新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

BSシネマ『パリは燃えているか』

2022年10月16日 | 映画
タイトルばかり耳にしていて、やっと観ることができた映画です。市民とドイツ軍の戦闘場面をウクライナと重ねて、やるせない思いで見ました。
4年半のナチスによる占領からパリを解放しようと立ち上がったパリ市民と連合軍の一週間の物語です。
ヒトラーの有名なセリフ「パリは燃えているか?」が、聞く人のいない電話口で空しく連呼されるところで映画は終わります。


1944年8月、占領下のパリに連合軍が迫っていました。
レジスタンス活動家たちも動いていましたが、ド・ゴール派と自由フランス軍の間に軋轢が生じて一枚岩ではありません。

ドイツのパリ軍事総督コルティッツは、ヒトラーに命令されます。
「我が軍の新兵器はもうじき準備が整う。それまで何があろうと連合軍の手にパリを渡してはならぬ。市民を厳しく取り締まり、情けは一切無用だ。従わないものは殺せ。パリを守れなければ燃やしてしまえ、全て焼き払え」と。
(新兵器って原子爆弾の事だと思います。完成がアメリカに前を越されました。ドイツが先に完成させていたら世界はどうなったかと考えると身の毛がよだちます)

しかしコルティッツ総督は中立のスウェーデン領事を呼び「パリ壊滅を避けたいならド・ゴールを呼び市街戦を終らせるしかない。市の通行許可書を渡すから何とかしてくれ」と暗に解決案をほのめかします。驚いた領事は思ってもない言葉に、「何故そんなことを」と驚きます。
コルティッツは「総統は正気を失っている。会ったときわかった。パリを破壊すればドイツが勝てるというなら私の手で街に火をつけるが、我々は負ける」と。パリの人々と1300年の歴史建造物を破壊することにためらうナチス軍人もいたのです。コルティッツはそういう意味で名を残しました。

四年半、クモの巣に覆われた教会の鐘が鳴り響きました。ここにドイツは連合軍に降伏したのです。

レジスタンスの内部抗争をはらみながらも、危機一髪のところでパリは救われたのです。アメリカ軍と人民軍のパリ凱旋は当時の記録映像を交えながら迫力のあるものでした。

凱旋する本物の映像で、ド・ゴール将軍の顔も見えます。

1966年製作時、この映画の「パリは燃えているか」の意味を私は理解出来ていませんでした。
パリを何度か訪れたこともあるし、もう一度チャンスがあるなら「パリ」を選びます。それほど魅力のある街が破壊されなかったことを改めて嬉しく思います。






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