山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

南東北・佐渡・飛越信州の春ぶらり旅(第10日)

2008-09-23 05:14:35 | くるま旅くらしの話

10日 <53()

快晴の朝となった。金北山の眺望が素晴らしい。早めに写真を撮ろうと、食事の後SUN号を写真の撮りやすい場所に移動させる。旅の写真は多いが、車や人物を撮ったものは極端に少ないのが我々の特徴で、いざというとき材料不足で困ることが多い。例えば、名刺に旅くるまの写真や自分の顔写真を載せようとしても殆ど無いのである。最近気がついて、少しはそれらに使えるようなものを撮ることにした。今日は絶好のシャッターチャンス日和である。いろいろな角度から何枚かの写真を撮った。先のTV取材のカメラマンのKさんの影響などが少しはあるのかもしれない。

   

晴の空。遠くに聳え連なる金北山を背景に、佐渡最後の日のSUN号の記念写真

とにかく今日は最後の日なので、フェリーの出航時間12時40分の1時間前までには乗り場に行くようにして、それまでの間に幾つか目をつけた所を訪ねることにする。先ずは近くにある清水寺という所に参詣することにした。10分ほどで到着。立派な寺だったが、荒れがひどくて、何だか勿体無いような気がした。住職さんの力が足りないのか、檀家のパワー不足なのか、このままだと朽ち果ててしまうのではないかと心配するほどだった。今度来た時には、しかるべく補修がなされているのを祈るのみ。せっかくの文化遺産を何とか保持して頂きたいなと思った。

次は未だ行っていない「朱鷺センター」へ。佐渡といえば朱鷺というほど、最近では有名だが、拓は、あの変てこりんな顔をした派手な色の鳥をそれほど見たいとは思わない。鳥の方だって、見に来て欲しいなどとは、それほど思ってなどいないだろう。しかし、せっかくだからどんな具合なのか、ちょっと覗いてみようと立ち寄る。人気があるらしく、8時になったばかりだというのに、観光バスなどもやって来て、お客さんが多い。入ってみたが、予想通り、肝心の鳥達は人間からはかなり隔離されていて、望遠鏡や双眼鏡でしか見ることができない。肉眼では、遠くの方でそれらしい鳥がギャーと鳴く声がきこえる程度で、親しみも何も感じない。佐渡に居た朱鷺とは違う種類の何とかいう朱鷺は、近くに何羽か飼われているのを見ることができたが、これは本物ではないのだから、つまらない。鶏や雀などの方が親しみがあっていい、などと思った。概してネガティブなコメントである。朱鷺はそっとしておくに限ると思う。

道の駅でお土産などを買いたいという邦子どのの要請で、開店したばかりの道の駅の販売コ―ナーに再来。拓には土産など関心ないが、付き合いの多い邦子どのには多少の気配りが必要なのであろう。ご苦労なことです。買い物をしている間は暇なので、付近をぶらぶらする。

買い物が済んで、未だ時間があるので、両津郊外の羽吉という所にある桑の老樹を見に行くことにする。老樹を見るのが好きだ。黙々と風雪に耐えて生命を永らえてきた存在には、いうに言えない荘厳さがある。その桑も樹齢千年を超えるというから、それなりの風格があるに違いない。

行って見ると、想像を遥かに超えた大樹だった。桑の木のこれほど古く巨大なものは、今まで見たことが無い。樹齢は、何と千三百年という。国の天然記念物に指定されているその老樹はとても桑とは思えず、物言わぬ怪物のように思えた。根回りが5mを超えているとか。未だ葉が出ていないので、桑には見えないのだが、やがて若葉が広がると、やはりこれは桑なのだと判るに違いない。個人の持ち物ということだが、千三百年の間、この樹は一体どのような人たちと関わって時代を見て来たのだろうか。一言訊いて見たいものだと思った。

   

羽吉の大桑。1300年を生き抜いてきたそのパワーに圧倒される。

老樹に感動して車に戻ると、近くに「苔梅」という案内板が目に入った。未だ時間があるので、歩いて行って見ることにした。10分ほど歩くと、真法院というお寺があって、そこに梅の古木があり、それが苔梅と呼ばれているらしい。解説板によると、順徳上皇お手植えの梅で、現在のものは何代目かのものとのこと。古木にしては少し若い感じがしたのはそういうわけだった。この島では順徳上皇はかなり人気の高い人物だったようである。

フェリー乗り場の駐車場に車を入れたのは10時半だった。少し早すぎる気はしたが、他に停めるよりもどうせここに来なければならないのだからと、置くことにした。その後で、出かければいい。

