今日もお休み
させて下さい
後醍醐天皇宸筆 吉野切
鎌倉時代
天皇は御幼少の御時から
聡明にましまし、
和漢の学に通じさせ給ふと共に、
歌道書道にも
ことのほか御堪能であらせられた。
この吉野切は
宸筆と伝えて世に有名である。
料紙は鳥の子四半形で、
歌は御製かと拝される。
と丁寧な言葉で吉澤義則の本にある
今日はお習字のお稽古日
先生とわたしめも入れて全部で四名
墨を磨るのはやめて
漢字半紙を墨汁で書いてみたが
色が単調で薄い気がする
墨も少し磨った方がよかった
この所のし袋の上書きや
夏のご挨拶の手紙を書く機会が多く
自分の文字の下手さ加減に
恐れいってしまった
もう少し文字が上手になりたい
頑張ってお習字の勉強を
続ければたぶん
少しは良くなるはず
それを期待しよう
雷の発生が最近多い
雷というと
宗達の風神雷神図を思い出す
又 雷というと
浅草の雷門を思い出す
昔むかし
従姉のガゼータちゃんは馬道
従姉のkeikoちゃんは吉原
六十年くらい前だが
従姉家族が浅草に住んでいた
何かというと遊びにいったが
夏休みには毎年ずっと泊まっていた
楽しく懐かしい思い出の浅草だ
雷門は浅草寺の山門のこと
正式名称は風雷神門フウライジンモン
門に向かって、
右側に風神、
左側に雷神
941年平安時代
安房国の太守であった平公雅が、
武蔵国への配置転換を祈願。
翌年、配置転換の願いが叶ったことから、
新天地での
天下泰平と五穀豊穣を祈願し
伽藍などの寄進を行った。
初代の雷門に相当する門は、
その際に造られたとされる。
(ウイキペディアヨリ)
浅草寺に向けて念力で
新型コロナ終息祈願
今日は木曜稽古
時間割に添って
お弟子様は棚が必要なら自分で出し
終わったら元に戻す
茶入と薄器は
自分で選び茶を入れて
終わったら空にし
紫外線消毒をする
済むと手袋をはめて元に戻す
お点前をし
客の役もするので
休みなく動いている
結構ハードだ
その上
時間内になるべく終えるように
脳も体もテキパキと動かす
濃茶と薄茶に炭手前
二時間内に済ませよう
濃茶のまわしのみはできないし
茶会や茶事も今は難しい
出来ることを今やろう
お弟子様は三名のみだったので
三時には終わった
木曜日は自分で決めた「魚の日」
いつもの魚屋で盛り合わせを買った
これで二人分だ
炊きたてのご飯とお刺身は
間違いなく美味しい
美味しいと間違いなく
幸せになる
今日は水曜稽古
掛け物は
隋應戒仙スイオウカイセンの自画賛
賛は
避暑幽味多
一軒清風竹
前大高安叟書
画は
一本の竹に勝虫の蜻蛉
避暑して幽味多く
一軒には清風の竹
と解釈
幽味とは
奥深く物静か。
一軒とは
一戸。ひとつの家。
以下は前に拙ブログに書いたものを
コピペした
あまりの暑さでの省エネ
何卒お許しを
筆者の
中村戒仙は
隋應戒仙スイオウカイセンの事
明治14年生まれ昭和47年(1972)寂、92才
大徳寺508世で聚光院住職であった
道号は隋応、法諱宗雄・
室号は直入軒
号は雪山・高安、望待居
姓は中村
軸には前大高安叟書とある
真直ぐに伸びた竹
サヤサヤと葉擦れの音のみが聞こえる
蜻蛉トンボは
大きな目を開き
情勢を見つ、様子を見つつ
近寄ってくる
後戻りは決してせず
勝虫と呼ばれた
と以上
隋應戒仙のふりがなをスイオウカイセンと私は書いてあるが
隋の字はズイでしょうがと
心配になり調べてみた
固有名詞なのでネットに探したが
自分のブログにしか
ふりがなは出てなかった
隋=呉音: ずい、漢音: すい
とのことで今日は
一応スイでよいかと
伏見天皇宸筆フシミテンノウシンピツ
廣澤切ヒロサワギレ
鎌倉時代
伏見天皇の御歌集の
自筆原本と称されるもの
世に廣澤切ヒロサワキレと呼ばれている
二,三首あるいは数十首に
分割せられて諸家に珍蔵せられている。
あまりに暑いせいか
うちの猫の姿が見えない
そのうち何処かから出てくるだろうと
気楽にテレビでも見ていたが
午後になってもいない
気になって探しはじめた
昼寝の場所はいくつもある
わたしの部屋
妹の部屋
荷物の部屋
茶室に水屋
荷物の部屋
ミーちゃんと呼んでも
来ない いないのだ
背伸びしてものぞき込んでもいない
でもどこかにいるはず
気になって昼寝も出来ない
ビデオも落ち着いて見れない
また同じ場所を探してみる
ひょっとしたら外に出たのかも
ミーちゃん ミーちゃんてばっ
大声で呼ぶ
名前を呼んでもいる気配はない
どうしょう
年も12歳は過ぎてる
外では生きていけないのよ
もう二度と会えないかもしれない
どこかに行ってしまったんだ
ああどうしょう
何も手につかない
帰ってきてミーちゃん
やることはあるのに
何も出来ない
夕方になってもまだ暑い
そんなとき
静かに階段を上って
ガラス戸をスーと開けようとする
手が見えた
ミーちゃんじゃないの
なんだ いたの
どこで寝てたの
答えてはくれないが
一秒前までどっぷり暗雲に埋まっていた心が
秋の名月のように晴れ渡る
食べられなかった
三時のどら焼きと
アイスクリームをパクパク
食べられる幸せ
ミーちゃん見てるだけで幸せ
筑後切チクゴギレ
伝伏見天皇宸筆
青紫の飛び雲のある鳥の子の料紙
「三代集」の
『古今和歌集』『後撰和歌集』『拾遺和歌集』
各20巻(計60巻)を
伏見天皇が書写したもの
『後撰和歌集』巻末の奥書から、
永仁2年〈1294〉、
伏見天皇30歳の筆と知る。
切名「筑後切」は、
近世初期のころの筑後守を
名乗る人の所持にちなむものか。
か細いのびやかなその書風は、
上代様、ことに藤原行成の書風を
習ったあとが
よくうかがえる。
(センチュリー文化財団ミュージアムヨリ)
伏見天皇
1265-1317は、
後深草天皇
1243-1304の第二皇子で、
第92代天皇。
学芸に優れ、
和歌は京極為兼・1254-1332を
側近として精進し、
のち、『玉葉和歌集』(20巻・2801首)を
撰進させた。
また、若くして能書のほまれ高く、
その流麗な筆跡は、
後世、伏見院流と呼ばれ、
特に鎌倉時代の天皇の書の主流として
受け継がれた。
古筆の手鑑テカガミの収録配列
表は
天皇、親王、摂家、公家、歌人の順。
裏は
経典、名人、書道家流、法親王、
高僧、連歌師、武家、女筆と続く。