山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

南東北・佐渡・飛越信州の春ぶらり旅(第17日)

2008-09-29 05:33:15 | くるま旅くらしの話

17日 <510()

ずーっと降り続いていた雨も、朝方にはようやく飽いて上がったらしい。広い駐車場なのに、わざわざ傍に来て駐車したトラックが、エンジンをかけたまま停まっていた。全くうんざりする。少しでもトイレに近い所で眠りたいというのは判るが、エンジンを切らないというのには何か訳でもあるのか? 排気ガス問題など、運送業界は屁とも思っていないようだ。流通経済におけるトラックの重要性は、充分承知しているが、横暴な運転が多いし、事故も多い。何かが狂っているとしか思えない。騒音に悩まされると、オーバーな批判が迸(ほとばし)って沸いてくる。やれやれ。

今日は木曾街道を北上して、信州は松本の先の堀金村にある道の駅に泊まり、明朝野菜などを買い、その後は甲州街道経由で帰路につこうと考えている。木曾街道は久しぶりだ。昔の宿場町も幾つか残っており、又新しい気持ちでそれらを訪ねてみたい。15日までには帰るつもりだったが、邦子どが15日予定のフォークダンスの練習に出席したいというので、少し繰り上げることにした。

8時頃出発。R19を目指してR21を小1時間ほど走ると、「志野・織部」という道の駅の看板が目に入った。まだ聞いたことのない道の駅の名前である。名前から、焼きものに関係があるに違いない。そういえば、この辺りは瀬戸や多治見に近い美濃焼の産地だったなと気づいた。焼もののことは良くわからないが、名前程度なら、辛うじて知っている。ちょっと立ち寄ることにした。9時前で開店までしばらく待った。

このエリアの産業振興の基地としての役割を担って、最近開設されたようだ。入っていくと魅力的な焼き物が数多く並べられていた。拓の関心のほとんどは酒器に行く。燗をした時冷めにくい形の徳利か、ごく薄の盃がお目当てなのだが、残念ながらここには見つからなかった。邦子どのは何やら気に入った物があったらしく、2、3点買っていたようだった。

間もなくR19(木曾街道)に出て、今日はこの道を中心にずーっと北上する予定である。新緑の中に紫の藤の花が、あちこちにこぼれて咲いている。そこに柔らかな光が当って、なんともいえない美しさである。それにしてもこのあたりには、野生の藤が随分たくさん生育しているようだ。

恵那を過ぎ、中津川を過ぎてしばらく行くと、馬籠宿の案内板が目に入った。木曾街道からは少し中に入るが、久しぶりに寄ってゆこうと右折して坂道をしばらく登り続ける。ようやく峠に出て少し下ると、馬籠宿の駐車場が見えてきた。1時間ほど休憩予定。

ここに来るのは3年ぶりか。藤村の実家があった所でもある。島崎藤村という人がどのような人なのか、作品がどの様なものなのか、実の所あまり良く知らない。超有名人なので、名前だけはしっかり覚えているし、受験に出るような作品名だけは何となく覚えているに過ぎないというのが、拓の藤村に対する知識の全てである。真に失礼と言うべきであろう。

   

 馬込宿は細い坂道の両側に宿の建物が続いている。

細い急坂の石の段々道の両側に、その昔の宿が軒を連ねている。遥かに恵那山を望む風景は、明治のその昔とあまり変わっていないのかも知れない。中山道の宿場町として、今日の方が有名になっているようだが、江戸時代はさして規模の大きい宿場だったとも思えない。この長野県山口村は平成の大合併で、越県合併を実現して岐阜県中津川市に入った。もともと美濃の国に属することを誇りとしていたらしいのが、戦国から江戸時代の力関係で信州に属されていたのを、地元の人たちは心良く思っていなかったらしい。これで岐阜県の面積は少しばかり増え、長野県の面積は減ったということになる。渡り鳥がこの話を聞いたら、一体どのようなコメントをするだろうか。人間と言う奴は、真にこだわりの動物よなあ、と嗤(わら)うかもしれない。しかし、血の雨を見ることも無くすんなり合併が進んだのは、少しは人間どもの知恵が進化した成果なのかもしれない。宿場町の一番上にある見晴らしの良い広場に、何やら合併の経緯が書かれた看板が建てられていた。

