山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

南東北・佐渡・飛越信州の春ぶらり旅(第15日)

2008-09-27 06:07:30 | くるま旅くらしの話

15日 <58()

よく降る雨も、さすがに飽きが来たのか、朝7時を過ぎる頃にはようやく降り止んだ様で、一帯は霧がかかっていた。勿論黒部渓谷の向こうの山などは全く見えない。この立山連峰などの高山のため、越中富山に行くときは、弁当を忘れても傘は忘れるな、などと天気のことを言われるのかもしれない。しかし、拓の知っている夏の富山は、もの凄い炎暑の街だし、冬の富山では酔っ払って、融雪用の溝に落ちたことくらいしか覚えていない。魚が美味いし、米も美味い、そして人情も温かな良い所だ。富山人は暗いと思い込んでいる人が結構居るようだが、拓の知っている富山人は、皆明るくて頭のいい堅実な人物ばかりである。(いつの間にか富山人の評論になってしまった。失礼)

 勢堂氏の住いは、北陸道富山ICの近くらしい。地図では比較的分りやすいので、何とかなるだろう。今まで、ナビ無しでも訪問先に行けなかったということはない。殆ど一発でいっているので、今回もそれ程心配はしていない。10時少し前に出発。R8から市内に入って、常願寺川の橋を渡ってR41へ。これを道なりに行き、IC近くで左折すればいいはず。

富山市は大都市だなと思った。富山県の人口の1/3以上がこの町に集中しているのではないか。人口も40万人を超えている筈だ。市街地はさすがに車が多く、所々渋滞していて時間を食った。勢堂家の近くまで来て、近所の方に詳しく道を尋ねようとしていたら、何とご本人が車でやって来た。気にしていたらしい。申し訳なし。でも無事到着できてよかった。

早速お宅に上がりこんで、挨拶を交わし、長いご無沙汰を埋めるべく歓談、歓談。勢堂氏とは20年近く前、研修の旅でヨーロッパ各国を廻ったとき、同行した仲間でもある。その後何となく気が合って、お付き合いしていた仲なのだが、先日無事退職したとの挨拶状を頂き、そのはがきの中に、これから百姓をやるというようなことが書かれていた。どのような百姓ぶりなのか見せてもらおうと、今回の佐渡行に併せて訪ねてみようと思った次第である。先日のメールでは、只今田植えの最中ということだったので、今日の訪問となったが、農作業の疲れも見せず、奥さん共々元気に迎えて頂き嬉しくもありがたかった。何のお構いもなく、などと言いながら奥さんの作って出してくれる料理を、遠慮もしないでパクパク食べながら、あれこれと話が弾む。

農業のことを聞くと、何と奥さんの実家の田んぼを借りて三反歩も作っているとか。こりゃあ、本格的だ。実家の農作業の手伝いも借りる条件の中に入っているというから、益々本格的である。今は農業といっても、機械作業が中心だから、彼の場合はお手のものだろうと思う。何といっても、もともと技術屋さんなのだから。

直ぐ隣が息子さんの家で、学校から帰ったお孫さんは、自分の家に戻らずおばあちゃんとおじいちゃんの所に、「ただいま」と帰ってくる。お孫さんとは良い関係が出来上がっているようで、自分達のように年に数回も会えない状況とは随分違うなと羨ましく思った。

15時近くまですっかりご馳走になって、暇を告げようとすると、何とお土産として玄米30kgの入ったものを持ってゆけという。びっくりした。実は、秋に新米が出来る頃にもう一度来るよ、と冗談を言って別れようとしていたのだが、今ここで、いきなりこれほど大量の米を頂戴するなんて、夢にも思っていなかった。本当に驚いた。しかし良く考えれば驚いてばかりでは済ませない。彼らご夫妻の温かいプレゼントとして、有難く頂戴しようと気持ちを切り替えた。本当にありがとうございました。

勢堂ご夫妻にお礼を言って、教わった道をひたすら道の駅:井波に向かう。本来は砺波のチューリップを見ようと思っていたのだが、勢堂氏の情報では、昨日で祭りが終わって、今日から数日は片づけでお休みだとか。ま、チューリップは新潟でも見てきたし、来年でもいいやとあっさり諦めた次第。

