山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

新しい道の駅・常陸大宮川プラザ

2016-04-18 05:40:35 | くるま旅くらしの話

  昨年の春の終わりごろだったか、我がふるさとの常陸大宮市のどこかに、新しく道の駅が生まれるという話を知った。その後、近くを通る折りに覗いた時は、整地が終わりかけている時期らしく、建物も敷地内の様子も判らず終いだった。それでも、ようやく我がふるさとにも道の駅ができることがはっきりしたので、それとなく嬉しくなった。

 私が生まれたのは茨城県の日立市なのだが、戦災で我が家は跡かたも無く壊滅し、そこに住むことを諦めざるを得なくなった両親は、母の実家近くに入植者を募る開拓地があるのに応募して、現在常陸大宮市となったその地に骨を埋める決断をしたのだった。そこで育った私たち弟妹には、そこがふるさととなった。5歳頃の記憶は朧(おぼろ)だが、掘立小屋から始まった暮らしの厳しさは、今でもそれとなく思い出すことができる。往時は村だったその場所は、やがて合併で町となり、とうとう平成の大合併では2町2カ村が集まって市ということになってしまった。その頃、70年後に市となっているのを予想した人は皆無だったのではないか。

 その故郷を巣立ってから早や半世紀が過ぎて、市となったその域内に新しく道の駅ができたのである。車で旅をしていなかったら、別にどうってこともない出来事なのだが、全国各地で様々な道の駅にお世話になって来た身には、我がふるさとに道の駅ができたことは、望外の喜びなのである。

 先日福島県は三春の滝桜を観に行った帰り道、国道118号線を南下して福島県から茨城県に入り、袋田の温泉エリアを脇に見ながら通過してしばらく走ると、その新しい道の駅に立ち寄ることができた。たいへんな盛況だった。平日なのに広い駐車場には車が溢れていて、整理するガードマンの人たちは大汗をかいていた。駐車が叶わなかったら、寄るのは諦めようと思ったほどの混みようだった。丁度昼時だったので、立ち寄る人が多かったのかもしれない。運よく駐車出来たのはラッキーだった。

 道の駅がどんな様子なのか、それからしばらく歩き回って確かめることにした。駅舎は平屋で、大きなアーチ型の大屋根の下に地産品売り場やレストランなどがかなりのスペースで用意されていた。昼食をと考えたけど、大勢の人たちが列を作って並んでいるのを見て嫌気がさし、手軽な弁当類で済ませることにした。どうも並んで待つという習慣には馴染めない。未だオープンしたばかりなので、物見高い人たちが集まり過ぎているのかもしれない。もう少し経って騒ぎが収まったら、改めてゆっくりどんなものが提供されているのかを味わいたいと思った。

     

道の駅:常陸大宮川プラザのメイン建物の様子。大きなアーチ型屋根の建物の中には、物産館をはじめレストランなどがあり、賑わっていた。

 本館の建物の裏側には久慈川が流れていて、その流れに届くまでには200m以上もあるのだが、その川原や土手がきれいに整地されていて、親水公園となっていた。土手には、ほんの少し前に植えられたのであろう芝桜が、未だ生えて来ない芝を待つかのように大地を鮮やかなピンクに染めて咲いていた。芝の緑が生え揃って、久慈川の清流まで足を運べるようになったら、大人にも子供たちにも喜べる素晴らしい場所となるだろうなと思った。

     

道の駅の裏側の方は親水公園となっており、清流久慈川に連なっている。もう少し時間がたつと、この環境は価値を増すに違いないと思った。ふるさとがこのような形で発展するのを願うのは人の情というものであろう。

 その後未だ芝生が動き出してない小さな広場の脇を通ってその向こう側へ行くと、そこは体験農場と書かれた畑地で、ビニールに覆われた中を覗くと、何やらキャベツやブロッコリーの仲間らしい植物が列をなして植えられていた。体験農場とは一体どんなものなのだろうかと、ふと疑問が芽生えた。ただの収穫時だけの体験をさせるだけなら、農業の本当の姿を味わえないのではないか。どうか、それだけの興味本位のやり方ならば、大げさに体験農場などと喧伝して欲しくないなと思った。

 何はともあれ、立派な施設を備えた道の駅が出来上がっており、この後が楽しみである。市の紹介によれば、この道の駅は国交省の重点道の駅に指定されており、それは全国に38カ所あり、茨城県ではこの道の駅一つだけとのこと。大いに期待に応えて発展して欲しいと思った。

 ところが、帰りの車の中で傍の相棒がしきりに言うのは、商品の品揃えのセンスが悪く、その選定も陳列の仕方も抜けが多いという。あまりにしつこく悪態を並べたてるので、ついに「うるさい!己(おのれ)は我がふるさとを侮辱するのか!」と怒りの怒声となった。「その昔なら、おのれ、そこへ直れ!そっ首たたき落としてくれる!」ということになったのかもしれない。相棒から見れば、ほんとのことを言ったつもりなのだろうけど、あまりにもそれを聞かされている相手のことを無視しての発言は、水戸っぽの端くれであるのを自認している自分の怒りを止めえなかったのである。

 ま、その後は一時の怒りも収まって、しばらく無言の道行きとなったのだが、ふるさとの道の駅の存在は、これからも何かと気になることであり、時々立ち寄って必要ならばモノ申すなどして、更なる発展に寄与できればと思った。

 

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