goo

課題先進地が地域づくリ先進地になる!

『民主主義を立て直す』より 真の「地方創生」とは何か 政・官・財の同床異夢で進む「地方創生」

片山 中国地方、とりわけ島根と広島、続いて鳥取と岡山の県境一帯の中国山地は早くから過疎化が進んだ地域でした。国が騒ぎだす前から、地域の過疎を何とかしようと危機感に基づく地道な取り組みを積み重ねてきたことが、いま地域づくりの実践となって花開きはじめているのでしょう。

小田切 まさに中国山地は「危機と再生のフロンティア」です。単なる作用・反作用ではなく、危機に立ち向かって再生へと導こうとしている人が大勢います。「地方消滅」という言葉で[諦め]の流れを強めるような真似をしてはならないと思います。鳥取県の智頭町では、一九九六年に「日本ゼロ分の一むらおこし運動」がおこりました。名前の由来は、町にある一六の集落が何もないところから一歩踏み出してみようと始めた取り組みだからです。それらの運動やワークショップの蓄積も進み、理論化もされて好循環が生まれています。

片山 智頭町はずいぶん前から危機感を持って住民が委員会を立ち上げ、活発な議論を交わしてきました。その矢先に鳥取市との合併の嵐が襲ったのです。役場職員にも合併派が少なからずいたことに驚かされたりしましたが、ともあれ住民投票や選挙をくりかえし、とうとう合併は否定しました。困難を経て自立した智頭町の住民には、強い当事者意識かあるのだと思います。

小田切 地域づくりに必要なものを考えてみると、第一にワークショップなどの内発性、第二にそれを支える予算があり、かつその使途が一〇〇%自由であること、第三に予算が単年度主義ではなく長期性を持っていることです。今回の地方創生の新型交付金にはこの三要素のいずれも反映されていませんが、片山さんが鳥取県知事時代に創設した中山間地域活性化交付金は、先ほどあげた三要素を満たしていました。

片山 この交付金は、限界集落も含めて中山間地域の活力を高めるための県から市町村への支援策の一環でした。しかし、従来と同じようなことをしていては効果が見込めない。そこで、使途を自由にした予算を用意し、単年度主義はやめて三年間保障する、さらに県庁と市町村だけのやりとりでは往々にしてうまくいかないので、自治体が決め、県職員が中身を監視する従来のやり方はやめ、地域に何か必要かを判断するに当たっては、それにもっとも詳しい地域住民の意見を尊重することにしました。当初は県の職員も中身のチェックをしたがっていましたが、そのうち職員もチェックの必要がなくて楽になったと言っていました。霞が関も考え方さえ変えれば楽になるはずです。こちらのほうがはるかに建設的です。

小田切 私が政府にお願いしたいことは、歩みはゆっくりかもしれない地域の内発的な動きを、とにかく邪魔をしないでくれということです。財政支出が必要ないという意味ではなく、過疎対策や地域振興にかかわる政策、地方交付税などで土俵をきちんと整えたうえで、各地域の内発的な個性あふれる展開を後押ししてほしいということです。

 現状では、新型交付金の運用など、安倍政権の地方創生の方向性は大いに疑問ですが、地方創生で地域に目が向けられていることには意味がある。振り返れば、過疎という言葉は東京オリンピック前後に生まれました。高度経済成長のもと国土の均衡ある発展を謳いながら、東京一極集中を是正できなかった、これまでの半世紀の歩みをプランAとするならば、いま求められているのは、農山村の再生を図りながら国民の田園回帰を促進することで、都市と農村が共生する社会を描く、新しい半世紀のプランBだと思います。その意味では、私は、真の「地方創生」への展開に期待しています。

片山 地域にとっては実に慌ただしく窮屈な地方創生政策ですが、地域は自らの課題を点検し、可能な範囲でそこに予算を取り込んで前進させたらいいと思います。下請け経済構造から脱却するための第一歩は、自治体自身が考える力を養うことです。しっかり考えて、望ましい方向へ実践を重ねていくことが大切です。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

