村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

三筆を覚えよう

2020-09-15 22:58:04 | お習字

今日は
村雨庵お習字教室の日
朝は10時から予約制で
生徒様が見えて
お昼に帰り
午後からは別の生徒様が見える
只今お習字教室は大繁盛
生徒様の中には紫兎先生もおられて
86歳の先生のお迎えに
森金先生は駅まで出かけた
もしすれ違ったらいけないと私は
大通りの角で先生をお待ちしていた
すると運悪く
駅で待ってた森金先生とは
どこかですれ違ったよう
シュークリームの大きな箱をお持ちの
先生が
信号の向こうにお見えになったので
紫兎先生がいらっしゃいましたよと
森金先生に電話した
お歳を召すと方向音痴出なくても
ひとりでは交通機関に乗るのも大変
ともあれ無事に着いて安心

お習字の時間は墨を磨り
お手本を見て真似て書く
若いときはお習字が嫌で嫌で
ほんとに辛かった
あんなに大嫌いのお習字なのに
みんなですると
とっても楽しいから不思議

平安時代初期
第一の能書家の三名を三筆という
三筆と言えば
嵯峨天皇サガテンノウ
空海クウカイ
橘逸勢タチバナノハヤナリ
文字はみな
唐風カラフウ(唐様カラヨウ)の漢字で
空海は特に大師流という
三筆を覚えるゴロ合わせが
ネットにあった

三筆のことを→筆フデが
弘仁コウニン・貞観ジョウガン文化→コウ,ジョウ
嵯峨天皇→サガ
橘逸勢→ハヤ
空海→ク
続けると
筆フデがコウジョウ、サガ、ハヤ、ク
三筆は
「筆が向上 差が早く。」
とのこと
お試しあれ

写真は空海の尺牘セキトク
手紙のこと

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光明皇后御筆 楽毅論

2020-09-14 23:19:42 | 古筆

今日は渋谷
月に一度の古筆のお勉強会
コロナでも今日は全員が揃った
スマホの歩数計で5500歩
外出は自然と体を動かす
コロナ禍でなければ
もっと出かけるのだけど
年なので程々にと
思ってる

2010年NHK
「大仏開眼」の再放送を見た
吉備真備キビノマキビが主役だったが
聖武天皇や光明皇后が登場し
興味深かった
その光明皇后が書かれたという

写真は
光明皇后御筆 楽毅論ガッキロン
王羲之の『楽毅論』を臨書した名品。
本文は43行、
奥の軸付に黄麻紙一帳を添えて
「天平十六年十月三日
(744年11月11日)
 藤三娘トウサンジョウ」と、
年紀と署名があり、
光明皇后が44歳の時の書だと分かる。

光明皇后コウミョウコウゴウは
諱イミナは安宿媛アスカベヒメ。
正式な尊号は
天平応真仁正皇太后
テンピョウオウシンニンショウコウタイゴウ。
通称に光明子コウミョウシ、藤三娘トウサンジョウがある。
藤原不比等と
県犬養アガタノイヌカイ橘三千代の女子で、
聖武天皇の母である
藤原宮子フジワラノミヤコは異母姉。
皇族以外から立后する先例を開いた。
(ウイキペディアヨリ)

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小野篁オノノタカムラ

2020-09-13 22:35:17 | 和歌と歌人

わたの原
八十島かけて
漕ぎいでぬと
人には告ツげよ
海人の釣船
『古今集・巻九・407』
 和歌・歌人41
 小野篁オノノタカムラ

「隠岐国に流されける時に、
 舟に乗りて出で立つとて、
 京なる人のもとにつかわしける」
と詞書きがある

小野篁オノノタカムラは802-852
834遣唐副使に任じられたが
大使藤原常嗣と争い、
病と称して乗船を拒んだ為、
隠岐国に流された。
のち許され帰京。
蔵人頭、参議、左代弁を歴任、
仁寿二年従三位。

