山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

06年 北陸・中四国晩秋の旅(第19日)

2008-12-02 00:09:04 | くるま旅くらしの話

第19日 <12月01日()

終日Oさん宅(午後からOさんご夫妻と金毘羅山詣でに)<0km

今日はOさんとお別れして久しぶりに金毘羅山に参拝し、運動不足をカバーしようと考えていたのが、……。朝食の後、Oさんからデジカメの写真をパソコンに取り込むやり方を教えて欲しいと言われて、造作も無いことと要領を説明していたのだが、Oさんからどうしてももう一晩泊って行けと勧められて、何だかこのまま今日別れるのが申し訳ないような気になり、とうとうもう一晩お世話になることになってしまった。

金毘羅山にはOさんご夫妻も同行するから、Oさんの車で行けば良いという話なのである。というわけで、午前中はたっぷり時間をかけてパソコンやデジカメの基本的な取り扱い方などについて、その要領を説明させて貰った。

パソコンの扱いは、一ぺんに覚えきれるものではなく、どうしてもトライ&エラーの繰り返しが必要となる。説明を受けている時は解ったような気になるのだが、しばらく休んでいるとどうしても忘れてしまうものだ。デジカメとパソコンの関係を忘れないための一番いい方法は、デジカメ日記をつけることだと思う。デジカメ日記というのは、毎日デジカメで撮ったその日の関心事の映像を、パソコンの中に記録しておくというやり方である。そうすれば毎日必ずデジカメとパソコンに触ることになり、一旦覚えた取扱を忘れることは無くなる。これをやるためには、フォルダーのつくり方と管理の仕方を知っておく必要があるが、Oさんにはそこまで説明する時間が無くて申し訳ない。今度お邪魔した時には、ご希望ならば、その方法について説明させて頂きたいと思っている。ということで、午前中はデジカメやパソコン関係で何やらやっているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまった。

二組の夫婦が大野さんの車に乗り、金毘羅山に向け出発。久しぶりに高松の市街を通ったが、高速道の開通や空港の移転などがあって、以前とは大分に街の様相が変わってしまった。街の景観の良し悪しには関係なく、利便性や経済性ばかりを追求してゆくと、この後100年の内には今のこの景色も遠い過去のものとなるに違いない。その頃は自分の魂はどこをさ迷っているのだろうか。あまりの変わり様に驚き、余計なことを考えている内に高松の市街は遠くなっていた。

途中Oさんが昔からの伝統の味を伝えるお店で、釜揚げうどんをご馳走してくれるという。長田うどんというその店は、30数年前には来たことが無かったが、恐らく往時から営業をしていたに違いない。美味かったァ。やっぱりうどんは釜揚げが一番だなと思った。たくさん食べたいのだけど、腹いっぱい食べたりしたら、糖尿君が怒り出すのを知っているので、美味さだけをしっかり味わって量の方はセーブする。昔の拓を知っている大野さんから見れば、どうして少ししか食べないのだろうと不思議に思われたに違いない。酒を飲むためにも他の食べ物は我慢して抑えなければならない身体になってしまっているのである。お許しあれ。でも本物のさぬきの釜揚げうどんは本当に美味かった。

金毘羅山は、その昔未だ下の倅のオムツがとれない頃、おだてながら上の社まで歩かせ登って参拝したことがある。2歳になる少し前の頃だったと思うから、倅にとってはかなり厳しかったのかも知れない。その倅も今は二人の娘の親になっている。その頃以来の参拝なので、無事上の社まで行けるか少し心配したが、実際に登ってみるとまだまだ大丈夫だった。

  

金比羅山の石段風景。果てしなく続いている感じがする。

   

金比羅山の本殿の景観。ここまで来るにはやっぱり大汗を掻かなければならない。

   

金比羅山、絵馬殿の景観。海の守護神でもあるので、船などの奉納もあるようだ。

四人ともまだ老人入りはしていないようで、安心した。帰りは石段ではなく、隣接する公園の中の小路を降りて戻ったが、そこに植えられている山もみじの樹々などが丁度紅葉の時期を迎えていて、思わぬ紅葉狩りの散策となった。参拝の人の多くは単純に石段を往復するばかりで、こんな素晴らしい紅葉の公園が直ぐ傍にあるのを気付いていない。勿体無いなあと思った。

   

金比羅山神苑の山もみじの紅葉。今日から12月、四国この地の紅葉も鮮やかで美しい。

下まで降りた後、歌舞伎などで時々話題になる金刀比羅座芝居小屋にも立ち寄って覗いたりして、充分にこんぴら参拝を楽しみ、Oさんの車に戻って帰宅の道へ。家に着いた頃は、辺りはすっかり暗くなっていた。

   

金比羅歌舞伎で有名な金比羅座。今日は休みで人影もない。

その夜も昨日に引き続いて、すっかりご馳走になり、楽しい歓談の時を過ごさせて頂いた。Oさんは30数年も前のことをよく覚えておられて、拓が大の豆腐好きであることを知っていて、今日はわざわざこの地で評判の豆腐を用意してくれていた。それが実に美味かった。この頃は大豆の味がしない豆腐が多いが、頂戴した豆腐は大豆の上品な味がする超高級品だった。どんなに酔っていても本物の味はそれを忘れることは無い。そしてその気配りの心も忘れることは無い。嬉しかった。

予定外の一日だったけど、嬉しくも楽しい一日となった。Oさんご夫妻、本当にありがとうございました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする