山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

06年 北陸・中四国晩秋の旅(第25日)その1

2008-12-09 00:02:21 | くるま旅くらしの話

第25日 <12月07日()

道の駅:川根温泉→(県道・R1)→道の駅:富士(静岡県富士市)→(沼津よりR246に入り、御殿場からR138へ)→忍野公園駐車場→忍野八海などを散策→道の駅:富士吉田(山梨県富士吉田市)(泊)<154km

今朝もいい天気だ。よく眠れたので暗い内から起き出して、拓一人周辺を散策する。早朝から電車の走る音がして結構賑やかだなと思ったら、目の前を大井川鉄道が走っており、鉄橋が架かっている。こりゃあSLの写真を撮るにはベストポジションの一つだなと思った。残念ながらSLは日に2本くらいしか通らないようなので、今日はお目にはかかれないが、電車は思ったよりも多く走っているようだ。少し歩くと駅が見えた。昨日入った温泉の捨て湯なのか、或いは源泉なのか、大井川の河原に湯煙を上げている箇所があった。川を挟んで壁のように山が聳(そび)えているが、その中腹辺りまで茶畑になっている所が見えた。そういえばこの辺りは有名な静岡茶の中でも最高級品を生産する場所だった。このような自然環境が良いお茶を生産する条件なのかと思った。

食後は、急ぐこともないので、のんびりと過ごす。邦子どのは道の駅の売店近くに設けられた足湯に入って、ご近所のお年寄り達と何やら談笑していた。拓も入れとご老人達に勧められたが、靴下(今日はロングサイズのものを着用していた)を脱ぐのがめんどくさいので、入るのは勘弁して貰った。邦子どのがご老人達と何の話をしていたのかは知らない。結構盛り上がっていたようなので、大方、旅の自慢話などをしていたのかもしれない。

   

足湯を楽しむ人々。殆どがお年寄りである。一しきり朝の世間話と情報交換の話が弾む。

9時半近く出発。ここへ来る時はR473を来たのだが、帰りに通った県道の方がずーっと走り易かった。今度来る時は県道を利用することにしよう。藤枝バイパスに入って、一路沼津を目指す。朝の内は良い天気だったのだが、次第に雲が増えてきて、静岡を通過する頃はすっかり曇り空となってしまった。それでも雲が高い所為なのか、静清バイパスの途中で富士山を見ることができた。晴れていれば感動一入(ひとしお)なのだろうけど、久しぶりに見る富士山は曇っていてもそれなりの感動を覚えさせてくれる。走りながら何枚かの写真を邦子どのに撮って貰った。この辺に住んでいる人たちから見れば、つまらんことをしていると思われるに違いない。

しばらく走って道の駅「富士」にて小休止。ここからも富士山はよく見えるのだが、写真を撮ろうと思っても、何処へ行っても電線などが邪魔をして、独立した富士山の写真を撮ることが出来なかった。諦めて出発。

沼津からR1と分かれて、R246に入る。何年か前まで川崎に住んでいたことがあるので、R246は懐かしい。この道は確か渋谷辺りから始まってこの沼津まで来ているはずである。川崎の登戸近くに住んでいた時は、家から自転車でR246を使って渋谷まで何度も往復したことがある。あの頃も既に糖尿になっていて、とにかくカロリー消費には力を入れていた。バカな話ではある。

そのR246をしばらく走って、御殿場から富士吉田に向うR138へ左折して入る。この道はつい最近、亡くなった畏友安達巌の鎮魂の旅の帰りに通っているのだが、あの時はものすごい豪雨で、前を見るのも厳しいほどの状況だった。今日はそれに比べれば上々の天気だが、それでも雲は多く富士山ははっきりしない様相を呈している。心配しながら坂道を登り、ようやく篭坂(かござか)峠を越える。あまり気にしなかったが、後で地図を見てみると、この峠は1,104mもあるのだった。SUN号の頑張りには感謝しなければならない。峠を越えてからは山中湖に向って下り続けるだけである。湖畔を走り、右折して忍野(おしの)村へ向う。 (その2へ続く)

