山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

06年 北陸・中四国晩秋の旅(第18日)その1

2008-12-01 00:51:35 | くるま旅くらしの話

第18日 <11月30日()

道の駅:津田の松原→庵治海岸(高松市)→八栗山ケーブル下のうどん屋さん→Oさん宅(高松市)(泊)   <40km

今日は天気が良さそうだ。このところずっと曇りか雨の天気ばかりで、久しく青空を見ていなかったが、今日は大丈夫のようだ。どんなに遅く寝ても6時過ぎには目が覚めてしまうという得な身体なので、6時半には起き出して隣接する公園の松原の中を散策する。近くに「神匂ふ藤()()()(=通り)の松の五万坪」と書かれた、どなたかの句碑があった。本当のところこのように読むのか良くは判らないが、この広い海岸沿いにある松林を讃えて詠()んだ句には違いなかろう。5万坪あるのかどうかは知らないけど、立派な松の木がこれほど多く元気に生きている所は全国にもそれほど多くは無かろうと思う。四国は、特に香川県には松の名木が多いように思う。かの栗林公園は栗ではなく、巨大盆栽のような松が見事だし、高松郊外の鬼無(きなし)の松の盆栽も有名だ。今、全国至る所で松が枯死しているのを見ている。秋田の五能線沿線の防砂林などは、松だけではなく杉のような木までもが真っ赤になって枯れているのを見ると、これは松喰い虫などではなく、酸性雨のようなもっと悪質な奴の仕業に違いないと思うのだが、如何なものであろうか。ここの津田の松原が、30数年前と同じように元気な姿を保ってくれているのは嬉しい。

この道の駅には給水施設がない。SUN号の洗い用の水が少なくなったので、水を補給するために隣接する公園の水飲み場を探す。水の無いときは、公園へ行けば水飲み場があるというのを知ったのは、旅の経験からである。ぐるーっと廻って歩いていると、ようやく水飲み場が見つかった。しかし車からは300mほど離れた所だった。つまり往復すると600m、5往復すれば3kmにもなってしまうのである。普通の人だと、ここでギブアップして水を汲まないのだろうけど、拓の場合は、その逆で、これでカロリーを消耗できると喜ぶのである。水汲み場のある道の駅でも、多くの人はなるべく水道施設に近い所に車を停めようとするが、拓の場合はその反対で、なるべく遠い所に車を停めるようにしている。何故なのかといえば、糖尿の身でありながら酒を飲みたいために、運動でカロリーを消費するようにし、その分をアルコール可飲量(そのようなものがあるのかどうかは定かでない)に回したいと考えているからである。これが正しい理屈でないことは承知しているが、運動によるカロリー消費が糖尿の治療に有効であることは間違いない。というわけで、その後車に戻り10L入りのポリタンに水を入れて5往復した。水を汲む前の偵察の距離などを入れると早くも4km近くは歩きを稼いだことになる。今日は美味い酒となるに違いない。ざっとまあ、このような浅はかな毎日なのである。

さて、今日の予定は、Tさんとお別れたした後、高松近郊の昔の思い出の地を少し訪ねたりして、15時頃、拓の昔からの知人のOさん宅にお邪魔することにしている。

Tさんはたっぷり睡眠をとられたようで、9時半過ぎに起き出された様だ。Tさんは一人旅にも挑戦されており、今回も行程の半分は一人旅ということである。朝食用の調理用の秘密兵器というのを見せて頂いた。それはカセットガスを用いたパン焼きと卵焼きが一度に出来るというコンロで、以前より愛用されているということ。今は製造されていない製品ということだった。

   

左は、多田さんの調理用秘密兵器。パンを焼きながら目玉焼きなどが出来る。右は多田さんの車(右)とSUN号。どちらもグローバル社製キング5.3

車の中もきれいに整理整頓が行き届いており、男の一人旅では、めちゃくちゃに乱れた車内のありさまを見ることが多い中で、さすがTさんだと、邦子どのは盛んに感心していた。拓は未だ長期間の一人旅はしていないが、さて本番になったらどういうことになるだろうか。

来年の春ごろ、息子さんのこの車にもソーラーを取り付ける予定があるということなので、その時には是非我がSUN号にもソーラーを取り付けて欲しいとお願いした。くるま旅くらしでは、安心して電源を確保する上ではソーラーは有力な手段だ。予てからその必要性を感じていたが、Tさんの話を聞いていて、是非とも思い切って取り付けたいと思い、お願いした次第である。拓の場合はとても一人で取り付ける能力を持ち合わせていないので、力のある方を頼らざるを得ない。来春にはTさんのお宅をお邪魔しますが、よろしくお願いいたします。