水素活用の課題と東京である理由

『火力発電と化石燃料の未来形』より 水素の活用 水素社会の実現に向けた東京戦略会議 ⇒ これが東京の「おもてなし」? 水素ステーションの安全基準は道路から8m離れていること[ガソリンスタンドは4m]

水素活用の課題

 最大の課題は、コストを切り下げることである。どんなに素晴らしいエネルギー源でもコストが高い限り、普及にはいたらない。コスト低減の王道は技術革新であるが、それ以外にも、①コストが低い他のエネルギー源と組み合わせて水素を使い、水素のメリットを活かすようにして、全体としてのコスト・パフオーマンスを高める、②当面は、相対的に低コストの副生水素(その生産過程では化石燃料を使用することが多い)を用いて水素供給インフラを整え、水素利用の量産効果を引き出してコストを低減させてから、再生可能エネルギー由来の「グリーン水素」の使用量を増大させるなどの工夫も必要であろう。

 もうひとつの課題は、住民が参加して地域ごとに水素社会をつくる仕組みを構築することである。そのためには、安全確保面や税金負担面などで住民の合意が形成されるようなプロセスが求められることはいうまでもない。世界的に見ても、分散型エネルギー供給に資する水素の活用は、地域ごとに進められることが多い。地域に立脚した水素社会づくりには、住民参加が不可欠の要素なのである。

 現実的な課題としては、水素に関するサプライチェーンを一斉に立ち上げることが重要である。燃料電池自動車と水素ステーションとの間柄は(「鶏が先か卵が先か」というたとえで評されることが多かった。お互いに相手の普及が前提となるため、様子見となり結果として前に進まない状況が続いたからである。しかし、最近は、両者の間柄をたとえて「花とミツバチ」という表現が使われるようになってきた。相互の共生関係を認識して、燃料電池自動車と水素ステーションとを「せーの」で同時に立ち上げようというのだ。わが国は、燃料電池の開発・利用の面では世界に先行しているが、水素インフラの整備の面では、まだまだ世界に立ち遅れている。水素に関するサプライチェーンを「せーの」で一斉に立ち上げるためには、国民的なイべントが絶好のチャンスとなる。ここにきて、2020年の東京オリンピック・パラリンピックを水素社会実現へ向けた一大ステップとするという東京都のプランが社会的な注目を集めるようになったのは、このような事情が存在するからである。

水素に関連して「必要な安全対策」

 ①水素を漏らさない

 ②漏れた場合は早期に検知し、拡大を防ぐ

 ③漏れた場合に溜めない

 ④漏れた水素に火がつくことを防ぐ

 ⑤火災が生じた場合、火の拡大を最小限に留める

東京オリンピック・パラリンピックでの活用に向けた環境整備の方向性

 ・安全対策を着実に実施しながら、水素エネルギーを都市づくりに組み込むことにより、環境にやさしく災害に強い都市の実現を目指す

 ・C02フリー水素も先駆的に活用するなど環境と調和した未来型都市の姿を世界に発信していくとともに、改めて日本の高い技術力を世界に印象づけていく

 ・水素エネルギーの多角的な活用による日本のエネルギー構造の変革や低炭素社会の構築に向けて、長期的な視点に立って着実に布石を打つの諸点を打ち出す。これは、水素の普及初期および普及拡大期の方向性であるが、「とりまとめ」はさらに、その先の水素を本格的に利活用する社会、つまり「水素社会実現による東京の将来像」として、

 ・地球環境への負荷が少ない低炭素都市

 ・排気ガスがクリーンで、空気がきれいな都市

 ・災害時にも生活や事業が維持できる都市

 ・安価で安定的にエネルギーが供給される都市

なぜ東京なのか?

 水素活用に関して、東京都の取組みに社会的関心が高まっているのは、なぜだろうか。舛添都知事を先頭に東京都の関係者が水素社会実現に向けて極めて積極的な姿勢をとつているという点だけでなく、ほかにもいくつかの事情が考えられる。

 第一は、2020年に予定される東京オリンピック・パラリンピックが水素社会づくりのきっかけとして「絶好のチャンス」となることである。既に述べたように、水素活用の「現実的な課題としては、水素に関するサプライチェーンを一斉に立ち上げることが重要である」。水素に関するサプライチェーンを「せーの」で一斉に立ち上げ、「花とミツバチ」の共存を実現するためには、東京オリンピック・パラリンピックほど格好の機会はほかにない。

 第二は、水素社会づくりへ向けて、東京がワン・ストップ機能を発揮し得ることである。世界的に見ても、水素社会への挑戦は、国レベルではなく地域レペルで取り組まれることが多い。東京は、水素社会構築へ向けて必要とされるさまざまな要素を内包した地域であり、世界へ向けての日本のショーウインドウともなる地域でもある。東京都が中央政府の「縦割り行政」とは無縁であり、財政基盤もしっかりしている点も心強い。水素社会の実現に向けた東京戦略会議に多くの有力企業が参集したのも、東京の持つワン・ストップ機能に注目したからであろう。

 第三は、東京都が環境政策の面で国をリードするDNAを有していることである。この〝伝統″は、美濃部亮吉都知事時代の公害対策に関する独自の上乗せ規制に始まる。石原慎太郎都知事時代にも、オフィスビルを対象としたキャップ・アンド・トレード方式による地球温暖化対策を、わが国で初めて導入した。水素社会づくりについても、東京都は、このDNAを発揮しようとしているのである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

先の先まで注意する--ブラックべリーの例

『フォーカス』より リーダーが選択すべき道 ⇒ ブラックべリーを販売店に導入したかったが、あまりにも企業寄りだったのを覚えている。

二〇〇〇年なかばには、ブラックベリーは企業ITの寵児となっていた。クローズド(閉鎖型)ネットワークで機能するブラックべリーの信頼性、迅速性、安全性が企業に高く評価されていた。企業は何千人という社員にブラックベリーを持たせ、片時もブラックベリーを手放せない愛用者たちを表す「クラックベリー」という言葉が流行したほどだった。ブラックベリーが市場で圧倒的優位を占めたのは、四つの強み、すなわち、キーボードが使いやすいこと、安全性が高いこと、バッテリーが長持ちすること、データを圧縮して送信できること、があったからだ。

しばらくのあいだ、ブラックベリーは成功をおさめ、ライバルのIT機器(デスクトップとノートパソコン、当時の携帯電話)を駆逐して市場を席巻した。しかし、ブラックベリーが企業の需要において優位を占め、一般消費者にまで流行が広まる一方で、世界は変化しはじめていた。iPhoneの登場によって、しだいに多くの労働者が私用のスマートフォン(必ずしもブラックベリーではない)を自費で買うようになり、それに対応して企業のほうでも労働者が私物のIT機器を会社のネットワークに接続することを認めるようになっていったのだ。ライバル社と競争になったとたん、ブラックベリーの市場優位は消え去った。

カナダに拠点を置くブラックベリーのメーカー、リサーチ・イン・モーション(RIM、現ブラックべリー)社の対応は後手に回った。たとえば、タッチパネル方式を遅まきながら導入したものの、先行企業にはとうてい対抗できなかった。かつては強みだったクローズドネットワークも、iPhoneやアンドロイドの携帯電話自体がアプリのプラットフォームになる時代においては、かえって弱点となった。

RIM社は二人のエンジニアが共同でCEOをつとめており、ブラックべリー成功の第一歩は優れたエンジニアリングによってもたらされたものだった。この二人の共同最高経営責任者を解任したあと、RIM社は、成長の大部分が消費者向け市場の需要によるものであるにもかかわらず、ふたたび企業向け市場に主力を注ぐ方針を発表した。

