未唯への手紙
未唯への手紙
スタバ崩壊の危機
ヨーロッパ作戦の開始
ヨーロッパ作戦を本格的に始めましょうか。10Kg減らさないと、ベルギーには滞在させてくれない。これは奥さんの友だちからの宣言。今のヨーロッパを見ておかないと後悔する。
体重を測るだけで十分です。その時の格好を決めておけば、推移が分かります。午後のおやつをコーヒーにしましょう。ちょっと高いかもしれませんが、パソコン作業しながらの間食はきりがない。
コーヒーにするためにはスタバのスティックを買い増さないといけない。それと同時にボトルにしないといけない。それでチビチビと飲む形にしていきましょう。あれなら、色々なものに合うでしょう。
スタバでの連続講義
スタバでカウンセリングしたいと思ってきたけど、むしろ、スタバで預言者をしたい。ソクラテスではないけど、皆が覚醒するのための活動。前の席に女性が据わっているつもりで、講座をしていきましょう。ICレコーダーで口述筆記もできます。連続講義です。
スタバ崩壊の危機
カミコはどこへ。精神に悩ますことでは、スタバも終わりですね。
バリスタを活かしてこそのスタバ。米国支配以降、雰囲気が悪くなっている。
モスの焼肉ライスバーガー
モスの焼肉ライスバーガーはギッシリ感がすごいです。マクドナルドでは無理ですね。ライスバーガーはアジアでは人気みたいです。
ICレコーダーへの入力
ICレコーダーへの入力が少ないです。満たされていないのに。考えていないからでしょう。ヨーロッパ計画と一緒にその辺を再計画しましょう。
岡崎図書館の10冊
10冊のうち二冊は、2/5に豊田市図書館から借りていた。目次まで確認したのに。ボケているのか。
未唯空間が表現するもの
それで作られたのが未唯空間。全てを表現することが目的。全てとは何かにつては、追々、考えていく。数式でやりたいけど、やはり、言葉で表現するしかない。そうすると哲学が絡んでくる。もう一つは循環です。
分化したものをいかに統合させていくのか。ハイアラキーで上からつくるのではなく、積上げていく。それが個人の思考そのもの、存在そのものです。その為に色々なモノを集める未唯宇宙。それを知識と意識にしていく。ここでの発信は違和感。
外の世界、内なる世界には関係ない世界だけど、境界線をハッキリさせるために、働きかけるようにする。皆が何をしたらいいのかを示していく。それは外の世界が持続可能にするために。
自分の最終の夢はすべてを知ること。全てを知る、全てを表すことを外に持って行くためには、それぞれの幸せを実現する。未来学者としての要件。
数学で考える
数学で考えることは第2章すべてのテーマです。考えるためン手段としての数学、目的に鉈の数学。なぜ、数学かというと、数学は不変と全体を扱うから。武器としての空間解析。そして、人類が辿りついた多様体の考え方。
空間配置は配置そのものです。これをどう扱っていくのか。大きいのはトポロジーの考え方です。分化と統合もここに含まれます。部分と全体を扱うと同時に、その周辺を巻き込むことで、内なる方向と外なる方向として、思考と行動を要素にできる。単なる配置ではなく、空間になってきます。
数学の歴史と未来
元々、数学には歴史があります。モノから考えて、抽象化してきた。それで幾何学が始まった。数学が物理などから独立して、トポロジーが生まれた。そして、端と中核が一緒の世界、宇宙構造になっていく。それが次元を超えて、当たり前の世界。
それは数学の歴史だけでなく、社会の歴史を示している。先行するのが数学の目的です。どうなっていくのかを予測し、表現する。数学は学校で習うだけでなく、社会に適用することから、学問から認識に変えていった。
数学の社会への展開
社会に展開するに当たっては、仕事そのものはシステムそのものを扱った。ハイアラキーだけでなく、部分から全体を作ることから、社会に適用していった。そこからキーワードが生まれ、全体の仕組みが見えてきた。それを見るために仕事をしていった。個別の業務で成果を上げるよりも考え方そのものです。
数学理論としてのサファイアが生まれた。4つのフィールドを組合せルのと同時に、そこでの機能が分かり、循環が見えてくる。個別でありながら、全体がわかり、補完できるという発想です。
近傍系としての位相を定義すると同時に、全体を統合して位相空間を創り出す。それを汎用化したカタチです。それを持続可能なモデルとして、サファイアを理論化していく。数学を社会に適用することで、社会の位相化が見えてきた。
数学で覚醒させるには
それぞれの人間が内なる世界を作り出し、表に出すことで全体を作り上げていく。ハイアラキーとして、上から指示されるのではなく、集合として配置していく。それで拡大していく。
自分と全体の空間とはアナロジーでつないでいく。その時に伝播が重要になる。6世紀にムスリムが拡大したのがモデルになります。個々の理念があると、急速な伝播を起こす。その時には縛らないということです。理念でつながればいい気に拡がる。宗教は内なる世界が在って、初めて成り立つ世界です。
その点では、モンゴルとは異なります。直接につながっていきます。モンゴルは意思の力に寄ったハイアラキーです。それに対して、ムスリムは配置です。そのためには、コミュニティは必要です。コミュニティの教団です。
いままで、意思の力でつなげてきたものを、個々のの存在の力で拡大していくのか。思っているよりも急速な伝播力を示します。そのための情報共有です。それを表したのは未来方程式です。
新しい数学が表すモノ
そのための新しい数学を作り出していく。今までの数学はあまりにも座標系に捉われています。統治するにはいいけど、個々がバラバラをまとめていく、位相の考え方をさらに展開させていく。社会にいかに当てはめていくのか、皆の覚醒につなげていくのか。それを理論的にバックアップする。それを哲学と一緒にやっていくものになります。
新しい数学のイメージは、端と中核がつながるということです。ハイアラキーのように段階でつながるのではなく、次元を超えて、直接つながっています。存在と無と同位相になっています。それは常識では考えられない。集合論にしても、集合が点になり、点が集合になる。それによって、次元を突破できる。
当然ながら、頭を使っていく世界。哲学の独我論のように、全体と自分、全体が自分の中に含まれる世界。そういうことを平気で話せる世界。
宇宙論ではないけど、別の世界がそこに在ることを言える世界を数学で理論化していく。その点では宗教と一緒です。宗教と宇宙論と哲学を数学の中にかませる。それをいかに表すのか、新しい数学の表現方法が必要になる。皆が覚醒した時に見えるようにしていく。
今までの算数レベルの数学では無理です。宗教と宇宙論と哲学が数学に中で合体しているのだから、かなりの学習が必要です。自分の見直しが必要になってきます。
宗教のように、とにかく信じろというやり方ではなく、納得いくようにしていかないといけない。自分のエネルギーが膨大だということを個々の人が認識することで伝播します。
それによって、トポロジーの次の世界をイメージすると同時に、それを社会に適合していくのか、やるのは彼らだから、預言だけはしておきます。
第二章の概要
端と中央が一緒になるように存在と無から始まります。個々の存在の力を発揮して、自分のすべてを知ることで全体が見えてくる。それを一つの点の凝縮することで、先の先が見えてくるという、数学的世界論。これが数学の次の方程式になります。
ヨーロッパ作戦を本格的に始めましょうか。10Kg減らさないと、ベルギーには滞在させてくれない。これは奥さんの友だちからの宣言。今のヨーロッパを見ておかないと後悔する。
体重を測るだけで十分です。その時の格好を決めておけば、推移が分かります。午後のおやつをコーヒーにしましょう。ちょっと高いかもしれませんが、パソコン作業しながらの間食はきりがない。
コーヒーにするためにはスタバのスティックを買い増さないといけない。それと同時にボトルにしないといけない。それでチビチビと飲む形にしていきましょう。あれなら、色々なものに合うでしょう。
スタバでの連続講義
スタバでカウンセリングしたいと思ってきたけど、むしろ、スタバで預言者をしたい。ソクラテスではないけど、皆が覚醒するのための活動。前の席に女性が据わっているつもりで、講座をしていきましょう。ICレコーダーで口述筆記もできます。連続講義です。
スタバ崩壊の危機
カミコはどこへ。精神に悩ますことでは、スタバも終わりですね。
バリスタを活かしてこそのスタバ。米国支配以降、雰囲気が悪くなっている。
モスの焼肉ライスバーガー
モスの焼肉ライスバーガーはギッシリ感がすごいです。マクドナルドでは無理ですね。ライスバーガーはアジアでは人気みたいです。
ICレコーダーへの入力
ICレコーダーへの入力が少ないです。満たされていないのに。考えていないからでしょう。ヨーロッパ計画と一緒にその辺を再計画しましょう。
岡崎図書館の10冊
10冊のうち二冊は、2/5に豊田市図書館から借りていた。目次まで確認したのに。ボケているのか。
未唯空間が表現するもの
それで作られたのが未唯空間。全てを表現することが目的。全てとは何かにつては、追々、考えていく。数式でやりたいけど、やはり、言葉で表現するしかない。そうすると哲学が絡んでくる。もう一つは循環です。
分化したものをいかに統合させていくのか。ハイアラキーで上からつくるのではなく、積上げていく。それが個人の思考そのもの、存在そのものです。その為に色々なモノを集める未唯宇宙。それを知識と意識にしていく。ここでの発信は違和感。
外の世界、内なる世界には関係ない世界だけど、境界線をハッキリさせるために、働きかけるようにする。皆が何をしたらいいのかを示していく。それは外の世界が持続可能にするために。
自分の最終の夢はすべてを知ること。全てを知る、全てを表すことを外に持って行くためには、それぞれの幸せを実現する。未来学者としての要件。
数学で考える
数学で考えることは第2章すべてのテーマです。考えるためン手段としての数学、目的に鉈の数学。なぜ、数学かというと、数学は不変と全体を扱うから。武器としての空間解析。そして、人類が辿りついた多様体の考え方。
空間配置は配置そのものです。これをどう扱っていくのか。大きいのはトポロジーの考え方です。分化と統合もここに含まれます。部分と全体を扱うと同時に、その周辺を巻き込むことで、内なる方向と外なる方向として、思考と行動を要素にできる。単なる配置ではなく、空間になってきます。
数学の歴史と未来
元々、数学には歴史があります。モノから考えて、抽象化してきた。それで幾何学が始まった。数学が物理などから独立して、トポロジーが生まれた。そして、端と中核が一緒の世界、宇宙構造になっていく。それが次元を超えて、当たり前の世界。
それは数学の歴史だけでなく、社会の歴史を示している。先行するのが数学の目的です。どうなっていくのかを予測し、表現する。数学は学校で習うだけでなく、社会に適用することから、学問から認識に変えていった。
数学の社会への展開
社会に展開するに当たっては、仕事そのものはシステムそのものを扱った。ハイアラキーだけでなく、部分から全体を作ることから、社会に適用していった。そこからキーワードが生まれ、全体の仕組みが見えてきた。それを見るために仕事をしていった。個別の業務で成果を上げるよりも考え方そのものです。
数学理論としてのサファイアが生まれた。4つのフィールドを組合せルのと同時に、そこでの機能が分かり、循環が見えてくる。個別でありながら、全体がわかり、補完できるという発想です。
近傍系としての位相を定義すると同時に、全体を統合して位相空間を創り出す。それを汎用化したカタチです。それを持続可能なモデルとして、サファイアを理論化していく。数学を社会に適用することで、社会の位相化が見えてきた。
数学で覚醒させるには
それぞれの人間が内なる世界を作り出し、表に出すことで全体を作り上げていく。ハイアラキーとして、上から指示されるのではなく、集合として配置していく。それで拡大していく。