11時少し前、Tさんと別れて庵治(庵治~高松市庵治町)に向けて出発。途中、車の中で邦子どのは30数年以上前に子供たちのPTAか何かの集まりで知り合い、今は年賀状の交換だけとなっている高松近くに住む知人に電話をしていたが、時間の都合がついたようで、どうやらその方と会えることになったらしい。八栗ケーブル下にあるうどん屋さんで待ち合わせることになったとか。Hさんというその方は、全くの突然の電話だったので、相当驚かれたのではないかと思った。2、3日前ならともかく、いきなり今日の今すぐのような話には、びっくりしない方がおかしい。12時半頃ということだった。その時間に間に合わせるように留意して、そのまま車を走らせ、牟礼町から右折して海に向かい、庵治の海岸に着いたのは11時ちょっと過ぎだった。

庵治の海は、初めて高松に転勤で来た時、随分と通った思い出がある。我が朋友のKさんとスコップと自家特製の貝拾い選別器()を胸にぶら下げ持って、未だ冷たい3月の海に入ってアサリ貝を採ったのを思い出す。石ころだらけの浜に大型のアサリ貝(その時のKさんの話では三年物とか)が棲んでいるのを見つけたのは、Kさんだった。地元の人たちの誰も気付かない我々の秘密の場所だった。30分ほどでバケツ一杯のアサリを採った後は、家に戻ってベランダのタライにポリタンに汲んで持ってきた海水を入れてアサリの砂を吐かせ、やがてアサリをふんだんに使ったいい加減な料理(アサリの酒蒸し、アサリの唐揚、アサリのパエリア等など)で一杯やるアサリパーティにうつつを抜かしたものだった。今、その思い出の浜はどうなっているのだろうか?

   

瀬戸内海を大型の観光船が行く。未だ白砂青松の雰囲気が残っていて嬉しかった。

それらしき場所に行ってみたが、白砂青松というには少し無理があるけど、昔とそれほど変わらない、きれいな海が広がっていた。沖を行く客船やタンカーも今日のいい天気の中では絵になる風景である。その昔、貝を採った場所がどこなのかが見つからなかったのが残念である。新しい防波堤や漁港のようなものが出来ているので、昔とは様子が違ってしまっているのかも知れない。探すのは諦めて、道端の駐車スペースに車を停め、バッテリーに充電しようと発電機を回す。近隣に住宅などは無いので、騒音で迷惑をかける心配は無い。のんびり海を眺めながら、1時間ほど発電機を回した。

12時を廻ったので、八栗に向わなければと出発したのだが、途中で発電機から車のバッテリーに電気を取り込むためのケーブルを忘れてきたのに気がつき、慌てて先ほどの場所に戻る。そのようなドジをやったため、約束の時間に間に合うのがぎりぎりとなり、大汗をかいた。でも、忘れ物を思い出しただけ上出来だ。(その2に続く

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06年 北陸・中四国晩秋の旅(第18日)その2

2008-12-01 00:48:44 | くるま旅くらしの話

Hさんと邦子どのは、30何年かぶりの再会に大感激だったようだ。Hさんには同行の友達がおられて、キャンピングカーの中を見たいとおっしゃるので、先ずは車の中に入って頂いて様子を見て頂く。いつでもそうだけど、我々はSUN号に近づいてこられた方には、できる限り車内を見て頂くようにしている。その結果くるま旅を楽しむ仲間が一人でも増えればいいと思っている。現実にそれがきっかけになって旅くるまを買われた方もいるのだ。

お友達の方が帰られた後、邦子どのと二人はうどん屋さんで会食に。拓は同行を遠慮する。この後の二人のおしゃべりに、拓の入り込む余地は全く無いと考え、しばらく近くの散策に出かける。この辺りはその昔はよく来た所である。この近くにあったゴルフの打ちっ放しの練習場には、拓は2ヶ月ほどの間、毎日通って手が腫れ上がって手袋が入らないほど打ち込みに汗を流したことを思い出す。そのゴルフ練習場は、今は見当たらなかった。変わっていないようでも30年という歳月が、全てのものを同じ姿形のまま残すことはありえないのであろう。

   

30数年ぶりの再会を果たした熟女二人。体型が丸くなったのは、心も丸くなった証なのか?

