山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

九州・山陰他エリアくるま旅でこぼこ日記:第28日

2010-05-10 04:14:31 | くるま旅くらしの話

〔これは6年前の記録です〕 

第28日:12月14日(火)

行程:野々市町:Mさん宅~道の駅:河野~道の駅:金森温泉ぬくもりの里[泊]     <295km>

今日も天気は良さそうである。朝ご飯を頂いてゆっくりしていると、お父さんが昨夜話しておられた、近くにお父さんを凌ぐほどのくるま旅の達人を紹介するからと言って、その方に電話をされたので少しびっくりした。お父さんよりも4歳も年長の86歳だという。昨日、それをお聞きして驚いたのだが、どのような方がお見えになるのだろうと期待に胸を躍らせた。この頃は若い人よりも年長の方との出会いに期待するものが大きい。今は亡き拓の父も70歳をかなり超えてから母を病院へ連れてゆくために運転免許を取ったのだが、車で旅に出るほどの好奇心も持たないまま、3年前85歳であの世へ旅立っている。Fさんというその方は、Mのお父さんに急かされるようにしてお見えになった。お会いしてみて、とてもそのようなお歳には見えない。どう見ても10歳くらいはお若い感じがした。以前北海道で初めてMのお父さんご夫妻にお会いした時も、お年をお聞きしてびっくりし、同時に自分がこれから考えているくるま旅の可能性が一挙に10年以上大きくなって感動したのだが、その可能性を遥かに超えてご健在のFさんの姿を見て、上には上を行く人がいるものだなあと感動した次第である。

Fさんの行動力、好奇心のパワーは群を抜いていらっしゃると思った。Mのお父さんを上回るほどとお見受けした。いろいろお話を伺っている中で、健康法としての食事のあり方に大変興味・関心を覚えた。Fさんがおっしゃるように、ものを食べるについて、旨いまずいの物差しではなく、生きるか死ぬか、良いか悪いかといった物差しの方が重要だという考えは、拓の全く同感とするところである。只、実際に何をどのように食べるかというのは難しくて、なかなかその方法が見出せないで試行錯誤の繰返しをしているのが、拓をはじめとする凡人の日常なのであるが、Fさんはその壁を遠の昔に突き抜けておられるのだと思った。野菜類をミキサーにかけたものを冷凍保存して、解凍したものに工夫を加えてそれを摂るという食事のあり方は魅力的である。Fさんの食事はそれを摂るだけに徹しているというから驚きである。そして70歳頃までは病気の巣だった身体が、すっかり健康体となったというのだから凄い。作り話ではなく、実体験のことだから説得力がある。いいお話を伺った。拓には、3食全部が野菜の流動食で、その上お酒なしというのは到底無理としても、相当のところまでは取り組む自信はある。家に帰ったらさっそくトライしてみようと思った。3人の大先輩に囲まれて拓たちは幸せ者である。この幸せの土台となっているのはやはり何といっても健康であろう。健康でなければ出会いも、知り合うこともなく過ぎてしまう。寿命の尽きるまでそれぞれが健康で過ごせることを心から願いたい。Mさんご夫妻、そしてDさん、本当にありがとうございました。これからもよろしくご指導をお願いいたします。

名残りを惜しみつつお三方とお別れして、いよいよ帰途の最終ステップへ。北陸から山越えして行く道もあるのだが、もし雪などに出会ったら大変なので、予定通り東海側を通って静岡は藤枝に住む邦子どのの妹宅に1泊させて頂き、旅のしめくくりとするつもりである。高速道は使わずに行き、今日は適当な所で温泉にでも入って泊まり、妹宅には明日お世話になることとする。大体このような予定である。

R8を福井方面へ戻って、滋賀県の木之本からR365に入って関が原方面へ。途中敦賀の手前の道の駅:河野にて小休止。それ以降は殆ど休憩なしの長距離ドライブとなる。関が原からR21に入り、大垣、岐阜、美濃加茂と進む。大垣を通過する頃には既に夕闇が迫って来ていた。岐阜通過時はもう真っ暗だ。美濃加茂まで来て、今日は前に泊ったことがある、下呂近くの金森にある道の駅にしようと考えた。暗くてよく判らないが、市内に入ると新しくバイパスが出来ているようなので、それ利用した方が早いだろうと入ったのが大失敗だった。

立派な道を15分ほど走ると、突然道はそこで終わり、知らない地名の標識板しかない。どちらに向えばいいのか見当もつかない。下呂だとか、高山だとか、R41とすぐ判るような看板は全くないのである。この道路行政の雑さには本当に腹が立つ。迷っているうちに近くに日本昭和村という新しい道の駅を見つけ出した。行ってみると温泉ではないが入浴施設もあり、泊っても良さそうな感じだった。しかし周囲は造成したばかりの無人地帯で、やたらに広い駐車場には殆ど車もない。このような所では、邦子どのが安眠を得ることは到底出来ないだろう。諦めてもう一度地図を見直して、暗い夜の細道を不安を抱えながら進んで、どうにかこうにかR41へ出る。金森温泉の道の駅に着いたのは19時を過ぎていた。あー、しんど。疲れた。

コメント
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