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『プリンストン数学大全』が「禁帯出」ではいけない

「さあ!」という名称

 豊田市の駅前の再開発のビルの名称募集のパスターが貼られている。10年前に環境学習施設の名前に応募した、「さあ!」を提案しようか。

 名称としての「さあ!」は色々、使えます。「さあ!プライズ」「さあ!スペンス」「さあ!ティスファイ」などです。さあ!行動しようよ。元々はSustainableから付けた名前です。

「禁帯出」は意味があるのか?

 豊田市図書館の新刊書コーナーに『プリンストン数学大全』があった。早速、借りる手続きに入った。ところが、「禁帯出」ということで、ラベルを貼り忘れた、ということ。「禁帯出」の理由が分からない。18000円するからなのか? 「辞書」だからなのか?

 辞典なら、もっと高いモノでも借りています。本には、これは数学事典ではないと書かれていた。

 ちなみに、『プリンストン数学大全』とは、「数学とは何か」「数学の起源とは」から現代数学の全体像,数学と他分野との連関までをカバーする,初学者でもアクセスしやすい総合事典。プリンストン大学出版局刊行の大著「The Princeton Companion to Mathematics」の全訳。ティモシー・ガワーズ,テレンス・タオ,マイケル・アティヤほか多数のフィールズ賞受賞者を含む一流の数学者・数学史家がやさしく読みやすいスタイルで数学の諸相を紹介する。「ピタゴラス」「ゲーデル」など96人の数学者の評伝付き。

 「数学愛好者にとっての優れた道しるべとして,プロの数学者にとっては専門外の分野の理解に,本書は頼りになる一冊である.古今東西の数学を見渡し,多岐にわたる分野を網羅して,それぞれ選りすぐりの世界的権威が分かりやすく解説している.そのような著書が,数学を知り尽くした翻訳陣のおかげで,日本語で提供されることになった.本書を拠り所として数学への親しみと理解が一層深まるに違いない.」

 これを「禁帯出」にする意味が分からない! 誰も読まない本を購入してどうするのか? 読まれてナンボでしょう?

 こんなことを担当者に言っても、しょうがない。やはり、豊田市図書館の審議会の委員になって、図書館での目的から、見直すようにさせましょう。

 ついでに、全国の図書館の標準なのかも確認します。標準であれば、「標準」を変えさせましょう。図書館の関係者はもっと、目的意識を持ってほしい。何のために、そこにいるのか!


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豊田市図書館の30冊

709『ダイナミック世界遺産』

302.44『マリを知るための58章』

146.13『フロイト入門』中山元

024.1『まちの本屋』知を編み、血を継ぎ、地を耕す

332.1『「超」情報革命が日本経済再生の切り札になる』野口悠紀雄

288.49『世界帝王事典』

289.3『ぼくは科学の力で世界を変えることに決めた』

014.1『図書館コレクション談義』ちょっとマニアックな

210.1『大人が知らない!日本史の教科書』改定された72の真実!

159『ファーストクラスに乗る人の人間関係』感情をコントロールする57の工夫 中谷彰宏→題名の奇抜さで売っている159(雑学)の人

331『教養としての経済学』

361.5『パクリ経済』コピーはイノベーションを刺激する

392.1『経済的徴兵制』

384.7『性のタブーのない日本』

134.96『ハイデガー哲学入門--『存在と時間』を読む』

914.6『おとなの始末』落合恵子

361.5『<文化>を捉え直す』

330『経済の教科書』世界でいちばんやさしくて役立つ

318.6『地方創生 実現ハンドブック』人や仕事が増え、地方が元気になる処方箋

134.95『デカルト的省察』フッサール

019.9『寝ころび読書の旅に出た』椎名誠

367.68『日本の若者はなぜ希望を持てないのか』日本と主要6カ国の国際比較

5ツの丸かじり』東海林さだお

361.4『「なぜかうまくいっている人」のちょっとした心理学』行動心理

913.6『新カラマーゾフの兄弟 下』亀山郁夫

342.1『日本の財政はどうなっているのか』

302.1『JAPAN CLASS ホワイ ジャパニーズ ピープル!?』外国人から見たニッポンは素敵だ!

37『生涯学習論』つなぎ広げる学びの循環

498.14『ナースのぶっちゃけ話』患者さんには絶対聞かせられない

145.2『よく眠るための科学が教える10の秘密』
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反映対比表 Week 49

