少しオーバーなタイトルだが、くるま旅の楽しさを損なわせるものの一つに夜間の安眠妨害がある。人間は眠るという時間が不可欠の動物であり、生きながらえてゆくためには、睡眠は不可欠の要件のようだ。人間のみならず、他の動物たちも眠りが無いと生命体としての身体を保持してゆけないようである。
私の場合は、眠る時間帯は必ずしも夜とは決めておらず、眠くなったら寝る主義を取っているのだけど、旅に出ると昼間は良いとしても、夜間は電源の確保能力の観点から、眠くないといって一晩中起きているわけにはゆかない。それで、旅に出ると今までのやり方を諦めて、眠くなくても早めに床に入ることになる。
ところが、現代の日本列島は、トータル的には24時間眠らずに稼動しているようで、宇宙から見ると終夜光り輝いているのが判るというほどだから、その影響を受けないわけにはゆかない。24時間蠢(うごめ)いているというのは、光だけでなくそれと一緒に何がしかの音も発生させているということでもある。光の影響なら、厚いカーテンでシャットできるけど、音に関しては旅車のレベルではこれを遮(さえぎ)るのは困難だ。完璧な遮音装置のような車では、安眠は確保されても、別の問題が発生し旅どころではなくなってしまうに違いない。
というわけで、今回の四国八十八ヶ所巡りの旅の中でも、騒音という旅の天敵に何度も安眠を邪魔されたのであった。今回の旅の宿は、殆どが道の駅だったが、半分以上が何がしかの騒音に悩まされたのだった。
旅での騒音天敵には2種類がある。その一つは機械音であり、その代表的なものとしてトラックのエンジン音や発電機の音などがある。もう一つは、人声である。人の声はトラックのエンジン音に比べて大きさもボリュームも小さい筈なのだが、高低の差が大きく、発しているのがことばであるため、トラックの比ではない悪影響を受ける。今回の旅では、この人声の方により悩まされたと共に、今の世では、夜行性の人間が増殖していることを改めて実感したのだった。
国道55号線に沿って走ると、高知市から20kmほどの所に夜須町というのがある。現在は香南市となっている。この町にある道の駅は、直ぐ裏が海で、海水浴場をはじめ幾つかのレジャー施設が複合された総合レジャーランドといった中につくられていたのだが、そのようなことは知らずにいい所だなと一夜ご厄介になったのだった。
ところが、一眠りして目覚めた真夜中の1時頃になると、辺り構わぬ人声が飛び込んできて、もう朝になったのかと錯覚するほどだった。車の出入りが多く、バタン、バタンとドアの開閉音が遠慮なく響き渡り、声高の会話が飛び込んでくる。何だろうと外を見たら、なんと家族連れで夜の散歩に来ているのだった。夜のピクニックは、我が母校の年に一度の行事だったが、それほど楽しいものではなかった。しかし、この家族連れの皆さんは、おじいさんから孫たちまで、楽しそうに大声ではしゃいで海辺の散歩道に出かけて行った。普通であれば、小さな子供を夜中に連れ出すというのは考えられないことだが、今の世では、家族みんなが一緒になって同じ時間を楽しめるのは、このような時間帯しかないのか、と思った。
時間を有効に使い、家族の絆を強めるという姿勢は、一概に否定・非難は出来ないなと思いつつ、その夜は、その後の自分の時間を眠りの中に置くのは困難になり、あれこれと今日の社会事情や般若心経のことなどに思いをめぐらせながら、頭の重い朝を迎えたのだった。
くるま旅などというものが認知されていない今では、道の駅の駐車場の片隅に車を停めてその中に人が眠っているなどということが理解されるはずも無く、むしろそのような車の中で安眠を妨害されたなどと、ガタガタ言う奴の方がおかしいということになってしまうのかも知れない。
若者が夜中に集会所として道の駅を使っているという事実も、地方にゆけば行くほどそれが多いのを知ったのも今回の旅だった。若者たちが、お金を掛けずに集まって談合が出来るような場所が、殆ど無いという現実があるのかもしれない。無人風に見える道の駅は、絶好の夜の集会所となり得るのだと思った。
このように考えてくると、人声をくるま旅の安眠の天敵などということはうっかりいえないなと思った。
しかし、トラックの騒音に関しては、許すべきではない。騒音だけではなく排気ガスを伴っているのであり、この問題は早急に国として何とかすべき課題である。ブログの中でも何度も書いているので、もう理屈は言わないけど、トラック業界の我がまま、運転手の労働環境などという不正論などは無視して、わが国の環境問題対策として、早急に法規制を明確にしてもらいたいものである。