山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘13年 北陸・関西・東海ほか回遊の旅レポート <第14回>

2013-06-05 07:25:16 | くるま旅くらしの話

【今日(6/5)の予定】 

  道の駅:田原めっくんはうす →(R259・R42)→ 道の駅:  →(R42・R1)→(浜松市他通過)→(R1・R473)→ 道の駅:川根温泉

 【昨日(6月4日)のレポート】   

<行程>

刈谷ハイウエイオアシス →(湾岸道)→ 豊田南IC →(R155・R247)→ 常滑焼卸団地 → 常滑陶磁器会館 →(常滑やきもの散歩道散策)→(R247)→ 知多半島一周 →(R247他)→ 西尾市内・入浴施設 →(R23他・R259)→ 道の駅:田原めっくんはうす(泊) 

 <レポート>

 昨日は思わぬ二人の気まぐれから、早々に先に行くのを取りやめ、ハイウエイオアシスとも呼ばれる刈谷のSAに泊ることとなったが、覚悟していたとはいえ、夜間のトラックのエンジンの振りまく騒音には閉口した。以前よりは大分に音の量も質も少なくなって改善されてはいるけど、すぐ隣に突然やって来て、長時間ガナリ続けられると、いったん目が覚めてしまったらもう一度眠るのは相当に困難だ。なるべくトラックの来ないような場所を選んだつもりなのだが、その魔手を逃れることはできなかった。それでも十二分に眠りを獲得しているので、頭の重さなどはない。

 今日はいよいよ知多半島を巡る日である。日本には数多くの半島や岬が存在するけど、大きい半島の殆どは訪ね終わっていると思っている。ところが愛知県は名古屋の近郊の知多半島にだけはまだ行ったことがなかった。この半島の東側の渥美半島には何度も行っており、おいしい野菜や果物類が豊かに稔る地であることを承知している。今回も知多半島の後はぜひ訪ねたいと思っている。知多半島といえば、常滑焼のある所。常滑焼といえば急須、ということくらいしか知らず、まだ実際に訪ねたこともない。先日TVを見ていたら、日間賀島や篠島などのことが紹介されていて、それを見ていてぜひ一度は行って見たいなと思ったのだった。知多半島は名古屋に近く、つい通過してしまって、くるま旅の対象から置き去りにしてしまいがちな場所のようだ。全国くまなく旅をしようなどとは思っていないけど、置き去りにしている重要な場所があってはならないとは思っている。知多半島がその一つであることは間違いない。どんなことになるのか楽しみである。

 今日はいい天気だ。朝から青空が広がり、梅雨に入っているのを忘れさせるほどである。そういえば、梅雨入り宣言を聞いて以降一度も雨が降っていない。今年も番狂わせの異常気象となりはせぬかと心配である。ま、とにかく旅の間は、なるべく晴れて頂くに越したことはない。出発準備を終えて、8時半過ぎ常滑方面へ向かう。伊勢湾岸道からは、すぐに次の豊田南ICで降りて、その後は一般道を行くのだが、この辺りの道は地図を見ても複雑過ぎて、どの道をどう行ったらいいのかが極めて解りにくい。とにかくナビ任せとすることにした。このナビも少し古いので、新しい道に出くわすと怪しげな案内となる。持参している地図は15年も前のものなので、ナビとはいい勝負なのかもしれない。ま、どんなに迷っても海外に行ってしまうことはないので、その点は心配ない。と、まあ、そんな心境での進行だった。