11月30日

 足が張っています 7.2.2.1③ 糖尿病が根源

 非連続な私 7.4.1.4② 非連続な時間

 コーラン 4.3.3.3④ 宗教は国を超える

 民間図書館 6.5.4.2④ まちライブラリ

 地中海の制海権まで獲得したオスマン帝国の膨脹 4.7.3.4① イスラムの民主的国家

 ギリシャとトルコは、なぜ仲が悪いのか 4.7.3.3④ 西欧におけるギリシャ

12月01日

 Iさんへのメール 7.5.3.1① メールはトラウマ

 一万歩歩きましょう 7.2.2.2① シンプルに行動

 非連続な私を開始 7.4.1.4② 非連続な時間

 バスの生活への組み込み 8.8.1.2④ 交通手段を身近にする

 胸がさほど痛くない 7.2.2.1③ 糖尿病が根源

 ダイアリーの新しい使い方 7.4.1.4② 非連続な時間

 駅前スタバは平日でも混んでいる 6.3.3.4① どこでも読書

 「極端」に走るドイツ 4.2.4.4② 国民国家の歴史

 「アラブの春」から「新しい中世」 4.1.1.2④ アラブの春その後

 移民とマイノリティをめぐる現代的課題 4.3.4.2④ 民族浄化

 近代化と移民 4.3.4.2④ 民族浄化

 多民族社会のエスニック景観 4.2.2.2① 民族問題

 新たな越境を求めて 4.8.3.2④ 民衆の自立の民主主義

 オバマドクトリンの限界とアジア地政学 4.7.4.4① 米国の国際戦略の破綻

12月02日

 朝一番の駅前スタバ 9.8.4.3② サービスで生活できる

 『世界の環境問題』歴史年表 9.1.4.1① 環境の歴史

 明日の私への伝言 7.4.1.4② 非連続な時間

 メールのトラウマの解消 7.4.1.4② 非連続な時間

 非連続でブデジャーを味わう 7.4.1.4② 非連続な時間

 レバノンの国旗の意味 9.1.4.1① 環境の歴史

 今日も歩いています 7.3.3.1③ 最低限の維持

 金曜日の予定 7.1.4.4③ 人間関係はなし

 心の制御 7.2.3.2① 私は行動しない

 タブレットを紙として扱う 6.4.4.3② ウェアラブル環境

 環境歴史年表 地球の誕生~1799年 9.1.4.1① 環境の歴史

 環境歴史年表 1800年~1944年 9.1.4.1① 環境の歴史

 環境歴史年表 1960年~1969年 9.1.4.1① 環境の歴史

 環境歴史年表 1970年~1979年 9.1.4.1① 環境の歴史

 環境歴史年表 1980年~1989年 9.1.4.1① 環境の歴史

 環境歴史年表 1990年~1994年 9.1.4.1① 環境の歴史

 環境歴史年表 1995年~1999年 9.1.4.1① 環境の歴史

 環境歴史年表 2000年~2005年 9.1.4.1① 環境の歴史

 環境歴史年表 2006年~ 9.1.4.1① 環境の歴史

12月03日

 その日に生きている 7.4.1.4② 非連続な時間

 車は不完全な存在 8.8.2.3② クルマとインフラ

 環境の歴史のデータベース 9.1.4.1① 環境の歴史

 3RよりもS(シェア) 10.3.1.3④ ムダなお金は必要ない

 寝れていないかな 7.3.3.1③ 最低限の維持

 8.2「マーケティング」 8.2 メーカーとの関係

 市民と地域の関係の具体的イメージ 8.3.2.1③ 地域コラボで意識づけ

 エコットの図書室 6.5.4.2④ まちライブラリ

 豊田市環境基本計画勉強会への問題意識 2.4.4.2① 社会の現象を抽出

 エコット設立時 3.2.3.3④ 市民会議の設定

 豊田市の「環境基本計画」 2.4.4.2① 社会の現象を抽出

 「環境市民」という言葉への違和感 3.2.3.3① 市民グループを結成

 自治体での環境宣言 3.2.4.1④ 生活が地域の課題

 存在の力で覚醒させる 9.2.3.2② ゆっくりした変革

 運動療法の実施 7.2.2.1④ 悪くなる一方

 運動療法の適応と禁忌 7.2.2.1④ 悪くなる一方

 糖尿病患者の心理面のとらえ方 7.4.1.3② 自己分析

 糖尿病患者の社会面のとらえ方 7.4.1.3② 自己分析

 自己効力感 7.4.1.3② 自己分析

12月05日

 格差は所有から始まる 9.8.1.3① 所有するムダをオープン

 車を所有する不便さ 8.8.4.1① 車はステイタスではない

 無人運転をイメージ 8.8.1.1④ 未来の交通インフラ

 TV「サムライせんせい」の「平成建白書」 9.8.1.3④ 所有権を放棄

 ブデジャーはデジャブーの逆 7.4.1.4② 非連続な時間

 消費する価値観 10.2.4.2② 皆が消費することが前提

 配置で考える 10.4.4.3④ 配置で考える

 宗教の不思議な集団 4.2.2.1③ イスラムの影響

 マニュアル通りのマクドナルド 3.1.1.1③ フランチャイズ

 図書館休館で本が足りない 6.1.2.3③ 本を片付ける

 ギリシャ デフォルト宣言 9.6.4.3① はじめての平等主義

 大きなことをやるべきところ 8.8.4.3④ 本当のクルマの未来

 余白を埋める 8.4.4.1① 売る仕組みから脱却

 散歩を日課に 7.3.3.1① 健康状態

 スーパーにすし飯自動販売機 3.8.1.2① コミュニティ理念を進化

 ギリシアとヨーロッパの希望 4.7.4.2③ 地中海は観光資源

 従来の衣料品流通チャネル 5.4.4.2① メーカーの将来ビジョン

 SPAの特徴:ユニクロ 5.4.4.2① メーカーの将来ビジョン

 グーグルの環境 4.6.2.2① マーケティングが変わる

12月06日

 9.6.1「配置の考え方」 9.6.1 地方分権

 9.6.2「市民の覚醒」 9.6.2 内部の制御

 9.7「地域の姿」 9.7 分化と統合

 9.8.2「環境哲学」 9.8.2 存在の力の社会

 Iへのメール 7.5.3.1① メールはトラウマ

 9.6「サファイア革命」 9.6 サファイア革命

 9.5「サファイア機能」 9.5 サファイア機能

 やはり、TGALsでしょう 7.5.3.1③ 女性の生き方

 トランプは泡沫候補ではない 4.1.3.1① 民主主義から生まれた
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反映対比表 Week 48