自分と全体の空間とはアナロジーでつないでいく。その時に伝播が重要になる。6世紀にムスリムが拡大したのがモデルになります。個々の理念があると、急速な伝播を起こす。その時には縛らないということです。理念でつながればいい気に拡がる。宗教は内なる世界が在って、初めて成り立つ世界です。
その点では、モンゴルとは異なります。直接につながっていきます。モンゴルは意思の力に寄ったハイアラキーです。それに対して、ムスリムは配置です。そのためには、コミュニティは必要です。コミュニティの教団です。
いままで、意思の力でつなげてきたものを、個々のの存在の力で拡大していくのか。思っているよりも急速な伝播力を示します。そのための情報共有です。それを表したのは未来方程式です。
新しい数学が表すモノ
そのための新しい数学を作り出していく。今までの数学はあまりにも座標系に捉われています。統治するにはいいけど、個々がバラバラをまとめていく、位相の考え方をさらに展開させていく。社会にいかに当てはめていくのか、皆の覚醒につなげていくのか。それを理論的にバックアップする。それを哲学と一緒にやっていくものになります。
新しい数学のイメージは、端と中核がつながるということです。ハイアラキーのように段階でつながるのではなく、次元を超えて、直接つながっています。存在と無と同位相になっています。それは常識では考えられない。集合論にしても、集合が点になり、点が集合になる。それによって、次元を突破できる。
当然ながら、頭を使っていく世界。哲学の独我論のように、全体と自分、全体が自分の中に含まれる世界。そういうことを平気で話せる世界。
宇宙論ではないけど、別の世界がそこに在ることを言える世界を数学で理論化していく。その点では宗教と一緒です。宗教と宇宙論と哲学を数学の中にかませる。それをいかに表すのか、新しい数学の表現方法が必要になる。皆が覚醒した時に見えるようにしていく。
今までの算数レベルの数学では無理です。宗教と宇宙論と哲学が数学に中で合体しているのだから、かなりの学習が必要です。自分の見直しが必要になってきます。
宗教のように、とにかく信じろというやり方ではなく、納得いくようにしていかないといけない。自分のエネルギーが膨大だということを個々の人が認識することで伝播します。
それによって、トポロジーの次の世界をイメージすると同時に、それを社会に適合していくのか、やるのは彼らだから、預言だけはしておきます。
第二章の概要
端と中央が一緒になるように存在と無から始まります。個々の存在の力を発揮して、自分のすべてを知ることで全体が見えてくる。それを一つの点の凝縮することで、先の先が見えてくるという、数学的世界論。これが数学の次の方程式になります。
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侮っているうちに大きなものになっている
生活費がひっ迫
シフォンケーキとトールラテで810円。一日の生活費の千円のほとんどです。スタバカードの残金は133円です。明日、5千円入金しないと。本当にギリギリの生活です。
侮っているうちに大きなものになっている
あのドイツが陥った罠に、アメリカが陥ろうとしています。民意からしたら、はるかに低いし、状況からしたら、はるかに良いのに。
1930年前のドイツの状況とヒットラー政権時のあなどった態度とみている。知識のある連中ほど、先が見えていなかった。
全力で潰さないといけない。アメリカの第二層にはその世界が残っているはず。公共の世界を守るために。
存在の無から始まる思考
存在と無は矛盾している。矛盾から始まる。そこから何があるのか。真理を求めていく。手段として数学を使っていく。
「本質を考える」ではなく、これは「考える」ことです。思考の反対は夢。それを考えさせる偶然。そこからの本質。その為に、もう一人の自分。自分で考えたことにはキッチリ向か合っていかないといけない。それが7時50分からの思考。
自分の中の存在の力に対して、あまりにも無力です。そのために宇宙の旅人が出て来た。何しろ、生まれてきても、他との連携が考えられない。その力が本来の力として、存在の力を持ってきた。それで相反する社会を見ていこうとする試み。
そこから内なる世界を作り出そうとして、考え抜く。私は私の世界。それで初めて、分かることが出来る。その分、外の世界を対比させる。
シフォンケーキとトールラテで810円。一日の生活費の千円のほとんどです。スタバカードの残金は133円です。明日、5千円入金しないと。本当にギリギリの生活です。
侮っているうちに大きなものになっている
あのドイツが陥った罠に、アメリカが陥ろうとしています。民意からしたら、はるかに低いし、状況からしたら、はるかに良いのに。
1930年前のドイツの状況とヒットラー政権時のあなどった態度とみている。知識のある連中ほど、先が見えていなかった。
全力で潰さないといけない。アメリカの第二層にはその世界が残っているはず。公共の世界を守るために。
存在の無から始まる思考
存在と無は矛盾している。矛盾から始まる。そこから何があるのか。真理を求めていく。手段として数学を使っていく。
「本質を考える」ではなく、これは「考える」ことです。思考の反対は夢。それを考えさせる偶然。そこからの本質。その為に、もう一人の自分。自分で考えたことにはキッチリ向か合っていかないといけない。それが7時50分からの思考。
自分の中の存在の力に対して、あまりにも無力です。そのために宇宙の旅人が出て来た。何しろ、生まれてきても、他との連携が考えられない。その力が本来の力として、存在の力を持ってきた。それで相反する社会を見ていこうとする試み。
そこから内なる世界を作り出そうとして、考え抜く。私は私の世界。それで初めて、分かることが出来る。その分、外の世界を対比させる。
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作る世界の終わりの始まり
作る世界の終わりの始まり
iPhoneが売れなくなったから、部品メーカーが世界的後退。衰退したという。ずっと、このまま売れると思っていたのか。
スマホをコミュニティのためにするというのが、先人の夢なんでしょう。スマホを展開するのが彼らの役割ではない。スマホをコミュニティで使って、もっと、単純な世界にしていく。単純が夢に多様性に対応できる。
コミュニティが先に在る
ムハンマドがすごいのは、最初からコミュニティに目をつけていたことです。決して、教会ではない。そして、統一規範としてのクルアーン。
iPhoneが売れなくなったから、部品メーカーが世界的後退。衰退したという。ずっと、このまま売れると思っていたのか。
スマホをコミュニティのためにするというのが、先人の夢なんでしょう。スマホを展開するのが彼らの役割ではない。スマホをコミュニティで使って、もっと、単純な世界にしていく。単純が夢に多様性に対応できる。
コミュニティが先に在る
ムハンマドがすごいのは、最初からコミュニティに目をつけていたことです。決して、教会ではない。そして、統一規範としてのクルアーン。
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OCR化した11冊
『ささえあう図書館』
市民とともにめざす「読書のまち恵庭」
カントリーサインが「読書」
市民参加による図書館建設
低迷する子どもの利用
市民とともに歩んだブックスタート
深まったボランティアとの関係
学校図書館に人を!
読書条例の制定へ
恵庭まちじゅう図書館の誕生
読書を通して広がるつながり
市民とともにつくる「読書のまち」
「社会装置」としての新たなモデルと役割の可能性
図書館に求められる資源の状況
利用者が図書館をささえるとは
図書館が利用者をささえるとは
『バルカンを知るための66章』
ギリシア内戦と冷戦
ユダヤ人の町
ギリシア移民の歴史と現在
2015年難民危機とバルカン諸国
『スターリン秘史5』
パリ解放をめぐる諸勢力の動き
パリ蜂起の記録--決起から勝利まで
ギリシア支配を狙うイギリス。スターリン=チャーチル協定
スターリン、隣国の党にもギリシア支援を禁止する
「ポツダム宣言」直後。日本の運命にとって決定的な日々
スターリンのツァーリズム後継宣言
『トルコ 中東情勢のカギをにぎる国』
トルコの再イスラム化
イスラムが強くなると、ナショナリズムは弱くなる
支配民族のいなかったオスマン帝国
似て非なるイスラム
公正・発展党の政策のどこがイスラム的だったか
住宅問題の「イスラム的」解決
ついに事態が動いた
トルコ分裂の危機
中東大混乱が、トルコに新たな活力を吹き込む
新たな国家へ
『スペイン文化読本』
スペインの歴史
イベリア半島の地勢
先史時代・古代
中世イスラムの侵入と国土回復戦争(レコンキスタ)
一六世紀--黄金世紀
一七世紀--王朝の交代ヘ
一九世紀--自由主義をめぐる戦い
二○世紀--第二共和国ヘ
スペイン内戦
フランコ体制と民主化
スペインの民族
古代の民族
イベリア人
フェニキア人、ギリシャ人、カルタゴ人
ローマ人
ゲルマン民族
西ゴート人
ユダヤ人
イスラム教徒の侵入
ヒターノ(ロマ)
ニューカマー
『スウェーデン・モデル』
はじめに プラグマティックな実験国家・さりげなく・したたかに
スウェーデンをめぐる誤解と曲解
高い国・スウェーデン--なぜ今スウェーデンか
好奇心の強い実験国家:旺盛な冒険精神
三つの技術革命とライフスタイルの変容:可能性の増大と新たなる不安の出現
少子高齢化にどう政策対応するか:政策選択肢は五つ
スウェーデン型問題解決技法:女が変わる・社会を変える:先駆ける男女共同参画社会
合意形成型問題解決
ヒントとアイデアの宝庫:ヨーロッパのごく普通の国へ
スウェーデン・モデル--グローバリゼーションのなかの揺らぎと挑戦
スウェーデン・モデルと平等な社会
スウェーデン・モデルの特徴
格差は拡大しているのか
スウェーデンーモデルの揺らぎ
労働市場の検討
福祉システムの検討
総括
グローバリゼーションのなかで
『図説 世界史を変えた50の戦略』
完璧なはさみ撃ち
包囲戦
戦争の科学
大衆によびかける
情報を統制する
相手の弱点をつく
フランチャイズ王
オンライン・ショッピング
世界をつなぐ
『図説 世界史を変えた50の指導者』
モ-セ
ペリクレス
シッダールタ・ゴータマ
アレクサンドロス大王
ナザレのイエス
聖ペトロ
ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフ
『使える哲学』
「先晃性の失墜」
理想は人に迷惑をかける
「向こう側」の根拠を目指せ
生きている意味は「こちら側」にはない
『民主主義』
人任せでなく自分たちの仕事として行う
地方政治への参加は民主主義の第一歩
地方の問題は地方民の力で解決する
国の政治への参加はいろいろむずかしい
政党とは何か、なぜ必要か
政党は一つだけでも多すぎてもよくない
政党政治の弊害、「どろ試合」と「金」
政党は国民の心の鏡
経済的民主主義をどう実現するか
労働組合はなぜ必要なのか
女性の参政権獲得までの歴史的歩み
世界は一つの国家に統一されるべきなのか
九条を掲げた日本にできる国際貢献
『フィールドサイエンティスト』
新たな知の体系を求めて--地域環境学が目指すもの 2016/02/21 11:23 午後
実践的な総合科学
課題に駆動された科学
トランスディシプリナリー・アプローチ
地域環境学ネットワーク
地域環境知
意思決定とアクションのための知識基盤
知識生産者の多様性
生業が生み出す知識技術
ローカルとグローバルをつなぐ
地域環境知プロジェクト
国際的な制度を使いこなす
地域の実践をつなぐ
持続可能な社会への転換一科学の新しい役割
知識の統合とトランスレーション
価値の創造
人々のつながりをつくりだす
選択肢を創出する
アクションをつくりだす
市民とともにめざす「読書のまち恵庭」
カントリーサインが「読書」
市民参加による図書館建設
低迷する子どもの利用
市民とともに歩んだブックスタート
深まったボランティアとの関係
学校図書館に人を!
読書条例の制定へ
恵庭まちじゅう図書館の誕生
読書を通して広がるつながり
市民とともにつくる「読書のまち」
「社会装置」としての新たなモデルと役割の可能性
図書館に求められる資源の状況
利用者が図書館をささえるとは
図書館が利用者をささえるとは
『バルカンを知るための66章』
ギリシア内戦と冷戦
ユダヤ人の町
ギリシア移民の歴史と現在
2015年難民危機とバルカン諸国
『スターリン秘史5』
パリ解放をめぐる諸勢力の動き
パリ蜂起の記録--決起から勝利まで
ギリシア支配を狙うイギリス。スターリン=チャーチル協定
スターリン、隣国の党にもギリシア支援を禁止する
「ポツダム宣言」直後。日本の運命にとって決定的な日々
スターリンのツァーリズム後継宣言
『トルコ 中東情勢のカギをにぎる国』
トルコの再イスラム化
イスラムが強くなると、ナショナリズムは弱くなる
支配民族のいなかったオスマン帝国
似て非なるイスラム
公正・発展党の政策のどこがイスラム的だったか
住宅問題の「イスラム的」解決
ついに事態が動いた
トルコ分裂の危機
中東大混乱が、トルコに新たな活力を吹き込む
新たな国家へ
『スペイン文化読本』
スペインの歴史
イベリア半島の地勢
先史時代・古代
中世イスラムの侵入と国土回復戦争(レコンキスタ)
一六世紀--黄金世紀
一七世紀--王朝の交代ヘ
一九世紀--自由主義をめぐる戦い
二○世紀--第二共和国ヘ
スペイン内戦
フランコ体制と民主化
スペインの民族
古代の民族
イベリア人
フェニキア人、ギリシャ人、カルタゴ人
ローマ人
ゲルマン民族
西ゴート人
ユダヤ人
イスラム教徒の侵入
ヒターノ(ロマ)
ニューカマー
『スウェーデン・モデル』
はじめに プラグマティックな実験国家・さりげなく・したたかに
スウェーデンをめぐる誤解と曲解
高い国・スウェーデン--なぜ今スウェーデンか
好奇心の強い実験国家:旺盛な冒険精神
三つの技術革命とライフスタイルの変容:可能性の増大と新たなる不安の出現
少子高齢化にどう政策対応するか:政策選択肢は五つ
スウェーデン型問題解決技法:女が変わる・社会を変える:先駆ける男女共同参画社会
合意形成型問題解決
ヒントとアイデアの宝庫:ヨーロッパのごく普通の国へ
スウェーデン・モデル--グローバリゼーションのなかの揺らぎと挑戦
スウェーデン・モデルと平等な社会
スウェーデン・モデルの特徴
格差は拡大しているのか
スウェーデンーモデルの揺らぎ
労働市場の検討
福祉システムの検討
総括
グローバリゼーションのなかで
『図説 世界史を変えた50の戦略』
完璧なはさみ撃ち
包囲戦
戦争の科学
大衆によびかける
情報を統制する
相手の弱点をつく
フランチャイズ王
オンライン・ショッピング
世界をつなぐ
『図説 世界史を変えた50の指導者』
モ-セ
ペリクレス
シッダールタ・ゴータマ
アレクサンドロス大王
ナザレのイエス
聖ペトロ
ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフ
『使える哲学』
「先晃性の失墜」
理想は人に迷惑をかける
「向こう側」の根拠を目指せ
生きている意味は「こちら側」にはない
『民主主義』
人任せでなく自分たちの仕事として行う
地方政治への参加は民主主義の第一歩
地方の問題は地方民の力で解決する
国の政治への参加はいろいろむずかしい
政党とは何か、なぜ必要か
政党は一つだけでも多すぎてもよくない
政党政治の弊害、「どろ試合」と「金」
政党は国民の心の鏡
経済的民主主義をどう実現するか
労働組合はなぜ必要なのか
女性の参政権獲得までの歴史的歩み
世界は一つの国家に統一されるべきなのか
九条を掲げた日本にできる国際貢献
『フィールドサイエンティスト』
新たな知の体系を求めて--地域環境学が目指すもの 2016/02/21 11:23 午後
実践的な総合科学
課題に駆動された科学
トランスディシプリナリー・アプローチ
地域環境学ネットワーク
地域環境知
意思決定とアクションのための知識基盤
知識生産者の多様性
生業が生み出す知識技術
ローカルとグローバルをつなぐ
地域環境知プロジェクト
国際的な制度を使いこなす
地域の実践をつなぐ
持続可能な社会への転換一科学の新しい役割
知識の統合とトランスレーション
価値の創造
人々のつながりをつくりだす
選択肢を創出する
アクションをつくりだす
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ローカルとグローバルをつなぐ
『フィールドサイエンティスト』より 新たな知の体系を求めて--地域環境学が目指すもの
国際的な制度や仕組みを地域社会のステークホルダーが使いこなすというトップダウン型のプロセスとは逆に地域レペルでの地域環境知の生産と、それにもとづいたクリエイティブな実践が、ボトムアップ型の知識の双方向トランスレーターの働きによって、より広域的な、ときにはグローバルレペルにまで流通し、さまざまなレべルの意思決定とアクションに影響を与えている。国連開発計画(UNDP)が主導する赤道イニシアティブは、開発途上国における貧困、環境劣化、気候変動などの課題に対して地域社会が主体的に取り組むことで、持続可能な地域社会の構築に向けた革新的な動きを創発している事例を、隔年で顕彰する赤道賞という制度を運営している。北緯23。5度以南、南緯23。5度以北の赤道周辺に集中する開発途上国での取り組みを対象とすることから、赤道賞と名づけられた。赤道賞は、森林や水産資源管理、水資源管理、野生動物保護、自然エネルギーの活用などの分野の、地域社会が主体となった優れた取り組みを表彰し、2002年から10年間の受賞者は、127件にのぼっている。こうして収集された地域レペルでの革新的な実践を詳細に分析することによって, 2012年に地域主導の活動によって地域の持続可能な発展を効果的に実現するための12のレッスンを抽出し、「地域からのアクションの潜在力--赤道賞の10年」という報告書を出版した。この報告書は2012年にインドのハイデラバードで開催された生物多様性条約第11回締約国会議(COP11)で発表された。このプロセスは、国際機関であるUNDPが、地域が主導する実践が持つ普遍的な価値を抽出し、広域的に発信することを通じて、知識の双方向トランスレーターとしてローカルとグローバルをつなぐ知識の流通を促しているものと理解できる。12のレッスンのなかには、伝統的な知識や制度がそのままで保存されるべき静的なものではなく、新しい知識や技術、ガバナンスシステムなどと融合することによって、イノベーションをもたらすことができるという指摘がある。まさに科学知と在来知が融合して地域環境知が形成され、地域社会の革新をもたらすプロセスの重要性が、受賞事例の分析からも裏づけられたとみなすことができるだろう。
この赤道賞を2002年に受賞したのが、フィジー共和国の地域主導型管理海域(Locally Managed Managed Marine Areas;LMMA)の取り組みである。地域主導型管理海域という仕組みは、厳密な資源管理を促す海洋保護区などの仕組みよりは柔らかなかたちで、地域のステークホルダー自身による無理のない主体的な活動を通じて、水産資源の管理を推進することを目指すものである。1997年にフィジー共和国最大の島、ビティレブ島の東海岸にあるウスニバヌア村で、最初のLMMAが設立された。これはフィジーにおける学術研究を主導するレジデント型研究機関である南太平洋大学の科学者と地域のステークホルダーなどが密に連携して、海域の一部を3年間にわたって禁漁として、その後も資源管理を継続することによって巻貝資源を再生し、地域に経済効果をもたらしたという事例である(図5。7)。 LMMAの取り組みはほかのコミュニティに急速に広がり、地域ごとの取り組みをサポートするためにフィジー地域主導型管理海域ネットワーク(FLMMA Network)が誕生した。この動きはフィジーの水産政策に大きな影響を与えただけでなく、国際ネットワークの結成を通じて、インドネシア、ミクロネシア、パプアニューギニア、フィリピン、ソロモン諸島などの南太平洋諸国に広く拡大していった。ここでも、赤道イニシアティブがグローバルレペルのトランスレーターとして地域のイニシアティブの価値を発信し、南太平洋大学のレジデント型研究者が地域に密着したトランスレーターとして機能し、LMMAネットワークがフィジー内外の地域コミュニティをつなぐトランスレーターとして地域主導型管理海域という仕組みの拡大と活性化を促しているように見える。地域からグローバルまでさまざまなスケールをつなぐ知識の生産、流通、活用を促す重層的トランスレーションが、異なるスケールにまたがる順応的ガバナンスの基盤を提供していることは確かだろう。
国際的な制度や仕組みを地域社会のステークホルダーが使いこなすというトップダウン型のプロセスとは逆に地域レペルでの地域環境知の生産と、それにもとづいたクリエイティブな実践が、ボトムアップ型の知識の双方向トランスレーターの働きによって、より広域的な、ときにはグローバルレペルにまで流通し、さまざまなレべルの意思決定とアクションに影響を与えている。国連開発計画(UNDP)が主導する赤道イニシアティブは、開発途上国における貧困、環境劣化、気候変動などの課題に対して地域社会が主体的に取り組むことで、持続可能な地域社会の構築に向けた革新的な動きを創発している事例を、隔年で顕彰する赤道賞という制度を運営している。北緯23。5度以南、南緯23。5度以北の赤道周辺に集中する開発途上国での取り組みを対象とすることから、赤道賞と名づけられた。赤道賞は、森林や水産資源管理、水資源管理、野生動物保護、自然エネルギーの活用などの分野の、地域社会が主体となった優れた取り組みを表彰し、2002年から10年間の受賞者は、127件にのぼっている。こうして収集された地域レペルでの革新的な実践を詳細に分析することによって, 2012年に地域主導の活動によって地域の持続可能な発展を効果的に実現するための12のレッスンを抽出し、「地域からのアクションの潜在力--赤道賞の10年」という報告書を出版した。この報告書は2012年にインドのハイデラバードで開催された生物多様性条約第11回締約国会議(COP11)で発表された。このプロセスは、国際機関であるUNDPが、地域が主導する実践が持つ普遍的な価値を抽出し、広域的に発信することを通じて、知識の双方向トランスレーターとしてローカルとグローバルをつなぐ知識の流通を促しているものと理解できる。12のレッスンのなかには、伝統的な知識や制度がそのままで保存されるべき静的なものではなく、新しい知識や技術、ガバナンスシステムなどと融合することによって、イノベーションをもたらすことができるという指摘がある。まさに科学知と在来知が融合して地域環境知が形成され、地域社会の革新をもたらすプロセスの重要性が、受賞事例の分析からも裏づけられたとみなすことができるだろう。
