山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

九州・山陰他エリアくるま旅でこぼこ日記:第27日

2010-05-09 04:41:39 | くるま旅くらしの話

〔これは6年前の記録です〕 

第27日:12月13日(月)

行程:瓜割の滝駐車場~河野村:北前船の館~越前岬:水仙ランド~道の駅:みくに~加賀市:折り紙美術館~野々市町:Mさん宅〔泊〕  <186km>

昨夜のあの騒ぎは、一体何だったのだろう?新聞などないので分らないけど、何らかの事件だったことは間違いない。それにしても迷惑な話ではある。Tさんには迷惑をかけて申し訳ない。瓜割の滝に泊るなんて考えても見なかったけど、少しの水の音を除けば結構静かで落ち着いた所である。さっそく水を補給する。起きて来られたTさんの話では、昨夜3番目のお孫さんが誕生したとのこと。おめでとうございます。ご一家は慶事続きのようで、何よりのことである。年が明けたら九州の方への旅を考えているというTさんと別れて出発。時間があれば京都、大阪にも廻りたかったのだが、鳥取の足止めが響いて今回は断念することにした。(この時大阪のAさんへの連絡を忘れてしまっていた)

今日は少し回り道にはなるけど、尊敬するくるま旅の達人のMさん宅をお邪魔することにしている。Mさんご夫妻は金沢の隣町の野々市町に住んでおられる。お邪魔するのはこれで4回目となる。Mさんのご主人はもう80歳を幾つか超えておられるが、矍鑠として今でも長期間のくるま旅を奥様と一緒に楽しんでおられる。今年は所用などがあって北海道にはいらっしゃらなかったけど、沖縄へ行ってきたという話を伺っている。毎回こちらの方面へ来る時にはお邪魔するつもりでおり、拓たちから見ればお父さん、お母さんという存在である。少なくとも1年に1度は挨拶にお伺いしたいと思っている。今年も実現できて嬉しい。

小浜、敦賀を過ぎて河野村から有料道路に入る。海岸を通って越前岬辺りの水仙を見てみたい。先日ラジオで今年は水仙が少し早く咲き出しているという話を聞いた。越前海岸の水仙は有名だが話を聞くだけで、まだ一度も見たことがない。R305に入り少し行くと北前船の船主だった右近家の屋敷がある。すでに何度か来ているので、中には入らず小休止。今日は海は穏やかで、先ほど通ってきた敦賀湾は波が殆どなく、鏡のように輝いていた。

越前町などの港を通過する時には要注意である。狭い道路の両端にはカニ、カニ、カニの看板と実物が溢れて並べられており、思わず停車したら資金不足で先に進めなくなってしまうと思うほど、今はカニ尽くしの風景が続いている。隣席の邦子どのは、さっきからあまりモノを言わないが、さぞかしカニへの執着を振り切ることに心奪われているのではないか。年金生活に入った今は、何種類もの我慢や辛抱を越えて行く必要がある。(少しオーバーかな?) 食べ物への執着よりももっとすばらしいものへの夢をつくることの方が大切ではないか、などと無理に考える拓であった。右岸の土手には先ほどから水仙が茂って咲いている箇所が幾つかあったが、岬の上に水仙ランドというのがあるので、そこへ行ってみることにした。

急坂を登ってゆくと洋館風の建物が2棟別々に建っており、周囲一面に水仙が咲き群れていた。少し先に白い灯台も見える。素晴らしい景観である。眼下に広がる海は、先ほどと違ってやや荒れ模様である。水平線辺りには黒雲が湧き立ちつつあり、如何にも冬の日本海の厳しさを告げている感じがした。風が強まりつつあるが、天気の方はまだ大丈夫のようだ。風がなければ穏やかな夢のような世界である。水仙というと伊豆の爪木崎を思い出すが、この越前岬の水仙はより逞しさを感じさせるものがある。1時間ほど散策。このような場所では我々は殆ど一緒には行動しない。カメラ自慢()の邦子どのは、かなり上の方まで行ってシャッターを切っていた。彼女はこのような風景などを撮るのが得意のようである。何枚かモノに出来たのかもしれない。

   

越前海岸の急崖に咲き広がる水仙の花たち。よくもまあこのような場所に、これほどたくさんの水仙が植えられ、手入れされたものだと思う。伊豆の爪木崎の水仙よりも手入れが行き届いている分だけ、上品な感じがする。それぞれ、どちらも花は美しい。

1時間の間に天候は激変して小雨交じりの強風の吹き荒れる状態となった。これではゆっくりは出来ない。風で吹き飛ばされたら大変だと思いながら坂道を下って再びR305へ。何処かで昼食にしようと決め、暫く行くとレストランがあったので覗く。結局邦子どのがツベコベ言って意思決定をしないので、拓が腹を立てて食べるのを止める。これほど食べ物についての考えが合わない夫婦も少ないのではないか。拓としては食べ物というのは基本的に生命の維持のためという発想だから、美味いとかまずいとか言うのにはそれほどこだわらない。まずいよりはうまい方がずっといいという程度で、まずくて食べられないものなどないと思っている。ところが邦子どのは違うのだ。まずいものは食べないのではなく、食べられないなどと抜かすのである。飢えというものを一度も味わったことのない人の、お粗末にして寂しい(だけど幸せな)価値観だと思っているのだが、本人にとっては譲れない主張なのかもしれない。それで外食する時には軋轢が多いのだ。

腹立ちながら海岸線を走っていると豪雨になった。前も見えないほどの降り様である。何時間か前の穏やかな天気がまるで嘘のような悪天候となった。早く海岸線から抜け出したいと思っていると急に豪雨の降りがおさまって陽が出てきた。見ると海上に見事な虹が架かっていた。海の上に架かる虹を見るのは珍しい。さすがにスケールが大きいなと思った。腹立ちも忘れて邦子どのに写真を急かせたりしているのだから、我ながら情けない。降ったり止んだりの荒れ模様の中を東尋坊で有名な三国町へ。東尋坊には寄らない。荒天の時は敬遠すべきであろう。道の駅があるので、立寄って昼食。本当に腹が減ると邦子どのも文句を言わなくなるようだ。或いは妥協したのかも。

   

日本海の荒波の上に半円を描く虹。関東に生まれ育った者には、海の上に架かる虹を見るのは珍しい。それにしても凄まじい天気の変わり様だった。

ここから野々市までは1時間半ぐらいの距離であろうか。まだ13時を少し過ぎたばかりである。芦原温泉を掠め、細長い北潟湖の脇を通って加賀に向う。途中、蓮如さん創建の吉崎御坊がある。北陸の浄土宗教化の基地となったお寺である。一向宗とも言われる浄土真宗は、今でも北陸では大変盛んなようで、仏壇の豪華さには驚かされることが多い。ここには以前に参詣したことがあるので、今回はパスして加賀市へ。

加賀市という所は、は何となく解りにくい雰囲気の街だ。加賀の国という場合、どこが中心となるのだろうか。本当は金沢ではないのかと思う。JRの駅を見ても加賀などという名称はなく、大聖寺とあるだけである。前田藩の支藩があったので加賀の名をつけたのかもしれないが、大聖寺の方が解りやすいような気がする。そのようなことを思いながら悪路ばかりが目立つ大聖寺の街並みを抜けてR8へ出る。あとはこの道を真直ぐ行けば野々市町に行ける。

R8に入って少し行った所に、その名も加賀藩という立派な建物のお菓子屋さんらしき店があったので立寄る。中に折り紙美術館というのがあって、邦子どのが折り紙に関心を持っているものだから見たいらしい。拓には無縁の世界ではある。どうぞと30分ほど時間を譲って拓は何も買わずに店内をうろつく。すぐに飽きて車に戻っての居眠りであった。邦子どのが戻って、その後は一路野々市へ。Mさんのお宅に着いたのは16時半少し前だった。

1年ぶりの訪問。お二人ともお元気そうで何よりだった。嬉しい再会である。この頃は自分の実家に帰るような気分が少しある。図々しくなってはいけないという自戒の気持ちもあるけど、このように自分の親の所へ行くのと同じような気持ちになって訪ねることが出来るのは本当に嬉しい。4年前の旅での出会いがつくってくれたご縁である。

それから後のことは嬉しく、楽しく時間が過ぎてここには書けない。心のほぐれるお風呂、お母さんの心のこもった夕食、お父さんの懐かしい昔話、旅の話、話、話と続いて、すっかりくつろいで、久しぶりにぐっすりと眠った。

【 ※ 昨日まで3日ほど、房総にある棚田を訪ねての小さな旅をしてきました。これらについては、追って記載させて頂きます。無断欠席(?)をお詫びいたします。馬骨 】

 

コメント
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