【昨日(12/06・日)~最終日のレポート】
<行程>
駿河湾沼津SA →(新東名道・東名道)→ 足柄SA →(東名道)→ 海老名SA →(東名道・首都高速道・湾岸道)→ 習志野IC →(R14他)→ 母見舞→(R16他)→ 自宅 走行217km
<レポート>
天気:晴後曇り
いよいよ旅の最後の日となった。今日は家に直行するのではなく、千葉の相棒の母を見舞い、それから家に向かう予定である。
駿河湾沼津SAの一夜は快適だった。新東名道のSAに泊るのは初めてだった。ここはトラックと一般車の駐車場所が別れて造られており、夜間の騒音も少ない。駿河湾を眼下に一望できるロケーションは、この路線随一の眺望を誇ると言っていいと思う。朝の日の出ごろは、少し雲がかかっていたが、光り眩しい広がりの空間は、それでも素晴らしい眺めだった。人気の場所らしく、昨夜はかなりの車がここで一夜を過ごしたようである。
9時半過ぎ出発。御殿場からは元の東名道に入り、箱根近辺の長い坂を下って、小田原、厚木を過ぎて海老名SAで一息入れ、東名道の終点を過ぎ首都高へ。久しぶりに都心を通り抜けて、湾岸道に入り湾岸習志野ICで下りて、一般道へ。その後昼食などを済ませ、14時過ぎ母のお世話になっている特養老の施設に。10月末の訪問から1カ月余り経っての再訪だった。熊野の神々に何度も願ったのだが、母は依然寝たきりの状態で、それを見るのは哀しかった。十数年前には母も一緒に西国三十三観音めぐりをしており、今回の旅ではその第一番の那智の青岸渡寺を訪れている。複雑な思いで施設を後にする。
そのあとは、ひたすら家路を辿る。途中で最後の給油を済ませ、家に着いたのは、16時20分だった。孫たちが笑顔で迎えてくれた。1カ月近くも留守にしたので、知らぬ顔をされたらどうしようと思っていたのだが、安堵した。一先ずの荷物運びが終わったのは19時近くだった。整理などは明日に回すことにして、旅の錨を下ろすことにした。
23日間、走行3,187kmの旅だった。熊野の神々とそれを訪ねた平安の昔からの人々の心が、何を求めていたのか、それなりに少しは解ったような気持になってはいる。未だ、戻ったばかりでそれらについての整理は出来ていない。追って、まとまったら報告することにして、しばらくはブログを休み、年末にかけての諸々の仕事に取り掛かることにしたい。一先ず今回の旅のレポートを終わることにします。
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