 知立から東海、そして常滑の案内板が見えてきた。合併で新しい名称となった地域は、高齢者には何とも分かりにくい土地である。今回は合併前の旧称の書いてある資料を持参しなかったので、地名が新しいのか古いのかも良く解らない。R155はバイパスの部分が多くて、高速道並みの走り易さだった。順調な流れのまま常滑の市街地近くになった。何かしら焼き物の案内板や店などがあるのではないかと期待して行ったのだが、すぐに焼き物卸団地という案内板が目に入り、真っ先にそこへ行って見ることにした。9時半くらいだったので、まだ店は開いていないのが殆どだった。そこは街中からは少し離れた場所に新しく造られた施設の様で、焼き物を作る窯などはなく、製品の流通基地の様な感じの施設だった。卸だけではなく、幾つかの小売りの店も並んでいた。何しろ初めて来る場所であり、名前につられてやってきただけという訪問なのである。常滑焼といえば朱泥の急須のイメージが強くて、その他にどのような焼き物の製品があるのかさっぱりわからない。卸団地の店の内外を覗いて判ったのは、やはり急須が一番有名の様で、その他は比較的大型の壺や鉢類、それに目を惹いたのは招き猫や蛙などの置物の類だった。庶民の暮らしに密着して使われるようなものが多いのは、どこの焼き物の町に行っても同じであるのは当然なのかもしれない。折角来たのだからと、ポケットマネーを叩いて急須と酒の徳利を買う。相棒は慎重のようだった。店の人に常滑の街の様子を教えて頂き、陶磁器会館というのがあり、そこの駐車場に車を置いて、散策のコースがあるので歩いて見てはと勧められた。さっそく行って見ることにした。

 陶磁器会館が見つからなくて、二度ほど同じ道を通ったりしてイライラした後、ようやく見つけて車を止める。絵図の様な案内図というのは、毎度のことながら自分の都合のいいように考えて見てしまうので、戸惑うことが多い。辿り着いてみると、なあんだということなのだが、迷っている間は呪いの言葉ばかりである。陶磁器会館の駐車場は、土・日休日は有料らしいけど、今日は平日で無料、ラッキーだった。その後は、3時間余り焼き物関係の建物や店などが点在する「常滑やきもの散歩道」というのをじっくり歩いて回った。

 常滑の街は海に近く、平地が多いようだけど、その昔からの焼き物の生産工場(=窯)のあったのは、小高い丘のような場所で、そのあまり広くないエリア一帯に幾つもの窯が点在していた。それらは細い道でつながっており、家々もその道の脇に密集して建てられている感じがした。散歩道はそれらの生活の道であり、うっかりすると袋小路に行き当ってしまいそうな道ばかりだった。それは尾道の崖の様な場所に密集する家々の中を縫う細道を思い出させたり、長崎の同じような風景を思い出させる景観だった。違うといえば、勿論ここは古くからの焼き物の街であり、道脇の家々の壁や道路わきの石垣などの場所が、壺や土管などの焼き物の残物(?)などできれいに整備されていることである。これは備前焼の町にも通じる景観だった。幾つかの現役の窯もあるようだったが、その規模はあまり大きくはないようだ。50年くらい前までは現役だったらしい巨大な登り窯があったが、今まで見たこともないようなズングリムックリのスタイルで、何本もの煙突を立ち並べていたのには驚かされた。土地々々によって、使われる窯の形も変わってくるのだなと思った。作品や製品を販売している店も幾つかあり、その中のノベリティ(=記念贈答品?)用の小物を製作販売しているお店があり、店内にたくさんの可愛い小動物や人形などが並んでいた。相棒はその店で鉢受けなどに使える小さな皿を買っていた。何やらのお土産にするのだとかで、多量に買い入れていたので、他のお客さんからは仕入れに来ていたと勘違いされていた。自分はその後この荷物の運搬役を仰せつかり、熱暑の中の細道を30分以上も歩かされたのだった。

   

土管と甕の埋め込まれた塀が続く、常滑やきもの散歩道の景観。このような風景が随所に見られた。

 一旦車に戻り、一息入れる。既に12時を回っており、昼食の時刻となっていた。まだ、この街の観光名所となりつつある「とこなめ招き猫通り」というのを見ていない。卸団地の方から聞いた話では、陶芸作家の方たちが作られた招き猫の作品が並んでいるとのことだった。これは一見に値するものだなと思っていたので、昼食を兼ねてそれらを見ることにして出発する。陶磁器会館から町の中心街に向かう道を少し歩くと、道の左側がコンクリートの壁になっており、その壁に幾つもの招き猫たちが、思い思いの姿スタイルで、我々を迎えてくれた。作品の一つ一つに、そのテーマと作者の名前が紹介されており、それらの焼き物の焼き方なども皆一工夫あって、面白い。それらの全作品を一個ずつカメラに収めた。全部で40作品が展示されていた。この後もこのようなアイデアを広げて頂いたらいいなと思った。

   

常滑市・まねき猫通りの景観・どれも個性的な猫たちであり、ぼけ封じやガン封じなど、生活のあらゆる部分からのテーマで猫君たちが、我々に幸運を招こうと頑張ってくれていた。

 その後、なぜかやきもの散歩道の中にあるうなぎ屋さんに入ることになり、久しぶりでうなぎ一匹丼というのを食して、旅の英気を養う。満腹になって満足して車に戻り、14時ごろ南知多方面に向かって出発する。この先のことは常滑以上に全く何があるのかもわからない。先日家族に乾杯の番組で、鶴瓶さんが半島の先にある日間賀島などを訪ねていたのを見て、時間があればちょっと船に乗るのもいいかなと思っているくらいである。また、泊りに向いた場所があれば、一泊してもいいかななどとも考えている。

 ということで、南知多町の方を目指したのだった。先ずは相棒が郵便局に用があるというので、それを探しながら走っていると、美浜町という所に見つけて用を済ます。その後はひたすらに走り続けて、南知多町の師崎という所に着く。ここは日間賀島の方へ行くフェリーの乗船場のある所である。ここまで来る途中で気付いたのだが、この辺りは完全に観光化されており、民宿レベル以上の観光ホテルやリゾートマンションなども多いのだ。30階建以上の高さの建物もあり、驚かされた。これじゃあ、ゆっくり車を停めて昼寝するようなことは無理だろうと思った。その予感は的中して、師崎のフェリー乗り場は超混雑しており、車をちょっと停めてフェリー乗り場の様子を伺うことすら無理だった。かろうじて一方通行の車通りを一回りして元のR247に出て、半田市方面に向かう。今日は知多半島をぐるっと素通りしての下見の様な按配となった。

 ダメ元のつもりでやって来ているので、文句はない。今日の宿をどうするかは未だ決めていないのだけど、その前に風呂に入りたいので、温泉博士に載っている西尾市内にある「6・4の湯」という所へ行って見ることにした。半田市辺りからは中京工業地帯に入るのか、所々に発電所の高炉煙突や怪しげな煙を吐き出している工場などが多くなってきた。これらの煤煙に弱い相棒はハンカチの上にマスクを掛けて超用心の対策を講じていた。16時過ぎ迷いに迷って、ようやくその浴場を探し当てた。ナビならば電話番号が判れば、一発でガイドしてくれるはずなのに、我が車のナビは、電話番号検索の機能は付いているのに、かつて一度も電話番号で行く先を示したことはない。地図は古いし、車を停めてネットを見るのは面倒だし。さりとて、住所が判っているのに、ギブアップするのは癪だし、と頭の中は惑乱する。しかし、試行錯誤で走り回っている内に、何とか地名を探り当て、目的地にたどり着くというのだから、考えようによっては、これはバカみたいに面白い。とまあ、ようやく入浴の願いは達成されたのだった。

 時刻は18時近くになっており、ここからは比較的近くにある道の駅:筆柿の里・幸田というのに御厄介になろうと出発する。ところがここはナビの道の駅には登録されておらず、とにかくR23を目指せばいいと、その方向に車を走らせたのだが、探し当てたR23は高架の上を走っていて、入口が判らない。ようやくそれが判った時は既に18時半近くになっていた。R23の岡崎バイパスは、高速並みの自動車専用道路である。あっという間に道の駅に着くはずだったのだが、何と道の駅は通行方向の反対側に造られているのである。これだと、一旦降りて、反対側の入口を探さなければならない。如何にも面倒くさいし、それに見た感じでは高速道のPAのような状態で、トラックも多数停まっていた。これじゃあ、安眠は無理だなと思った。それで、少し遠くなるけど、何回か泊っている豊橋の先の渥美半島の中にある道の駅:田原めっくんはうすまで行くことに即断する。この道の駅はナビにも登録されており、予定では19時半ごろの到着と表示された。

 その後はナビの指示に従って、ひたすらにR23を走り続け、豊橋郊外からR259に入り、19時半過ぎ無事目的の道の駅に着く。今回の旅の中では最も遅い到着時刻となった。とにかく寝るのが肝心。TVは止めて、軽い食事の後は直ぐに寝床にもぐりこむ。 

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