この赤道賞を2002年に受賞したのが、フィジー共和国の地域主導型管理海域(Locally Managed Managed Marine Areas;LMMA)の取り組みである。地域主導型管理海域という仕組みは、厳密な資源管理を促す海洋保護区などの仕組みよりは柔らかなかたちで、地域のステークホルダー自身による無理のない主体的な活動を通じて、水産資源の管理を推進することを目指すものである。1997年にフィジー共和国最大の島、ビティレブ島の東海岸にあるウスニバヌア村で、最初のLMMAが設立された。これはフィジーにおける学術研究を主導するレジデント型研究機関である南太平洋大学の科学者と地域のステークホルダーなどが密に連携して、海域の一部を3年間にわたって禁漁として、その後も資源管理を継続することによって巻貝資源を再生し、地域に経済効果をもたらしたという事例である(図5。7)。 LMMAの取り組みはほかのコミュニティに急速に広がり、地域ごとの取り組みをサポートするためにフィジー地域主導型管理海域ネットワーク(FLMMA Network)が誕生した。この動きはフィジーの水産政策に大きな影響を与えただけでなく、国際ネットワークの結成を通じて、インドネシア、ミクロネシア、パプアニューギニア、フィリピン、ソロモン諸島などの南太平洋諸国に広く拡大していった。ここでも、赤道イニシアティブがグローバルレペルのトランスレーターとして地域のイニシアティブの価値を発信し、南太平洋大学のレジデント型研究者が地域に密着したトランスレーターとして機能し、LMMAネットワークがフィジー内外の地域コミュニティをつなぐトランスレーターとして地域主導型管理海域という仕組みの拡大と活性化を促しているように見える。地域からグローバルまでさまざまなスケールをつなぐ知識の生産、流通、活用を促す重層的トランスレーションが、異なるスケールにまたがる順応的ガバナンスの基盤を提供していることは確かだろう。
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文部省社会科教科書は書かれていた「民主主義」
『民主主義』より 文部省〈一九四八-五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版
世界は一つの国家に統一されるべきなのか
国際連合が理想の実現に向かって努力しているとき、他方には、更に根本にまでさかのぼって、今日世界に存在する多数の国家がその主権を放棄し、人類全体をただ一つの政治社会に統一すべきであるということを主張する人々がある。今までのように、多くの国々がそれぞれ主権国家として対立し、おのおのその利益を固執しているようであっては、人類を脅かす戦争の危険はいつまでたってもなくならない。だから、この際、思いきってすべての国家のわくをはずし、世界共通の単一政府を立て、世界国家または世界連邦を作る以外には、永遠の平和の基礎を確立する道はないというのが、その主張の要旨である。
このような世界国家の思想は、理論としてはひじょうに古い歴史を持っている。すでに、ギリシア時代の終りごろには、ストア学派の哲学者たちがはっきりと世界国家の理想を説いた。中世イタリアの有名な詩人ダンテもまた、人類が多数の国々に分かれて生活していることは、すべての悪と争いとの源であるから、その状態を改めて、単一の世界王国を作るべきであると論じた。前に述べたカントも、永久平和のための最もよい方法は、すべての国家が国家たることをやめて、ただ一つの万民国家に結合するにあることを認めている。ただ、カントは、現存する国家がすすんでその主権を放棄することは、事実上の問題としてはありえないと考え、それに代わる次善の策として、国際連盟の組織を提唱したにすぎない。
戦争の規模がますます大きくなり、その及ぼす惨害がはかり知れないほどに増大しつつある今日、人々が世界国家の問題に大きな関心をいだくのは、きわめて当然なことである。第一次世界大戦が終ったあとでも、イギリスの著名な評論家であるエッチトジー=ウエルスが、永久平和維持のための唯一の方法として世界政府を設けることを主張した。第二次世界大戦の末期には、アメリカでエメロノ=トリイヴスが「平和の解剖学」という本を著わし、世界連邦を作れという案を提唱して、多くの人々の注意をひいている。
リイヴスによると、ヨーロッパでは、フランスとドイツとが長年和解しがたい戦いを続けてきたが、フランス人もドイツ人も、同じ合衆国の国民となれば互に仲よく協力しあっている。今日のように経済が世界的規模を持つようになった時代に、政治の方面で多くの民族国家が互に垣を高くして対立しているのは、時代錯誤であるといわざるを得ないというのである。その他、物理学上の相対性原理で名高いアインシュタイン博士をはじめとする学者たちが、世界国家の必要を力説していることも、世人の記憶に新しい。
たしかに、今日の世界は、百年前の世界よりもはるかに狭くなってきている。国際交換経済の発達は、人類全体の持ちつ持たれつの関係をますます深めつつある。交通機関は飛躍的に進歩し、思想や文化は国境を越えて相互に交流し、世界はだんだんと一つになろうとしている。こういう時代になってくれば、各国がそれぞれ無制限の主権を主張しあうということは、すでに無意味である。国際連合は、加盟諸国家の主権平等の原則を認めてはいるか、そこにいう主権とは、もはや、何ものの前にも従うことをがえんじない国家意志の絶対性ではない。すべての国家は国際法に従い、相互の協約を重んじ、あいたずさえて平和の維持に協力すべき義務を負うているのである。すべての民族が共同の世界市民権を持ち、政治的にも経済的にも文化的にも一体となって協力しあうようになるというのは、最も望ましいことであるに相違ない。
しかし、現実の問題としては、この希望の実現の前には、容易に乗り越えることのできない難関が横だわっている。しかし、地球上のすべての国々がほんとうの民主主義に徹底し、お互の間に円満な協力の関係を維持していくように努力するならば、ことさらに世界国家を作らないで、今までどおりの国際社会の圭圭ですすむとしても、世界の平和は確保され、人類全体の福祉を一歩一歩と高めていくことができるであろう。その意味で、形の上での世界国家の建設よりも、真の民主主義の精神を全世界にひろめる方が、世界平和のための先決問題であるというべきであろう。
九条を掲げた日本にできる国際貢献
今日の世界は、このように動き、このように悩み、このような理想に向かって努力しつつある。しかも、世界人類に大きな悩みと、苦痛と、衝撃とを与えた第二次大戦については、ドイツとならんで日本が最も大きな責任を負わなければならない。その日本国民が、大きな苦しみを味わいつつあるのは、当然すぎるほど当然なことである。
しかし、日本の将来には、けっして希望がないわけではない。むしろ、日本の前途には、大きな光明が輝いているとさえいうことができよう。戦争中のようなうぬぼれはもとより根本のあや圭りであるが、日本人の知識や才能の水準はけっして低いものではない。ただ、これまではそれをまちがった方向に用いていたために、今見るような悲運を招いた。もしも日本人が、まったく新たな気持になって民主主義をわがものとし、その持っている力のありたけを尽くして平和な目的のために努め、人類のために貢献していくならば、民主主義的な世界もまた、日本を暖かく迎え入れてくれるであろう。経済も興り、都市も再建され、学問や芸術も発達し、戦争後の日本国民の理想たる文化国家の建設という大きな仕事も、だんだんと実現していくであろう。
自ら起した戦争によって、自らの運命を破局におとしいれた日本は、ふたたびそのあやまちをくり返さないために、堅く「戦争の放棄」を決意した。新憲法の第九条が、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と宣言し、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定しているのは、その決意の表明である。平和をもって国是とする国々は多いが、憲法によってその精神をこれほどまでに徹底して明らかにしたのは、日本がはじめてであるといってよい。
もちろん、今まで述べてきたように、将来の世界にも戦争の危険はないとはいえない。そうだとすると、もしも、不幸にして新しい戦争が起り、外国の攻撃を受けたような場合、武力をなげうった日本は、どうして国土を守ることができるであろうか。日本国民は、愛する祖国が攻撃されるのを手をつかねて見ているほかはないのであろうか。国民の中には、いさぎよく、戦争を放棄はしたものの、心の中ではそのような不安をいだいている人々が少なくないであろう。
しかしながら、ますます大きくなりつつある戦争の規模を考えたならば、なまなかな武力を備えたところで、国を守るために何の役にも立たないことがわかる。軍部は、わが国の陸軍や海軍は無敵だといって誇っていたが、太平洋戦争のふたをあけてみた結果は、ほとんど連戦連敗に終ってしまった。まして、敗戦後の日本がわずかばかりの武力を持ったとしても、万一不幸にして今後戦争が起ったときには、そのような軍備は、単なる気やすめとしての意味をさえ持ちえないであろう。だから、日本としては、あくまでも世界を維持していこうと決意している国々の協力に信頼し、全力をあげて経済の再興と文化の建設とに努めていくにしくはない。
今日の日本国民の心の中にわだかまっているもう一つの不安は、この狭い国土にこれだけの人口をかかえて、これからさき日本がはたして自活していけるかどうかということである。
これも、もとより理由のない不安ではない。しかし、これからの経済は、ますます世界的な規模にひろがっていくから、少数の例外を除いては、多くの国々はその国の経済だけでは自活が困難であると同時に、国際的に有無をあい通ずることによって、人類全体としてはじゅうぶんに不安のない生活を成り立たせていけるのである。世界国家はできないでも、世界経済は、だんだんと全人類の福祉を増進させていくであろう。
わが国は、国が狭いばかりでなく、資源にも乏しいけれども、きわめて精巧な技術を持っている。この技術と勤勉とを生かし、それに加うるに科学の力を活用するならば、おいおいに復活する海外貿易とあいまって、日本国民の経済生活の前途にも、また、明かるい希望が輝いてくるであろう。経済生活さえ安定し、向上してくれば、秀麗な富士がそびえ、春はらん圭んとしてさくらの咲く日本には、学問や芸術の実が豊かにみのる日がくるであろう。日本国民は、このような文化国家建設への不屈の意志を持って、ひたすらに民主主義的な国際協力の道につき進んでいかなければならない。
世界は一つの国家に統一されるべきなのか
国際連合が理想の実現に向かって努力しているとき、他方には、更に根本にまでさかのぼって、今日世界に存在する多数の国家がその主権を放棄し、人類全体をただ一つの政治社会に統一すべきであるということを主張する人々がある。今までのように、多くの国々がそれぞれ主権国家として対立し、おのおのその利益を固執しているようであっては、人類を脅かす戦争の危険はいつまでたってもなくならない。だから、この際、思いきってすべての国家のわくをはずし、世界共通の単一政府を立て、世界国家または世界連邦を作る以外には、永遠の平和の基礎を確立する道はないというのが、その主張の要旨である。