新CEOソーンステン・ハインズが語るように、RIM社は自社の得意とする市場において重大なパラダイム・シフトのチャンスを逃したのだった。RIM社はアメリカ合衆国における第四世代(4G)のワイヤレス・ネットワークの動向を無視し、ライバル各社が4Gに次々と進出していく中で、4G向けデバイスの生産に乗り出さなかった。また、iPhoneが採用したタッチパネルの人気を過小評価し、キーボードに固執した。

「消費者は、タッチパネルが使いやすければバッテリーの持ちなど二の次だと考えたんです。われわれは、そんなことはないだろうと考えていました。セキュリティについても同じです」と、ハインズは言う。企業各社が労働者に私用のスマートフォンで会社のネットワークに接続することを認めるようになってきた変化を、RIM社は見過ごしたのだ。

かつて革命的に見えたブラックべリーは、いまや、あるアナリストの言葉を借りるならば「顧客のニーズをわかっていない」商品になってしまった。

インドネシアなどの市場では依然として優位を保っていたものの、ブラックベリーがアメリカ市場を席巻してからわずか五年で、RIM社は市場価値の七五パーセントを失うことになった。わたしがこの原稿を書いている現在、RIM社は新型機種で最後の巻き返しをはかると発表した。しかし、同社は企業生命における「死の谷」に足を踏み入れたようにも見える。

「死の谷」というフレーズは、インテルの伝説的創業者アンドリュー・グローブがインテル社が死に瀕したときのことを語る際に使った言葉だ。創業まもないころ、インテルは、コンピューター産業で使われるシリコンーチップ(半導体)を製造していた。グローブによれば、インテルの経営幹部は、顧客がどんどん安い日本製チップに乗り換えているという販売担当からの情報に注意を払わなかった。

もし、当時のインテルが半導体のほかにマイクロプロセッサを製造していなかったら、インテル社はそこで終わっていたかもしれない。しかし、当時はメモリー・チップの製造からマイクロプロセッサヘ転換する戦略はインテル社内で全員一致の賛成を得られたわけではなかった、とグローブは述懐する。

「パラノイドだけが生き残る」というグローブの著書のタイトル(邦題は『インテル戦略転換』佐々木かをり訳、七賢出版)も、油断なく地平線に目を配っておくことの必要性を示唆している。こうした用心は、とくに技術セクターにおいては不可欠だ。この世界では、商品のサイクルが(たとえば冷蔵庫などと比べると)非常に短く、技術革新がものすごい速さで進んでいく。

技術セクターはプロダクト・イノベーションのサイクルがきわめて短いので、ケーススタディに最適だ(世代間隔の短いキイロショウジョウバエが遺伝学において果たす役割と似ている)。ゲームの世界では、任天堂のWiiがソニーのプレイステーション2に取って代わった。ウェブのポータルサイトでは、グーグルがヤフーに取って代わった。携帯電話のOSとして一時は四二パーセントの市場シェアを誇ったマイクロソフトは、みるみるiPhoneに抜かれた。技術革新は、思ってもみなかったことをどんどん実現していく。

アップルがいiPodを発表したあと、マイクロソフトは四、五年かかって携帯音楽プレーヤーZune(ズーン)を発売し、さらに六年かかって最終的に市場から撤退した。ドル箱商品だったウインドウズ・ソフトウェアに固執した結果、マイクロソフトはiPod、iPhone、IPadを次々に発表して市場を席巻したアップルに対抗できなかったのだとアナリストは指摘する。

コンフォート・ゾーンに固執しすぎた失敗例について、クレイ・シャーキーがこう指摘している。「古いシステムを動かしている人々は、最初は変化に気づかない。変化に気づいても、そんなものは些細なことだと決めてかかる。次には、変化は単なるニッチだと断じ、その次は、変化は一時的流行にすぎないと断じる。そして、世界がほんとうに変化したのだと理解できたときには、対応すべき時間の大半を浪費したあとなのだ」
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )