村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

今日はお休みします

2020-08-15 20:31:16 | Weblog

今日もお休み

させて下さい

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日はお休みします

2020-08-15 20:18:34 | 古筆

今日はブログお休みします

御免なさい

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉野切

2020-08-14 22:35:48 | お習字

後醍醐天皇宸筆 吉野切
鎌倉時代

天皇は御幼少の御時から
聡明にましまし、
和漢の学に通じさせ給ふと共に、
歌道書道にも
ことのほか御堪能であらせられた。
この吉野切は
宸筆と伝えて世に有名である。
料紙は鳥の子四半形で、
歌は御製かと拝される。
と丁寧な言葉で吉澤義則の本にある

今日はお習字のお稽古日
先生とわたしめも入れて全部で四名
墨を磨るのはやめて
漢字半紙を墨汁で書いてみたが
色が単調で薄い気がする
墨も少し磨った方がよかった
この所のし袋の上書きや
夏のご挨拶の手紙を書く機会が多く
自分の文字の下手さ加減に
恐れいってしまった
もう少し文字が上手になりたい
頑張ってお習字の勉強を
続ければたぶん
少しは良くなるはず
それを期待しよう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風の神 雷門に居候

2020-08-14 00:13:35 | 村雨庵 稽古 

雷の発生が最近多い
雷というと
宗達の風神雷神図を思い出す
又 雷というと
浅草の雷門を思い出す
昔むかし
従姉のガゼータちゃんは馬道
従姉のkeikoちゃんは吉原
六十年くらい前だが
従姉家族が浅草に住んでいた
何かというと遊びにいったが
夏休みには毎年ずっと泊まっていた
楽しく懐かしい思い出の浅草だ

雷門は浅草寺の山門のこと
正式名称は風雷神門フウライジンモン
門に向かって、
右側に風神、
左側に雷神
941年平安時代
安房国の太守であった平公雅が、
武蔵国への配置転換を祈願。
翌年、配置転換の願いが叶ったことから、
新天地での
天下泰平と五穀豊穣を祈願し
伽藍などの寄進を行った。
初代の雷門に相当する門は、
その際に造られたとされる。
(ウイキペディアヨリ)
浅草寺に向けて念力で
新型コロナ終息祈願


今日は木曜稽古
時間割に添って
お弟子様は棚が必要なら自分で出し
終わったら元に戻す
茶入と薄器は
自分で選び茶を入れて
終わったら空にし
紫外線消毒をする
済むと手袋をはめて元に戻す
お点前をし
客の役もするので
休みなく動いている
結構ハードだ
その上
時間内になるべく終えるように
脳も体もテキパキと動かす
濃茶と薄茶に炭手前
二時間内に済ませよう
濃茶のまわしのみはできないし
茶会や茶事も今は難しい
出来ることを今やろう
お弟子様は三名のみだったので
三時には終わった
木曜日は自分で決めた「魚の日」
いつもの魚屋で盛り合わせを買った
これで二人分だ
炊きたてのご飯とお刺身は
間違いなく美味しい
美味しいと間違いなく
幸せになる

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

避暑幽味多

2020-08-12 23:01:31 | 村雨庵 稽古 

今日は水曜稽古
掛け物は
隋應戒仙スイオウカイセンの自画賛
賛は
避暑幽味多
一軒清風竹
 前大高安叟書
画は
一本の竹に勝虫の蜻蛉

避暑して幽味多く
一軒には清風の竹
と解釈

幽味とは
奥深く物静か。
一軒とは
一戸。ひとつの家。

以下は前に拙ブログに書いたものを
コピペした
あまりの暑さでの省エネ
何卒お許しを


筆者の
中村戒仙は 
隋應戒仙スイオウカイセンの事
明治14年生まれ昭和47年(1972)寂、92才
大徳寺508世で聚光院住職であった
道号は隋応、法諱宗雄・
室号は直入軒
号は雪山・高安、望待居
姓は中村
軸には前大高安叟書とある

