村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

レ・セゾン

2020-03-16 23:53:36 | 食事会
今日は
恥ずかしながら
私目の誕生日
それも古希である
何かで新聞に載るとしたら
七十代の老人と呼ばれる
七十歳
一応
遣りたいことはやった
これからはお気楽に
いや今までも
ずいぶんお気楽だったけれど

今日は
いつもの友人と誕生会の予定が
取り止めになった
代わりに想望庵様が
古希のお祝いにと
帝国ホテルご招待賜る
一緒に同じく古希の松籟庵様と松風庵様
帝国ホテルのメインダイニング
レセゾンでの食事は
随分久しぶり
ホテルは良い
鬱屈した気分が
スッキリと晴れた
想望庵様に感謝
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逢はでこの世を

2020-03-15 23:56:56 | Weblog
百人一首歌番号十九

難波潟ナニワガタ
みじかき芦アシの
ふしの間も
逢はでこの世を
過ぐしてよとや
 伊勢イセ

伊勢は
平安前期の女流歌人。
三十六歌仙の一人。
伊勢守藤原継蔭ツグカゲの女。
中務ナカツカサの母。
宇多天皇の寵チョウを得て、
伊勢の御イセノゴと
呼ばれた。
歌は古今集・後撰集などに見える。
生没年未詳。
家集「伊勢集」


伊勢集と言えば「石山切」
石山切は三十六人家集のうちの
「伊勢集」と「貫之集下」

今日は午後に
サカチカさんが
京都のお土産のお菓子を
持ってきてくれた
夜には
森金さんが誕生祝いに手作りの
お菓子を持ってきてくれた
それが写真の和三餅
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夢の通ひ路

2020-03-14 21:39:20 | 短歌・俳句の事
百人一首歌番号十八

住の江の
岸による波
よるさへや
夢の通ひ路
人目よくらむ
 藤原敏行フジワラノトシユキ朝臣アソン

藤原敏行というと
私は次の歌を思いだす
秋来ぬと 
目には
さやかに
見えねども 
風の音にぞ
驚かれぬる

朝から寒く
冷たい雨が
降っている
昼にはみぞれも降ったらしい
動きたくない
何もしたくない
本を読むが
すぐ寝てしまった
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神代も聞かず

2020-03-13 23:56:35 | 食事会
百人一首歌番号十七

千早チハヤぶる
神代カミヨもきかず
龍田川タツタガワ
からくれなゐに
水くくるとは
 在原業平朝臣アリワラノナリヒラアソン

父は51代平城ヘイゼイ天皇の
皇子・阿保親王アボシンノウ。
母は50代桓武カンム天皇の
皇女・伊都内親王イトナイシンノウ
六歌仙・三十六歌仙の一人。



今日は
バスに乗って
美味しい物を食べに行く
途中で森金さんが乗って
私と妹と三人で予約した
いつもの京料理のお店へ

11時半から
コース料理
盛り付けも美しく
お味は文句ない
美味しいね
完食した

今日は私目の誕生祝い
も兼ねてと
森金さんが言う
誕生日おめでとう
と白ワインで乾杯
お店から
お祝いで一瓶頂いた
それを二人であけて
ちょっと良い気分
ありがとう御座いました

誕生日は来週の月曜日
お互いの誕生日には
必ず合う昔からの友人と
丸の内のレストランを
予約をしていたのだが
コロナウイルス新型の為
キャンセル
その日に
七十になる
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菜の花辛子和え

2020-03-12 23:50:15 | 村雨庵 稽古 
今日もお稽古
村雨庵木曜稽古
午後からお弟子様がお越し
世の中何となく
沈む気分のこんなご時世
何でも良い勉強しよう
と言いあった
ピンチはチャンス
お習字
和歌
お料理
袋物
香道もある
勉強だ
勉強しよう

今日は
奥伝の稽古
行の行台子と
大円之草
頭をつかい
体をつかう
いいねぇ


写真は
昨日お弟子様がいけたもの
金魚葉白椿と菜の花
菜の花は召し上がれと
宅急便で送られてきたのを
何本か茶花用にとって
後は食べた


[菜の花の辛子和え]
菜の花は茹ユで盆ザルにキアゲし
うちわで扇アオいで冷サます

出し100cc
塩 小サジ2分の1
味醂、薄口醤油、水辛子 各小サジ1
菜の花をガーゼにくるみ
バットに並べて
合わせたものをかける
20分置いてから食べると
美味し
あっガーゼ  
無い
無くとも工夫次第
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まつとし聞かば

2020-03-11 23:54:41 | 村雨庵 稽古 
百人一首歌番号十六を

たち別れ
いなばの山の峰に生ふる
まつとし聞かば
今帰り来む

中納言行平チュウナゴン ユキヒラ
とは
在原行平アリワラノユイヒラ
818~893
平城ヘイゼイ天皇の皇子
・阿保アボ親王の子で、
業平の異母兄。

今日は水曜稽古
テレビでは新型コロナウイルスの
自粛が進み
何となく暗く
この先の見通しがきかない
どこかへ出掛けるのも危険だし
家ばかりでは疲れる
窓は常に換気
濃茶は各服点にて
貴人点
貴人清次などの小習いを稽古する
日中は暖かく
日足も伸びている
春の光だろう
写真は
庭の若い芽吹き
伸びている赤い芽は
何だろう
大きくなるのが楽しみだ
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春の野に出でて

2020-03-10 23:14:32 | 短歌・俳句の事
百人一首歌番号十五

君がため
春の野に出でて
若菜摘む
わが衣手に
雪は降りつつ
 光孝天皇コウコウテンノウ


58代天皇
光孝天皇コウコウテンノウ
830~887
54代仁明ニンミョウ天皇の第3皇子ミコ
57代陽成ヨウゼイ天皇の後、
藤原基経モトツネに擁立ヨウリツされて即位ソクイ
小松帝とも言う


今日も
何もしない一日
何処へも
出かけない
そんな時は
ネットで買い物だ
大好きなラミーチョコレート
30個買った
その他いろいろ買って
少しすっきりした

写真は
ミーちゃんの顔で
厄払い
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陸奥ミチノクノの

2020-03-10 00:51:52 | 短歌・俳句の事
百人一首歌番号十四

陸奥ミチノクノの
しのぶもぢずり
誰タレゆゑに
乱れそめにし
われならなくに

河原左大臣カワラノサダイジン

822~895
嵯峨天皇の皇子の
源融ミナモトノトオルのこと


 「伊勢物語」に
春日野カスガノの 
若紫の 
摺り衣スリゴロモ 
しのぶの乱れ 
限り知られず


 藤原定家も
陸奥ミチノクの 
信夫シノブもぢずり 
乱れつつ 
色にを恋ひむ
思ひそめてき

河原左大臣カワラノサダイジン
源融ミナモトノトオルは
光源氏のモデルのひとり
だとも言われている
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恋ぞつもりて

2020-03-08 23:47:36 | 短歌・俳句の事
百人一首歌番号十三

筑波嶺ツクバネの
峰より落つる
男女川ミナノガワ
恋ぞつもりて
淵となりぬる

陽成院ヨウゼイイン

陽成天皇
(869~949)
第57代天皇
父は第56代清和天皇
母は藤原高子
子は元良親王など

9歳で即位。
政治の実権は、
伯父の藤原基経が握った。

昨日の夜友人から電話
「暇なので部屋の改造してるの」
体を動かして気を紛らしてるとのこと
「偉いねぇ」と思わず言った
それに引き換え
私めは
なるべく動かず
手の届くところにある
本やリモコンにスマホを
さわるだけ
トホホ
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雲の通ひ路

2020-03-07 23:42:00 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号十二
天津風アマツカゼ
雲の通ひ路
吹き閉ぢよ
をとめの姿
しばしとどめむ

僧正遍照ソウジョウヘンジョウ

遍照
[816~890]
平安前期の僧・歌人
六歌仙・三十六歌仙の一人。
俗名、良岑宗貞(ヨシミネノムネサダ。
桓武天皇の孫。
良岑安世の子。
素性ソセイの父。
仁明天皇に仕えたが、
天皇の崩御により出家。
京都山科の花山に元慶寺を創建。
歌は古今集などに収録。
家集に「遍昭集」がある。
花山僧正。
(デジタル大辞泉の解説)


僧正遍照ソウジョウヘンジョウは
六歌仙の一人
三十六歌仙の一人
俗名は良岑宗貞(ヨシミネノムネサダ
これだけで良いかも

今日は
たまった陶説の整理
写真はごく一部
破いて綺麗な写真
有名な茶会記
勉強になる記事
捨てるには惜しい
かといって必ず見るとは限らないけれど
捨てるには惜しいからと
外してホチキスで留める
この作業を続けて
疲れた
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わたの原

2020-03-06 23:52:19 | 短歌・俳句の事
百人一首歌番号十一

わたの原
八十島ヤソシマかけて漕コぎ出イでぬと
人には告げよ
海人アマの釣り舟

参議篁サンギタカムラ

参議篁は
小野 篁オノノタカムラのこと
平安初期の公卿・文人。
参議・小野岑守の長男。
官位は従三位・参議。
異名は野相公、野宰相、
その反骨精神から野狂とも称された。

わたの原=広い大海原のこと

今日は髪の毛をカットに
駅近くまで歩く
どうしますかと聞かれ
短くねと
頼むと
刈り上げに
しましょうと言われ
襟足を短く刈り上げにした
写真は
庭のハクモクレン
灯りのようにかざして照らず
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知るも知らぬも

2020-03-05 23:21:46 | 村雨庵 稽古 
百人一首歌番号十
これやこの
行くも帰るも別れては
知るも知らぬも
逢坂オウサカの関
 蝉丸セミマル

蝉丸とは
平安前期の伝説的歌人。
宇多天皇の皇子
敦実アツザネ親王の雑色ゾウシキとも、
醍醐天皇の第4皇子とも伝えられる。
盲目で琵琶に長じ、
逢坂オウサカ山に住んで
源博雅ミナモトノヒロマサに秘曲を授けたという。
生没年未詳。
(デジタル大辞泉の解説)


今日は木曜稽古
稽古に炉は二つ使う
ひとつには鎖で茶飯釜釣る
もう片方の炉は透木釜を掛けた


写真は逆勝手
棚は表千家の棚
三木町棚ミキマチタナ
または江岑コウシン棚
どっちかしら
抽斗ヒキダシの取っ手が桑なので
江岑棚としておこう
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花の色はうつりにけりな

2020-03-04 23:52:33 | Weblog
百人一首歌番号九

花の色は
うつりにけりな
いたづらに
わが身世にふる
ながめせしまに

小野小町(9番)
『古今集』

今日は
村雨庵の水曜稽古
今月末に村雨庵にての
茶事の予定が入ってあったが
1ヶ月伸ばした
五島美術館の茶会も休み
文の会も休み
村雨庵のお稽古はあるが
出かける用事は
皆休み
カレンダーが穴だらけ
どうなる
これから
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わが庵イホは都のたつみ

2020-03-03 23:21:51 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号(8番)
わが庵イホは
都のたつみ
しかぞすむ
世をうぢ山と
人はいふなり
  喜撰法師キセンホウシ

生没年不詳
8世紀末から
9世紀前半ごろの人か。
僧,歌人。
六歌仙のひとり。
その作として確かなのは,
「わが庵はみやこの辰巳しかぞ住む
 世をうぢ山と人はいふなり」
(『古今集』巻18)の1首のみ。
歌論書カロンショ『倭歌作式ワカサクシキ』
(別名『喜撰式キセンシキ』)の作者ともいうが
明らかでない。
『古今集』仮名序カナジョに,
「詠ヨめる歌,多く聞えねば,
 かれこれを通はして,
 良く知らず」
とあり,
当時でもすでに
詳細はわからなかったらしい。
宇治山中ウジサンチュウに隠棲インセイし,
のちには仙術センジュツにより
雲に乗って飛び去った
とも伝える。
京都府宇治市の東方,
喜撰山キセンヤマにその名を残す。
(朝日日本歴史人物事典の解説)

六歌仙とは、
平安初期
和歌の名手6人
在原業平、
僧正遷昭、
喜撰法師、
大友黒主、
文屋康秀、
小野小町
のこと

紀貫之は喜撰法師のことを
古今集の仮名序で
「宇治山の僧喜撰は
 言葉かすかにして、
 初め終りたしかならず。
 いはば、
 秋の月を見るに、
 暁の雲にあへるがごとし」と書いている

今日はどこにも出かけず
家でごろごろ
怠け者
写真は昔仲よくして頂いた
会社の先輩がつくったもの
四十年も経ってしまった
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百人一首歌番号七 天の原

2020-03-02 23:46:59 | 短歌・俳句の事
百人一首歌番号七

天の原アマノハラ
ふりさけ見れば春日なる
三笠の山に出イでし月かも
安倍仲麿アベノナカマロ

阿倍仲麻呂アベノナカマロ
[698~770]
奈良時代の学者。
遣唐留学生として入唐。
玄宗皇帝に重く用いられ、
朝衡(ちょうこう)と称した。
乗船が難破して帰国できず、
唐の地で没。
(デジタル大辞泉の解説)


『空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎』
と言う映画で
阿倍仲麻呂を
阿部寛が演じていた
映画はスマホでみたし
小説も読んだ

仲麻呂の子である満月丸が
後の安倍晴明の先祖にあたるとも
伝説

苗字の全国順位は 25位だ
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