このような世界国家の思想は、理論としてはひじょうに古い歴史を持っている。すでに、ギリシア時代の終りごろには、ストア学派の哲学者たちがはっきりと世界国家の理想を説いた。中世イタリアの有名な詩人ダンテもまた、人類が多数の国々に分かれて生活していることは、すべての悪と争いとの源であるから、その状態を改めて、単一の世界王国を作るべきであると論じた。前に述べたカントも、永久平和のための最もよい方法は、すべての国家が国家たることをやめて、ただ一つの万民国家に結合するにあることを認めている。ただ、カントは、現存する国家がすすんでその主権を放棄することは、事実上の問題としてはありえないと考え、それに代わる次善の策として、国際連盟の組織を提唱したにすぎない。
戦争の規模がますます大きくなり、その及ぼす惨害がはかり知れないほどに増大しつつある今日、人々が世界国家の問題に大きな関心をいだくのは、きわめて当然なことである。第一次世界大戦が終ったあとでも、イギリスの著名な評論家であるエッチトジー=ウエルスが、永久平和維持のための唯一の方法として世界政府を設けることを主張した。第二次世界大戦の末期には、アメリカでエメロノ=トリイヴスが「平和の解剖学」という本を著わし、世界連邦を作れという案を提唱して、多くの人々の注意をひいている。
リイヴスによると、ヨーロッパでは、フランスとドイツとが長年和解しがたい戦いを続けてきたが、フランス人もドイツ人も、同じ合衆国の国民となれば互に仲よく協力しあっている。今日のように経済が世界的規模を持つようになった時代に、政治の方面で多くの民族国家が互に垣を高くして対立しているのは、時代錯誤であるといわざるを得ないというのである。その他、物理学上の相対性原理で名高いアインシュタイン博士をはじめとする学者たちが、世界国家の必要を力説していることも、世人の記憶に新しい。
たしかに、今日の世界は、百年前の世界よりもはるかに狭くなってきている。国際交換経済の発達は、人類全体の持ちつ持たれつの関係をますます深めつつある。交通機関は飛躍的に進歩し、思想や文化は国境を越えて相互に交流し、世界はだんだんと一つになろうとしている。こういう時代になってくれば、各国がそれぞれ無制限の主権を主張しあうということは、すでに無意味である。国際連合は、加盟諸国家の主権平等の原則を認めてはいるか、そこにいう主権とは、もはや、何ものの前にも従うことをがえんじない国家意志の絶対性ではない。すべての国家は国際法に従い、相互の協約を重んじ、あいたずさえて平和の維持に協力すべき義務を負うているのである。すべての民族が共同の世界市民権を持ち、政治的にも経済的にも文化的にも一体となって協力しあうようになるというのは、最も望ましいことであるに相違ない。
しかし、現実の問題としては、この希望の実現の前には、容易に乗り越えることのできない難関が横だわっている。しかし、地球上のすべての国々がほんとうの民主主義に徹底し、お互の間に円満な協力の関係を維持していくように努力するならば、ことさらに世界国家を作らないで、今までどおりの国際社会の圭圭ですすむとしても、世界の平和は確保され、人類全体の福祉を一歩一歩と高めていくことができるであろう。その意味で、形の上での世界国家の建設よりも、真の民主主義の精神を全世界にひろめる方が、世界平和のための先決問題であるというべきであろう。
九条を掲げた日本にできる国際貢献
今日の世界は、このように動き、このように悩み、このような理想に向かって努力しつつある。しかも、世界人類に大きな悩みと、苦痛と、衝撃とを与えた第二次大戦については、ドイツとならんで日本が最も大きな責任を負わなければならない。その日本国民が、大きな苦しみを味わいつつあるのは、当然すぎるほど当然なことである。
しかし、日本の将来には、けっして希望がないわけではない。むしろ、日本の前途には、大きな光明が輝いているとさえいうことができよう。戦争中のようなうぬぼれはもとより根本のあや圭りであるが、日本人の知識や才能の水準はけっして低いものではない。ただ、これまではそれをまちがった方向に用いていたために、今見るような悲運を招いた。もしも日本人が、まったく新たな気持になって民主主義をわがものとし、その持っている力のありたけを尽くして平和な目的のために努め、人類のために貢献していくならば、民主主義的な世界もまた、日本を暖かく迎え入れてくれるであろう。経済も興り、都市も再建され、学問や芸術も発達し、戦争後の日本国民の理想たる文化国家の建設という大きな仕事も、だんだんと実現していくであろう。
自ら起した戦争によって、自らの運命を破局におとしいれた日本は、ふたたびそのあやまちをくり返さないために、堅く「戦争の放棄」を決意した。新憲法の第九条が、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と宣言し、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定しているのは、その決意の表明である。平和をもって国是とする国々は多いが、憲法によってその精神をこれほどまでに徹底して明らかにしたのは、日本がはじめてであるといってよい。
もちろん、今まで述べてきたように、将来の世界にも戦争の危険はないとはいえない。そうだとすると、もしも、不幸にして新しい戦争が起り、外国の攻撃を受けたような場合、武力をなげうった日本は、どうして国土を守ることができるであろうか。日本国民は、愛する祖国が攻撃されるのを手をつかねて見ているほかはないのであろうか。国民の中には、いさぎよく、戦争を放棄はしたものの、心の中ではそのような不安をいだいている人々が少なくないであろう。
しかしながら、ますます大きくなりつつある戦争の規模を考えたならば、なまなかな武力を備えたところで、国を守るために何の役にも立たないことがわかる。軍部は、わが国の陸軍や海軍は無敵だといって誇っていたが、太平洋戦争のふたをあけてみた結果は、ほとんど連戦連敗に終ってしまった。まして、敗戦後の日本がわずかばかりの武力を持ったとしても、万一不幸にして今後戦争が起ったときには、そのような軍備は、単なる気やすめとしての意味をさえ持ちえないであろう。だから、日本としては、あくまでも世界を維持していこうと決意している国々の協力に信頼し、全力をあげて経済の再興と文化の建設とに努めていくにしくはない。
今日の日本国民の心の中にわだかまっているもう一つの不安は、この狭い国土にこれだけの人口をかかえて、これからさき日本がはたして自活していけるかどうかということである。
これも、もとより理由のない不安ではない。しかし、これからの経済は、ますます世界的な規模にひろがっていくから、少数の例外を除いては、多くの国々はその国の経済だけでは自活が困難であると同時に、国際的に有無をあい通ずることによって、人類全体としてはじゅうぶんに不安のない生活を成り立たせていけるのである。世界国家はできないでも、世界経済は、だんだんと全人類の福祉を増進させていくであろう。
わが国は、国が狭いばかりでなく、資源にも乏しいけれども、きわめて精巧な技術を持っている。この技術と勤勉とを生かし、それに加うるに科学の力を活用するならば、おいおいに復活する海外貿易とあいまって、日本国民の経済生活の前途にも、また、明かるい希望が輝いてくるであろう。経済生活さえ安定し、向上してくれば、秀麗な富士がそびえ、春はらん圭んとしてさくらの咲く日本には、学問や芸術の実が豊かにみのる日がくるであろう。日本国民は、このような文化国家建設への不屈の意志を持って、ひたすらに民主主義的な国際協力の道につき進んでいかなければならない。
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『自動車の社会的費用』は正しい
『自動車の社会的費用』をまともに考えていたら様相は変わっていた
「先見性の失墜」の典型的な例が、宇沢弘文(1928~2014)の『自動車の社会的費用』(岩波新書)という本です。1974年に出版されたこの本にはこんなことが書かれています。「自動車通行によって基本的な生活が侵害され、市民的自由が収奪されている」「自動車はまさに生物体に侵入したガン細胞のように、経済社会のなかで拡大していったのである」
「自家用自動車を『マイカー』という言葉で呼んでいるが、この言葉ほど、自動車に対する日本社会の捉え方を象徴したものはない。他人にどのような迷惑を及ぼそうと自らの利益だけを追う、飽くことをしらない物質的欲望がそのままこの『マイカー』という言葉にあらわされている」
今の若者に読ませたなら、何か何やらわからず、ただポカンとすることでしょう。当時の車社会に対する宇沢氏の激しい呪誼のような言葉が連ねられていますが、現在から見ると、標的をことごとく外してしまっているのがわかります。これはまさに「先見性の失墜」です。あるいは「超越の失敗」ということになります。
そうした運動とは違って企業の場合、そんなことをしたら潰れてしまいますから、間違った考えはどんどん捨てていかなければいけません。捨てていくことが私は正しいと思っています。大学もそうであるはずです。
インフラを使いもしない車に占有され、公共の意識をなくしてしまった。企業は方向を失い、一部の愛好家だけの存在になってしまった。
未唯空間の「クルマ社会」で、それをまとめていく。
「先見性の失墜」の典型的な例が、宇沢弘文(1928~2014)の『自動車の社会的費用』(岩波新書)という本です。1974年に出版されたこの本にはこんなことが書かれています。「自動車通行によって基本的な生活が侵害され、市民的自由が収奪されている」「自動車はまさに生物体に侵入したガン細胞のように、経済社会のなかで拡大していったのである」
「自家用自動車を『マイカー』という言葉で呼んでいるが、この言葉ほど、自動車に対する日本社会の捉え方を象徴したものはない。他人にどのような迷惑を及ぼそうと自らの利益だけを追う、飽くことをしらない物質的欲望がそのままこの『マイカー』という言葉にあらわされている」
今の若者に読ませたなら、何か何やらわからず、ただポカンとすることでしょう。当時の車社会に対する宇沢氏の激しい呪誼のような言葉が連ねられていますが、現在から見ると、標的をことごとく外してしまっているのがわかります。これはまさに「先見性の失墜」です。あるいは「超越の失敗」ということになります。
そうした運動とは違って企業の場合、そんなことをしたら潰れてしまいますから、間違った考えはどんどん捨てていかなければいけません。捨てていくことが私は正しいと思っています。大学もそうであるはずです。
インフラを使いもしない車に占有され、公共の意識をなくしてしまった。企業は方向を失い、一部の愛好家だけの存在になってしまった。
未唯空間の「クルマ社会」で、それをまとめていく。
