山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

三春は桜源郷

2008-04-24 02:18:35 | くるま旅くらしの話

一本の桜の老樹が、小さな町をこれほど有名にしている所はない。「三春」といえば、「滝桜」というのが、私の頭の中の連鎖反応である。他にも三春駒などのことばも思い浮かぶけど、三春といえばやっぱり滝桜である。

三春は江戸時代が終わるまで、小さいながらも城下町だった。秋田家が領する五万石の大名の支配下にあったが、秋田家以前は三万石だったというから、土地の状況からは、三万石の方が実態に合っていたような気がする。小さいながらも、まとまった国だったように思う。

三春という呼び名には、格別の美しさを感ずる。春が三つという意味は、実は春というのは、その季節を代表する三つの花を指しているらしい。すなわち、梅花、桃花、桜花である。この地ではこれらの花が一度に咲き出すという。順番ではなく、何れも一挙に花開くのである。北国では、よく聞く話ではあるが、それを地名に織り込んだ場所はここだけではなかろうか。地に住む人々の花に対する、春に対する想いが自然と伝わってくる名である。

この地に今頃行くと、これら三つの花の中では、圧倒的に桜が目立つ。至る所に紅枝垂れを初め何種類かの桜花が咲き謳(うた)っており、一帯は桃源郷(とうげんきょう)ならぬ桜源郷(おうげんきょう)の趣(おもむ)きがある。それだけ桜の木が多いということなのであろう。勿論、その名のとおり桜以外にも梅の花も香りを放ち、桃の花も咲いているのに気がつく。間違いなく三春である。

  

 梅の花は、さすがに咲き残っているものは少なくなっていたが、桃の花の方は、これからが本番を迎えるという感じだった。

今年も滝桜が見たくて、この地をお邪魔した。日本三大桜と呼ばれるものに、根尾の薄墨桜、武川の神代桜、そしてこの滝桜が挙げられている(別の取り上げ方もあるようだけど)が、私はこの三本の中では、滝桜に一番の逞(たくま)しさを覚える。何れも樹齢千年を超えるといわれているが、滝桜の逞しさ、力強さは、一等上のように思う。逞しいとはいうけれど、その逞しさは男の側のものではない。女性の側のものである。それは、この木が紅枝垂れという美しい品種であるからだ。滝のように花がこぼれ咲くというところから、滝桜の呼び名が自然と発せられるようになったと聞くが、まさにその通りだと思う。人々のこの桜を見る思いは、皆同じだったのだと思う。逞しい女王の貫禄を示して充分である。

  

今年の、今日の滝桜の姿。満開を少し過ぎているけど、平日の今日も万単位の人たちが訪れて、その美しさを堪能していた。

今は直ぐ近くがダム湖となってしまった山間(やまあい)で、簡単にやってこられる道が通じているけど、江戸の時代頃は、この辺はかなりの山の中という印象だったから、恐らく現代で言えば、屋久島の縄文杉のような存在として、滝桜は崇(あが)められていたに違いない。千年を超えるような生き物に対しては、人間は崇敬(すうけい)の念を抱くのが当然であろう。そのようなことを無視したバカ者といえば、日本の歴史上最大の成上がり者である太閤秀吉しかいない。彼が屋久島の杉などを伐り取らせた話は有名だ。桜の木がバカ者の対象でなくて良かった。

滝桜は、三方を丘に囲まれたその中心にあって、北風を避け、日の光を一杯に受け止めることが出来るポジションに在る。何という天の配慮なのかと思う。良くぞこの場所に生を受けたと思う。この場所であったればこそ、千年の齢(よわい)を重ねても尚逞しさを保っておられるのではないか。生命(いのち)には、どうやら天の配慮というものが大きく関わっているらしい。滝桜には、このあとも更に千年以上その天の配剤を受け止めて生き続けて欲しいなと思った。

 

滝桜と付近の景観。桜源郷の趣がある景観が広がっている人々は一時の癒しの時間を求めてここへやってくる。我もまた同じ。

滝桜保存会の記念碑が印象に残った。いい詩である。

  耐雪堪風幾百年

 千枝万葉盛依然

 滝桜花麗人歎賞

 老樹之名永劫伝

※ 昨日まで2日かけて滝桜見物に行って来ました。幾つか感じたことをこのあとも掲載させて頂きます。

 

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