山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

06年 北陸・中四国晩秋の旅(第26日)<最終日>

2008-12-10 05:27:38 | くるま旅くらしの話

第26日 <12月08日()

道の駅:富士吉田→忍野公園駐車場→(R138R413)→道の駅:どうし(山梨県道志村)→(橋本市でR16へ・八王子から野猿街道を経て府中街道へ・途中から青梅街道へ)→小平市:角上魚類にて買物→(青梅街道から富士街道を経て練馬ICから外環道道へ)→ 外環道草加ICで降りてR4へ・春日部でR16に入り、野田から県道経由にて守谷市の自宅に至る  <116km

とうとう旅の終わりの日となった。帰宅のリミットを10日としていたのだが、2日早い帰宅となった。12月は拓の果たさなければならない用事が二つほどあって、どうしても10日までには帰らなければならなかった。その一つは、今年の夏、高校時代の恩師がお亡くなりになり、恩師の下に40数年続いてきたクラス会で何回か「案山子」という名の同窓会誌を発行しているのだが、拓は現在その幹事的な仕事を引き受けており、帰宅したら亡き恩師の追悼号を発行しなければならないこと。出発前からクラスメイトに寄稿を依頼しており、旅の途中もメールなどでそのフォローを続けて来ていて、どうやら発行できるほどに原稿が集っている。年末までには作り上げて恩師宅を訪ねて仏前にご報告したいと考えている。

もう一つは来正月に開催予定の恒例新年会の取りまとめ役として諸通知などの事務を行なわなければならないこと。これらはいずれも日限のある仕事であり、引き受けた以上は、年末まで旅を続けているわけにはゆかないのである。ということで10日までには戻る予定にしていたのだが、結果的には少し早や目の帰宅となった次第。

天気は回復したとはいえないが、どうやら雨は上がったようである。朝食は昨日の忍野公園へ行ってとることにして、名水富士の水を汲んだ後、移動する。もしかしたら富士山が見えるかもしれないと期待して行ったのだが、2時間ほど時間をかけて朝食を済ませる間にも、雲は全く動かずその期待は空しいものとなった。斯くなる上は帰るしかない。帰りのコースは、山中湖から道志みちを通って相模湖方面に向かい、津久井湖を経て橋本から八王子を掠めて野猿街道を経由して川崎街道に出て、多摩川を渡り府中から小平、西東京と通って練馬から外環道に入り、草加で降り、R4R16経由で守谷の自宅に戻る予定である。書いてみると随分細かくなるが、東京を北西部経由で自宅まで帰るときはいつもこのようなコースを通っているので、拓としてはナビなど不要の道筋なのである。ただ、道志みち(R413)を通るのは久しぶりのことだ。

忍野を出たのは9時半少し前。それからは略予定通りのコースを辿って、多少寄り道をしながら買い物などをして、自宅に着いたのは15時半頃だった。この間のことは最早一々書く気にはなれない。旅は終わったのである。

<旅から戻って>

のんびりと島暮らしをしたいと出かけたのだが、やはりまだまだ欲張りな気持ちがたくさんあって、島で過ごしたのは1週間足らずだった。しかも移動しての生活が多かったから、暮らしをしているなあと実感できる時間は少なかった。しかし、しまなみ海道という特殊な環境の島だったので、面白いこともあった。何といっても一番面白かったのは、多々羅大橋を3日連続で往復したことである。世の中には橋と呼ばれるものは無数といって良いほどたくさんあるが、海に架かる橋はそれほど多くはない。その中でも最大級の橋を散歩に使えるなんて、夢のようなことだ。又、たった1匹しか釣れなかった辛うじて食べられるレベルの鯛で、鯛めしを作って楽しめたのは、天恵ではなかったかと思っている。

北陸や四国に住む懐かしい知人に会えて、旧交を温めることが出来たのも、今回の旅では嬉しい思い出だった。人々との出会いは、その新旧を問わずいつも新鮮だと思う。これからもこれらの出会いを大切にしてゆきたい。

予定より少し早く戻ってきたので、早めに記録をまとめることが出来るかなと考えていたのだが、旅の後のアンニュイ(=倦怠感)は、同窓会の幹事の仕事とは無関係に、なかなか書く意欲を湧き立たせず、とうとう年を越えて1ヶ月以上も経ってからようやくその気を起させることとなった。旅から戻ると、その反動なのか、いつも何もする気が起こらなくなるのである。人間というのは、どんなに強い目的意識があっても、時にはその囚われに反旗を翻すような心を内包しているのではないかと思う。それは小生だけのいつもの詭弁かも知れないが、この頃はそれが酷くなって来ているようだ。

旅のあり方を反省してみると、最近は我ながら社会批判的なことが多くなって来ている感がする。自分の感性が優れて敏感になってきているとは到底思えないので、世の中のあり方の方に問題があるのではないかと、相変わらず自己本位に捉えている。これは反省ではなく、自己弁護かも知れない。しかし、出会いや発見の感動は別として、旅の中で感得する現実の中には、この国が美しさからはどんどん遠ざかっている現象があまりにも多いような気がする。旅の者の眼差しは、時には鋭い批判であっても良いのではないかとこの頃は思うようになった。自分たちだけが勝手に旅の恵みを享受して満足しているだけではなく、何かもう少しこの世の中の有様を、旅を通して浮き彫りにしてアピールできないものか、などと大それたことを考え始めているこの頃である。(了)

(明日からは、しばらく旅を離れた暮らしの話に戻ります。)

コメント
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