第19日 <5月12日(金)>
早朝3時頃からか、近くの農家で飼っている鶏が鬨(とき)の声を上げて鳴き出し、それが耳に入って目覚める。鶏の鳴き声を聞くなんて本当に久しぶりだ。何となく懐かしい気分になって、うるさいという感じはしない。幾ら何でも起き出すわけにもいかないので、寝床の中で、鶏はどれくらい続けて鳴くのだろうかと指折り数えている内に、いつの間にか又眠ってしまった。
次に目を覚ましたときには、もう鶏は静かになっていて、小鳥達の鳴き声が賑やかだった。今日は20日ぶりに我が家に戻る日である。庭の草木や、畑の事が気になってはいる。木立ダリアは芽が出たろうか?ジャガイモは順調に生育しているだろうか?出発の少し前に播いたラディシュは大きくなっているだろうか?急に里心が膨らみ出す。人間とは妙なものだ。
8時、道の駅に別れを告げて出発。ここからはしばらく坂道の連続だ。三富の道の駅を通り過ぎて、しばらく行くと雁坂トンネルに入る。このトンネルは最近新しく貫通したもので、日本で2番目に長いものだとか。6kmを超える長さがある。有料だけど文句は言わない。その昔、5月の連休に雲取山から秩父縦走を試みて、途中で大雪に会い、山小屋に閉じ込められていた時、何人もの人が遭難してその小屋からも捜索の人が出かけて行った。それを見て、縦走を断念して山を降りてきたのがこのトンネルの上にある雁坂峠からだった。当時は、トンネルの建設の話など全く聞いたことがなかった。秩父と甲州を車であっという間の時間で行き交うなんて、想像もできないことだった。
6kmのトンネルはさすがに長さを実感する。今の時間帯は、殆ど車がないので、走行を独り占めである。やがて秩父側に出ると、一挙に山奥の新緑の渓谷が広がっている。甲州側も新緑は同じように全山を覆っているが、秩父の方は又少し違った感じなのは、谷のスケールが大きくて、現在建設中の滝沢ダムの工事用の道路や、巨大なループ橋などが緑と一緒に目に入ってくるからなのかもしれない。その姿は、自然を侵蝕する人間という動物の恐ろしい力を見せつけているようにも見え、ダム工事は必要なような、そうでない様な奇妙な感覚に囚われる。
幾度も曲折する道を走り降りて、三峰神社への入口を通過し、大滝村(今は秩父市)の道の駅を横に見て、しばらく行って左折して県道に入り、少し狭くなった道をしばらく走って両神村(合併で小鹿野町に編入された)の道の駅:両神温泉薬師の湯に着いた時は、9時を少し回っていた。
ここは我々のお気に入りの場所で、何度も泊り、お世話になっている。茨城県の守谷に越してからは初めての来訪だから、もう2年ぶりということになるのだろうか。以前と何も変わらぬ佇(たたず)まいである。温泉があるが、今日は無用。地産品の売り場は9時半オープン。ゆっくりしている。少し待って中に入り、ヨメナに良く似た野草の苗を一鉢買った。それで久しぶりの義理は果たしたことにして出発。
次に目指すのは、吉田町にある道の駅:龍勢会館である。ここに必ず立ち寄るのは、秩父の名水で作られる豆腐をゲットするためである。ここの豆腐は、五箇山豆腐とまではゆかないが、かなり堅い木綿豆腐なのだ。五箇山のよりは少し小さいが、それでも普通の豆腐の倍の大きさはある。2丁をゲット。あとはもう拓には用はない。邦子どのは野菜などを少々買っていた。
10時を少し回った時刻である。この分だと少し早く帰れるかもしれない。邦子どのの要望で、小川町にある道の駅に寄ることになっている。小川町は、埼玉県では有名な和紙の産地で、道の駅の構内に紙漉きの実習場や販売店があり、邦子どのは何やらの材料を仕入れる考えでいるらしい。ここは拓のサービス精神というか、邦子どのの希望・要望には逆らわないことが、家庭和平の源という心得の実践である。
R140を寄居の郊外で右折してR254へ。少し迷って遠回りをしたが、1時間ほどで小川の道の駅に到着。昼飯時までここで休むことにして、しばらくは自由解散である。紙のことは邦子どのに任せて、昼寝には早いので、拓は付近を探索に出かけた。特に目ぼしいものはなく、得るものは無し。
さて、これからは一挙に家までの行程を走り抜けるつもりで出発。これから川越郊外を通って志木に出て、さいたま市を通り抜け、春日部からR16に入って野田から左折して利根川と鬼怒川を渡れば3時間弱で家に着くという見当だ。天気は晴れではないが、まあまあだ。
略予定通りの進行で、埼玉大学の少し先あたりで渋滞に出くわした他は順調。しかし、その先、生理現象には勝てず、春日部からのR16からは横道となる、R4を少し行った所にある道の駅:庄和に寄って小休止する。周辺の田んぼの稲の苗は、すっかり定着して育ち始めている。僅か20日ばかりしか経っていないのに、この季節の植物の生長には驚くばかりである。毎日見ていると気づかないが、20日という時間差は、その違いをはっきりと教えてくれる。
再びR16に戻り、予定のコースを通って我が家に着いたのは、15時半だった。オッドメーターを見ると、70,399となっており、今回の旅の走行距離は2,513kmだった。
<旅を終えて>
18泊19日という旅の行程は、この頃目指しているくるま旅くらしの考え方からは、短い、短すぎるといわざるを得ない。旅に出れば、最低でも1ヶ月は旅の世界に浸りたいというのが願いである。
今回はそれが不可能ではなかったのだが、本の出版を控えて、再校の原稿持参の旅となったので、止むを得なかった。
しかし、何といってもTVの取材を受けたというのは、珍しい経験で、人生においてそう何度もあることではあるまい。6日間ではあったが、貴重な経験だった。TVの取材の有無に関わらず、人生の最後のステージ(?)において、自分にとって、旅が重要な役割を果たすに違いないと思っている。旅を通しての新たな出会いと発見の感動が、今までの人生の疲れを癒し、もう一度しっかり生きてゆこうという力を生み出してくれることは間違いない。TVの取材を通して、真面目にそのことをアピールしたいと思っていたのだが、果たして放映の結果は、自分の意図するところとマッチしていたのだろうか?うっかりすれば、暇を持て余した小金持ちが、夫婦で気ままな浪費の旅をしているに過ぎない、と思われてしまうのではないかと思う。ま、それは見る人の感性の問題であるし、また人生観の問題でもあるから、仕方ないとは思う。
佐渡は初めてだったが、表面を撫でただけの旅であっても、いい思い出を幾つか心に刻んだ。旅には歴史や文化などの知識や情報が不可欠だと思う。今度佐渡を訪れるのは、やはり6月がいいかもしれない。1ヶ月ほど滞在して能舞台を連日訪ねれば、それを通して佐渡の歴史がわかるに違いない。苦手な能と言う演劇も、かなり理解できるようになると思う。機会があればチャレンジしてみたい。
飛越信州の山々の新緑は、桜の優雅さとは又違った春の喜びを味わわせてくれた。都会には、多いように見えても緑は少ない。棲んでいる守谷などは、かなり緑の多い所だと思うが、それらの緑とは、格が違うように思う。身も心も鮮緑に染まり、消え去ろうとしていた生命の部分が、蘇えるような気がするのである。今年はいつもの北上や角館、そして弘前の桜を見ることはできなかったけど、滝桜を初め久保桜、大明神桜、そして念願の荘川桜を見、そして、そしてこの緑に染まることができて、いい旅だったと感謝している。(了)