11月23日

 駅前のスタバは混雑 9.8.4.3③ 夢のあるものになる

 話したことを文書化する 7.6.1.1③ 書くために必要なこと

 豊田市図書館の読書会 6.5.4.1① 読書会

 クルアーンは正しく記述されたか 4.2.2.1① ムハンマドの問題意識

 テーマ「大切な人に贈りたい本」 6.2.2.1③ 新しい分野を拓く

 真剣に働く女性に「考える日々」 6.2.1.1③ 孤独が思考を深める

 テーマ「ひとめぼれしちゃった本」 6.2.1.4④ 様々な世界観

 時空間を超えたアナロジーにロマンを感じる 1.4.3.4① まとめた考えを持つ

 25名という予測は当たっていた 6.5.4.1① 読書会

 読書は格闘技 6.2.2.1② 読書は格闘技

 ウィキペディアの情報評価 6.8.1.1① 情報を評価

 公立図書館の目的と資料選択 6.3.3.1① 本棚で探せる

 公平な資料選択と知る権利 6.8.1.1② 知る権利

 書籍市場との棲み分け 6.3.3.1① 本棚で探せる

 働き方は、すでに変わりつつある 5.8.2.1② モノづくりからの転換

 共感を主体とする経済の仕組み 5.8.2.4① 未来のインフラ配置

 “働く”を通して人々に笑顔を 9.8.4.3③ 夢のあるものになる

11月24日

 図書館防衛隊の核になる人間 6.3.4.4③ 図書館戦争

 酔っ払いの自慢話 1.1.1.3② 誰もいない

 お酒は要らない 4.2.2.1② 六信、五行で生き抜く

 読書会のカタチ 6.5.4.1① 読書会

 朝の駅前スタバは魅力的 9.8.4.3③ 夢のあるものになる

 星占いは当てになるのか 7.1.1.3④ ロマンで生きる

 街に出ましょう 7.3.3.1③ 最低限の維持

 未唯空間第7章生活編 7.1 考える生活

 空爆は殺戮のみ 4.3.4.2① 巻き込まれる小国

 7.1「考える」 7.1 考える生活

 7.2「存在する」 7.2 内なる世界

 四つの役割を決めた 7.2.4 四つの役割

 7.3「生活する」 7.3 生活

 歴史が楽しいのはつながるから 4.5.1.2④ 双方向のつながり

 7.4「生きる」 7.4 存在の力で生きる

11月25日

 7.5「女性への思い」 7.5 他者がいない

 無限次元空間を生きていく 10.6.1.4③ 内なる世界は無限次元

 書き起しサービス 3.8.1.2① コミュニティ理念を進化

 アマゾンの世界 3.8.1.2① コミュニティ理念を進化

 7.6「未唯空間を構築」 7.6 今、やること

 7.7「全てを知る」 7.7 全てを知る

 7.8「存在の無」 7.8 存在の無

 民間防衛の対象は図書館だろ! 6.3.4.4④ 多様な活用での存在感

 「存在の無」を遡る 7.8.4.4③ 存在の無に向かう

 赤いモスレキンのダイアリー 7.1.4.2② 時間は自分で使う

 働き方が変わる 3.8.3.1③ モノ作りから六次産業

 ICレコーダーがないと不安になる 7.1.3.4④ ツールの進化

 『判例六法』も読書対象 6.2.1.2② 社会の様相

 山川哲学 ことば篇 1.4.3.3 哲学でのまとめ方

 ハンナ=アーレント 7.5.3.1③ 女性の生き方

 全体主義 4.1.3.1① 民主主義から生まれた

 自由な行為 4.1.2.4② 自由と平等の関係

 公共性(公共的空間) 8.8.1 公共のあり方

 哲学 1.1.2.4 哲学の真理

 哲学すること 1.1.2.4 哲学の真理

 存在論 1.3.3.1④ 存在の力に変えていく

 理性 1.4.2.2 内なる哲学で考える

 真理 1.1.3.1③ 真理は数学にある

 観念論 2.7.3.1③ 独我論で近傍系を定義