拓がここで一番感動したのは、そのようなことではなく、この広場近くでアケビの芽茎を発見し、それが無尽蔵とも思えるほどたくさんあって、採るのに夢中になれたということだった。勿論、邦子どのとは全く別行動で、従って自由なのである。とにかく目に入るものの全てがアケビの芽と茎なのだ。先日の数倍は採れたと思う。これは企業秘密のごとく取り扱わなければならない情報だなと思った。坂を下りながら正気に戻って、宿場町の今昔を思い浮かべたりした。不謹慎ではある。

馬籠の次は妻籠宿と決まっている。妻籠も同じ山口村かと思っていたら、こちらは信州の南木曽町だった。妻籠は馬籠から一山越えた場所にあり、車なら直ぐの所だが、歩けば結構な距離がある。それでも今日のウオーキングブームで、歩いている人が多い。多くは我々と同世代の人たちで、おばさんが多い。今日もそれらしい服装で歩いている一団を見かけた。

   

 妻籠宿の景観。こちらは川の畔の作られた平地に宿がある。

妻籠は、馬籠よりも少し大きい宿場町だ。何とかいう細い川の片側に沿って、1km弱ほどだろうか、馬籠と同じようにびっしりと宿が密集している。そこを往復した後、駐車場に戻り、ご飯を炊き、邦子どのが馬籠でゲットしてきたウドを天ぷらにして昼食とする。天気はあまり良くはないが、雨は大丈夫。新緑に染まりながらしばしゆっくりする。

14時少し過ぎ出発。周囲の山々の新緑が何ともいえないほど美しい。特にその中ではカラマツの緑が独特の色合いで山を彩っている。落葉する針葉樹としての春の色なのかもしれない。1時間ほど走って、奈良井の宿に着く。ここには道の駅があって、すぐ傍を流れる奈良井川に木造の太鼓橋が架けられている。釘などを一本も使わない工法によるものらしい。しばし休憩。

   

 奈良井、木曽の大橋。総檜造りの太鼓橋。

奈良井は、馬籠や妻籠よりも遥かにスケールが大きい宿場町である。その昔は奈良井千軒といわれるほど、中山道では重要な宿場町で、多くの宿屋が軒を並べていたようだ。この宿場町が好きなのは、水場があるからである。旅人の疲れを癒す第一のものは、何といっても冷たくて美味い水である。馬籠にも妻籠にもそれらしいものは見られないが、ここには数箇所の水場があり、今でも清冽な清水が迸っている。拓はそれだけでもう充分にこの宿場町が好きになってしまっている。邦子どのとは別れて、これは馬籠も妻籠でも同じなのだが、一人ちんたらと街中を散策した。ここにもアケビの芽茎が結構たくさんあった。

   

 奈良井宿の水場。このような水場が数箇所設けられている

16時半、奈良井を出発。一路松本を目指す。わがSUN後は、塩尻の手前で、オッドメーターが7万kmを突破した。4年と2ヶ月が経った。大いに活用してこの車にも旅をさせてやりたい。

塩尻を過ぎ、松本市内に入ると渋滞が始まった。ノロノロ運転がしばらく続き、ようやく市街地を抜け、郊外の堀金の道の駅に着いたのは、18時頃だった。何だかすぐにでも降ってきそうな空模様である。ここには数回来ているが、殆どが雨の中だったような気がする。今日も危ない。それでも来るのは、この道の駅で売られている野菜などが高品質で安価だからである。

ここは南アルプス常念岳の眺望が素晴らしい場所で、その麓近くは野菜の生産地として有名で、日本アルプスサラダ街道という名の県道が走っている。レタスやセロリを初め、季節の野菜が超リーズナブルな値段で販売されている。気に入っている道の駅の一つである。少し離れた所に日帰り入浴のできる温泉もあるのだが、今日は何だか面倒くさい気分なので、そのままここで寝る予定である。

車を停めて、いつものように付近を散策していると、近くにJAの経営する農事用材を中心とするホームセンターがあり、何と肥料のドライブスルーというのをやっていた。さすがに安曇野のJAだなあと感心した。ハンバーガーだけではなく、今の時代は軽トラなどの肥料のドライブスルーがあるのである。堀金村は、平成の大合併で、今は安曇野市となっており、少しハイカラになったのかも知れない。

夜になって、夕食を過ぎた頃からやはり雨が落ちてきた。雨だけではなく、風もかなり吹き荒れて、旅の終わり近くは、とんだ悪天候の歓迎を受けることになった。

コメント
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