
二条院讃岐
にじょういんのさぬき
生没年不詳:1141年(永治元年)頃 - 1217年(建保5年)以降)
平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての歌人である。
女房三十六歌仙の一人。
父は源頼政。
母は源斉頼の娘。
同母兄に源仲綱があり、従姉妹に宜秋門院丹後がある。
内讃岐、中宮讃岐とも称される。
二条天皇即位と同じ頃に内裏女房として出仕、
1159年19歳以降度々内裏和歌会(「内の御会」)に出席し、
内裏歌壇での評価を得た。
二条院讃岐のうた
世にふるは
くるしき物をまきのやに
やすくも過る初時雨哉
この歌を
本歌取りして幾つもの和歌や俳句が発生した
俊成
まはらなる槙の板やに音はして もらぬ時雨や木葉なるらん
左近中将良経
さゆる夜の真木の板屋の独ねに 心くたけと霰ふるなり
世々ふるもさらに時雨のやどり哉 - 後村上院
雲はなほ定めある世のしぐれかな - 心敬
世にふるもさらに時雨のやどりかな - 宗祇
時雨の身いはゞ髭ある宗祇かな - 素堂
世にふるも更に宗祇のやどり哉 - 芭蕉
世にふるもさらに祇空のやどりかな - 淡々
世にふるはさらにはせをの時雨哉 - 井上士朗
時雨るゝや吾も古人の夜に似たる - 蕪村
(ウィキペディアより)
にじょういんのさぬき
生没年不詳:1141年(永治元年)頃 - 1217年(建保5年)以降)
平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての歌人である。
女房三十六歌仙の一人。
父は源頼政。
母は源斉頼の娘。
同母兄に源仲綱があり、従姉妹に宜秋門院丹後がある。
内讃岐、中宮讃岐とも称される。
二条天皇即位と同じ頃に内裏女房として出仕、
1159年19歳以降度々内裏和歌会(「内の御会」)に出席し、
内裏歌壇での評価を得た。
二条院讃岐のうた
世にふるは
くるしき物をまきのやに
やすくも過る初時雨哉
この歌を
本歌取りして幾つもの和歌や俳句が発生した
俊成
まはらなる槙の板やに音はして もらぬ時雨や木葉なるらん
左近中将良経
さゆる夜の真木の板屋の独ねに 心くたけと霰ふるなり
世々ふるもさらに時雨のやどり哉 - 後村上院
雲はなほ定めある世のしぐれかな - 心敬
世にふるもさらに時雨のやどりかな - 宗祇
時雨の身いはゞ髭ある宗祇かな - 素堂
世にふるも更に宗祇のやどり哉 - 芭蕉
世にふるもさらに祇空のやどりかな - 淡々
世にふるはさらにはせをの時雨哉 - 井上士朗
時雨るゝや吾も古人の夜に似たる - 蕪村
(ウィキペディアより)