お断り:今回のシリーズ「へのへのの旅」は、来る16日に終了させたいと考えております。そのため、途中で一度に2回分を掲載することがありますので、予めご承知おきください。今日も2回分を掲載いたします。
第17日 <5月15日(火)>
道の駅:横浜 → 菜の花の丘(横浜町)→ 歴史民俗資料館(野辺地町)→ 道の駅:七戸(七戸町)→ (県道)→ 道の駅:小川原湖(東北町)(泊) <79km>
雲は多いけどまあまあの天気だ。今日はいよいよ楽しみにしていた小川原湖入りをする予定。小川原湖の道の駅を基地として、温泉を楽しみながらへのへのの旅の続きを行なうつもりでいる。小川原湖からは、七戸も八戸も五戸も六戸へも比較的近いから、それは十分可能なのだ。
朝食の後、まずは昨日宮さんにご案内頂いた横浜町の菜の花畑の様子を復習するつもりで、少し廻って見ることにした。昨日は夕方だったので、菜の花の色も暗くなってしまっていたが、朝の菜の花畑は、黄色というよりも黄金色に輝いている感じだ。1時間ほどぶらぶら見て廻り、途中の道端にアケビの芽があまりにもたくさんあるので、つい手を出してしまい、又かなりの量を摘んでしまった。アケビ君たちの誘惑が多くて、なかなか今年はこれで終りとはいかない様である。
横浜町を後にして、野辺地の方へ向う。野辺地はいつも素通りしてしまっているけど、今日は資料館などを訪ねてみたいと考えている。途中戊辰戦争の記念碑のようなものがあったので立ち寄った。見ると野辺地戦争の死者の墓所とあった。幕末、官軍側の弘前藩と幕府側の盛岡・八戸藩連合軍がここで戦って、攻撃を仕掛けた弘前藩側が40人の死者を出して敗走したということである。その後官軍が勝利を収めて、結局盛岡藩などは転封されて野辺地にはこれまた会津藩が転封されてきたわけであるが、勝利者側にあった弘前藩がこの地に死者の霊を慰めるべく墓所を作ったということである。
戊辰戦争で戦死した弘前藩側の墓と戦没慰霊の碑
実は以前から幕末の会津藩のその後について知りたいと思っていて、今日は町の歴史民俗資料館に行けば、何かそれを知る資料が見つかるかもしれないと期待していた。しかし、その資料館に入ってみた結果は、会津藩に関する資料は全くといっていいほど無かった。野辺地は南部藩の北方対応の前進基地としての代官所が置かれた場所であり、あくまでも南部藩の所領だったということがわかった。幕末の頃の転封など、ほんの一時期のことであり、会津藩が足跡を残すことなく、時代は急変しながら今日につながっているのであろう。会津藩の人たちは、慣れない北国の荒地の中で辛酸を舐めた暮らしぶりだったと聞くが、それを乗り越えてこの地に定住した人は少ないようだった。
野辺地町立歴史民族資料館:幕末の資料はほとんど見当たらず、基本的には南部藩の北方基地としての役割を示す資料が多かった
野辺地の後は、R4を南下して道の駅:七戸へ。この道の駅は何度もお世話になっている所だ。今日は平日だというのに駐車場は満杯に近く、裏の方にある広い駐車場もトラックなどの車が多く駐車しているので、何なのだろうと疑問に思った。特にイベントがあるわけでもないのに。とにかく車を停め、昼食休憩とする。
次第に空模様が悪化し、八甲田山を覆う黒雲から時々稲妻が光り、雷鳴が聞こえてくる。このままでは豪雨が押し寄せてくるのではないかと心配になり、早めに小川原湖の道の駅に行き、落ち着くことにした。途中飲料水や食材などの買物をした後、小川原湖方面へ向かう。少しゆくと何やら大げさな工事が行なわれていた。何だろうと思ったら、どうやら東北新幹線の工事らしい。この近くに新駅が出来るようだ。それで道の駅は混んでいるのだなと思った。近くに新幹線の道の駅が出来てしまったら、最早七戸の道の駅に泊るのは難しくなるのではないかと思った。列車の駅近くの道の駅では、落ち着いて一夜を過ごしにくくなるに違いない。チョッピリ残念な気がする。
小川原湖の道の駅に近づく頃、とうとう雷鳴とともに大粒の雨が降り出した。駅には14時頃着いたのだが、この雨ではどうしようもない。とにかく一先ず午睡とすることにしてベッドにもぐりこむ。邦子どのは、寝もしないでナンプレに熱中していた。16時近くになって目覚めた時には、雷は収まり小雨となっていた。温泉に行く前に昨日横浜の道の駅で買ったナバナ(菜花)と、今日採ってきたアケビの芽を茹でる。
この道の駅のある上北町(現在は東北町)の近くには、似たような温泉が6箇所もあるのだが、今日はその中の一つの玉勝温泉を選択。今回はこれらの温泉を順次楽しんで、ここに長居をしたい。玉勝温泉は、JRの上北町駅前近くにあり、道の駅からは車で5分ほどの距離だ。いい湯である。サウナも付いており、久しぶりに水風呂にも入って、シャキッとした。
JR東北本線上北町駅のすぐ近くにある玉勝温泉。宿泊施設も備わっており、庶民的な雰囲気の入浴施設である。
風呂から戻って宿泊の準備をしようと思っていたら、見覚えのあるバスコン(マイクロバスタイプのキャンピングカー)が入ってきた。去年北海道の美深のキャンプ場で、長期滞在をしていた土浦ナンバーの車である。我が守谷市の車は、新たにつくばナンバーが出来るまでは、土浦ナンバーをつけなければならなかったエリアである。要するにご近所なのだ。しかし今まで挨拶を交わしたことは無かった。
今回は先方からそのご主人が挨拶に来られたので恐縮した。嶋本さんとおっしゃるその方と少し話を交わした。嶋本さんは、何と冬は沖縄で過ごし、春になって鹿児島から北上して、これから北海道に渡るのだという。この間、家には寄っていないそうで、毎年このパターンで過されるという。1年の100%近い日をくるま旅くらしをされているご夫妻である。北海道は未だ寒いので、ここにしばらく滞在して調整しているとのこと。毎日近くの体育館などへ出かけ、体力づくりに励んでおられるようなことを話していた。又、温泉に無料で入れる旅の雑誌等も紹介して頂いた。以前美深で見かけた時は、自家製ビールなどを作っておられたが、今年はどぶろくに挑戦するのだという。面白い人だなと思った。今年も又美深で再会できるであろう。
雨も止み、その夜は静かに安眠を貪った。