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「先見性の失墜」
『使える哲学』より ⇒ ろくなもんじゃない
他に不要な学問の例をあげれば、フランス現代思想でしょう。一見まだ人気があるようですが、実はすでに利用価値がないのではないかと思います。
たとえばミシェル・フーコー(1926~1984)が「生権力」ということを言っています。われわれはあちらこちらから監視されていて、無意識のうちに社会の規範に従うようになるというのです。
フーコーは否定的にとらえていますが、本当にそうでしょうか。監視カメラを考えてみてください。非常に役立っていませんか。
沢口靖子主演の「科捜研の女」(テレビ朝日系)でも犯人逮捕に大活躍している。あれはフィクションですが、寝屋川市で現実に起きた少年と少女が殺害された事件でも監視カメラが彼らの行動を記録していて、事件の解決に役立ちました。
監視カメラは他にも多くの事件で役立っていて、その存在は犯罪防止に寄与しているといわれています。
フーコーの言った状況はすでに実現していて、しかもわれわれにとって役立ってしまっている。いまさら反対する必要があるのでしょうか。
フーコーが「生権力」を唱えた時代(1975年前後)には監視カメラがこれだけ設置されている状況を見通すことはできなかったのでしょう。私はこれを「先見性の失墜」と呼んでいます。
また、「先見性の失墜」の典型的な例が、宇沢弘文(1928~2014)の『自動車の社会的費用』(岩波新書)という本です。1974年に出版されたこの本にはこんなことが書かれています。
「自動車通行によって基本的な生活が侵害され、市民的自由が収奪されている」
「自動車はまさに生物体に侵入したガン細胞のように、経済社会のなかで拡大していったのである」
「自家用自動車を『マイカー』という言葉で呼んでいるが、この言葉ほど、自動車に対する日本社会の捉え方を象徴したものはない。他人にどのような迷惑を及ぼそうと自らの利益だけを追う、飽くことをしらない物質的欲望がそのままこの『マイカー』という言葉にあらわされている」
今の若者に読ませたなら、何か何やらわからず、ただポカンとすることでしょう。当時の車社会に対する宇沢氏の激しい呪誼のような言葉が連ねられていますが、現在から見ると、標的をことごとく外してしまっているのがわかります。これはまさに「先見性の失墜」です。あるいは「超越の失敗」ということになります。
当時はホンダCVCCなどの低公害エンジンがようやく開発されたてのころで、他方、富士の裾野では製紙会社が公害を大いに垂れ流していました。そんな時代に宇沢氏は義憤を発してこの本を書いたのでしょうか。彼は公害や環境問題にも取り組みましたが、日本の企業はその後すべての課題をみごとにクリアして発展していきました。
こんなふうに間違った「古典」を持ち上げてはいけません。しかし、左翼の運動をしている人たちにはそれをする傾向があります。というのは、彼らには理想があるからでしょう。
理想というのは、哲学用語でいえば「実在」すなわち本当に存在することではなくて、「当為」すなわち「こうすべきこと」だから、やってみた結果失敗してもいいと思っているわけです。そのため、先見性の失墜であることを認めずに続けようとします。
けれども、正しいものを支持する運動ならょいのですが、悪い考えや間違った考えを支持する運動であった場合、悲惨なことになってしまいます。
そうした運動とは違って企業の場合、そんなことをしたら潰れてしまいますから、間違った考えはどんどん捨てていかなければいけません。捨てていくことが私は正しいと思っています。大学もそうであるはずです。
他に不要な学問の例をあげれば、フランス現代思想でしょう。一見まだ人気があるようですが、実はすでに利用価値がないのではないかと思います。
たとえばミシェル・フーコー(1926~1984)が「生権力」ということを言っています。われわれはあちらこちらから監視されていて、無意識のうちに社会の規範に従うようになるというのです。
フーコーは否定的にとらえていますが、本当にそうでしょうか。監視カメラを考えてみてください。非常に役立っていませんか。
沢口靖子主演の「科捜研の女」(テレビ朝日系)でも犯人逮捕に大活躍している。あれはフィクションですが、寝屋川市で現実に起きた少年と少女が殺害された事件でも監視カメラが彼らの行動を記録していて、事件の解決に役立ちました。
監視カメラは他にも多くの事件で役立っていて、その存在は犯罪防止に寄与しているといわれています。
フーコーの言った状況はすでに実現していて、しかもわれわれにとって役立ってしまっている。いまさら反対する必要があるのでしょうか。
フーコーが「生権力」を唱えた時代(1975年前後)には監視カメラがこれだけ設置されている状況を見通すことはできなかったのでしょう。私はこれを「先見性の失墜」と呼んでいます。
また、「先見性の失墜」の典型的な例が、宇沢弘文(1928~2014)の『自動車の社会的費用』(岩波新書)という本です。1974年に出版されたこの本にはこんなことが書かれています。
「自動車通行によって基本的な生活が侵害され、市民的自由が収奪されている」
「自動車はまさに生物体に侵入したガン細胞のように、経済社会のなかで拡大していったのである」
「自家用自動車を『マイカー』という言葉で呼んでいるが、この言葉ほど、自動車に対する日本社会の捉え方を象徴したものはない。他人にどのような迷惑を及ぼそうと自らの利益だけを追う、飽くことをしらない物質的欲望がそのままこの『マイカー』という言葉にあらわされている」
今の若者に読ませたなら、何か何やらわからず、ただポカンとすることでしょう。当時の車社会に対する宇沢氏の激しい呪誼のような言葉が連ねられていますが、現在から見ると、標的をことごとく外してしまっているのがわかります。これはまさに「先見性の失墜」です。あるいは「超越の失敗」ということになります。
当時はホンダCVCCなどの低公害エンジンがようやく開発されたてのころで、他方、富士の裾野では製紙会社が公害を大いに垂れ流していました。そんな時代に宇沢氏は義憤を発してこの本を書いたのでしょうか。彼は公害や環境問題にも取り組みましたが、日本の企業はその後すべての課題をみごとにクリアして発展していきました。
こんなふうに間違った「古典」を持ち上げてはいけません。しかし、左翼の運動をしている人たちにはそれをする傾向があります。というのは、彼らには理想があるからでしょう。
理想というのは、哲学用語でいえば「実在」すなわち本当に存在することではなくて、「当為」すなわち「こうすべきこと」だから、やってみた結果失敗してもいいと思っているわけです。そのため、先見性の失墜であることを認めずに続けようとします。
けれども、正しいものを支持する運動ならょいのですが、悪い考えや間違った考えを支持する運動であった場合、悲惨なことになってしまいます。
そうした運動とは違って企業の場合、そんなことをしたら潰れてしまいますから、間違った考えはどんどん捨てていかなければいけません。捨てていくことが私は正しいと思っています。大学もそうであるはずです。
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指導者 ペテロ イエスとの関係
『図説 世界史を変えた50の指導者』より
最初のキリスト教会の指導者となったイエスの忠実な弟子
ナザレのイエスの一番弟子であるぺ卜ロは、イエスから初期のキリスト教徒の指導者に選ばれた。ペトロは覚悟の決まった風格ある生き方で、初期のキリスト教信徒たちを導く理想の指導者となった。
初期のキリスト教徒のなかでペトロが権威を獲得したのは深い示唆に富む逸話による。聖書の「マタイによる福音書」によれば、イエスが弟子たちに自分を何者だと思うかとたずねると、ベトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」(「マタイによる福音書」16・16)と答えた。イエスはこの絶対的な信仰の堂々たる表明にこたえて、ペトロは岩でありその岩の上に教会(キリスト教団)を建てようと宣言する。
このできごとによってペトロには新たなアイデンティティができた。イエスに従った12人のなかでも最初に弟子になったひとりであるペトロは、もともとヨハネの子シモンという名前だった。イエスの正体について堂々と発言した彼に、イエスはギリシア語で「岩」を意味するペトロスからとったペトロという新たな名を授ける。ペトロの発言には可能性を受け入れる開かれた心だけでなく、自信と勇気が表れていた。イエスを「キリスト」とよぶことで、シモン・ペトロはイエスが神の計画を実現するために遣わされたと言ったのである。「キリスト」とは「メシア」のギリシア語訳で、「神から使命をあたえられた者」を意味する。
覚悟と自然な風格
イエスは旅の説教師として活動した。弟子たちをっれて各地をめぐり歩くうち、彼はシモン・ペトロが弟子たちのなかで突出した存在であることを認めるようになる。たとえ話の意味を最初にたずねるのはペトロで、それは知識欲と思っていることを率直に発言する自信の表れだった。「マタイによる福音書」に、弟子たちのなかでのペトロの立場がわかる話がある。徴税吏がイエスのもとを訪れて神殿税を納めたかとたずねたとき、彼らはペトロに話しかけているのだ。徴税吏たちはペトロが弟子たちのりーダーだろうとあたりをつけたのであり、ペトロもグループを代表して答えている。
この自然な風格にくわえて、ペトロには指導者としての忍耐力、強靭さ、洞察力もそなわっていた。失敗を克服し、挫折を糧にさらに決意を固めるという人物だった。聖書でイエスの磔刑を語るくだりには、ベトロがイエスを知らないと言うエピソードが出てくる。しかしこの挫折にもかかわらず、ペトロは弟子たちの長の地位をとりもどし、聖書によればのちに3度(イエスを知っているかと問われて3度否定したことに対応して)イエスヘの愛を明言する。ベトロが主であるイエスに「わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」(「ヨハネによる福音書」21・15)と答えるたびに、イエスは「わたしの小羊を飼いなさい。(中略)わたしの羊を飼いなさい」(「ヨハネによる福音書」21・15-17)と返した。初期のキリスト教徒の世話役としてペトロにあたえられた権威が、ここで再確認されたのである。
イエスはペトロが3度自分を知らないと言うだろうと予言していたが、ペトロが立ちなおってふたたび一番弟子の地位につくことも最初から知っていた。彼はペトロにこれから起こることを警告したうえで、「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(「ルカによる福音書」22・32)、つまりほかの信徒たちを支えなさいと指示している。イエスの目には、信仰を否定したのち立ちなおることで、初期キリスト教徒に対するペトロの権威がむしろ増すのが見えていたのだ。どんなリーダーも挫折を体験することがある。ペトロのように人格にかかわるような失敗もあるだろう。しかし失敗はかならずしも権威を傷つけない。ペトロの場合がそうであったように、困難からの立ちなおりを示すことでむしろ評判が高まる者もいる。