真直ぐに伸びた竹
サヤサヤと葉擦れの音のみが聞こえる
蜻蛉トンボは
大きな目を開き
情勢を見つ、様子を見つつ
近寄ってくる
後戻りは決してせず
勝虫と呼ばれた

と以上
隋應戒仙のふりがなをスイオウカイセンと私は書いてあるが
隋の字はズイでしょうがと
心配になり調べてみた
固有名詞なのでネットに探したが
自分のブログにしか
ふりがなは出てなかった
隋=呉音: ずい、漢音: すい
とのことで今日は
一応スイでよいかと

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

廣澤切ヒロサワギレ

2020-08-11 21:57:24 | 覚えたい古筆

伏見天皇宸筆フシミテンノウシンピツ
 廣澤切ヒロサワギレ
鎌倉時代

伏見天皇の御歌集の
自筆原本と称されるもの
世に廣澤切ヒロサワキレと呼ばれている
二,三首あるいは数十首に
分割せられて諸家に珍蔵せられている。


あまりに暑いせいか
うちの猫の姿が見えない
そのうち何処かから出てくるだろうと
気楽にテレビでも見ていたが
午後になってもいない
気になって探しはじめた
昼寝の場所はいくつもある
わたしの部屋
妹の部屋
荷物の部屋
茶室に水屋
荷物の部屋
ミーちゃんと呼んでも
来ない いないのだ
背伸びしてものぞき込んでもいない
でもどこかにいるはず
気になって昼寝も出来ない
ビデオも落ち着いて見れない
また同じ場所を探してみる
ひょっとしたら外に出たのかも
ミーちゃん ミーちゃんてばっ
大声で呼ぶ
名前を呼んでもいる気配はない
どうしょう
年も12歳は過ぎてる
外では生きていけないのよ
もう二度と会えないかもしれない
どこかに行ってしまったんだ
ああどうしょう
何も手につかない
帰ってきてミーちゃん
やることはあるのに
何も出来ない
夕方になってもまだ暑い
そんなとき
静かに階段を上って
ガラス戸をスーと開けようとする
手が見えた
ミーちゃんじゃないの
なんだ いたの
どこで寝てたの
答えてはくれないが
一秒前までどっぷり暗雲に埋まっていた心が
秋の名月のように晴れ渡る
食べられなかった
三時のどら焼きと
アイスクリームをパクパク
食べられる幸せ 
ミーちゃん見てるだけで幸せ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

筑後切

2020-08-10 23:02:12 | 覚えたい古筆

筑後切チクゴギレ
伝伏見天皇宸筆
青紫の飛び雲のある鳥の子の料紙
「三代集」の
『古今和歌集』『後撰和歌集』『拾遺和歌集』
各20巻(計60巻)を
伏見天皇が書写したもの
『後撰和歌集』巻末の奥書から、
永仁2年〈1294〉、
伏見天皇30歳の筆と知る。
切名「筑後切」は、
近世初期のころの筑後守を
名乗る人の所持にちなむものか。   
か細いのびやかなその書風は、
上代様、ことに藤原行成の書風を
習ったあとが
よくうかがえる。
(センチュリー文化財団ミュージアムヨリ)


伏見天皇
1265-1317は、
後深草天皇
1243-1304の第二皇子で、
第92代天皇。
学芸に優れ、
和歌は京極為兼・1254-1332を
側近として精進し、
のち、『玉葉和歌集』(20巻・2801首)を
撰進させた。
また、若くして能書のほまれ高く、
その流麗な筆跡は、
後世、伏見院流と呼ばれ、
特に鎌倉時代の天皇の書の主流として
受け継がれた。

古筆の手鑑テカガミの収録配列
表は
天皇、親王、摂家、公家、歌人の順。
裏は
経典、名人、書道家流、法親王、
高僧、連歌師、武家、女筆と続く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

短歌八首

2020-08-09 20:19:42 | 短歌・俳句の事
村雨庵最新の短歌八首
 外出の自粛に友は
 「戦争を思い出すわ」
 と声を潜めつ

 戦時下の
 ようなる新型コロナ禍に
 やがて食べ物も
 不足となるや

 人々と会えぬが寂し
 ひっそりと
 とじこもれるは
 隠者のごとし

 あらためて
 読む「方丈記」
 いにしえの
 災禍に向き合う
 人らを思う

 軽やかなライン通知の音のして
 「何しているの」と友も暇なる

 無為無策
 日々を怠惰に過ごさんか
 己が声もて
 われを叱咤す

 従姉とのテレビ電話に顔映り
 爆笑ののち挨拶交わす

 皆慣れぬライン電話にそれぞれの
 声の明るき笑顔を保つ

以上おそまつでした

今日は長崎原爆の日
75年前の悲劇をテレビでみた
日曜美術館では
「無言館の扉 語り続ける戦没画学生」
チラと見るとチャンネルを回せなくなった
哀しいが目を放せない
(再)8月16日(日)午後8:00〜8:45

写真は
自粛中に見つけた
祖母がつくったレース編みの袋
昔は何とも思わなかったが
今見ると可愛らしく見える
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飯室切イイムロギレ

2020-08-08 21:19:50 | 覚えたい古筆
伝 嵯峨天皇宸筆 飯室切
サガテンノウシンピツ イイムロギレ

嵯峨天皇は三筆のひとり
三筆とは
嵯峨天皇サガテンノウ、空海クウカイ、
橘逸勢タチバナノハヤナリ

嵯峨天皇
786~842
桓武天皇の皇子。
第52代天皇

飯室切イイムロギレ
料紙は麻紙、淡墨で罫が引いてある
比叡山横川の飯室別所に伝来した
井上馨、益田鈍翁旧蔵
金光明最勝王經の注釈
全10巻の断簡
平安時代初期の写経の優品

太字で雄渾な筆致
胡粉で書き入れの訓点は
空海筆とも言われるが
空海はヲコト点をもちいない
と言われてる

ヲコト点とは
漢字の字面の四隅・上下・中央などに
記入した符号。
胡粉  、朱で記した。
平安初期に始まり、室町時代ごろまで行われた。
仏家・儒家、またはその流派により
種々の相違があった。
儒家の代表的な点図の右上の二点が、
「を」「こと」にあたるところからの称。
「乎己止点」
「遠古登点」とも書き,
単に「点」ともいう

それで今、はっきり分かったことがある
大心義統の掛物を持っている
その箱の中の奉書の
上包みの上書きに
大心点書と書いてある
漢文を読みとく訓読であることは
すぐ理解出来たが
点書って何
そういう言い方を
いくらネットで調べても不明だったが
オコト点
単に点とも言う
とあったので
点はオコト点の訓読みのことだった
その軸を手元にして
四十年近い
その疑問が解けた

大心は
1657 – 1730
大徳寺二百七十三世。
2015の6/1の拙ブログにその写真がある

写真は横浜
駅を出ると
思ったより混んでるのに驚いた
若い人もそうでない人も
人がいっぱい
コロナ感染が心配なので私は
用が済んだらすぐ
帰る
すぐかえったら
すぐ着いた
東京よりずっと近い
横浜市民だから
当たり前だけど
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが盛りまた落ち目やも

2020-08-07 22:53:59 | 和歌と歌人
わが盛り
また
をちめやも
ほとほとに
奈良の都を
見ずか
なりなむ
 和歌・歌人29
 大伴旅人オオトモノタビト
『万葉集・巻三・331』

私の若い盛りの時期は、
もう二度と戻って来ないだろうなあ。
恐らく、このまま
奈良の都を見ないで
終わってしまうのではなかろうか。

大伴旅人オオトモノタビト
665~731 67歳
古来より武をもって仕えた
大伴氏にふさわしく、左将軍。
征隼人セイハヤト持節大将軍などを
歴任した後、
太宰帥ダザイノソチとして
九州に下向ゲコウ。
730大納言に昇進して
帰京し翌年没。
万葉集の八十首近い作品の
ほとんどは、晩年の太宰府時代の
三年間の作品。
中国の詩文に通じた
当時の知識人で、
老荘的傾向のものや、
夢幻的・浪漫的な作など、
外来思想の影響下にある作が多い。

旅人というと酒を讃ホむる歌が有名だ
私の持っている菅楯彦の画賛
大伴旅人の
酒壺を背にし杯をあける姿と
その詠む歌

生まるれば
遂にも死ぬる
ものにあれば
この世なる間は
楽しくをあらな

1300年もむかしの
歌人の詠む歌は
今の私と同じ思いだ
上がったり
下がったり
落ち込んだり
諦アキラめたり

写真は
友人からの暑中見舞い
優しいその方を思い浮かべ
会いたいなあとおもう
コロナ禍で知った
普通のことが
普通に出来なくなってみると
普通というのは
しあわせ
ということ
だったんだ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さを鹿の

2020-08-06 23:55:41 | 村雨庵 稽古 
さを鹿の
秋立つ小野の秋萩を
玉とみるまで
置ける白露
大伴家持



同じ本を買ってしまうことは
よくある
並べてみたら
全く同じもの

歌仙というと三十六歌仙が有名だ
それは藤原公任が選んだ
「三十六人撰」がはじまりという
「その36人という名数は
色々考えられるが
仏教の仏法僧の帰依を受ければ、
帝釈天以下三十六善神を遣わして
その人を守護する灌頂経カンジョウキョウに説くことあり、
その他にも仏教の上にも
関連が求められるようである」
と書いてあったが
読解力がないせいか
スッキリしない
多分仏教に関係してますよ
というのだろう

今日は木曜稽古
お弟子様は時間差で三名が見えた
今日の稽古中はたまたま間食少なめ
最近木曜は魚の日と決めて
いつもの魚屋でお刺身盛り合わせをたのむという
小さな楽しみが待っていた
無洗米の七つ星を初めて炊いて
ささやかな夕ご飯
この所珍しく食欲がなかったが
炊きたてのご飯のかおりに
調子に乗って二膳も食べ
満腹するや
たちまち睡魔に襲われて爆睡
22:43今起きたところだ
急に暑くなり衰えたわが体が
ついていけないのかも
食欲は衰えていないのにね
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

萬里浮雲

2020-08-05 22:34:26 | 村雨庵 稽古 
今日は水曜稽古
朝から暑い
先日植えた木槿が咲いた

掛け軸は
萬里浮雲巻碧山
青山中道浮孤月 
李白の詩

筆者は
松坂帰庵
マツザカキアン
昭和34年(1959)寂、68才。
岡山県生まれ真言宗の僧。
字は旭信。
書を畠山八洲に学び、
のち自ら慈雲・寂厳の流を究める。
資性は常に温雅・高潔で
「今良寛」と呼ばれた。
(美術人名辞典ヨリ)

もっと古い人かと
なんとなく思っていたが
思いこみ
勘違い
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

つらつら椿つらつらに

2020-08-04 23:37:43 | 和歌と歌人
河上の
つらつら椿
つらつらに
見れども飽かず
巨勢コセの春野は
 和歌・歌人28
 春日老カスガノオユ
『万葉集・巻一・56』

川のほとりに連なって咲いている椿の、
そのつらつらではないが、
つらつら見ても飽きることはない。
巨勢の春の野は。

つらつら椿=連なって咲いている椿
つらつらに=よくよく

春日老カスガノオユは
714以降没。
52歳
姓を春日蔵首カスガクラビト名を老オユ

午後昼寝をしていると
ピンポンが鳴った
ほぼパジャマ
人に会える姿でない
急いで上に何か着て出た
生命保険の担当の人で
親しい人だった
入ってる保険の確認
すぐに用は終わったが
単に来客があっただけなのに
身支度整わず
ジタバタする姿に呆れかえった

今日は用事がないので
ビデオを観ては
お菓子か何かを食べる
そしてまた昼寝
自粛中にしていた片づけや
チョッとした料理もしてない
これということを
何にもしてない
夜は寝ないし
朝は遅起き
身の回りはごちゃごちゃ
祖母が生きていたら
シャッキリしなさいと
怒鳴られる
本来の自分が出たのか
呆れるほど
ちゃんとしてない
みんなの話しを聞くと
偉いなと思う
家のことをちゃんとして
雑草を抜いているとか
早起きして毎日歩いてる人もいるのに
人には言えないが
何もしたくない
体を動かしたくない
自分をコントロール出来ない
考えると嫌になる
出来るなら
朝早くスッキリ起きて
家を隅々掃除して
元気に庭を掃き浄める
テキパキ動いて
頭もスッキリ
質問には的確に答え
未来を見据えている
そんな自分は
遥かに遠い
70にもなったのにね
今日は愚痴だグチ

欲望のままの食生活は
きちんと管理したい
実際は全く逆
あぁぁガックリ
今日の夕食は
前に買ってあった
こんにゃくのラーメン
賞味期限は8/27だって
カロリーが少ないというから
これだ 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

王羲之臨書

2020-08-03 23:02:57 | お習字
今日は
村雨庵書道教室禹聖会ウセイカイ
森金先生の御指導宜しく
朝10時から夕方まで
時間割でお稽古をして入れ替わる
私めは他の皆よりひと月早く入ったので
今日中に提出用を清書
漢字楷書半紙
漢字行書半紙
隷書レイショ半紙
王羲之オウギシ臨書リンショ
仮名半紙
ペン字
練習は教室を開いた時のみ
仕上がりはともかく
何でも良い
提出することにした

王羲之オウギシ
(307~365)
中国、東晋しんの書家。
字あざなは逸少イツショウ。
隷書レイショをよくし、
楷・行・草の三体を
芸術的な書体に完成、
書聖と称された。
その書は奈良時代に伝わり、
上代様の成立に大きな影響を与えた。
文章もよくし、
「蘭亭序」「十七帖」などを著す。
子の王献之オウケンシとともに「二王」と呼ばれる。
真跡は伝存しないが、
模本や拓本が伝えられる。
(大辞林ヨリ)

夕方皆が帰り雨戸を閉めようと思ったら
目の前の椿の葉が変だ
チャドクガにやられてる
痛んでる枝葉は建仁寺垣の上まで伸びて
とても花鋏では届かない
先日古志ちゃんから貰った
高枝切りがあった
早速サクサクと切る
よく切れるね
坊主のようになってしまったが
まあいいか
写真はその高枝切り鋏
切り落とした椿の枝は
写ってる五倍はあった
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しげみ こちたみ 己が世に

2020-08-02 23:50:07 | 和歌と歌人
人言ヒトゴトを
繁シゲみ
言痛コチタみ
己オノが世に
いまだに渡らぬ

川渡る
 和歌・歌人27
 但馬皇女タジマノヒメミコ
『万葉集・巻二・116』
人言ヒトゴト=人の噂
言痛コチタみ=人の言葉がうるさく煩わしい事

人の噂が絶え間なくささやかれるので、
その為、今まで
渡ったことのない
夜明けの川を、
こっそりと渡ることになりました。

皇女は高市皇子の妻。
その皇女が異母兄の
穂積皇子と恋愛し、
噂になった。
皇子への思慕が一層募り
こっそりと人目を避けて夜明けの川を渡る

但馬皇女タジマノヒメミコ
和銅元年六月没。
天武天皇の皇女。
母は鎌足の女、氷上娘ヒカミノオオメ。
詳しい伝記は不明。
この歌を詠んだ時、
高市皇子の妻であったらしい。
穂積皇子を恋い慕う歌があり、
また皇女が亡くなったあとに
穂積皇子がその墓を見て、
涙を流し悲しんだ歌を載せる。
高市皇子も穂積皇子も
天武天皇の皇子であり
但馬皇女とは異母兄妹である。
歌は短歌のみ四首をのこす。

今日は日曜日
勘違いして
一日得した日曜日
手紙を一通書いた
便せんを探していたら
フェィラーの小物入が出てきた
中にはイヤリングと飴
いつのか分からない
食べるのは一応やめた

明日はハサミの日
村雨庵お習字教室の日
やはり今日までお習字のお稽古はしなかった
明日は頑張ろう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする