山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

南東北・佐渡・飛越信州の春ぶらり旅(第3日)

2008-09-16 04:43:33 | くるま旅くらしの話

4月26日(水)

早朝、小鳥達の鳴き声で目覚める。5時半起床。天気は回復し、青空が見えている。今日は10時頃出発の予定で、取材8時過ぎ頃からの予定。スタッフは喜多方市内に泊っているので、早朝は自分たちの時間。食事の前に、一人で付近の山を散策。去年、ここで雑木が伐採された後に残された春欄の株を持ち帰って、我が家の野草園に植えたのだが、今年はたくさんの花を咲かせてくれた。一株では寂しいのでもう少し追加しようという考えである。この辺には春欄がたくさん自生している。みだりに持ち帰るのは自然破壊につながる禁止行為だと思うが、それよりも木を伐採してその下に生きる春欄を見殺しにする方がもっとひどい犯罪行為ではないか、などと勝手な理屈を考えながら2株ほどをゲットして持ち帰る。これで来年からは、我が家の野草園の春欄は安心して咲き増してくれるだろう。車に戻る途中、タラの芽を数個ゲット。山菜の王様だ。この後どこかで天ぷらにして貰おう。青空の領域が広がりつつあるようで、今日はまずまずの天気となりそうである。

8時半、TVのスタッフ達がやって来た。出発の準備状況などを撮った後、道の駅の直ぐ上にある池の周辺を散策する様子もカメラに収められる。池の周辺にはソメイヨシノなのか、桜の木が数十本植えられており、今が丁度満開で、結構な観桜スポットとなっている。しばらく散策を楽しんだ後、長井の久保桜に向けて出発。

   

      喜多方市郊外の道の駅:喜多の郷の付近から見た春の飯豊連峰

R121で米沢まで行き、米沢市内でR287に入って道なりに行けば長井市に到達できる。先ずは、熱塩加納村という変てこりんな名前の県境の村(喜多方市に合併)の坂道を登り、トンネルを抜けて米沢市へ。市といっても、いつでも熊さんが「お晩です」と飛び出してきそうな山の中を、道路は走っている。撮影の都合上SUN号との間に他所の車が入らないようにするため、気を使って走る。

新緑に染まりかけた山を下って道の駅:田沢で小休止。ここで、撮影の都合で邦子どのはスタッフの車に移り、代わりに隣席にカメラ担当のKさんが乗り込む。どうやら至近からカメラを向けて、自分の運転振りや旅の考え方などを撮影・聴取するという目論見らしい。道路の舗装状況がかなり劣化していて、凸凹がひどい箇所が多いので、運転にはかなり気を使う。それにしてもTVのカメラマンというのは、重労働だなと思った。ちょいと、隣席のKさんを見ると、狭い座席の中で、身をくねらせながら、自分の足がどこにあるかもわからないほどの無理な体勢でカメラを回している。カメラ中心での作業で、死んでもその姿勢は変えないぞ、という気迫が伝わってくる。好きでなければ出来ない仕事だとあらためて思い、彼の仕事ぶりに感心させられた。

その彼が、Fさんに代わって、用意してきたらしい質問をされるので、それに気をとられて安全運転が脅かされないよう心がけた。その中で、「何故、桜なのか」というのがあったが、そういえば花見といえば何故桜なのだろうかと自問してみた。古来愛でられる春の花は、梅と桜に2大別されているようだが、梅と桜では雰囲気が180度違うように思う。桜は開放的だが、梅はどちらかといえば閉鎖的な感じがする。桜はどこの山にでも自生するものが多いが、梅が自生している山など見たことがない。梅は人間の手間暇に依存して生きているケースが多いように思う。桜はその実を小鳥達が啄(つい)ばみ、自由に野に配ることが出来るが、梅は小鳥達には大きすぎて運べないし、味も彼らの好みからは遠いのではないかと思う。梅の持つ孤独感のような雰囲気は、そのような樹木の特性から来るのかも知れない。長い冬から開放されてホッとするには、やはり梅よりも桜の方がフィットしているように思う。などなど、相変わらずの屁理屈を考えながら、Kさんの質問に適当に答えたりしつつ米沢市内へ。

ここで2度ほど道を間違えて、後ろからついてくるスタッフの車を惑わせたりした。旅の中で道に迷うのは、大切なことのように思っている。ナビを使って最短距離をまっしぐらに効率よく進行するという考え方は、現役の人たちの効率主義そのものである。道を間違えるからこそ見えてくるものも世の中には結構あるものだ。この頃は、そのような屁理屈を以て自分のエラーをごまかすようにしている。

