新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

兄弟(道隆・道兼・道長・詮子)の関係)……光る君へ

2024年04月23日 | テレビ番組
前回の「光る君へ」の一場面で、兄の関白・道隆と道長が顔を近づけ、蔓延する疫病対策で語気を荒くして言い争う場面がありました。民に対する考え方や、中宮・定子の御殿建築を税で賄うなど、二人は考え方が元から違っていました。
一条天皇と中宮・定子を取り囲む朝廷の部屋でも、道隆やその長男・伊周は居ても道長は居ません。明らかに兄弟が寄り添っている感じはありません。

道隆の身内びいきは露骨で、19歳の伊周と道長は同じ「権大納言」。少し後の恩赦では、8歳年下の伊周が道長を追い越して「内大臣」に、道長は「権大納言」のままでした。
「内大臣」は常設ではなく、上席の左右大臣を飛び越えて摂政・関白に就くことも可能な臨時の職なのです。

道隆の目には、道長は面倒で小癪な捨て置けない存在になっていました。道長もその初期から兄の中関白家と同調せずに距離を取り続けました。

道長と姉・詮子との関係。詮子が円融天皇の中宮になれなかったときに、皇子(後の一条天皇)を連れて実家に帰っていましたが、その時に道長と信頼関係が結ばれていました。以来、一条天皇の母である詮子は道長に目をかけており、道長を引き立てます。

癖の強い道兼は花山天皇を退位に追い込んだ策謀と実行の人で、非情になりきれるダークな面を持っていますが、自宅に人を招き漢詩や和歌に興じて人望もあったようです。
ドラマでも道長は兄として敬意を払い、兄を支え、道兼は権大納言、右大臣と出世していきます。

正暦元(990年)から長徳元(995年)までが道隆一家の栄華の5年間で、道長、道兼には雌伏の時でしたが、疫病がこの構図を完全に塗り替えていきます。


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