 自由 4.1.2.3④ 自由を保証組織

 著作権法の判例 6.2.1.2② 社会の様相

11月26日

 ユニクロでの買い物 7.3.3.4② 毎日の使い方

 スタバで朝活 7.1.2.1② 会社で考えた

 岡崎市図書館 6.3.4.2① 町全体を図書館に

 未唯空間第8章に取り掛かります 8.1 中間の存在

 8.1「要望を知る」 8.1 中間の存在

 8.2「マーケティング」 8.2 メーカーとの関係

 8.3「地域をまとめる」 8.3 地域から見る

 8.4「ソーシャル」  8.4 ツール

 8.5「システム設計」 8.5 中間のシステム

 8.6「情報共有」 8.6 情報共有

 8.7「まとめる」 8.7 分化と統合の中間 

 8.8「クルマ社会」 8.8 クルマ社会

 ロシアとトルコの戦い 4.3.4.3③ ウクライナ問題

 Iさんからメール 7.5.3.1① メールはトラウマ

 紅白に乃木坂が入った 7.5.3.1② 女性の笑顔

11月27日

 図書館に検索ロボットがほしい 6.6.3.2② 寄り添う検索

 知の体系化のための検索ロボット 6.6.3.2② 寄り添う検索

 録音図書もあり 6.6.1.1① デジタル化に対応

 ハンナ・アーレント出没 7.5.3.1③ 女性の生き方

 歴史のつながり 4.5.1.2④ 双方向のつながり

 リクは私と同じなのか 7.3.3.2④ 家族関係

 エラトステネスと心のモジュール性 6.3.4.4② 知恵の発生源

 ファインマンの救助員 6.3.4.4② 知恵の発生源

 効率的な図書館 6.7.1.2① 効率的な図書館

 パターナリズム--自由と安全・安心のトレードオフ? 4.4.1.1③ トレードオフの克服

 2つの自由--自由と平等のトレードオフ? 4.1.2.4② 自由と平等の関係

11月28日

 本を読まない読書会 6.5.4.1① 読書会

 本は自分の考えに言葉を与える 6.1.2.4① 概念を言葉に変える

 本で思わない発見もできる 6.2.2.1③ 新しい分野を拓く

 スタバのスタッフの名前 7.5.3.1② 女性の笑顔

 経済発展にとって民主主義は必要条件か? 10.5.2.1④ 国民国家は足枷

 インターネットによって人々は幸せになったか? 10.1.1.2④ 内なる世界を構築

 アレキサンドリア図書館の蔵書焼失 6.3.4.4① 本と図書館のつながり

 日本人女性の初婚年齢は30歳を突破 7.5.3.1③ 女性の生き方

11月29日

 小さな発見でつながる喜び 7.5.3.2② つながる瞬間

 最低限の生命維持 7.3.3.1② シンプルに対応

 入力の日課 7.4.1.4② 非連続な時間

 ICレコーダーの入力もれ 7.1.3.4④ ツールの進化

 10年前に民間図書館の発想をした 6.5.4.2④ まちライブラリ

 ICTインフラ 10.4.2.2① インフラにタダ乗り

 ポートランド的なものが持つグローバルな普遍性 10.4.2.1② 地域共同体

 ポートランドのフードコープの理念 10.4.2.1② 地域共同体

 カー・シェアリングの広がり 5.8.4.4② シェア車で地域活性化

 「消費をやめる」という生き方 10.2.4.2② 皆が消費することが前提

 資本主義と民主主義の両立を破壊するもの 9.6.3.3① 資本主義の論理

 巨大企業に対抗する世界国家の構想 10.6.4.4③ 次の次はLL=GGの世界

 超資本主義から超民主主義へ 9.6.3.3④ 共有が生み出す資本主義

 果たして自分は何か欲しいのか? 8.1.1 要望を知る
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反映対比表 Week 47

11月16日

 テロの前日のテロ 4.4.2.3③ テロの形態

 酒巻少尉の特攻とのアナロジー 4.5.2.1④ 国への忠節心

 なぜ、アメリカと戦ったのか 4.5.2.1④ 国への忠節心

 阪田が来た意味 7.3.3.3④ 意図された偶然に遭遇

 未唯の相手の親は「ちょろい」? 7.2.1.4② 未唯への態度

 ベイルート襲撃からの課題解決 4.4.2.3③ テロの形態

 トランプの意見 4.1.3.2④ 依存に対するメリット

 歴史の中に居るという実感 4.3.1.1① 歴史をどう捉えるか

 未来方程式の意味 4.5.1 未来方程式とは

 レバノン杉はローカルの象徴 4.8.1.1③ コラボで共有意識

 LL=GとLL=GGの違い 4.8.4.1 LL=GGに向かう

 「数学」を数学する 2.3.3.2① 幾何学を再定義

 米国重視の首相 4.7.3.1① 国をつくる気概

 日本会議メンバーの異様な発言 4.7.3.1① 国をつくる気概

 「ナチス・ドイツの手法を学んだらどうか」 4.1.3.2④ 依存に対するメリット

11月17日

 朝の散歩 7.3.3.1③ 最低限の維持

 仏米露の連合軍 4.3.4.4① 国民国家の限界

 仕事から得た空間認識 5.2 サファイア循環

 歴史的課題への答え 4.5.2.3① 原因と結果がバラバラ

 多読からの考察 6.1.2.2③ 全ジャンルの読み込み

 六回目の大量絶滅のただ中 4.5.4.1① 進化の仕組み

 酒巻和男 4.5.2.1④ 国への忠節心

 ルメイ 4.3.4.4① 国民国家の限界
 石原莞爾 4.5.2.1④ 国への忠節心

 永田鉄山 4.5.2.1④ 国への忠節心

11月18日

 夢が明確 7.3.3.4② 毎日の使い方

 第5章と第8章の関係 8.1 中間の存在

 6.3「公共図書館」 6.3 公共図書館

 6.4「教育を変える」 6.4 行動につなげる

 未唯空間の項目を味わう 1.5.1.4④ 未唯配置の空間

 パートナーの思い出 1.7.1.2① パートナーを見い出す

 6.5「図書館コミュニティ」 6.5 図書館コミュニティ

 6.6「知の入口」 6.6 情報センター

 6.7「知の共有」 6.7 知の体系

 6.8「知の未来 6.8 知の未来

 「日本を変える」 4.7.3 国を変える

 「歴史を変える」 10.5.4.3① 歴史を変える

 「家庭を変える」 7.6.2 生活を決める

 「仕事を変える」 4.7.2.1③ 働く意味

11月19日

 NPOという名の自己満足集団 3.2.2.3④ 力をまとめる

 未唯空間の作り方 1.5.4 循環を表現

 人に薦める本 6.2.2.1② 読書は格闘技

 項目の絵を描く 1.5.3.2② 項目の循環ロジック

 民主主義の新しいカタチ 9.4.4.3② 民主主義を変えるの意味

 家族の行動 7.6.2.4② 家族で生きるのはつらい

 パートナーからのメール 7.3.1.1③ パートナーの相談

 スタバにベビーカー集合 9.8.4.3④ スタバの付加価値

11月20日

 胸の違和感 7.2.2

 他者の存在を信じない 7.1.1.1③ 他者の存在は信じない

 人類に科学を与えたのに 10.5.4.2② 環境社会に適応できるか

 図書館ウォッチャー 6.3.4.4① 本と図書館のつながり

 豊田市図書館の新刊書争い 6.3.1.2① 新刊書争い

 月末でもないのに、新刊書はプアー 6.3.1.2① 新刊書争い

 一目惚れ読書会 6.5.4.1① 読書会

 資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか 9.6.3.3① 資本主義の論理

 中央アジアの対日観 9.3.4.3④ 日中韓がまとまる

 大洋州地域における対日世論の現状と課題 9.3.4.3③ 資源および領土の共有

 「Nation」とは? 4.6.1.4 国民国家

 国民国家か民族国家か 4.6.1.4① 自由主義の出現

 統合型と多元型 10.2.4.1① 資本主義の枠組みの限界

11月21日

 憲法に対するテロ 10.5.2.1④ 国民国家は足枷

 マクドナルドはマニュアル通り 3.1.1.1④ グローバル展開

 国民国家になる前の歴史 4.2.3.1① 国民国家の使命

 カリキュラムと授業風景 6.4.4.4④ 授業の変革

 共同体としてのアカデメイア 10.4.2.1② 地域共同体

 『日亜対訳 クルアーン』中田考 4.3.3.3④ 宗教は国を超える

 『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』カール・マルクス 4.2.4.4② 国民国家の歴史

 国民国家の誕生 4.2.4.4② 国民国家の歴史

 泡沫候補が大統領に 4.2.4.4② 国民国家の歴史

11月22日

 本を読むということ 6.2.2.2② 思いをつなげる

 新しい商売を始めようか 6.2.2.2④ 行動を変える

 室を再生するパートナーを期待している 5.6.3.1④ サファイアのサファイア

 図書館ウォッチャー 6.3.4.4① 本と図書館のつながり

 個人のデジタルライブラリ 6.6.1.3① デジタルライブラリ

 自転車置き場の整理人 6.3.4.2② 皆が応援する雰囲気

 スタバの男性バリスタ 9.8.4.3④ スタバの付加価値

 国民国家と私有権 9.8.1.3④ 所有権を放棄

 夢の中からの脱出方法 7.3.2.1① 私のために用意された

 ヤフーのリアルタイム検索 6.6.3.2② 寄り添う検索

 愛さんへのメール 7.5.3

 本を読む人を馬鹿にする人 6.2.2.2① なぜ、本があるのか

 コミュニティに書き起しサービスを展開したい 7.6.1.1③ 書くために必要なこと

 コピーライターの生活スタイル 7.3.4.3③ 生きていく不安

 日本の人口動態の現状 10.5.3.2① 活発な活動と知恵の活用

 まち・ひと・しごと創生の基本的な考え方 10.2.2.4① まち・ひと・しごと

 総合戦略・長期ビジョン・国の支援 6.6.2.4① 教育分野のICT

 まち・ひと・しごと創生 10.4.2.3④ 自分の町をデッサン

 少子化の現状 9.1.1.1② 人口減少

 少子化の原因とその背景 9.1.1.1② 人口減少

 我が国の少子化対策 9.1.1.1② 人口減少
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モスクワのコミュニティづくり

『WeOwnTheCity』より

都市開発において民営化と土地の私有化か進む中、資本主義における不動産市場価値と社会主義的原理との対比が興味深い潮流を生み出している。このセクションでは、市民のニーズと不動産・商業上の利益とを組み合わせた革新的な空間利用として、コワーキング[働く場所を共同で利用すること]を考える。ナガティノはロシアを席巻しつつある新自由主義的な都市づくりを反映しており、起業する人も増えている。市場の圧力が増すにっれて、社会的な絆は壊れるのか、それとも生まれやすくなるのか、議論されるようになった。ソ連崩壊後、ロシアの民営化か始まり、個人の所有権や財産権の問題に影響が及んでいる。都市の土地とその価値、モスクワの不動産は、都心部から外れた場所でとくに複雑な問題となっている。

この不動産事情、そして社会経済的な力と政治の力が組み合わさり、モスクワは変革期の真っ只中にある。旧市街地の中心部を通るオストジェンカ通りは、今ではニューヨークの5番街よりも高級な通りである。そこで市は、中心市街地から外れたエリアに目を向け始めた。2013年のアーバンフォーラムでは、「巨大都市の郊外の発展勺をテーマに掲げ、中心部から外れた地区のミクロラヨン建設に重点を置いていることを示した。

ソ連時代は、住宅と雇用が政策上の優先課題だったが、今ではそれに不動産開発、商業化、高速道路整備が加わる。土地利用パターンも変化してきている。ソ連時代の中央集権的な計画は、とりわけインフラの不備によって、「最悪の不動産遺産、とくに都市住宅」として上位にランキングされた。実質的な改善を行うには、地方政府の政策の転換だけでなく、市場制度の構築が必要である。公共空間と私有空間の概念の転換、高い移住率、民営化対象不動産の地権分割3などは、どれも現代のモスクワが直面する難問である。

1988年から91年にかけて、ミハイル・ゴルバチョフが導入した連邦法によって、政府から従業員に営業権が移り、「自発的民営化」[国営企業幹部による国営企業の民引ヒ]につながった。それによって経営者が産業資産を取得できるようになっ九民営化の影響は、都市整備や土地利用にも及び、それはおもに1990年代前半から半ばにかけたポリツ・エリツィン大統領時代に起こった。1980年代後半にゴルバチョフが制限を緩和するまでは、企業や土地を所有することはできなかった。民営化によって計画経済から市場経済へ移行したが、結果として、国家の富が比較的少数の人々の手に渡り、貧富の格差が劇的に広がった。

2012年7月1日、モスクワ市域は公式に拡大され、「ニューモスクワ」の土地の大半が都市部に分類され、空間改造の余地が生まれた。土地の私有化は複雑なプロセスを要することもあるが、企業経営者には魅力的である。モスクワのソビャーニン市長は、工場などを市外に移転させる計画はないと述べた。この発表によって事業活動が活発化した。土地の私有化は財務上魅力的であるだけでなく、事業を守ることにもつながるからである。

モスクワでコヮーキンダスペースが増えているのは、他人との関係の持ち方が変化している表れである。2011年以来、コワーキングスペースが多数できている。市政府は、こうしたスペースが中小企業のインキュべーターとなることを認識しており、ボトムアップによる経済発展を後押しする手段として、コワーキンダの取り組みを支援することを計画している。たとえば市長は、市の技術インキュベーション事業の一環として、ハイテクコワーキンダスペースを導入した。コワーキングスペースが増えているのは、それが都市の商業、経済、社会のニーズに対処する協調的な方法として認められたからである。それまでは、若者が他の地区の若者と交流できる場はほとんどなかった。今の人はもっと活発に移動する。モスクワの通勤人口は多く、世界屈指の交通渋滞かおる。コヮーキンダナガティノのような、中心市街地から外れた地区でのボトムアップの取り組みは、そうした複数の問題に直接または間接的に対処している。今では大型商業施設にコヮーキンダスペースは付き物であり、その中にぱダローバルに展開する「HUB」や「Ziferblat」もある。このようなスペースは「創造クラスター」や工場だった建物にも出現している。

