山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

旅の後楽は少し苦楽

2008-09-07 05:42:54 | くるま旅くらしの話

 今年の北海道の旅から戻って丁度1ヶ月が過ぎようとしている。戻った当初は地獄の暑さだなと思っていたのだが、1週間もすると、異常気象が始まって、妙に雲の多い、雨が降るようで降らないイライラするような天気がしばらくの間続き、その後は雷鳴を伴った豪雨が襲ってくるなど、真に落ち着かない夏の日々が続いたのだった。

 天気のことはともかくとして、旅から戻ると毎度旅の記録を整理して冊子にまとめることにしている。今回もそろそろ手がけなければと思い腰を上げ、只今記録の執筆中である。多くの方は、このような冊子の原稿は、旅の間に手をつけているのだろうと考えられるようだが、私は旅の間は、毎日携帯でブログを投稿するのが精一杯で、とてもそのような気にはなれない。ブログに書いているのだから、それをそのまま冊子にしても良かろうという気もするのだが、旅というのはたった一つの真実だけではない、様々な体験や思いの真実が含まれており、やっぱりもう一回多少違った切り口で書いてみるのも必要ではないかと思っている。

 旅から戻ったしばらくの間は、いつもそうなのだけど、旅してきたことを思い出したり、振り返ったりすることは殆どない。もっと長い間居たかったのになあと、たら・ればの思いは巡らしても、旅をしてきた思い出などは殆ど考えない。この矛盾したような時間は、私には、一種の旅疲れというのか、必ずやって来る倦怠期のようなものなのである。その倦怠の時間が過ぎるのに1ヶ月くらいは掛かっている。

 旅の楽しみ方として、「前(予)楽」「現楽」「後楽」の3つのステージがある、というのが持論だけど、前楽というのは旅に行く前に、これから先の旅のあれこれを楽しむことであり、現楽は旅の現実の毎日を楽しみ、そして後楽というのは、旅から戻ってから、旅のあれこれを思い出して楽しむことを意味している。

 私の後楽というのは、そのメインとなっているのが旅の記録の作成なのだ。それは理論的には旅から戻ったら、できる限り早く書いた方が、印象が薄れないので、より正確に記述できるということになるのであろうが、私の場合は、1ヶ月くらい経たないと、その気が起きないのだからどうしようもない。別に思い出を熟成しているわけでもなく、すっかり忘れ果てて別のことを考え、行っているのだから、何とも性質(たち)の悪い話である。

 ようやく1ヶ月が経って、数日前から旅の記録を書き始めた。資料は、旅の間に記録したメモ、デジカメ日記、当用日記、地図、平成の大合併地図、道の駅完全ガイド、邦子どのが持ち帰った各種パンフ(あればの話だけど)などである。これらが後楽の材料である。そうそう、自分で書いたブログの記事も見るようにしている。これだけあれば、かなり正確に旅の様子を思い出すことが出来る。2~3年経っても大丈夫だと思っている。むしろ時間がより多く経った方が、後楽の楽しみはより大きくなるのかも知れない。

  この材料の中で、最も力を発揮するのはデジカメ日記のように思う。写真は動画よりも思い出を膨らましてくれるような気がする。その日の印象に残った場面をカメラに収めておけば、そこに映っている画像が語るものを忘れることはない。忘れそうなものがあったら、備忘用の簡単なタイトルをつけておけばよい。多くの人はデジカメを人物や風景の記念写真を撮るものとして使っているが、それは勿体ない話だと思う。記念写真は、旅全体の日々の出来事の一片に過ぎない。しかし、毎日旅全体を包み込むような写真記録を残すことはなかなか難しく、未だにあの時あれを撮っておけばよかった、と反省することが多い。

  さて、今回の旅の記録を書き始めてから6日が過ぎたが、現在まだ旅の9日目に辿りついたばかりである。1日に2日分を書けば、十日余りで終わるという計算なのだけど、なかなかそうは行かず、途中で止まってしまって、時には後戻りして書き直したりしているからである。別に締め切りがあるわけではないので、遅くなっても構わないのだが、まだどこかに現役時代の納期意識が残っており、「早くやってしまえ!」とせっかちな自分が脅しをかけてくるのである。

  しかし、何と言っても、今は楽しみの中にある。その時の出来事を鮮明に思い出し、そこに新たな感動を発見したりすると、本当に嬉しくなってしまう。記録というのは、事実を正確に記述することが基本だと思うが、それだけでは後楽はモノに出来ないように思う。様々な事実の中から心を打つものを発見し、それを膨らませて味わうことが、後楽につながる旅の記録なのではないかと思っている。しかし、それが出来ているのかといえば、まだまだ遠い所をウロウロしているような気がする。というのも、後楽の楽しみを味わいながらも、ちょっぴり、否それ以上の苦楽も味わっているからである。
コメント
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