新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

「光る君へ」第14回から

2024年04月08日 | テレビ番組
990年、兼家(段田安則)一家に大きな変化がありました。この夏兼家は他界しますが、その前に様々な手を打っていました。道隆(井浦新)の娘定子を入内させ、道隆を「関白」、更に「摂政」にします。
兼家の死後、道隆の権力欲は大きく膨らみ独裁が始まります。

今日の道隆と道長(柄本佑)のやり取りに重要な場面がありました。
道隆「定子(高畑充希)さまを中宮にする」
道長「えっ?円融院(板東巳之助)の遵子(中村静香)さまが中宮としておられますが・・・」
道隆「中宮の遵子さまには皇后にお上がりいただき、定子さまを中宮になし奉る」

この事は歴史上でも大変なことで、分かりにくいので山本淳子さんの本から要約します。
制度上「后」と呼ばれる地位は三つあって、中宮(皇后)と皇太后と太皇太后を言います。后の地位は独立していて、天皇の代替わりや死により「后」が代わることはなくそのままです。
新しい中宮が立てられる時とは、「后」である3人の誰かが亡くなるなど空席ができた時しかタイミングはありません。
そこで道隆は、中宮に「皇后」という別称があることを利用して、「中宮」と「皇后」の二つに分けます。今の中宮を皇后に、定子を新中宮として立后させたのです。
これ以来「后」は異例の四人体制となっていきます。そして後に、道長も同じ手段を使います。

この「立后」を事を「聞いたことがないと」驚く藤原実資(秋山竜次)は、有職故実に詳しく学識のある公家です。
実資は道長の又従兄弟で、藤原北家の嫡流の矜持と莫大な資産を有しています。
実資から見れば道隆や道長は分家筋にあたるのですが、道長の栄華の中でも常におもねることはなかったそうです。
実資が60年以上も書き続けた漢文日記『小右記』は有名で、現在一級資料として扱われています。

「光る君へ」をBSの6時から観るために、夕食は作り置きを利用しました。
キーマカレーを解凍して。冷凍したホウレン草をミキサーにかけてポタージュに。肉じゃがはたくさん作り置きしています。





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