山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘15年 佐渡一国を味わう旅 レポート <第24回>

2015-06-24 04:56:53 | くるま旅くらしの話

【今日(6/25)の予定】 

  道の駅:喜多の郷 →(R121・県道・R49・R294)→(白河市経由)→ 道の駅:東山道伊王野 →(R294)→ 守谷市自宅  

 

【昨日(6/23)のレポート】     

<行程>

 道の駅:R290とちお → 道の駅:いりひろせ(魚沼市)→ 道の駅:奥会津かねやま(福島県大沼郡金山町) → 道の駅:尾瀬街道みしま宿(大沼郡三島町) → 道の駅:会津柳津(やないず)(河沼郡柳津町)→ 道の駅:会津坂下(ばんげ)(河沼郡湯川村)→ 道の駅:喜多の郷(喜多方市)(泊)

<レポート>

栃尾の道の駅は静かだった。寝る頃は、車は我々の一台きりだったが、その後数台が来て泊ったようだった。何しろ油揚げで大宴会(?)をやったので、TVを見る気も起らぬうちに睡魔が襲来して、あっという間のあの世行きだった。眠りの境の向こうは、あの世なのだと自分は信じている。人は毎日あの世に行って、元気を取り戻して、戻って来るのだとも思っている。

さて、今日は旅の最後の遊山ドライブを予定している。新潟すなわち越の国の山を超えて会津に入り、点在する道の駅の幾つかを訪ねながら、もう一度喜多方に泊って、明日は一気に帰宅するつもりでいる。天気予報は、会津地方やこの長岡エリアも雨で、局所的には雷や大雨が予想されるとか。空を見上げてもそのような気配は微塵もなく、青空が広がり始めているのに、何と場違いな予報なのだろうと思った。相棒は早や少しビビリ出している風だったが、それを無視して今日はどうしても予定通りのコースを行こうと思った。というのも、今日のコースはまだ一度も辿ったことがなく、随分昔から一度通って見たいと思っていたからである。

朝ドラを見終えた後、直ぐに出発する。天気はますます晴れの兆候を示していた。先ずは最初の道の駅:いりひろせ(=入広瀬)に向かう。ここは九年前の5月初めに一度訪れたことがあるのだが、その時はまだ雪がかなり残っており、すぐ傍の小さな湖も凍りついたままだった。その先に行くのは危険だと判断し、引き返したのを覚えている。当時は村だったのだが、今は合併して魚沼市となっている。このような市の形が全国にたくさん誕生したのが平成の大合併策だったと認識している。行政の効率化には功があったのかもしれないけど、何だかこれによって日本の懐かしい部分がかなり削ぎ落とされてしまった感じがする。20分ほどで入広瀬の道の駅に着く。まだ店は開店前で静かである。勿論雪などなく若葉に囲まれた鏡池が静かに光っていた。一息入れて直ぐに出発する。

ここから先は初めての道である。国道252号なのだから、まさか離合困難な道などではあるまいと信じての通行だった。途中、相棒が川の中に融けきれない雪が残っていたのを見た、などとのたまわっていたが、まさかそれほどでもあるまいと信じないことにした。道は次第に山の中に入って行き、急な坂を上りはじめた。小一時間ほど登った所が峠で、六十里越峠というらしく、眼下に奥只見のダム湖が青く深い色を湛えていた。近くの山には雪渓の白い筋が何本も見え、遠くには尾瀬の燧ケ岳らしき山が構えているのが見えた。峠にはこの道の開道を記念しての、当時の総理の田中角栄氏揮毫による石碑が建てられていた。「会越の窓開く」と会った。この近くには、現在トンネル掘削中の八十里越峠というのもあり、地元ではその開通が待ち焦がれているようだ。六十里とか八十里とか聞くと、何年か前に読んだ戊辰戦争の会津の立場を中心に書かれた「会津士魂」のことを思い出す。読んでいただけではこの峠の厳しさは解らない。ここへ来て見て、初めてその戦に係った人たちの厳しさが少し解るような気がした。その雄大な眺めをしばらく楽しんだ。

  

六十里越峠の展望台から南方を望む景観。何という山なのか知らないけど、沢には雪が残っている。下方は田子倉湖。全体が霞んでいて、雨の予報は全くの見当違いだった。

坂を下って、間もなく只見の町中に入る。ここにある電源開発による水力発電所は、その昔自分の父親が仕事で出張して据え付けた発電機がある筈の場所だった。まだ小学生だった頃に、1カ月近い出張から戻った父から聞かされたのを思い出す。只見という所が、とてつもない山奥で、不便な所なのだと、父親が強調したので、頭の中に刻印されていたのである。ずっと、どんな所かと思っていたのだが、来る機会がなかった。今日来て見ると、六十里越峠を越えて来たせいか、それほど山奥という印象はなく、それなりに拓けた所だと思った。もう半世紀以上が経って、すっかり様相が変わってしまったのであろう。その発電機はまだ健在なのか、それとももうとっくの昔に寿命を終えてしまっているのか、知るすべもない。親父は既にあの世に旅立ってしまっている。