とらわれない心、独立独歩の人
ペトロが開かれたとらわれない心の持ち主であったことは、聖書でイエスが死からよみがえった日にも示されている。イエスが十字架にかかった3日後に、マグダラのマリアとヨハンナとヤコブの母マリアの3人の女性たちがイエスの遺体に塗るための香料と香油をたずさえて墓を訪れたが、着いてみると墓はもぬけの空だった。イエスの遺体がなかったのである。女性たちは急いで戻って弟子たちに報告するが、弟子たちは彼女たちを信じない。しかしペトロだけは墓に走って自分の目で確かめる。聖書では、ペトロが復活後のイエスに最初に出会う弟子であるとしている。
聖書の話では、イエスの昇天後、ペトロがエルサレムのキリスト教信徒たちの指導者となる。彼はイエスを裏切ったイスカリオテのユダのかわりに新たな弟子マッテヤを選ぶという重責を果たし、心を動かす説教をし、エルサレムの宗教当局の前で弟子たちの代表者として行動した。イエスに認められたペトロの自然な風格が、指導者の役割を担い、迫害や数々の困難のさなかで弟子たちをしっかりと導くことを可能にしたのだ。
ローマの指導者--最初の教皇に
ベトロは44年頃までエルサレムを活動の本拠地とした。そのあいだに広く各地を旅して、イエスの名のもとで説教をした。また、異邦人(非ユダヤ人)をはじめてキリスト教に改宗させた。その後エルサレムを出て、まずアンティオケ(現在のトルコのアンタキヤ近郊)に滞在したようだ。そしてローマのキリスト教徒の長となる。その地でネロ帝の治世に十字架にかかったとされている。ネロ帝は初期のキリスト教徒を激しく弾圧した人物である。
言い伝えによれば、ベトロは死ぬ前に最後にもう一度イエスに会ったという。ネロによるキリスト教徒迫害をのがれるためローマを去ろうとしていたペトロは、イエスが自分がかけられた十字架を背負って反対側から歩いてくる幻を見る。ペトロが「主よ、どこに行かれるのですか」とたずねるとイエスは「ローマでふたたび十字架にかかるのだ」と答える。
これを自分はローマに戻らねばならないという意昧だと理解したペトロは、ただちに引き返した。ローマに着いた直後、ペトロは十字架にかけられた。ペトロは頭を下に十字架にかかることを願ったという。自分はイエスと同じ姿で処刑されるに値しないという考えからだった。イエスの弟子として最年長かつもっとも忠実だった弟子は、初期教会の指導に捧げた数十年をこうして幕引きしたのだった。今日にいたるまで、ベトロはローマ教会の精神的象徴、2015年現在のフランシスコ教皇まで266人を数える歴代の教皇たちの初代として名高い。
最初のキリスト教会の指導者となったイエスの忠実な弟子
ナザレのイエスの一番弟子であるぺ卜ロは、イエスから初期のキリスト教徒の指導者に選ばれた。ペトロは覚悟の決まった風格ある生き方で、初期のキリスト教信徒たちを導く理想の指導者となった。
初期のキリスト教徒のなかでペトロが権威を獲得したのは深い示唆に富む逸話による。聖書の「マタイによる福音書」によれば、イエスが弟子たちに自分を何者だと思うかとたずねると、ベトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」(「マタイによる福音書」16・16)と答えた。イエスはこの絶対的な信仰の堂々たる表明にこたえて、ペトロは岩でありその岩の上に教会(キリスト教団)を建てようと宣言する。
このできごとによってペトロには新たなアイデンティティができた。イエスに従った12人のなかでも最初に弟子になったひとりであるペトロは、もともとヨハネの子シモンという名前だった。イエスの正体について堂々と発言した彼に、イエスはギリシア語で「岩」を意味するペトロスからとったペトロという新たな名を授ける。ペトロの発言には可能性を受け入れる開かれた心だけでなく、自信と勇気が表れていた。イエスを「キリスト」とよぶことで、シモン・ペトロはイエスが神の計画を実現するために遣わされたと言ったのである。「キリスト」とは「メシア」のギリシア語訳で、「神から使命をあたえられた者」を意味する。
覚悟と自然な風格
イエスは旅の説教師として活動した。弟子たちをっれて各地をめぐり歩くうち、彼はシモン・ペトロが弟子たちのなかで突出した存在であることを認めるようになる。たとえ話の意味を最初にたずねるのはペトロで、それは知識欲と思っていることを率直に発言する自信の表れだった。「マタイによる福音書」に、弟子たちのなかでのペトロの立場がわかる話がある。徴税吏がイエスのもとを訪れて神殿税を納めたかとたずねたとき、彼らはペトロに話しかけているのだ。徴税吏たちはペトロが弟子たちのりーダーだろうとあたりをつけたのであり、ペトロもグループを代表して答えている。
この自然な風格にくわえて、ペトロには指導者としての忍耐力、強靭さ、洞察力もそなわっていた。失敗を克服し、挫折を糧にさらに決意を固めるという人物だった。聖書でイエスの磔刑を語るくだりには、ベトロがイエスを知らないと言うエピソードが出てくる。しかしこの挫折にもかかわらず、ペトロは弟子たちの長の地位をとりもどし、聖書によればのちに3度(イエスを知っているかと問われて3度否定したことに対応して)イエスヘの愛を明言する。ベトロが主であるイエスに「わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」(「ヨハネによる福音書」21・15)と答えるたびに、イエスは「わたしの小羊を飼いなさい。(中略)わたしの羊を飼いなさい」(「ヨハネによる福音書」21・15-17)と返した。初期のキリスト教徒の世話役としてペトロにあたえられた権威が、ここで再確認されたのである。
イエスはペトロが3度自分を知らないと言うだろうと予言していたが、ペトロが立ちなおってふたたび一番弟子の地位につくことも最初から知っていた。彼はペトロにこれから起こることを警告したうえで、「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(「ルカによる福音書」22・32)、つまりほかの信徒たちを支えなさいと指示している。イエスの目には、信仰を否定したのち立ちなおることで、初期キリスト教徒に対するペトロの権威がむしろ増すのが見えていたのだ。どんなリーダーも挫折を体験することがある。ペトロのように人格にかかわるような失敗もあるだろう。しかし失敗はかならずしも権威を傷つけない。ペトロの場合がそうであったように、困難からの立ちなおりを示すことでむしろ評判が高まる者もいる。
とらわれない心、独立独歩の人
ペトロが開かれたとらわれない心の持ち主であったことは、聖書でイエスが死からよみがえった日にも示されている。イエスが十字架にかかった3日後に、マグダラのマリアとヨハンナとヤコブの母マリアの3人の女性たちがイエスの遺体に塗るための香料と香油をたずさえて墓を訪れたが、着いてみると墓はもぬけの空だった。イエスの遺体がなかったのである。女性たちは急いで戻って弟子たちに報告するが、弟子たちは彼女たちを信じない。しかしペトロだけは墓に走って自分の目で確かめる。聖書では、ペトロが復活後のイエスに最初に出会う弟子であるとしている。
聖書の話では、イエスの昇天後、ペトロがエルサレムのキリスト教信徒たちの指導者となる。彼はイエスを裏切ったイスカリオテのユダのかわりに新たな弟子マッテヤを選ぶという重責を果たし、心を動かす説教をし、エルサレムの宗教当局の前で弟子たちの代表者として行動した。イエスに認められたペトロの自然な風格が、指導者の役割を担い、迫害や数々の困難のさなかで弟子たちをしっかりと導くことを可能にしたのだ。
ローマの指導者--最初の教皇に
ベトロは44年頃までエルサレムを活動の本拠地とした。そのあいだに広く各地を旅して、イエスの名のもとで説教をした。また、異邦人(非ユダヤ人)をはじめてキリスト教に改宗させた。その後エルサレムを出て、まずアンティオケ(現在のトルコのアンタキヤ近郊)に滞在したようだ。そしてローマのキリスト教徒の長となる。その地でネロ帝の治世に十字架にかかったとされている。ネロ帝は初期のキリスト教徒を激しく弾圧した人物である。
言い伝えによれば、ベトロは死ぬ前に最後にもう一度イエスに会ったという。ネロによるキリスト教徒迫害をのがれるためローマを去ろうとしていたペトロは、イエスが自分がかけられた十字架を背負って反対側から歩いてくる幻を見る。ペトロが「主よ、どこに行かれるのですか」とたずねるとイエスは「ローマでふたたび十字架にかかるのだ」と答える。
これを自分はローマに戻らねばならないという意昧だと理解したペトロは、ただちに引き返した。ローマに着いた直後、ペトロは十字架にかけられた。ペトロは頭を下に十字架にかかることを願ったという。自分はイエスと同じ姿で処刑されるに値しないという考えからだった。イエスの弟子として最年長かつもっとも忠実だった弟子は、初期教会の指導に捧げた数十年をこうして幕引きしたのだった。今日にいたるまで、ベトロはローマ教会の精神的象徴、2015年現在のフランシスコ教皇まで266人を数える歴代の教皇たちの初代として名高い。
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指導者 ペリクレス アテネの民主制
『図説 世界史を変えた50の指導者』より
古代ギリシアの民主政を育て、アテナイ帝国を築いた偉大な将軍
古代ギリシアの政治家で将軍だったペリクレスは都市国家アテナイを繁栄に導き、民主制度を育てた。なによりも明晰かつみごとな構成の演説を行なった演説家として名高い。
紀元前431年に、ペリクレスはペロポネソス戦争の開戦1年目のアテナイの戦死者をたたえる追悼演説を行なった。その感動的な演説は、アテナイとスパルタのあいだで勃発したペロポネソス戦争(紀元前431~404年)を書き残した古代ギリシアの歴史家トゥキディデスの手によって伝えられている。この演説でペリクレスは、数百年のちまで語り草となる無類の弁舌の才と説得力のある話術を披露しながら、アテナイの偉大さを「世界に開かれた」都市国家、「すべての人間に平等な正義を」あたえる法を有する、ギリシア全土の輝かしい手本--[教訓]となる都市であるとはめたたえた。
アテナイには年末に戦死者の国葬を行なうならわしがあった。そしてもっとも位の高い市民のひとりが追悼演説を行なうことになっていた。しかしペリクレスの演説は異例のもので、まずアテナイ市民の先祖やその年の戦死者ではなく、アテナイという都市国家そのものの偉大さをとりあげ、次のように述べた。アテナイ市民は心のままに暮らしつつ、いつでも危険に立ち向かう覚悟がある。これほど自立し、有事に対処する覚悟があり、万能な市民は世界のどこにもいないであろう。ペリクレスは、先祖が築いたかけがえのないわが都市国家のためにいさんで戦いにのぞめと生き残った市民たちを励まして、情熱的な演説を終えた。[幸福とは自由の身で生きることであり、自由であるとは勇敢に行動することである]