小倉百人一首に取り上げられている
歌番号11
参議篁

今日はどこへも出ない
近くのお弟子様が
葡萄を届けてくれた
秋は果物が美味しい
有難い

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今日は横浜

2020-09-12 23:35:39 | お勉強

今日は横浜へ
朝日カルチャーの横浜教室
お弟子様達が前からかよっている
茶事もせず茶会もなく
やめた稽古もある
時間ができたので
先月から行き始めた
人が大勢往き来して
活気がある
まだまだコロナ禍であることを
忘れるくらい
 あしひきの
 山した水の
 こがくれて
 たぎつこころを
 せきぞかねつる
 『古今集』
 読人知らず
くずし字を読んだりした
 夜=よ、や 
 その時により読み方を変える
講座は午前中で終わり
一時間もしないで家に着く
多めに昼食をとると
当然のように眠くなる
ほんのちょっと勉強して
お昼をたっぷりゆっくり食べる
その後は中国ドラマの
ビデオを観ながら
知らない間に寝てる
なんて緩いんだろうね

写真は
サントリー美術館の展覧会
面白そうなので
お謡の帰りでも
見に行こうかな

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今日は新橋

2020-09-11 22:22:23 | お勉強

今日は新橋
烏森口から降りると人だかり
ガードにユニックを積んだトラックが
斜めに傾いて引っかかっている
野次馬としては興味津々
遠巻きにしながらも写真を二枚パチリ
あとでその写真を見たら人ばかり
新橋界隈にお勤めの殿方ばかりが映ってる
これでは
事故のトラックがよく見えない
報道写真を撮るの難しいと実感



今日から
新しいこと始めた
ネットで見て月に一度だし いいなと思い
迷わず参加希望のメール
主催の先生からご案内の返信メール
勉強会に入らせて頂いた
勉強は一人でするよりも
みんなとしたほうが楽しいし身になる
ひとりでの勉強は
なるべくしたくない
講堂などで大勢が集まる講演会などは
先生のお話しが少ししか
頭に入ってこないし
スライドがはじまるやいなや
すぐ眠たくなる
お勉強は
集中力の続く頃合いの人数が良い
今日 初めてお目にかかる
先生と何名かの生徒の皆様
いくつになっても新しい出会いはある
新鮮な気分になった
隣室は音楽教室か
時々 楽器の音が聞こえてくる
そちらにときたま
気がいってしまい
せっかくの
先生のお言葉を聞き逃したりした
あれ 集中力が足りなくなるのは
集まる人数でなく
自分のせいかもしれない
トホホ
自分のせいねぇ
次回は雑念が入らないように
注意しよう

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今日は表参道

2020-09-10 23:40:33 | 能・謡

今日は表参道
そこで写真を撮った
お謡のお稽古日
お稽古しているのは「天鼓テンコ」
中国後漢の時代
天才楽人の少年のため
天から鼓がふってきた
勅命によって召し上げることに、
少年天鼓テンコは渡すのを拒むと
なんと呂水の江に投げ込まれ、
鼓は宮廷に。
ところが誰が何としても鼓は鳴らない。
そこで老父を召して打たせてみると
親子の縁か鼓は妙なる音色を発した。
宮廷は喜び感激し
呂水の江畔で少年の追善管弦講を催すのだ。
すると少年天鼓の亡霊が現れ
その鼓を打ち、報謝の舞楽を奏する。

先月休んだので
本来ならその分お稽古時間が
充分にあったはずなのに
これ幸いと怠けていた報いが来て
うまくいかなかった
前シテは悲嘆にくれた老父
ワキは廷臣テイシン
後シテは
心を躍動させて鼓を打つ亡霊天鼓
その三名を謡い分ける
難しい
老父の気の抜けた沈んだ謡い方
難しい
声は張ってしまうし
ハキハキとどんどん早口になる
自然と音程も徐々に高くなってしまう
技術はない
気分だけ暗く沈んでみたら
フシが全くわからなくなって
がっかり最低だった
これも稽古不足
次回はガンバロウと
強く硬く決心した
今のところだが

