四国八十八ヶ所巡りの旅を終えて、2日が経った。昨日は終日の雨降りで、何をする気も無く半分以上を寝て過した。旅から戻ったその日に、雨の中をずぶ濡れになりながら畑を耕し、そら豆を播く準備をした所為か、少し体が痛くて、終日の雨は休養には好都合だった。ついでにブログの方も休むことにした。
さて、今日はそら豆やほうれん草、からし菜などを播き終え、正気に戻って、今回の旅のあれこれなどを思い起こしている。その中で、くるま旅の限界ということについて思ったことを書いてみたい。
くるま旅というのは、無限の自由な可能性に溢れた旅だと思っていたのだが、実際に八十八ヶ所を回ってみると、目的を持った旅の場合は、必ずしも自由ではなく、多くの制限というか、限界のあるものだということに気がついたのだった。
というのも、お寺の多くは、山奥や、人家の密集したエリアの奥まったような場所にあり、もともと車などは寄せ付けない環境に位置している。八十八ヶ所のお寺の殆どには駐車場が用意はされているけど、そこに辿り着くまでにキャンカーのような図体の大きい車は容易なことではない。
これから行くその道の情報について、離合が困難や不可能といった状況が判っておれば、あえて無謀な突入はしないのだけど、案内書や案内図には、何の注意書きも書かれていないお寺が結構あって、大丈夫だろうと実際に行ってみると、ラッキーにどうにか辿り着けたものの、天井を木の枝に当てたり、もし離合の車が来たら絶体絶命というような箇所があったりして、肝を冷やすような運転を強いられる所が多かったのだった。
くるま旅の大前提は、安全と安心ということであるから、このようなハラハラ、ドキドキの連続は、考えものである。八十八ヶ所のお寺巡りは、キャンカーの限界を暗示しているように思えた。つまりは、キャンカーを使っての旅の目的としては、適切ではないということであろう。お寺巡りそのものは、キャンカーなどという旅の手段とは無関係に、それなりに有意義なものではあるけど、手段と目的がフィットしていない旅は、心のどこかに余計な疲れを溜め込ませるようで、反省大であった。 この次に発起して又八十八ヶ所巡りに出かけるときがあれば、キャンカーではなく、別の手段を考えなければならないと思ったのだった。
今回の旅で一番肝を冷やしたのは、高知県の土佐市にある、第35番札所の清滝寺だった。高速道路の下を潜ってお寺への入口までは良かったのだったが、そこから先は離合できる場所が2、3箇所しかない細く狭い、急な坂道が2km以上も続いていて、この間は息を呑むような緊張の連続だった。
第35番札所:清滝寺の境内。階段の上、左が本堂。右が大師堂。ここまでキャンカーで辿り着くのは、奇跡的なことだったと、今でも思う。
最初はみかん畑の中の狭い砂利道で、離合は全く不可能どころか、バックも出来ないような道だった。そこを過ぎると、今度は森の中の急な坂道で、ここも殆どが離合困難な状況だった。それにしても何という幸いなことか、往路は1台の対向車にも出会わず、狭い境内の中にある駐車場に辿り着くことができたのだった。参詣を終えての復路はこれまた緊張の連続で、砂利道で凹んだ箇所では車の底を打ったりして、肝を冷やした。そして、ついに対向車に出会ってしまったのである。幸いなことにぎりぎりでの離合が可能な箇所だったので、少し時間がかかったけど、3台の対向車となんとか離合の危難を脱したのだった。
入口の4mほどの幅の道に戻った時は、それがなんと幅の広い安心な道に思えたことか。もうこのような細く狭い道には二度と入り込みたくないと、心底から思ったのだった。
しかし、その後も細く狭い道は、容赦なく待ち受けていて、清滝寺以外にも、何度か同じ体験の繰り返しとなったのである。以前、高松に転勤で住んでいた時、四国八十八ヶ所を車で回ると運転が上手になる、などと冗談半分に他人に言っていたことがあるが、今回の経験からは、運転が上手になるどころか、事故の危険性の方が遥かに大きいと思った。
というわけで、これから先はキャンカーでの八十八ヶ所巡りは二度としない、してはいけないというくるま旅の限界を感じたという話でした。
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