  

  米沢市郊外を走るSUN号。周辺の山は未だ雪があり、春にはなっていない。

長井市の伊佐沢という所にある「久保桜」に着いたのは、12時半頃だった。TVの取材がなかったら、この桜の存在には気づかなかったろうし、従って来ることもなかったのかもしれない。小学校の校庭の傍にあるその老木は、樹齢1200年とか。400年ほど前の江戸時代に、中央にある洞(うろ)を浮浪者の火の不始末で焼かれて、とんだ被災にあったとかで、真ん中から二つに裂かれたような樹の姿であった。幹の下部から根元にかけては、幾つもの力瘤のようなものがあり、樹種を問わず長寿を保っている樹木の共通の特徴のようである。残念なことに花の方はさっぱりで、まだ蕾もふくらみを開始したばかりのような感じだった。花は未だでも、その姿を見ただけで充分だった。千年もの時間を越えて生命を永らえているものの存在に触れただけで感動はジワリと寄せてくる。

  

   長井市郊外の伊佐沢にある久保桜。樹齢1200年の威容を誇る。只今養生中とか。

伊佐沢の久保桜の後は、同じ市内の草岡という所にある大明神桜というのを訪ねた。こちらは最上川を挟んで久保桜とは反対側に位置している。長井市や隣の白鷹町にかけて桜の老木が点在しているのは驚きである。白鷹町には古典桜と呼ばれる老木が数本を超えて存在しているという。最上川や隣の南陽市の赤湯温泉など、地形や気象等との関連があるのかもしれない。桜にとっては、生命を永らえ易い条件が揃っているのであろう。

大明神桜は、久保桜と違って、背が高い樹だった。下部の幹周りはかなりあるのだろうが、背が高いのでスマートに見える。一般的に老樹は背が低いものが多いようだ。風雪に耐えるためには、低い方が有利なのだと思う。それなのにこの大明神桜は、堂々と生きている。やはり蕾も固いままだったが、久保桜とは異なった感慨に打たれた。素晴らしい。

  

長井市郊外草岡にある大明神桜。この樹も1200年を超える生命を保持している。今年は鷽(うそ)が芽を摘んで食べてしまって花が少ないということだった。

大明神桜の根元には、キクザキイチゲが透明感のあるブルーの花を風になびかせて咲いていた。やはりここの冬も寒く厳しいのだなと思った。近くを散策すると、小川に沿った屋敷林のような林の中に何株かのショウジョウバカマが美しいピンクの花を広げていた。不自然でない自然がここには残っているなあ、と嬉しくなった。

今日の取材はここまでで終わって、明日は1日フリーとなり、明後日佐渡へ渡るフェリー乗り場から再開されることになっている。一先ず撮影などが終わって開放されて、ホッとする。スタッフと別れて、我々は一先ず近くの道の駅:飯豊に行くことにして出発。今日の宿をどこにするかはまだ決めていない。撮影の間はずーっと天気が良い。予報を覆している。ラッキーと言うことなのか。

この道の駅で、前回来た時に、揚げたてのコロッケが美味かったので、それでお昼にしようと考えたのだが、行って見ると残念なことに今日は休みだった。野菜を少々ゲットし、ゴミ処理をして出発。

R113を日本海に向かう、途中道の駅:小国で小休止した後、新緑間近かの荒川峡を越えて、道の駅:関川に向かう。途中隣席の邦子どのは、取材で疲れたのか、首の骨が折れそうな危ないコックリを連発し続けていた。運転者は眠ることが出来ないので不公平だが、どういうわけか拓の場合は、運転している時はあまり眠くならないのだ。眠くなったら車を停めて寝るだけのことである。

道の駅:関川に着いたのは16時半だった。温泉も併設されている。今日の宿は、ここにご厄介になることに決める。温泉に入るには少し早いので、近所を少し散策してみた。文化施設の様なものが幾つかあって、よく整備されている町であることがわかる。明日、ゆっくりと歩いてみることにして、今日は風呂に入って早めに休むことにする。小雨がパラついてきた。天気は又崩れるのかもしれない。温泉に行ってみると、何と今日は26日、風呂の日とかで普通は500円の料金が260円となっていた。これは嬉しい。しかも入ってみると立派な天然湯の露天風呂もあって、最高に満足できる施設だった。絶対のお薦めの湯である。

風呂から上がって一杯やりながら、ほんの少しばかり佐渡についての事前チエックなどを行い、直ぐにやめて就寝。断続的に車の天井を叩く雨の音がうるさかった。

コメント
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