能因法師
988~1050又は1058
平安時代中期の僧侶・歌人
俗名は橘永(たちばな の ながやす)
法名は初め融因
近江守・橘忠望の子で、
兄の肥後守・橘元の猶子となった。
子に橘元任がいた
中古三十六歌仙の一人
初め文章生に補されて 肥後進士と号したが、
長和2年(1013年)、出家し、
摂津国古曽部に居住し 古曽部入道と称した。
藤原長能に師事し、
歌道師承の初例とする。
和歌六人党を指導する一方、
大江嘉言・源道済などと交流している。
百人一首は69番 能因法師
あらし吹く み室の山の もみぢばは 竜田の川の 錦なりけり
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988~1050又は1058
平安時代中期の僧侶・歌人
俗名は橘永(たちばな の ながやす)
法名は初め融因
近江守・橘忠望の子で、
兄の肥後守・橘元の猶子となった。
子に橘元任がいた
中古三十六歌仙の一人
初め文章生に補されて 肥後進士と号したが、
長和2年(1013年)、出家し、
摂津国古曽部に居住し 古曽部入道と称した。
藤原長能に師事し、
歌道師承の初例とする。
和歌六人党を指導する一方、
大江嘉言・源道済などと交流している。
百人一首は69番 能因法師
あらし吹く み室の山の もみぢばは 竜田の川の 錦なりけり
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