先日ポピーの花が見たくなって、下妻市の小貝川ふれあい公園という所へ行って来ました。我が家からは車で40分ほどの距離にあり、気軽に出かけることができます。
ポピーといえば、春の房総を彩る定番の花ですが、この頃は房総によらず、思いもよらない場所での栽培が拡大しているようです。私自身が知らなかったのかもしれませんが、下妻に大きなポピー畑があるなんて夢にも思いませんでした。尤も茨城県北部に育った私には県南についての土地勘が全くなく、守谷に越してきてから初めて、その地勢などについて理解を深めつつあると言うところでもあります。
下妻市の小貝川ふれあい公園を知ったのは、昨年のポピー畑の芥子騒動のニュースを聞いたからでした。ポピー畑の中に、栽培を禁止されている芥子の花が、何と大量に発見されたからでした。その時には、恐いもの見たさというか、生来の野次馬根性の血が騒いで直ぐに出向いたのでしたが、もう時既に遅く、本物(?)の芥子は刈り取られた後でした。慌てて刈り取ったのか、トラックの轍の入り乱れている刈り取った跡地を見ながら、どうして本物が混ざったのだろうかと、不思議に思ったのでした。
というのも、以前東村山市に住んでいた時に、隣の小平市にある薬用植物園を時々覗きに行き、その中で栽培されている芥子は二重の金網の向うに、毒々しい花を遠くから見たのを覚えているからです。遠すぎてその花の葉や茎の特徴などが良く判らず、重たそうな赤い色の花の印象だけが記憶に残っています。あのように厳重に管理されているというのに、いとも簡単に、大勢の人たちが訪れる公園の中にしかも大量に咲いていたというのですから、これは驚きです。野次馬の血は騒ぐわけです。
小貝川ふれあい公園は、関東の暴れ川の一つ、利根川の支流でもある小貝川の河川敷にあって、お花畑の他にも自然観察のエリアや、スポーツゾーンなどを備えたかなり広大な規模の公園です。その中央には、この河川敷のクヌギやコナラの林に住む天然記念物指定のオオムラサキ蝶の姿を模(かたど)ったネイチャーセンターがあり、これを遠くから初めて見た時は、何か新興宗教の御殿でもあるのかと思ったのでした。国道294号線からは、その後姿を望むことになるので、何か得体の知れない建物に映ったのでした。
オオムラサキ蝶が羽根を広げた形をイメージして建てられている、下妻市の小貝川ふれあい公園のメイン施設、ネイチャーセンタのユニークな景観。
一度訪ねてからは、すっかり気に入り、機会があれば訪ねるようになっています。また、この中には茨城県では数箇所しかないパークゴルフ場も設けられており、北海道の旅を思い出しながら、プレーを楽しむこともできるのです。茨城県の県北エリアにはパークゴルフ場は無いようですが、県南には土地の余裕があるのか、或いは心の余裕があるのか、無料のパークゴルフ場もあったりして、こちらに移り住んでから、大いに地元に対する認識を改めつつあります。
さて、そのポピー畑を今年はどうなっているのかと訪ねてみたのでした。行ったのは今から10日ほど前でしたが、まだ花の最盛期とは言えず、少し早めの咲き振りでしたが、それでもやっぱりポピーの派手さは、公園の一角を鮮やかに染め上げていました。ポピーの他にも矢車菊やキンセンカ、名は知らない洋花など何種類かが植えられており、心なしかポピーが少なくなっているように感ずるのは、去年の騒動の影響で減反されたのかもしれません。
小貝川ふれあい公園ポピー畑の景観。まだ8分咲きといったところか。今年は去年よりも少し作付け面積が小さくなった感じがした。
広い公園の中をぐるーっと一回りすると、30分以上かかります。花畑の散策は疲れを覚えさせない心地良さがありますが、その日はかなりの暑さだったので、これには少々辟易しました。暑さの中でのポピーの花は、その色が鮮やかな分だけ、個々に花の中を覗き込むと、やはりどうしても毒々しさを感じてしまいます。どうしても芥子の悪意ある毒性のようなものを感じてしまうのです。そこには人間の持つある種の悪の本性に似たものが潜んでいるような錯覚に囚われてしまうのです。勿論このようなことは、芥子ではないポピーにとっては甚だ迷惑な誤解なのだと思いますが、何ごともきれいごとや可愛いごとでは済まないのが生き物の世界ですから、ま、私の見方も強(あなが)ち間違ってはいない感じがするのです。
ポピーの花を覗き込むと、どうしてもそこに芥子の毒性のようなものを感じてしまう。私だけの偏見かも?
花畑を廻った中では、植えられていた花の中では、一番好きなのはやっぱり矢車菊です。この花は矢車草とも呼ばれており、澄んだ青い色の花の集まりが矢車に似ており、楚々たる美しさを感じます。花畑ではかなりたくさん植えられているのに、あまり目立ちません。遠くから見るとさっぱり引き立たない色なのです。そこがいいですね。ポピーの引き立て役なのかもしれませんが、私にとっては主役よりも脇役の目立たない存在の方が断然好感が持てるのです。「函館の青柳町こそ恋しけれ 友の恋歌 矢車の花」は石川啄木の歌の一つですが、啄木はどのような思いを籠めてこの花を眺めたのか、矢車菊を見る度にこの歌を思い出します。
矢車菊の花畑。地味な色で傍に行ってみないと、何の花なのか気づかないほどである。
今年はポピーの中には芥子は混ざっていたのか良く判りませんが、植物の繁殖力というのは、動物の比ではありませんからもしかしたらいくらかは潜んでいたのかも知れません。私たちには専門知識もなく、しっかり観察した経験もないので判りませんが、ポピーが芥子の悪意に犯されないように、この公園が花本来の美しさで来園者を集めることができるように願いながら別れを告げたのでした。