山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘15年 佐渡一国を味わう旅 レポート <第23回>

2015-06-23 02:33:53 | くるま旅くらしの話

【今日(6/23)の予定】 

  道の駅:R290とちお → 道の駅:いりひろせ(魚沼市)→ 道の駅:奥会津かねやま(福島県大沼郡金山町) → 道の駅:尾瀬街道みしま宿(大沼郡三島町) → 道の駅:会津柳津(やないず)(河沼郡柳津町)→ 道の駅:会津坂下(ばんげ)(河沼郡湯川村)→ 道の駅:喜多の郷(喜多方市)(泊)

【昨日(6/22)のレポート】     

<行程>

 道の駅:国上(くがみ) → 燕三条地場産業振興センター → 道の駅:漢学の里しただ(三条市)→ 道の駅:R290とちお(長岡市栃尾)(泊)

<レポート>

今日からは本格的な帰路に入る。となると、もうこの旅のシリーズでは特に目的もなく、大して書くこともなくなる。一応、これからは新潟県の南部の山沿いの道を福島県の会津の方に向かって進み、もう一度喜多方の湯でも味わって、家に帰るつもりでいる。目的としては、まだ訪ねたことがない道の駅などを巡って行くことになると思う。

国上の道の駅は、朝方から雨が降り出し一時はかなりの強さとなった。昨夜はすぐ傍にトラックがやって来て、真夜中もエンジンを掛けっ放しの奴がいて、最近では珍しい悪質なドライバーだった。この頃はそのような人が減り、この業界も少しは改善が進んでいるのかなと思っていたけど、まだまだ個々人の心がけに依存する状況にあるのだろうなと思った。雨は7時くらいまでには止んで、青空も見え出したが、南の山側の方は厚い雨雲が垂れ込めて、穏やかならぬ形相の空だった。明日は会津への山道を辿ろうかと考えているので、あまりひどい雨の時は、思いとどまらなければならない。どんなものかと心配しながらも、今日は先ず燕三条の地場産業振興センターという所にある展示即売場で刃物を買い、その後はまだ行ったことがない道の駅:漢学の里しただに行き、更に今日はその近くの道の駅:R290とちおに泊ることにして、近くの温泉にも入って、旅の終わり近くをゆうくり過ごしながら明日の天気の様子を探ってその先を考えることにしようと決める。

国上の道の駅は、駐車場だけは立派で、それに温泉が隣接しているということだけは優れているのだけど、それ以外はまだまだ工夫が必要な場所だなと思う。トイレなどの基本設備は老朽化しており、来る度にレベルダウンがひどくなっているようだ。次回までに少しでも改善されることを願いながら、8時半過ぎ出発する。雨はすっかり止んで、青空が広がり出し、急激に気温が上がり始めたようである。燕三条の地場産業振興センターまでは30分足らずの近さであり、9時過ぎには到着する。

ここには何度か来たことがあり、我が家の包丁などの刃物の幾つかはここで買い入れている。今日は相棒が終生使えるようなぺティナイフとそれから評判の爪切りを買いたいとのことで、自分としては特に欲しいものはない。9時半の開店まで少し待って、展示即売場に入る。地場の中心産業である打ち刃物や食器類などの高級製品がずらりと並んでおり、見ていると欲しくなるものは限りがない。一本10万円を超える包丁なども並んでおり、いきなり相棒がそれを見て店の人に訊ねたりしているので驚いた。一生使えるのならまだしも、二生、三生も使えるようなものは買うのは遠慮して貰いたい。結局それはひやかしだったようで、ぐっと価格ダウンして一生もののレベルで収まったので安堵した。爪切りは評判通りの優れモノだったようで、高額なので迷ったようだったが、試し切りをして見てその素晴らしさに感動したらしく、意を決して買うことにしたようだった。孫への土産の小さなスプーンとフォークも買い入れた。1時間ほどのショッピングタイムだった。