コヮーキングは、空間を商業利用する再開発である。それは、都市のモビリティや通勤の問題だけでなく、金融危機にも関係している。また、現代の脱工業化都市の空間と所有に関するトレンドを反映している。工場だった建物を戦略的に高級化して不動産価値を高めると同時に、集客を見込める地域や交流のための施設の誘致を図っている。モスクワ郊外で地域のコワーキンダスペースを展開している代表者は、「コワーキングは単に物理的な空間をつくることではなく、コワーキンダコミュニティをつくることだ」という考えの下で取り組んでいるという。こうして起業家精神とコミュニティ、ボトムアップがつながっている。

モスクワ南部に位置するナガティノ地区は、8.17km、人ロ7万7263人(2013年)の街である。この地区の主要なビジネスセンターの1つに、新しいコワーキングスペースが開設する。2014年1月にオープン予定のナガティノのコワーキンダスペースの創設者は、アンドレア・コンパネーツである。彼は、そこがビジネスセンターとしてだけでなく、コミュニティの結束を強化するソーシャルスペースとしても機能すべきだと考えている。地下鉄のナガティンスカヤ駅に近接し、家具工場だった建物の中につくられている。スペースは700平米、建物全体は1万7000平米ある。2015年には建物が改装され、さらにコワーキングスペースを増やす計画かおる。

ナガティノのコワーキンダセンターは、立ち上げまでのさ圭ざまな段階で、市政府やメディア、ストレルカ研究所などの公的機関と非公式な話し合いを行ってきた。このケースは、公共と民開か相互に支援する興味深い連携であり、市の政治的、経済的姿勢の変化を示唆している。今後3~5年間の見通しによれば、口シアではますます起業の必要性が増し、自宅以外に柔軟かつ低コストの仕事スペースが必要になる。コワーキングスペースの成功の鍵は、単に机や椅子を貸すのではなく、コミュニティにおける価値を生成し、ビジネスツールを使って、人々が自分の目標を実現できるインキュペーターにすることである。
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モスクワを自転車都市に

『WeOwnTheCity』より

モスクワも他の多くの都市のように中流階級の台頭と郊外の拡張によって、自動車の利用が急増した。クルマに支配された都市の渋滞や公害の対策として、これまで都市の交通手段として見過ごされ、利用されてこなかった自転車が今、市民の間で人気を集めている。

このケーススタディでは、モスクワの「サイクリフィケーション(自転車都市化)」のカギとなった取り組みと、数年にわたるタクティカル[戦術的。お金をかけずに素早く簡単にできる、リスクの低い小規模な都市の公共空間への介入]なDIY活動を通して公的機関を巻き込み、変化をもたらした経緯を紹介する。公的機関やトップダウン組織は、活動家を市民エキスパートとして都市計画に参加させ、ボトムアップの取り組みから効果的なやり方を学んでいる。

このケースでわかったことは、アクティビズム(積極行動主義)がメディアの支持や意識の高まり、国内外での議論を喚起し、それがボトムアップとトップダウンの相互認識や関係づくりを促し、モスクワの自転車都市化において画期的な前進を遂げるに至ったことである。このムーブメントは、さらなる前進に向けて勢いを増している。

モスクワでは、自転車を交通手段の1つとして利用する人が増えている。これは、持続可能で便利な交通手段への転換という、ヨーロッパ全体に見られる大きな潮流を反映している。そのため現在では、自転車専用レーンはモスクワの交通網の一部である、たとえば、2013年のモスクワアーバンフオーラムでは、自転車利用が大きなテーマの1つとして取り上げられ、自転車のインフラ整備が最優先課題であることを市交通局の役人がインタビューで明らかにした。公的機関が自転車とその利点を認識するようになったのは、数年にわたる市民のタクティカルなDIY運動のおかげであり、その影響力は、モスクワの今後の(再)開発の方向性を左右するまでになっている。モスクワは、理想化された社会主義の遺産と、世界有数の低コストで効率的な公共交通システムを特徴とする都市であり、自転車利用の促進はとくに重要な意味を持っている。

ソビエト連邦の崩壊とロシアの民営化政策とともに、モスクワの資本主義化が始まった。その結果、この20年で集産主義からアトム化へと人々の考え方が変わった。モスクワの異常なまでの交通渋滞は、理想の変化の表れでもある。それが都市づくりに反映され、アクセス、空間、所有権に関する議論を引き起こしている。モスクワの交通インフラが自ら招いた渋滞(交通麻痺、ピーク時のバスや地下鉄の混雑)への対処に悩む中、自転車が1つの解決策を提供している。

モスクワの自転車都市化を推進する草の根運動が問題にしているのは、持続可能なモビリティ、環境保護、政治、都市づくりである。自転車都市化のプロセスは、市内や広域の都市政策をきっかけとして起こったさまざまな個人や地元の政治運動・草の根運動を取り込み、国外からの影響を受け、グローバル化する都市における従来の都市開発と近代的な都市開発とのせめぎ合いの中で進んでいる。このプロセスは、資本主義や、連邦および地方政府による資本主導の都市政策に対する抵抗の一形態としての収束したアクティビズムでもある。市内の自転車利用を推進する市民の多様な努力だけでなく、こうした市民の取り組みを支援し、必要なアクションをとれるようにした公的機関の機能も明らかである。