邦子どのがフェリーターミナルを覗いている間、拓は両津欄干橋近くにある村雨の松というのを見に行くことにした。両津欄干橋は、その昔、夷(えびす)と湊(みなと)の二つの町を結ぶ橋として、かの有名な両津甚句にも唄われている。村雨の松は昔の番所の跡に残っている樹齢400年ほどの黒松の大木である。確かに見事な巨木だった。可哀想に2本の幹があったのが、そのうち1本は下部から切り落とされていた。何か事故や病気にあったのかもしれない。樹木医の手当てがされているのだと思うが、事故や病気にはなかなか勝てないのであろう。何枚か写真を撮る。今日は先ほどの桑の老樹と、この未だ若いけれど頑張っている黒松の大木を見て、充分に満足した。

 

両津甚句にも歌われている両津欄干橋(左)と村雨の松(右)。

その後、フェリーは予定通り出航。フェリーの中の2等船室で横になりながら、5日半の佐渡のことにいろいろと思いを巡らせた。

昨日だったか、邦子どのから聞いた話だけど、乗用車で来た夫婦の方が、1日で佐渡をぐるーっと一周して来て、もう何も見る所が無い、明日のフェリーに乗るまで、時間が余って何をしようかと困っていると言っていたという。旅の仕方にもいろいろあるが、意外とこの夫婦のような旅の仕方が多いのかもしれない。批判をするつもりは無いが、少し勿体無いように思う。自分達の佐渡の5日半は、佐渡のほんの一部しか知ることは出来なかったし、地元の方たちとの交流も殆ど無かった。最低でも1ヵ月くらいの時間が必要だと思っている。それにしても1日で佐渡を見きってしまって、もう見るところが無いという発想は凄まじいと思わずには居られない。自分たちは、何だか中途半端で、佐渡という国に対して理解不足で申し訳ないという反省しきりなのに、その夫婦者の話が併せ浮かんで来て、参った。

佐渡の金銀山にはとうとう行かなかった。殆どの観光客は佐渡へ来たら必ず訪れる場所であろう。少しひねくれているのかも知れない。しかし、やっぱり遺恨や怨念の篭った哀しい歴史の跡を見る気はしない。金銀などに元々あまり興味が無いのは、貧乏に慣れて育った所為なのかも知れない。貧乏の癖に貧乏に慣れない奴は、反発して金銀財宝を欲しがるのであろう。などなど、つまらない妄想などを思い巡らしながら、うつらうつらしている間に、フェリーは予定通り新潟港に到着した。15時丁度である。

さて、これからどうするか。先ずは油を補給しなければならない。とにかく日本海サイドは油の値段が高い。新潟市内の軽油は、安くても105円というレベル。油の高騰は、くるま旅くらしにとっては真に困った事態である。なるべく安い所をと、先日道の駅:阿賀の里へ行く途中で見つけたスタンドへ行くことにした。そこは103円だった。今日は若干買い物をして、道の駅:新潟ふるさと村にご厄介になることに決めた。

給油の後、近くに白鳥の飛来地として有名な瓢湖があるのを知り、そこへ行ってみることにした。白鳥は勿論飛び去っていなかったが、鴨などは残っている奴がいて、なにやら鳴き騒いでいた。あまり大きな湖ではないが、広い駐車場もあり、湖の周りは公園となっているらしく、水場やトイレもあって、車中泊も可能だなと思った。園内には百本ほどの八重桜が植えられており、それが丁度満開となっていて、なかなか豪華な景観だった。しばらく園内を散歩したあと車に戻り、新潟郊外にある巨大なショッピングモールの中にあるスーパーへ。

佐渡に渡る前にここに一度来ているので、勝手は知っているのだが、あまりに大きいので、却ってわかりにくい。品揃えも豊富で、これでは、市内の商店街がシャッターを閉めざるを得なくなるのは仕方ないなと思った。そういえば今日、フェリーに乗る前に両津のメインストリートと思しきアーケードのある商店街を歩いたのだが、よくもまあこのような状態で商売が成り立っているなあ、と驚くほどの閑静さだったのを思い出した。現代は完全に車社会となってしまっており、駐車場の無い場所では、よほどに個性的で魅力的な商品を持たない限り、商売の継続は困難な時代なのだとあらためて思った。

その後、道の駅に向う途中で落陽の時刻となったが、田植え前の田んぼに落ちる夕陽がこれほど美しいとは思わなかった。

    

越後の広大な田園に落ちる夕陽。北海道の北にあるクッチャロ湖の夕陽を思い出す。

道の駅:新潟ふるさと村は、前回のときよりも車は少なく、落ち着いた感じとなっていた。しかし、夜間エンジンをかけっぱなしにしている奴が近くにいて、安眠を妨害された。このような自分勝手の非常識な奴を取り締まる法は無いのであろうか。大気汚染や、温暖化などには委細構わず、ただ自分の、その時の満足だけを求める人間が増えて来ているようで、何とも情けない。佐渡のことは、早くも忘れ果てて、騒音に対するストレスが夢を悪い方へと誘ったようである。

コメント
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