その後はナビに従って道の駅:漢学の里しただを目指す。漢学の里という妙な名称は、この町出身の漢学の大家で「大漢和大辞典」などの編者でもある諸橋轍次博士に由来するものらしく、行ってみると駅構内に博士の記念館が建てられていた。しただというのは、下田と書き、それが町名だったというのを知るのには時間がかかった。実のところ大漢和辞典は見たことがなく、諸橋博士のことも知らなかったのである。折角だから記念館を覗こうと思ったのだが、行ってみると今日は生憎の休館日で、中に入ることはできなかった。下田町は、今は三条市に入っているけど、道の駅のある場所はかなりの山奥にあり、途中ヒメサユリの名所という案内板が何箇所かあり、自然の豊かな場所である。雪が解けた後の春にはヒメサユリを始め何種類もの野草たちが春を歌うのだろうなと思った。一度訪ねてみたいものである。

昼飯を構内の農家レストランで食す。天丼だったが、地元でとれた野菜類の天ぷらは、美味く、そして米も上等の味がした。昼食の後は、しばらく午睡を楽しむ。日射しはかなり厳しいけど、風が良く通って、気持のよい眠りを得ることができ満足。相棒はどこかへ行っていたようだ。14時半ごろ出発して、栃尾に向かう。栃尾市は合併して今は長岡市となっている。9年前に栃尾を訪ねた時に油揚げとアケビの芽を知り、感動したのを思い出す。栃尾の油揚げは、今は関東にも進出して守谷のスーパーでも販売されている。その本場の油揚げを今日は是非食べることにしている。そのためのネギも買い入れて用意している。下田から栃尾までは20km足らずの近い距離で、1時間もかからない。

R290を走っていると、栃尾エリアに入って間もなく、油揚げを製造している工場らしき建物を道脇に見つけ、そこで直売も行っているという案内板を見て車を停める。入って見ると、かなり規模の大きな所らしく、何種類かの油揚げを作っているらしい。標準的なものを買うことにした。栃尾の油揚げは大型なので、一人1枚あれば十分なのだが、3枚買い入れた。1枚150円である。地元価格だなと思った。これで、狭い町中で買う際の駐車場の悩みも解消したので、安心して道の駅を目指すことができる。

15時過ぎに道の駅に到着する。ちょっと駅舎の売店などを覗いた後、近くにある温泉に行くことにして移動する。1kmほど先に日帰り温泉施設の「おいらこの湯」というのがあった。9年前には無かったような気がする。「おいらこ」を「おいこら!」と読み違えてしまう。「いおらこ」というのは、「私たちの家」という意味らしい。相棒が売店の方に聞いてきた情報である。なるほど、と思った。その「おいらこの湯」は、極めて良心的な営業をされていてありがたく思った。65歳以上の高齢者の料金が250円と、半額なのである。設備も新しく気持が良かった。勿論温泉も源泉が54℃の優れモノである。嬉しい気分で1時間ほどの入浴を楽しませて頂いた。

16時近くに道の駅に戻り、錨を下ろす。我々の場合、錨を下ろすというのは、泊る覚悟を決めて一杯やるということである。少し早いけど、早速買っていた油揚げを取り出し、中に刻んだネギを入れて、フライパンで焼き始める。焦がさないように弱火で焼くのだが、早くビールにありつきたくて火を強めにしてしまい、やっぱり少し焦がしてしまった。評判になっている栃尾の道の駅で売っている醤油というのを先ほど買い入れており、それを油揚げに掛けて食べ始める。うめ~である。3枚買った内の2枚は焼いて、残りの1枚は半分こして自分は焼かないで食べることにした。こちらの方が素の味がしてより美味い感じがした。い加減な二人なので、今日はもうご飯を炊くなど面倒なことは止めて、夕食はこれで終わりとすることにした。

18時くらいまではどうにか眠りを抑えていたのだけど、とても19時まで持たせるのは無理で、その前にとうとう我慢できず寝床にもぐりこむ。相棒の方が元気なようで、何時まで起きていたのかは判らない。明日は会津の山里を走りまわって、明後日はいよいよ帰宅するかと思いつつ、あっという間の爆睡となった。

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