ひとつ勉強した
[忘れんと思ふ心こそ
忘れぬよりは思ひなれ]と
上げ歌の詩章があるは
『続拾遺集』
藤原實氏(西園寺實氏サイオンジサネウジ)
「面影を忘れんと思う心こそ
別れしよりも悲しかりける」を
よりどころとするそうだ
謡は語りだが
文学の要素も深い
天鼓の詩章にも
白楽天
玉葉集の侍従の和歌
和漢朗詠集
圜悟仏果禅師語録からの[人間の水は南]など
内容は奥深く、楽しみも広い
おすすめだ

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瑠璃ルリの樞トボソ

2020-09-09 23:23:09 | 村雨庵 稽古 

今日は九月九日
五節供のひとつ
重陽の節供だ
待合には菊の絵を掛けた
本席は
香川景樹カガワカゲキの歌

山家人稀
たまたまは人も明けつる山里の
松のとぼそは
苔むしにけり

松のとぼそ=松の戸のこと

謡の鶴亀に
庭の砂イサゴは金銀の。
珠タマを連ねて敷妙シキタエの。
五百重イオエの
錦や瑠璃ルリの樞トボソ。
しゃこうおの。
行桁ユキゲタ瑪瑙メノウの階ハシ。
池の汀ミギワの鶴亀は蓬莱山ホウライサンも外ヨソならず。
君の恵みぞ。
ありがたき
君の恵みぞありがたき。 

「五百重イオエの
錦や瑠璃ルリの樞トボソ。」
ここに「樞トボソ」の言葉が
出てくるのを思い出した。

お謡は確かに役に立つ

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伝教大師・最澄

2020-09-08 23:22:18 | 和歌と歌人

阿耨多羅三藐三菩提
アノクタラサンミャクサンボダイ
の仏たち
わが立つ杣ソマに
冥加ミョウガあらせたまへ
 和歌・歌人40
『新古今集・巻二十・1921』
 伝教大師

最上の知恵をお持ちになる仏たちよ。
杣木を切るために私が立つこの杣山(比叡山)に
冥加ミョウガをお与えください。

杣ソマ=樹木を植えて材木をとる山。
冥加ミョウガ=知らず知らずのうちに,
神や仏あるいは菩薩などから
加護をこうむることをいう。
仏は潜在的に,
衆生の能力に応じて冥加を与えるとされ,
その冥加に対する感謝の印として
神社や仏閣へ奉納する金銭のことをもいう。

慈円の
おおけなく
憂き世の民におほふかな
わが立つ杣に
墨染めの袖
はこの歌を本歌としたもので、
後世に大きな影響を与えた歌である。
と本にあった。

伝教大師
767~822
近江の人
僧名は最澄
伝教大師は謚オクリナ
延暦四年785比叡山に草堂を建て
のち延暦寺と称した。
延暦23年空海と共に入唐、
翌年帰朝して天台宗を開いた。

写真は昨日行ってきた渋谷の
東急プラザ
ここでソフトクリームを食べ
ポットできた紅茶を飲んだ
満足した

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今日は渋谷

2020-09-07 22:30:08 | 和歌と歌人

多摩川に
さらす手作り
さらさらに
なにそこの児の
ここだかなしき
『万葉集・巻十四・3373』

 作者未詳
多摩川に晒す
手作りの布のように
さらさらに、どうして
この子はこんなにも
愛しいのか


今日は渋谷
ちょっとお昼でも
ひとりで食べよう
元の銀座線の所にあった
神戸屋ベーカリーに寄ったら
お店がなくなってる
じゃあと歩きはじめるが
東急東横店三月末で
閉店
駅のそばの軽くお茶飲むところ
知らないし
さすれば
新しくなった東急プラザへ
向かうしかないか
入口すら分かりにくいが
エスカレーターで二階へ
まず消毒してお店を探す
ロボットのペッパー君が
あちこちにいるんだけど
目を合わすとまずいような気がする
興味はあるけど
無いふりして通り過ぎた
今度時間があったら
話しかけてみようかな
入ったお店は六階のお茶屋さん
テーブルに白磁の急須と茶碗が置かれてる
お店の若い男性に
初めてかと聞かれた
何だろと思ったら
お湯のポットが運ばれ
自分でお茶を入れるのだとのこと
急須には既に
お茶のパックが入ってる
自分好みの
お茶をいれたが
パックだから限界はある
おばんざいを3種選ぶと
御飯と味噌汁と香の物がセット
で1,500円税抜き