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06年 北陸・中四国晩秋の旅(第25日)その2

2008-12-09 00:01:39 | くるま旅くらしの話

忍野へは初めてであり、どのような所なのかもよく分からない。忍野八海というのが地図に書かれているが、それがどういうものなのかも実は知らないのである。とにかくその八海なる場所へ行ってみようと向う。直ぐに着いたのだが、駐車場がうまく見つからなくて、ぐるぐる廻った結果、忍野公園という所の駐車場にSUN号を停め、そこから歩いて八海なるものを見に行くことにした。少し遠かったが、この駐車場はSUN号の他には1、2台しか車はいないほど空いているので、迷惑を掛けることはなかろうと思った。それに歩くことも大切なのだ。もう13時近くなっていた。出かける前に腹ごしらえをする。天気は曇り空だが、綿帽子をかぶった富士山は直ぐ近くに見えている。あのような雲をかぶっている時は天気が下り坂の印なのではないかと思った。

   

2段の綿帽子を冠した富士山。間もなく天気が崩れ出す予兆であろうか。

忍野八海までは1kmほどの距離を歩かなければならなかったが、やたらに車が多くて、歩道も無いため大へん歩きにくかった。ようやく忍野八海の湧池(わくいけ)という所に出た。

   

忍野八海:湧池の景観。こんこんと地下から湧き出す清流は富士山のスケールの大きさを示している。

   

こちらは同じ忍野八海の、中池と呼ばれている所。吸い込まれるような感じのする透明度である。

文字通り水が湧き出していた。説明板を読むと、八海というのは、富士山の伏流水が湧き出している箇所で、それが八つあり、夫々に特徴があって呼称が付けられているらしい。湧池のほかに銚子池とか濁池などの名称があげられていた。その中でもこの湧池は環境庁が選んだ日本名水百選に入っているとか。さすがに日本一の名山からの湧き水とあって、宏大なスケールだ。先ほど通ってきた道路の脇の川も、この忍野八海と呼ばれる池の水を集めて流れているらしい。らしいと言うのは、この大自然の様子を説明する資料が殆ど手に入らず、勝手に想像するしかないからである。資料を探すのが下手なのか、それともガイドの仕方が悪いのか良くわからないが、初めて来た者にとっては、忍野村の観光案内はとても親切とは言えないような気がした。

山の湧き水については、拓は相当の関心を持っており、いわゆる名水と言われるものについては機会あるごとにそこを訪ねるようにしている。又、それらを汲ませて頂いて飲料にも使わせて貰っているが、例えば北海道の京極町や真狩村にある羊蹄山の湧水などは自由に汲めるように簡易設備が用意されているけど、この忍野村の湧水は、そのような設備など皆無のようで、御神水などと書かれた立ち飲み用の水のみ場かしか見当たらなかった。もし観光資源として忍野八海を活用しようと考えるのなら、もっともっと観光客を呼ぶやり方が考えられるのではないか。

先ほど車を置いてきた忍野公園の傍には、絵手紙で有名な小池邦夫氏と写真家の岡田紅陽氏の作品が常設展示されている美術館が作られているが、来訪者は殆ど見られなかった。美術館も結構だけど、来訪者がなければ建てた意義は薄れる。観光客を惹きつける材料は、忍野の富士だけで充分なのかもしれないけど、やっぱり何かが足りないように思った。

忍野八海の全部を廻ろうと思って探しながら歩いたのだが、途中で道が判らなくなってしまった。不親切だと思う。もっとも考えようによっては、このような不親切こそが今の世には大事なのかもしれない。とにかく、忍野の富士だけは、文句なしに素晴らしい。

歩き疲れて車に戻り、今日の宿に予定している富士吉田の道の駅に向うことにする。10分ほどで到着。ここには地下から噴出する水を汲む施設が設けられている。大勢の人が引きも切らず入れ替わり立ち代り水を汲みにやって来ていた。この有様を忍野村の人たちはどのように見ているのだろうか?着いた途端にこの状景を見て、先ほどの忍野八海の様子が思い起こされ、又々文句がいいたくなってきた。ほんとに我ながらしつこいねえ。

先ほどまで見えていた笠雲の富士山はとうとう姿を消し、まだ16時前だというのに急に暗くなった空から雨が落ちてきて、次第に本降りとなった。こうなれば早めに休むしかない。今回の旅の最後の夜は、天井を叩く雨音とともに更けていった。

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