その後は再びR252を走り続けて、間もなく道の駅:奥会津かねやまに到着。売店などを覗いたが、特に目立ったものもなく、一息入れてから出発する。R252道沿いには、ダム湖あり、渓流ありで、それが右に見えたかと思うと、今度はたちまち左側に見えたりして、飽きない景色が続いていた。間もなく道の駅:尾瀬街道みしま宿に着き、ちょっと中を覗く。何処も同じような品揃えで、特に欲しいものもなく直ぐに次に向かう。次は会津柳津という道の駅だったが、ここも同じ感じだった。ちょっと目立ったのは、郷土民芸品の会津の赤べこくらいか。もはやこの年になっては、それを買う思いもない。直ぐに出発して、間もなくR49に入り、会津坂下の道の駅:あいづに着く。ここでしばらく休憩する。

もうすでに正午を過ぎており、昼食の時間なのだが、今日はもう一度会津のソースかつ丼を食べておこうと、前回寄った十文字家に寄ることに決めている。まだかなり混んでいるはずで、駐車は困難と予想して、しばらく駅舎の売店などを覗いて回った。30分ほど経って、十文字家に向けて出発。予想は違わず上手く駐車スペースを確保することができた。今日は、自分は磐梯カツ丼というのを、相棒は前回と同じヒレカツ丼をオーダーした。磐梯カツ丼は、勿論地元の名峰会津磐梯山に因んだ命名で、何と4切れもの大型のカツが載って出て来た。一度に全部平らげるのは無理と解っており、2切れが限界である。残ったのはテイクアウトして今夜のおかずとする。2食分でも余るほどのボリュームだった。大いに満足して店を出る。

今日は喜多方の道の駅に泊る予定なのだが、その前に相棒の要請で、コインランドリーがあったら、洗濯を済ませておきたいとのこと。探しながら行ったのだが、なかなか見つからない。旧道の方は諦めてバイパスの方に行ったら、ようやく発見した。相棒が覗いて見てOKということなので、車を駐車場に入れて、それから2時間ほどは洗濯の終了待機時間となった。洗濯が終わりかける頃に、近くの山の方から雷鳴が轟くのが聞こえ出して来た。今日は雨の予報だったが、今までのところは雨どころかとんでもない上天気で、気温は30℃近くになっており、蒸し暑さに辟易しながら外れた予を呪っていたのだが、ここへ来て急に予報に従うべく天が気を変えたらしい。涼しくなるのはありがいけど、雷だけは止めて欲しものだと思った。

16時近くようやく洗濯が終わり、道の駅に向かって出発する。空はますます険悪になって来ていて、黒雲が奔る間隙に雷光がキラめき轟音を発していた。途中給油に立ち寄ったのだが、終える頃にとうとう雨が降り出した。道の駅に着いた時は豪雨になりかけた雨の中だった。いつもの場所に車を停めて、しばらく騒ぎの収まるのを待った。時々直ぐ近くに落雷の轟音が響き渡り、肝を冷やす状況だった。車の天井が妙な音がするので外を見たら、何と雹が降って来ていた。大きい奴だとソーラーをやられるかもしれないと心配したが、大したこともなく直ぐに雨粒に代わって安堵した。30分くらい雷鳴の中を断続的に降る雨に悩まされ脅かされたが、17時を過ぎると一段落したらしいので、温泉に入ることにした。今、ここの温泉施設は一部に不具合があるらしく、17時からの入浴料は150円となっていた。真に良心的な営業である。温泉でなくてもこんな料金で入れる風呂はめったにない。1時間ほどで車に戻る。もう先ほどの騒ぎはすっかり収まって、空には少し膨らみ出した月と宵の明星が輝き出していた。最近の天気予報は大騒ぎすることが多いけど、自分が子供の頃の夏といえば、毎日この程度の夕立があったものだと思い出す。しかし、このような性質の悪い夕立は少なく、もっとあっさりしていたように思う。

一雨あって、少し涼しくなったところで、今回の旅の最後の晩餐が始まる。昨日は油揚げだったが、今日は昼の残りのカツである。何と豪華なことか。めったに肉を食べない自分には珍しいことなのだ。相棒に呆れられながら、一杯やって、少しの間、鬼平犯科帳の再放送番組を見て寝床に入る。鬼平犯科帳はどの放送分でも全てストーリーは既知のことなのだが、それでも飽きることはない。原作者の池波正太郎先生のファンなのだ。役者が誰であっても構わないし、鬼平だけに注目しているわけでもない。テーマとその表現の間合いのようなものが自分を引きつけて止まないのだ。池波先生は、人間の人情心理というものの把握描写の超達人だった方だと思う。そんなことを考えながら眠りに着く。明日は久しぶりに本物の孫の顔を見ることができる。今までは持参した「オイシィ~」の写真を見るだけだった。安全運転で行こう。

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