外食は
いいね

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なびく秋風吹くごとに

2020-09-06 22:36:52 | 和歌と歌人

ま葛原マクズハラ
なびく秋風
吹くごとに
阿太アダの大野の
萩の花散る
『万葉集・巻十・2096』
作者未詳歌

台風9号が来ている
九州の方は大変
今まで経験したことのない大型台風
その表現も恐い

写真は友人から頂戴した
中国のお土産
頂いたものは
忘れないものだ
見るたびに
その人を思い出す

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わするなよたのむの沢を立つ雁も

2020-09-05 21:42:54 | お習字

今日はお習字教室の日
そして今月の締切の日だ
マスクをして、飲み水持参
ひとりではすぐ飽きてしまうお習字も
みんなでおやつを食べて休み休み
頑張って書いた
まだ入会したてで
級もない
二ヶ月目にはちゃんと本に載るようだ

写真は時代の色紙
掛けものをさがして
「秋の夕暮れ」とあるので
掛けてみた

後京極摂政太政大臣
忘るなよ 
たのむの沢を 
立つ雁も 
いなばの風の
秋の夕暮れ                
 『新古今和歌集』

後京極摂政太政大臣とは
ゴキョウゴクセッショウダジョウダイジン
藤原良経フジワラノヨシツネ又
九条 良経クジョウヨシツネのこと

平安時代末期から鎌倉時代初期に
かけての公卿・歌人。
関白・九条兼実の次男。
官位は従一位・摂政、太政大臣。
九条家2代当主。
後京極殿と号した。
通称は後京極摂政、中御門摂政
1169~1206。
「新古今集」仮名序を執筆。

下の句に秋の夕暮れ
とあるが
掛けてよくよく歌を見てみると
春の歌だった

田つづきの沢を飛び立って
北に帰っていく雁も、
帰っていったら、
稲葉を風の吹き渡る
秋の夕暮れを忘れないで、
また来てくれよ。
とのこと

北に帰っていく雁は春の帰雁のこと
秋の夕暮れ
とあっても内容は
秋の歌ではなかった
掛けるわけにいかず
巻上げよう

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大伴家持オオトモノヤカモチ

2020-09-04 22:17:34 | 和歌と歌人

振り放サけて三日月
見れば
一見し人の眉引き
思ほゆるかも
 和歌・歌人38
『万葉集・巻六・994』
 大伴家持オオトモノヤカモチ

振り放サけて=振りあおいで、遥か遠くを見やって。
眉引き=墨で眉を引くこと

大伴家持オオトモノヤカモチ
718~785
大伴旅人の長男
早くに父を失い叔母の
坂上郎女サカノウエノイツラメ
に養育された。
天平18年越中守エッチュウノカミになり、
多くの作品を詠み歌境を確立した。
後、少納言となって帰京。
小倉百人一首歌番号6
中納言家持


『万葉集』の編纂に関わる歌人として
取り上げられることが多いが、
大伴氏は大和朝廷以来の武門の家であり、
祖父・安麻呂、父・旅人と同じく
律令制下の高級官吏として歴史に名を残し、
延暦年間には中納言にまで昇った。

今日もどこへも
一歩も外へ出ない
外は暑い
明日はお習字がある
みんなと会えるのは
お習字のお稽古より楽しみ
写真はうちの猫ミーちゃんに買った
おもちゃ
普通は抱きついて蹴飛ばすのだが
無視
マタタビをなすりつけても
無視してた