近道を教えてもらったので、1時間ほどで道の駅に到着。ここは何度も来ている所で、かなり勝手も知っている。井波は今度の合併で南砺市となった。市という実感はない。何といってもここは彫刻の町である。閑乗寺を終点とする木彫りの店の並ぶ商店街は、独特の雰囲気がある。加賀百万石関係の一切の彫刻を、その昔ここに住みついたお抱えの仏師や木地師たちが担って制作していたという。その伝統は、現代にも脈々と生きているようだ。到着後しばらく、少し離れた所にある商店街まで歩いて散策する。以前来た時と少しも変わっていない、静かな町の佇(たたず)まいがそこにあった。

駅に併設されている入浴施設(温泉ではない)に入って、車に戻り、勢堂ご夫妻やお孫さんたちのことなどを振り返って話しながら、一杯やっていつもと変わらぬ夜を過ごす。

この日は、特に掲載するような写真を撮りませんでした)

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南東北・佐渡・飛越信州の春ぶらり旅(第14日)

2008-09-27 06:06:29 | くるま旅くらしの話

14日 <57()

朝から雨。どうやら今日は終日雨のようだ。勢堂氏との約束で、明日お宅を訪ねることにしているので、今夜は富山に近い宇奈月の道の駅に泊まろうと考えている。日本海に沿って走るR8に点在する道の駅に立ち寄りながら、ゆっくり西上()するつもりでいる。

8時少し前出発。昨日来た道を戻って柏崎でR8に。あとはこの道を黒部市まで直進するだけである。R8に入ると直ぐ、正面に雪を冠した山が見えてきた。何という山なのか分らなかったが、多分米山ではないかと勝手に判断する。米山は米山甚句にも唄われている名山だ。その山の麓の海側を走るR8の傍に、道の駅:米山があった。休憩に立ち寄る。

雨は今の所は小止みの状態である。トイレの近くに野草類を売っている所があり、そこにシラネアオイの鉢が幾つか並べられていた。拓はこの花が大好きで、函館山で自生の花を見た時からの大ファンなのだ。しばらく眺めている内にどうしても欲しくなり、1,500円の奴を一鉢ゲット。ついでに雪割草も一鉢。家に持ち帰り我が家の野草園に植えて仲間を増やしてやるつもり。我が家の野草園は、日除けも完備しているので、育ててゆく自信はある。今年の春も春欄を初め、ニリンソウやカタクリ、それにイカリ草やクモマ草など、もちゃんと花を咲かせてくれている。雪割草というのはオオミスミ草のことらしい。これで来年は、少し賑やかな早春を迎えることが出来るだろう。

米山を出た後は、杜氏の里と名のつく道の駅:吉川に寄ろうと向かう。ここはR8から少し内陸部に入った所にあるのだが、道を間違えてしまい、広い田んぼや森の多い里の中を迷った末にようやく発見。ここで1時間ほど休憩。山菜などをゲット。邦子どのはエビネを一鉢買っていた。隣の建物に杜氏関係の資料が展示されていた。この町から全国とは言わないが、かなりのエリアに酒造りに出かけているとのこと。地酒も売られていたが、このところ飲み過ぎの嫌いがあるので、買うのは自粛した。

再びR8に戻って、次の道の駅:能生に着いたのは、11時半頃だった。かなり雨が降っている。この道の駅は海産物の販売所が、駅の建物の脇に併設されていて、地元の魚貝類やカニなどをゲットすることが出来る。それが楽しみで寄ったのだが、今日はカニが一番の売り込み商品らしく、どの店もカニ、カニと、カニ一色に近い状況だった。拓ははっきりいってそれほどカニに魅力は感じない。

しかし、邦子どのは大好物なのである。昼飯時近くだった所為もあり、カニ(松葉ガニ)を買うお客さんが多い。店の一番端に休憩所があり、見ているとプラスチックの丸い大きな桶の中に、買ったカニを幾つも入れて家族連れの人たちがぞろぞろ入ってゆく。行って見ると、何とそこで大勢の人が黙々とカニを食べているのだ。カニの一斉食いである。これじゃあ我々も参加しないわけには行かないのではと、邦子どのに声をかけてカニを食べることにした。

雨降りはかなり激しくなっているのだが、そんなことにはお構い無しに、皆黙々とカニにかぶりついている。さすがの邦子どのもこの光景を見て少しためらいがあったようだが、やはりカニの誘惑には逆らえず、出かけていってカニをゲットしてきた。獲れたてのものではないので、実際食べてみると、スカスカの所も多くて、見た目よりは不満が多い。邦子どのはカニの身を引き出すのが得意で、それを貯めて食べる主義である。その具を車の中に持っていって昼食にすることにしてSUN号へ。鯖の串焼などを作って売ればいいのにと思うのだが、ここには焼き物は皆無である。拓はお付き合いで足を2、3本食べただけ。

昼食の後、明日の勢堂氏のことを考え、住所と地図の確認をしようと地図を探したら、何と持参してきたのは東北と関東地区の分だけで、他の地区の分を忘れて来てしまっていた。東北の地図には、新潟県までは載っているが富山県は載っていない。凡その場所は出発前確認していたので、イメージとしては見当がついているのだが、やはりいざとなれば地図がないとどうしようもない。富山の後に信州や飛騨の方面へ行こうとすれば、そこの地図が必要なのに、うっかり忘れて来てしまっていた。SUN号にはナビを付けていないので、地図がなければ、あとは勘を頼りとするしかない。何処かで富山の地図だけでも買う必要がある。

しばらく休憩の後出発。40分ほどで親不知ピアパークという名の道の駅に到着。ピアパークというのは、どういう意味なのか。最初はピアとビアと間違えて、どうしてこのような所にビールなのかな?などと疑問に思った。調べれば何のことはない、難所の親不知を北陸高速道が通っており、その橋脚の下にこの道の駅が造られている。英語で橋脚のことをピアというらしい。とんだお笑いである。この道の駅にも魚介類が販売されているが、能生とは比べものにはならず、パスして次に向かう。

次は富山県との県境近くにある市振の関という名の道の駅である。この関所がどのような役割を担っていたのかはよく分らないが、越後と越中との境にあるのだから、軍事や経済上での何らかの重要な位置づけであったのは確かだろう。何しろ江戸時代というのは、この狭い日本を300余の小国家が集って区分統治をしていたのである。その時代が終わってから、未だ150年も経っていないのだ。あらためてそのことに気づくと、驚かずにはいられない。この道の駅に着いた頃は雨も少し小ぶりとなってきた。売店で地図を探したら、丁度欲しい情報の入ったものが見つかった。これで明日はもう大丈夫である。

直ぐに富山県内に入って、宇奈月に向かう。宇奈月といえば、黒部渓谷の入口にある温泉で有名な所だが、今日お世話になろうとしている道の駅は、それよりもかなり手前にあり、近くに温泉があるかどうかは分らない。富山県は日本でもリッチな県の様だ。名目上の所得は東京などの大都市圏には及ばないが、住宅を初め生活のベースとなるものについては、遥かに上を行っているし、又この大自然に囲まれていれば心も豊かになるのではないかと思う。立山連峰の厳かな峰々を仰いで育てば、自ずと精神の健全性も培われるのではないか、などと勝手な想像を巡らしながら40分ほど走り、黒部川の橋を渡って左折して、間もなく目的の道の駅に到着した。15時だ。少し早すぎる到着だが、今日の泊りはここに決めている。

道の駅構内には、「宇奈月麦酒館」というのがあって、どうやらここで地ビールの製造と販売を行なっているらしい。これは良い所に来た、と早速館内に入ってみる。「宇奈月ビール」というのが商品名らしいが、案内のパンフの説明によれば、ここのビールは本場ドイツの品評会でも入賞しているとか。飲んでみないと分らないが、来て早々ビールというわけには行かない。いつものように情報を求めて付近を散策するのは拓の役割。温泉はないかと案内板などを見てみたが、勿論この構内にはなく、隣は友学館という名の博物館のような建物が建っていた。2kmくらい離れた所には保養施設のようなものがあるらしい。そこへ行けば温泉があるのかもしれないが、今夜は我慢することにして動き回るのをやめる。

夕方になると、麦酒館のバイキングとビールを求めて三々五々人が集まってくる。我々にはバイキングなどは不要で、ジョッキのビールだけが欲しいのだが、持ち出すわけにも行かないので、我慢することにした。だが、我慢は効かず、邦子どのが売店へ行って3種類の缶ビールを買ってきた。

     

 地ビールの一つ、宇奈月ビール。なかなか味わいのあるビールだった。

トロッコ、カモシカなどと商品名が書かれていた。今日も日本酒でいいやと思っていたが、目の前にあるとそうはいかない。少し飲ませてもらったが、なるほどここのビールは、ドイツのビター系のようだ。黒ビールとまではいかないけど、褐色系の色合いをしており、ほんの少し苦味があって、拓の好きな味だった。これなら2Lくらいは直ぐにいけるなと思ったが、そのようなことすれば糖尿君が黙っているはずがない。残念だけどコップ一杯ほどで、諦める。

雨は降り続き、夜の間も止むことはなかったようである。

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