頭脳明晰で説得が巧み
ペリクレスは人を説得する才能によって権力の座についた。頭脳明晰で哲学の素養があり、意思決定にすぐれていた。しかし彼のリーダーシップの本質は、人々の理性に訴えかけた説得力ある話術の才にあった。
ベリクレスの権威は、とるべき行動について聴衆を納得させる能力から生まれていた。これは、リーダーをめざす者ならだれもが必要とする資質である。リーダーに他人を納得させる力がなければ、自分の構想を実現するのに苦労するだろう。ペリクレスには名演説家もうらやむ弁舌の力があった。なかでも紀元前431年の追悼演説(トゥキディデスが後世に残した)は、歴史家たちから1863年11月19日にリンカーン大統領が行なったゲティスバーグの演説になぞらえられる。こちらも、戦没者を悼みつつ、彼らが命に代えて守ろうとした価値観をたたえた有名な演説である。
哲学の徒にして改革の推進者
ペリクレスは裕福で有力な家系の出身で、学問に熱心だった。プロタゴラス、エレア派のゼノン(パラドックスを提唱したことで知られ、哲学者仲間のアリストテレスから弁証法の創始者とされている)、アナクサゴラスといった哲学者と交流し、彼らから学んだ。とくにアナクサゴラスからはトラブルに際しても平静を保つことを学んでいる。彼は劇作家のアイスキュロスのパトロンとなり、民会(エクレシア)と評議会と法廷を導入して貴族の政治権力に対抗したエフィアルテスの民主改革を支持した。紀元前461年にエフィアルテスが暗殺されたのち、ベリクレスは政治家として頭角を現すようになる。
紀元100年頃にペリクレスの生涯を著したギリシアの伝記作家プルタルコスによれば、ペリクレスは非常に勤勉だったという。自分の時間をすべて政治の仕事に捧げ、自分の財産管理にはいっさい時間をさかなかった。社交の場に顔を出したのは一回きりで、それも途中で退出してしまったらしい。アテナイの民主制度を巧みに運営し、一見どれほどむずかしい事態が起きても冷静さと明晰な思考力を失わないことで有名だった。
パルテノン神殿を建設
ペリクレスが後世に残した形あるもののうちもっともよく保存されているのは、パルテノン神殿とアテナイのアクロポリスの建築物群である。彼は紀元前447年にはじまったパルテノン神殿と437年にはじまった壮麗で巨大な門、プロピュライアの建設を監督した。ペリクレスの召集によってギリシアの諸都市国家の会議が開かれ、ペルシア人(紀元前480年にアテナイを略奪した)によって破壊された神殿を再建する計画が討議された。アテナイ主導の同盟の参加都市国家からの貢租を原資にして莫大な出費をすることに、トゥキディデス(のちにペリクレスの伝記を著す歴史家のトゥキディデスとは別人)が異議を申し立てた。ペリクレスは同盟国の貢租はアテナイによる保護への対価であり、アテナイが同盟国に保護をあたえているかぎり、得たお金は好きに使うことができるという理屈で論破し、トゥキディデスは追放された。説得の力で勝利をものにしたペリクレスは紀元前443年以降、押しも押されもせぬアテナイのリーダーとなる。
戦争での一歩も引かぬ姿勢
紀元前460年に勃発したギリシア都市国家間の戦争は、紀元前445年、アテナイとスパルタの30年和平条約によって停戦を迎えた。その後おおむね平和的な関係が維持されるが、430年代後半になって戦争がしだいに避けられない状況となってくる。アテナイはアテナイ帝国全域でメガラ(スパルタの同盟国)の農産物を輸入禁止にし、コルキュラ(コリントスの植民都市)と同盟を結んだ。スパルタがアテナイに戦争をちらつかせてメガラからの輸入禁止の解除を迫ると、ペリクレスは妥協せず毅然とした態度をとるべきだと主張した。ささいなことに見えても、ここで引き下がればそれをきっかけに今後スパルタからの要求がエスカレートしかねないという論理である。こうして紀元前431年にペロポネソス戦争がはじまった。ペリクレスはアテナイの海軍力を基盤に、守備を柱とする戦略を立てた。
戦争は結果的にアテナイの惨敗だった。その大きな原因はアテナイを率いるべきペリクレスの不在である。彼は紀元前430~429年にアテナイを襲った疫病に倒れていた。後継者たちはなすすべもなく、アテナイは紀元前404年にスパルタとその同盟都市国家に敗北する。しかしペリクレスの名声が翳ることはなく、アテナイの民主政と哲学の黄金期を確立した人物、古代ギリシアの象徴として世界的に有名なパルテノン神殿の建設者として、歴史に燦然たる地位を占めている。ペリクレスは彼を崇拝していたトゥキディデスの言葉を借りれば、全盛期の「アテナイの第一の市民」だった。
古代ギリシアの民主政を育て、アテナイ帝国を築いた偉大な将軍
古代ギリシアの政治家で将軍だったペリクレスは都市国家アテナイを繁栄に導き、民主制度を育てた。なによりも明晰かつみごとな構成の演説を行なった演説家として名高い。
紀元前431年に、ペリクレスはペロポネソス戦争の開戦1年目のアテナイの戦死者をたたえる追悼演説を行なった。その感動的な演説は、アテナイとスパルタのあいだで勃発したペロポネソス戦争(紀元前431~404年)を書き残した古代ギリシアの歴史家トゥキディデスの手によって伝えられている。この演説でペリクレスは、数百年のちまで語り草となる無類の弁舌の才と説得力のある話術を披露しながら、アテナイの偉大さを「世界に開かれた」都市国家、「すべての人間に平等な正義を」あたえる法を有する、ギリシア全土の輝かしい手本--[教訓]となる都市であるとはめたたえた。
アテナイには年末に戦死者の国葬を行なうならわしがあった。そしてもっとも位の高い市民のひとりが追悼演説を行なうことになっていた。しかしペリクレスの演説は異例のもので、まずアテナイ市民の先祖やその年の戦死者ではなく、アテナイという都市国家そのものの偉大さをとりあげ、次のように述べた。アテナイ市民は心のままに暮らしつつ、いつでも危険に立ち向かう覚悟がある。これほど自立し、有事に対処する覚悟があり、万能な市民は世界のどこにもいないであろう。ペリクレスは、先祖が築いたかけがえのないわが都市国家のためにいさんで戦いにのぞめと生き残った市民たちを励まして、情熱的な演説を終えた。[幸福とは自由の身で生きることであり、自由であるとは勇敢に行動することである]
頭脳明晰で説得が巧み
ペリクレスは人を説得する才能によって権力の座についた。頭脳明晰で哲学の素養があり、意思決定にすぐれていた。しかし彼のリーダーシップの本質は、人々の理性に訴えかけた説得力ある話術の才にあった。
ベリクレスの権威は、とるべき行動について聴衆を納得させる能力から生まれていた。これは、リーダーをめざす者ならだれもが必要とする資質である。リーダーに他人を納得させる力がなければ、自分の構想を実現するのに苦労するだろう。ペリクレスには名演説家もうらやむ弁舌の力があった。なかでも紀元前431年の追悼演説(トゥキディデスが後世に残した)は、歴史家たちから1863年11月19日にリンカーン大統領が行なったゲティスバーグの演説になぞらえられる。こちらも、戦没者を悼みつつ、彼らが命に代えて守ろうとした価値観をたたえた有名な演説である。
哲学の徒にして改革の推進者
ペリクレスは裕福で有力な家系の出身で、学問に熱心だった。プロタゴラス、エレア派のゼノン(パラドックスを提唱したことで知られ、哲学者仲間のアリストテレスから弁証法の創始者とされている)、アナクサゴラスといった哲学者と交流し、彼らから学んだ。とくにアナクサゴラスからはトラブルに際しても平静を保つことを学んでいる。彼は劇作家のアイスキュロスのパトロンとなり、民会(エクレシア)と評議会と法廷を導入して貴族の政治権力に対抗したエフィアルテスの民主改革を支持した。紀元前461年にエフィアルテスが暗殺されたのち、ベリクレスは政治家として頭角を現すようになる。
紀元100年頃にペリクレスの生涯を著したギリシアの伝記作家プルタルコスによれば、ペリクレスは非常に勤勉だったという。自分の時間をすべて政治の仕事に捧げ、自分の財産管理にはいっさい時間をさかなかった。社交の場に顔を出したのは一回きりで、それも途中で退出してしまったらしい。アテナイの民主制度を巧みに運営し、一見どれほどむずかしい事態が起きても冷静さと明晰な思考力を失わないことで有名だった。
パルテノン神殿を建設
ペリクレスが後世に残した形あるもののうちもっともよく保存されているのは、パルテノン神殿とアテナイのアクロポリスの建築物群である。彼は紀元前447年にはじまったパルテノン神殿と437年にはじまった壮麗で巨大な門、プロピュライアの建設を監督した。ペリクレスの召集によってギリシアの諸都市国家の会議が開かれ、ペルシア人(紀元前480年にアテナイを略奪した)によって破壊された神殿を再建する計画が討議された。アテナイ主導の同盟の参加都市国家からの貢租を原資にして莫大な出費をすることに、トゥキディデス(のちにペリクレスの伝記を著す歴史家のトゥキディデスとは別人)が異議を申し立てた。ペリクレスは同盟国の貢租はアテナイによる保護への対価であり、アテナイが同盟国に保護をあたえているかぎり、得たお金は好きに使うことができるという理屈で論破し、トゥキディデスは追放された。説得の力で勝利をものにしたペリクレスは紀元前443年以降、押しも押されもせぬアテナイのリーダーとなる。
戦争での一歩も引かぬ姿勢
紀元前460年に勃発したギリシア都市国家間の戦争は、紀元前445年、アテナイとスパルタの30年和平条約によって停戦を迎えた。その後おおむね平和的な関係が維持されるが、430年代後半になって戦争がしだいに避けられない状況となってくる。アテナイはアテナイ帝国全域でメガラ(スパルタの同盟国)の農産物を輸入禁止にし、コルキュラ(コリントスの植民都市)と同盟を結んだ。スパルタがアテナイに戦争をちらつかせてメガラからの輸入禁止の解除を迫ると、ペリクレスは妥協せず毅然とした態度をとるべきだと主張した。ささいなことに見えても、ここで引き下がればそれをきっかけに今後スパルタからの要求がエスカレートしかねないという論理である。こうして紀元前431年にペロポネソス戦争がはじまった。ペリクレスはアテナイの海軍力を基盤に、守備を柱とする戦略を立てた。
戦争は結果的にアテナイの惨敗だった。その大きな原因はアテナイを率いるべきペリクレスの不在である。彼は紀元前430~429年にアテナイを襲った疫病に倒れていた。後継者たちはなすすべもなく、アテナイは紀元前404年にスパルタとその同盟都市国家に敗北する。しかしペリクレスの名声が翳ることはなく、アテナイの民主政と哲学の黄金期を確立した人物、古代ギリシアの象徴として世界的に有名なパルテノン神殿の建設者として、歴史に燦然たる地位を占めている。ペリクレスは彼を崇拝していたトゥキディデスの言葉を借りれば、全盛期の「アテナイの第一の市民」だった。
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