山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

清澄寺を訪ねる

2010-05-22 03:41:03 | くるま旅くらしの話

先日房総を訪ねた時の話です。清澄寺(せいちょうじ又はきよすみでら)というのをご存知でしょうか。清澄寺は鴨川市の天津小湊から北へ5kmほど坂道の県道を登った所にある名刹です。天津小湊のすぐ近くに安房小湊がありますが、ここには有名な誕生寺があります。日蓮上人縁(ゆかり)のお寺です。清澄寺は、その日蓮上人がまだ少年の頃に、最初に入ったお寺であり、得度した所でもあるということです。

日蓮という方は大変個性の強い方で、信念を曲げなかったために、何度も法難といわれる災厄に会われた方ですが、日蓮宗を今日につなげる確たる基盤を作られたということでは、大変なパワーの持ち主だったといえると思います。千葉県出身では、最も著名な人物として挙げても良いような気がします。一般的には日蓮といえば、その人生において初めよりも終りの方がより影響力が大きかったこともあり、身延山の久遠寺や東京大田区の池上本門寺などの方がより有名な縁のお寺となっているように思います。しかし、生まれたのは安房小湊であり、出家したのは清澄寺だったのですから、これはやはり忘れてはならない事実だと思います。

その清澄寺をいつか訪ねてみようと思っていたのですが、なかなかチャンスが作れず、近くを通っても見過ごして来ていたのでした。今回ようやく訪ねることが出来、いろいろと学ぶことも多くありました。

千葉県といえば、平坦な土地が多く、高山などというものは全くありません。最高峰は南房総市の北部にある愛宕山で、高さが僅か408mというのですから、関東地方の中では格段の低地だということができます。因みに東京都の最高峰は雲取山で、これは2000mを超えた高さだということをご存知でしょうか。お寺の近くにある清澄山は千葉県では2番目の高さだとお寺の案内板には書かれていましたが、377mというのは君津市の鹿野山より2m低いようですから、これは勘違いなのだと思います。

ま、それは措くとして、外房黒潮ラインと呼ばれる国道128号線を左折して、天津小湊へ向かう県道81号線を反対の北側に向かって進むと、道は急に細くなって、急坂を登り出しました。337mといっても、海から僅かに5kmほどしか離れていない距離ですから、少し走るとこれはもう深山幽谷の感じがする世界でした。その日は天気があまり上機嫌ではなかったため、お寺の近くは雲が湧き、時々霧が立ちこめるといった様子で、寒さを覚えるほどの状況でした。

駐車場に車を置き、参道をしばらく歩くと、小さな門前町をなす店などの先に山門が見え、「千光山清澄寺」とありました。傍にお寺の由緒などを書いた案内板があり、それによるとこのお寺の創建は772年といいますから奈良時代の初め頃ということで、かなり古いお寺だというのが判ります。開基は不思議法師という方だそうですが、そのような方の名を聞いたことはありませんでした。当初は天台宗のお寺で、平安時代に大層栄えて房総第一の大寺となったとありました。12歳の日蓮が出家・得度したのは鎌倉時代ですが、この時も天台宗のお寺として名を成していたということです。その後次第に廃れ出したのを、江戸時代の初め徳川家康の帰依を得て再興がなされ、この時に真言宗に改宗したとのことでした。そして江戸時代が終り、明治・大正・昭和に至り、何と戦後の昭和24年4月に日蓮宗に再改宗したと書かれていました。従って、現在は日蓮宗であり、日蓮上人との縁(えにし)が、昭和に入って維持が難しくなり没落しかけたこのお寺を救ったということのようでした。

   

千光山清澄寺の山門。何様式というのか解らないけど、ちょっと変わった小ぶりの山門だった。

千年以上もの時間を超えて、その辿った歴史の重さを思いながら山門を潜り、境内に入ると、左手に本堂などがあり、右手には研修所らしき新しい建物がありました。境内はうっそうとした杉や楠などの大木に囲まれており、古いけれども清新な空気で満たされていました。神社仏閣を訪ねた時に一番癒されるのはこの空気です。このお寺にも それはたっぷりとありました。

   

湧き立つ霧に囲まれ、深山幽谷の趣きのある境内の様子。連休明けのこの日は、人数も少なくひっそりとした佇(たたず)まいだった。

本堂にお詣りしたあとは、右隣にある中門という江戸時代に造られた茅葺屋根の門を潜り、その向うにあるこれはその昔の本堂なのか庫裏なのか、茅葺の屋根を防護板で包んだ古い建物を覗きました。中には、名工左甚五郎作の鎮火牛という木彫りの牛の像が金網に囲われて鎮座していました。暗いので、写真を撮ることはできませんでした。このお寺もその昔は、このような茅葺の質素な建物であったのではないかと勝手に想像し、何だかこのような建物により多くの安堵感を覚えたのでした。

   

中門の景観。茅葺のこの門は、江戸時代初期に創建され、後期に改修されて今日に至っているとか。

中門を入ると直ぐ左に楠の大木がありました。恐らく樹齢千年以上を数えるものなのでしょう、市の天然記念物に指定されていました。それらの大木の周囲には鎌倉時代の宝篋印塔(ほうきょういんとう)や梵鐘などがあり、このお寺の由緒を証明していました。創建間もなく植えられたこの楠の大木は、今日までの間の人間のやることをどのような目で見てきたのかと、訊ねて見たい気がしました。

   

清澄寺の大楠。愛媛県の大三島にある大山祇(おおやまずみ)神社境内にある樹齢15百年超の楠には及ばないけど、北限に近いこの地では、貫禄十分の樹木である。

本道の石段を降りると、左側に杉の大木があり、近付いてみるとこの樹も千年を超えた存在であり、千葉県内ではかなり著名な一木のようでした。高さが47m、幹周りが14mもある大木です。縄文杉には及びませんが、樹形は日本有数のものではないかと思いました。近くに居たおばさんが、「昔遠足で来た時も、千年杉と呼ばれていたけど、あれから随分経つのにやっぱり千年杉で変わらないわ」などと言っていました。生きている樹木の年齢を数えるのは、恐らく100年単位でないと、その数は増えないのではないかと思います。人間の持っている時間と彼らの持っている時間は、本質的に違うのだと思いました。

   

清澄寺の大杉。樹高が高すぎてとてもカメラの視界には収まらないため、幹周り14mというその姿を撮った。洞には手当てが施され、樹勢は益々盛んであった。更にあと千年以上の生命の延長を目指して欲しいと願った。

境内を一回りするには大き過ぎる感じがして、奥の方に行くのを止め、近くの池を何ということ無しに覗きました。何やら説明板のようなものがあるので近付いて見ましたら、何と県の天然記念物に指定されているモリアオガエルの産卵が見られる場所という案内だったのです。もしかしたらその卵が見られるかもしれないと探しましたら、あった!あったのです。3ヶ所ほどそれがありましたが、ツツジの木の枝のかなり高い箇所にも白い泡の塊があって、この小さな池にも珍しい生命の変遷が息づいているのだというのがわかりました。

   

池の傍のツツジの木の枝に産み付けられたモリアオガエルの卵。実物のを見たのは初めてだった。これはカエルのオス共の集団作業のようであるが、真に変な智恵を持ち合わせた奴らではある。

僅かに1時間ほどの時間でしたが、満たされた気分でお寺を後にしたのでした。それにしても日蓮上人のこの辺りに及ぼす影響力は、すごいものだなと、このお寺の歴史を知って改めて思ったのでした。

コメント
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