新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

「光る君へ」為時の栄転

2024年05月20日 | テレビ番組
従五位下の官位を受けた為時は「淡路守」の除目を受けた後、直ぐに「越前守」に栄転しました。

何故か?それは、宋人が70人も逗留しているという越前には、漢籍に詳しい父・為時こそが相応しいと、まひろが父に黙って、為時名で申文を提出したからです。(実際は為時本人が漢詩の申文を提出したそうです)

漢詩の申文は「学問に励んだ寒い夜は 血の涙が袖を濡らし 除目の翌朝 無念さに天を仰ぐ私のまなこには ただ青い空が映っているだけ」と。
それが道長の目に留まり「為」の文字が、まひろから送られた文の「為」に一致したのを確認し、まひろの本心を知ったのです。(映像の中では流麗な文字が「春朝」になっていましたが、他の資料では「翌朝」となっています。天皇が読むときにも「よくあさ」でした。まさか書家さんが間違えたのかなぁ???・・・→写本の段階で文字が変わったりしているそうです)

漢詩の申文は天皇の心を動かし、道長の推挙もあり、「淡路守」から」「越前守」へと昇格の国替が除目されました。
大国越前と小国淡路。大国と小国では、格式にも待遇にも雲泥の差があるようです。父が能力に相応しい国司になり、まひろは本当に嬉しそうでした。

為時役の岸谷五朗さんが、抑えた演技で味のある漢学者を演じておられます。越前でも博識を元に活躍されることでしょう。

一条天皇は17歳と若いけれど聡明です。情に流されず伊周兄弟に配流の裁定を下しました。
道長には目障りであった伊周兄弟でしたが、帝が独自の裁定を下したことで、道長はクリーンな立場を維持したまま長徳の変が終わりました。

長徳の変の後、弟・道綱は「中納言」に昇格。道長に忠誠を尽くした藤原斉信が「蔵人頭」から「参議」に昇格して公卿の仲間入りをしました。

伊周兄弟の配流で定子の実家は没落。後ろ楯を失った定子は髪を下ろしましたが、その後は・・・。

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アジサイの「夢手鞠」です。
10年も経つと、本来のアジサイ色が変色してきます。
「青いアジサイ専用の肥料」をあげてもなかなか元に戻りません。



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