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入相イリアイの鐘の声ごとに

2020-09-03 22:24:45 | 村雨庵 稽古 

今日は木曜日
木曜稽古だ
掛けものは昨日と同じ
和漢朗詠集 巻下 山寺

和歌の部分
山寺の
入相の鐘の声ごとに
今日も暮れぬと
聞くぞ悲しき

やまてらの
-いりあひのかねの
-こゑことに
-けふもくれぬと
-きくそかなしき

拾遺集シュウイシュウ
読み人知らず


漢詩の部分は難しい
三千世界
十二因縁
仏教に関することは
なお難し
作者の
都 良香ミヤコノヨシカのことは
全く知らず
今回調べた

そのむかし
エス先生が
「道具は買うほどわかる」
と仰った
まあ買えば
やむを得ず調べる事になるし
自分が持ってなくとも
近しい人の物を
親しく拝見する機会があれば
同じく勉強になる
先生の仰るとおりだ
もっともっと教えて頂きたかったぁ
そう思うけど
最近はなんでもかんでも
右耳から左耳に
通り過ぎるだけ
この年なら当たり前かもね

写真は高砂芙蓉
毎日少しずつ咲いていく
役立つ助かる

 

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和漢朗詠集 山寺サンジ

2020-09-02 23:28:29 | 村雨庵 稽古 

今日から九月
発熱それから二週間過ぎた
暑すぎて暇すぎて
参った
やはりお茶のお稽古しないと
引き締まらない
ツマラナイ

写真は今日の掛けもの
和漢朗詠集 巻下 山寺サンジ
漢詩は

三千世界眼前尽。
十二因縁心裏空。

三千世界は
眼マナコの前に尽ツきぬ、
十二因縁は
心の裏ウチに空ムナし
 竹生島にて作る 
 都 良香ミヤコノヨシカ

都 良香ミヤコノヨシカは
平安時代前期の貴族・文人。
官位は従五位下・文章博士。
漢詩に秀で歴史や伝記にも詳しく、
平安京中に名声を博していた。
加えて立派な体格をしており
腕力も強かった。
一方で貧しくて財産は全くなく、
食事にも事を欠くほどであったという。
良香が晩夏に
竹生島に遊んだ際に作ったという
「三千世界は眼前に尽き。
十二因縁は心裏に空し。」
の下の句は
竹生島の主である弁才天が
良香に教えたものである
という『江談抄』にあり


泉飛雨洗声聞夢。
葉落風吹色相秋。

泉 飛ては雨声聞アメショウモンの夢を洗ひ
葉 落ては風色相カゼシキソウの秋を吹く
石山寺作 高相如

なるほど
わからないけど
なるほどねぇと言っておこう

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陸奥国前采女ミチノクノクニノサキノウネメ

2020-09-01 22:51:52 | 和歌と歌人

安積山
影さへ見ゆる
山の井の
浅き心を
わが思わくに
 和歌・歌人37
『万葉集・巻十六・3807』
 陸奥国前采女ミチノクノクニノサキノウネメ

安積山の山影までも見える
山の井のように、
浅い心を私は持っていませんのに。

陸奥国前采女ミチノクノクニノサキノウネメ
伝未詳。

この歌は私のブログで
「歌の父母」で書いた記憶がある

古今集仮名序に貫之が言う
歌の父母といえる歌
このふた歌は、
うたの父母のやうにてぞ、
手ならふ人の
はじめにもしける

王仁ワニの
難波津にさくやこの花冬ごもり
今は春べと咲くやこの花
陸奥国前采女ミチノクノクニノサキノウネメの
安積山影さへ見ゆる山の井の
浅き心をわが思わくに

この歌は木簡に書かれていた。
「平成二十年、
滋賀県甲賀市の
宮町遺跡(紫香楽宮跡)
で出土した木簡に
この歌が書かれていた。
天平十六年(744)から
十七年頃に廃棄された
木簡と推測された。」

万葉集以前に書かれた木簡というから
古くから歌われていたのだろう
覚えておきたい

写真はむくげ
今日咲いてしまったら
明日の分がないじゃないの

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