溜めるといういわれですから、まるでこの草が毒の塊であるかのようなイメージを持ってしまいます。それにあの臭いです。知らない人が忌避するのも当然かも知れません。しかし、この野草の生薬としての力は、その名前が十薬(=重薬)と呼ばれているように、一つでたくさんの効能を持つものとして認知されているのです。

自分でこの草を取ってきて陰干しにして乾燥させ、それを煎じて飲んだこともありますが、野に生えている時とは違い、異臭は全くなく、煎じて飲んでもさほどの飲みにくさも覚えない、味わいなのです。そのようなことを知り、自分でいろいろやってみたりしているうちに、ドクダミに対する偏見は全く消えてしまいました。

さてさて、ドクダミの生薬としての効能のことは措くとして、本題の白い花なのですが、私が白い花といえばドクダミをその代表として思い浮べるのは、この草の秘めた美しさをその白い4片の花びらに感ずるからなのです。(実はこの花びらは、花ではなくガクなのだそうです)特に木陰の少し光の乏しい場所に生えているドクダミは、葉も茎にも清潔感があり、それが純白で透明感のある花を付けているのを見たときには、一種の気高ささえも感ずるくらいです。その異臭の故に嫌われながらも、知らないところで献身的に命の長らえのために尽くす力を秘めた、この草の魂の精がこの白い花に現われている感じがするのです。

世の中にはこれ見よがしに綺麗さや可愛さを吹聴する世界が溢れています。それを煽るのを商売にした人が、得意げに他人の身なりを批評して、ファッションのセンスがどうたらこうたらなどとコメントしたりしていますが、それらは私の美の感覚からは遙かに遠い虚構の世界の出来事のように思います。本当に美しいものは、ありのままの姿なのであって、それは心と表現が一致しているものなのだと思うのです。奇を衒(てら)い、これ見よがしに作られた美しさなどというものは、インチキに決まっています。今の世はインチキが溢れている感じがします。

芸能界などに住む人間は、それを武器にしなければならない面があり、致し方ないと思いますが、別の世界に住む人たちが、それをいたずらに羨ましがったり、憧れたりするのは、如何なものかと思います。この国に住む全ての人々が芸能人のようになってしまったら、この国は破滅・滅亡することは必定です。

野草の世界には芸能人のような存在はありません。それに似た存在といえば、それは人間が作り出した園芸種しかないように思います。園芸種と化した野草は、人間どもにその魂を売ってしまったのか、或いは略奪されてしまったのか、とかく華美な出で立ち・振る舞いをしているものが目立ちます。そしてその殆どは薄命のような気がします。ま、中には野に逃げ出して、再び本来の野生を取り戻したハルジオンやヒメジオンのようなものも、居るには居るようではありますが。

ドクダミの花の美しさは、ドクダミが秘めた心を素直に表わしているところにあるように思います。山崎ハコさんの「白い花」の詩のモチーフも、心を素直に表わして咲いている白い花に、自分の失恋の痛みと諦めを譲った心境を託していることでありましょうから、この花もドクダミと同じような存在なのだと思うのです。自分の大切なものを知らず奪われてしまうとも、その白い花の美しさにはとても敵わないという、その心映りのありようは、私にはドクダミの花が一番相応しいように思えるのです。

   

花は可憐だけど、ドクダミは強靭な生命力を持った野草で、どのような厳しい環境の場所でも、その存在を静かに主張している。

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1 コメント

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ドクダミ、今咲いてます。 (hoso)
2010-06-10 09:48:01
「白い花」って歌は知らなかったのですが、
歌詞は嫉妬深い内容なんですね。
ドクダミは、うちの畑に今咲いてます。
私にとっては、取っても取っても生えてくる、とっても厄介な雑草です。(^▽^;)
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