車に戻ってしばらくすると食事を終えた二人が戻ってきた。30数年前とは大分変わった体型をお互いに確認し合って、これが現実なのだと諦めたのかそれとも安心したのか、二人の胸のうちはわからない。ともかく久しぶりの邂逅(かいこう)に興奮しているのは、まあ当然だろう。車の中でも二人の話はしばらくの間続けられた。時々拓も巻き込まれそうになって、適当にお茶を濁す。

Oさんの所へ行く時間が迫ってきたので、お二人には名残りを惜しみつつ別れの挨拶を交わして頂き出発。Oさんの住いのある高松町は、ここからは10分ほどの所である。何しろ30年以上も前に一度お邪魔したきりなので、全く見当がつかない。予めネットの地図をコピーしてきているので、それを頼りに探すことにする。この迷いが楽しみである。行って見ると目印にしてきたコンビニが無くなっていたりして、少し迷ったが、意外と早く見つけることが出来た。

家を発見というよりも、Oさん自身が外に出て待ってくれていたので、難なくたどり着くことが出来たのである。Oさんの知り合いの方の空き地に誘導して頂いてSUN号を置き、Oさん宅に。奥さんもお元気そうに迎えてくださった。奥さんには邦子どのも何度かお会いしているので懐かしさは層倍だと思う。Oさんは、その昔の職場の仲間と連絡を取り、その中で都合のついたお二人と近所の喫茶店で会える様に手配をしてくれていた。邦子どのは奥さんとしばらく話して貰うことにして、拓はOさんの車で直ぐに出かけることになった。

10分足らずでその喫茶店に到着。YさんとOHさんが待っていてくれた。お二人ともリタイアされて間もないようだ。30年前よりも今の方がずーっと親近感を覚えるのは、どういう訳だろう、職場の組織や仕事などという本来の自由な人生には無用の垣根が取り払われたからなのかもしれない。お二人ともお元気に第二の人生をスタートされているようで何よりである。Yさんは地域の世話役として多忙な毎日を送っておられるとのことだった。OHさんは未だ若いので、只今はしばらくのんびりと過ごすのを楽しんでおられるようである。薄暗くなるまで、4人の歓談は続いた。いい時間だった。Oさんのご配慮と、わざわざ会いに来てくださったお二人に感謝、深謝。Yさんには、わざわざ高松名物のさぬきうどんをお土産に頂戴したりして、恐縮した。ありがとうございました。

Oさんの家に戻って、さあそれからが驚きの連続だった。というのも大野さんは拓には真似のできない素晴らしい趣味を持っていて、何とお酒を集めているというのである。日本酒、焼酎、ワイン等々普段は滅多にお目にかかれない銘柄のお酒類が戸棚の中に溢れていた。焼酎では魔王、百年の孤独、天使の誘惑、森伊蔵等など、いやーあ驚いた。その数、種類は半端ではない。とても真似することは出来ない。拓が、真似ができないのは、勿論資金不足もあるけど、それ以上にコレクションを保持することができないからである。つまりは保管する前に中身が無くなってしまうということ。酒を愛する人には2種類あって、その1は酒の銘柄や姿を愛する者、その2は酒を飲むことを愛する者である。Oさんは前者であり、拓は後者である。前者はコレクターとなり得るが、後者はアル中になるだけである。しかし、この組み合わせは、後者にとっては願っても無いラッキーなものであり、ありがたい。

いきなりお酒の話となってしまったが、Oさんはご近所に素晴らしいお友達を持っておられ、その日はそのお友達のMさんが採って来られた藻蟹(もがに~ワタリガニに似た蟹だが、二まわりくらい小型なのだ)がバケツ一杯ほども用意されていて、ガサガサと騒いでいた。奥さんはどうしたものかと迷っておられたようだったが、蟹の扱いは邦子どのの世界なので、さっそく出番となり台所へ。まもなく大皿に山のように盛られた赤く輝く蟹が運ばれてきた。

   

輝くカニの山を前にして、30年ぶりの乾杯! いやあ、何とも嬉しいなあ。

カミさん同士も乾杯!こちらは30数年ぶりの再会です。0年ぶりの乾杯ア、嬉しいなあ。

やがてMさんご本人もやって来て、楽しい宴の時となる。Mさんは半漁師、半農業のようなことを趣味の世界で楽しんでいる自由人とのことである。彼のつくったサヨリや鯵の干物は唸るほどの美味さだった。又冷凍して持ってきて頂いたという黒豆の枝豆にも感激した。何年か前、丹波を通った時、見てくれの悪い枝豆を気まぐれで買って茹でて食べたことがあるが、これがそこいら辺の枝豆とは天地の差ほどもある美味さだったのに感激したことがあるが、まさにその枝豆が目前に出されてきたので驚いたのだった。訊けばこれはMさんが作られたとか。

他人様の家にお世話になっていることも忘れて、楽しい歓談に夜遅くまでうつつを抜かしたのであった。Oさんご夫妻、Mさん、ありがとうございました。

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