第15日 <5月8日(月)>
よく降る雨も、さすがに飽きが来たのか、朝7時を過ぎる頃にはようやく降り止んだ様で、一帯は霧がかかっていた。勿論黒部渓谷の向こうの山などは全く見えない。この立山連峰などの高山のため、越中富山に行くときは、弁当を忘れても傘は忘れるな、などと天気のことを言われるのかもしれない。しかし、拓の知っている夏の富山は、もの凄い炎暑の街だし、冬の富山では酔っ払って、融雪用の溝に落ちたことくらいしか覚えていない。魚が美味いし、米も美味い、そして人情も温かな良い所だ。富山人は暗いと思い込んでいる人が結構居るようだが、拓の知っている富山人は、皆明るくて頭のいい堅実な人物ばかりである。(いつの間にか富山人の評論になってしまった。失礼)
勢堂氏の住いは、北陸道富山ICの近くらしい。地図では比較的分りやすいので、何とかなるだろう。今まで、ナビ無しでも訪問先に行けなかったということはない。殆ど一発でいっているので、今回もそれ程心配はしていない。10時少し前に出発。R8から市内に入って、常願寺川の橋を渡ってR41へ。これを道なりに行き、IC近くで左折すればいいはず。
富山市は大都市だなと思った。富山県の人口の1/3以上がこの町に集中しているのではないか。人口も40万人を超えている筈だ。市街地はさすがに車が多く、所々渋滞していて時間を食った。勢堂家の近くまで来て、近所の方に詳しく道を尋ねようとしていたら、何とご本人が車でやって来た。気にしていたらしい。申し訳なし。でも無事到着できてよかった。
早速お宅に上がりこんで、挨拶を交わし、長いご無沙汰を埋めるべく歓談、歓談。勢堂氏とは20年近く前、研修の旅でヨーロッパ各国を廻ったとき、同行した仲間でもある。その後何となく気が合って、お付き合いしていた仲なのだが、先日無事退職したとの挨拶状を頂き、そのはがきの中に、これから百姓をやるというようなことが書かれていた。どのような百姓ぶりなのか見せてもらおうと、今回の佐渡行に併せて訪ねてみようと思った次第である。先日のメールでは、只今田植えの最中ということだったので、今日の訪問となったが、農作業の疲れも見せず、奥さん共々元気に迎えて頂き嬉しくもありがたかった。何のお構いもなく、などと言いながら奥さんの作って出してくれる料理を、遠慮もしないでパクパク食べながら、あれこれと話が弾む。
農業のことを聞くと、何と奥さんの実家の田んぼを借りて三反歩も作っているとか。こりゃあ、本格的だ。実家の農作業の手伝いも借りる条件の中に入っているというから、益々本格的である。今は農業といっても、機械作業が中心だから、彼の場合はお手のものだろうと思う。何といっても、もともと技術屋さんなのだから。
直ぐ隣が息子さんの家で、学校から帰ったお孫さんは、自分の家に戻らずおばあちゃんとおじいちゃんの所に、「ただいま」と帰ってくる。お孫さんとは良い関係が出来上がっているようで、自分達のように年に数回も会えない状況とは随分違うなと羨ましく思った。
15時近くまですっかりご馳走になって、暇を告げようとすると、何とお土産として玄米30kgの入ったものを持ってゆけという。びっくりした。実は、秋に新米が出来る頃にもう一度来るよ、と冗談を言って別れようとしていたのだが、今ここで、いきなりこれほど大量の米を頂戴するなんて、夢にも思っていなかった。本当に驚いた。しかし良く考えれば驚いてばかりでは済ませない。彼らご夫妻の温かいプレゼントとして、有難く頂戴しようと気持ちを切り替えた。本当にありがとうございました。
勢堂ご夫妻にお礼を言って、教わった道をひたすら道の駅:井波に向かう。本来は砺波のチューリップを見ようと思っていたのだが、勢堂氏の情報では、昨日で祭りが終わって、今日から数日は片づけでお休みだとか。ま、チューリップは新潟でも見てきたし、来年でもいいやとあっさり諦めた次第。
近道を教えてもらったので、1時間ほどで道の駅に到着。ここは何度も来ている所で、かなり勝手も知っている。井波は今度の合併で南砺市となった。市という実感はない。何といってもここは彫刻の町である。閑乗寺を終点とする木彫りの店の並ぶ商店街は、独特の雰囲気がある。加賀百万石関係の一切の彫刻を、その昔ここに住みついたお抱えの仏師や木地師たちが担って制作していたという。その伝統は、現代にも脈々と生きているようだ。到着後しばらく、少し離れた所にある商店街まで歩いて散策する。以前来た時と少しも変わっていない、静かな町の佇(たたず)まいがそこにあった。
駅に併設されている入浴施設(温泉ではない)に入って、車に戻り、勢堂ご夫妻やお孫さんたちのことなどを振り返って話しながら、一杯やっていつもと変わらぬ夜を過ごす。
(この日は、特に掲載するような写真を撮りませんでした)