次に交通手段として見過ごされてきた自転車を行政の重点施策に押し上げた戦略に注目しながら、市民が果たした役割を考えていきたい。具体的には、創意的で忍耐強い活動か、新しいテクノロジーやメディアの力を借りながら、いかに一般市民の意識を喚起し、公的機関を動かして市の再開発プロセスに関与させたかを検証したい。

1990年代以降、モスクワでは中流階級が拡大し、特定の消費スタイルやライフスタイルが定着した。新たな収入源を得た人々は、購買行動によって自分のステータスを表すようになった。マイカーの増加がその1つであり、交通量と汚染のさらなる増大につなかった。その後、東ヨーロッパの多くの都市で、自転車が日常の交通手段として、その長期的なメリットを含めて見直されるようになった。モスクワでは、主に「クリティカルマス」と「ベロノッテ」の2つの取り組みが自転車推進運動を牽引した。

2002年6月、自転車推進団体がモスクワで「クリティカルマス」というサイクリングイベントを環境運動の1つとして開催した。交通量の増大に伴って事故の脅威が増していたため、彼らはウエブサイトを通じて「世界カーフリーデー」の反自動車イべントをいくつか開催した。

しかし当初は人気を集め、また後に政治色の薄い参加型アプローチにシフトしたにもかかわらず、数年しか続かなかった。クリティカルマスは破壊的性質が強く、建設的なイペントとは見なされず、自転車や自転車文化の促進に逆効果だと批判された。反体制的で突発的な手に負えない違法なイベントは、効果的で組織立った合法的なイベントを望む多くのサイクリング団体に受け入れられなかった。

年に1度開催される「ペロノッテ」は、美術史家であり、都市計画学教授であり、自転車愛好家でもあるセルゲイ・ニキトキン[ニキーチン]が、人々にモスクワと市内建築の歴史を再認識させることを目的に、2007年に始めたサイクリングイベントである。市内のエリート層に、夜のモスクワ(クルマが少ない時間帯)を探索させるのが狙いである。また、150以上開催しているイベントの80%は、市の周縁部に向けたものである。市郊外には大勢の人が暮らしているが、「何も起こらない」日常を送っている。ニキトキンは、市の周縁部を再活用・活性化し、共有文化の乏しさに対処しながら住民同士を結びつけようとしている。彼にとっては、自転車を交通手段として促進することよりも、都市に住む人々の意識や経験を変えることのほうが重要なのである。

この2つの運動は、自転車の認知度を高めるはずだったが、当局や公的機関との直接対話がなかったため思い通りにはいかなかった。それぞれが自分勝手にバラバラに行い、足並みが揃っていなかった。街の変化を目の当たりにして市民意識が目覚めつつあったが、状況を改善するための決定的なプランや戦略をまとめようという動きはなかった。やがて、公的機関が名の通った活動家らから意見や知識をすくい上げるようになった。

1990年代、ルシコフ市長の頃から、市政府が自転車インフラの構築を約束し始めた。しかし自転車活動家らは懐疑的であった。2010年に起草されたモスクワの将来構想に対し、環境への影響を心配して、ある取り組みが起こり、成功を収めた。「レッツ・バイク・イット!」は、ウラジミール・クモフが自転車文化を促進するために始めた市民運動である。ロシア流の社会生活を取り戻すこと、とくに自動車の負の影響に代表される都市の環境問題への注意を呼び覚ますことが狙いであった。彼らは、ヨーロッパにおける優れた自転車文化やシステムに関する資料を収集するためにロシアからヨーロッノペヘの自転車旅行を決行し、記録に収めた。

2010年、ストリートアーティストであり、デザイナーであり、熱心なサイクリストであるアントン・ポルスキーが「USE/LESS」を発行した。自分のお気に入りの自転車ルートを集めた地図であり、ルシコフ市長が建てたクルマ志向の保守的な15ヵ年計画に対抗するものだった。結局、この自転車ルートマップは、実用的なツールというより、マニフェストになった「自分の街なのだから、主導権を持とう、好きなように利用しよう」という彼の思想を伝えるためのアーティストらしい方法である。ポルスキーは、ウェブサイトで地図をダウンロードして印刷し、好きなルートに印をつけて、市内各地のギャラリーに置くよう市民に呼びかけた。こうして個人の政治的なアートプロジェクトとして始まったものが、非公式なモスクワの自転車マップを作る参加型の運動に拡大した。

それを後押しする役割を果たしているのがメディア機関である。たとえば2010年には、オンラインマガジン「ザ・ビレッジ」が、ポルスキーをアートディレクターと都市問題のアドバイザーとして採用した。2011年、ポルスキーはコミュニティプロジェクトを立ち上げ、駐輪場マップをクラウドソーシンダで作成した。「ザ・ビレッジ」は、プロジェクトの資金援助と推進を行い、中小企業に値引きを行うあるメーカーが、自転車止めを製造した。まもなくして、次々と自転車止めを宣伝したり、持続可能なライフスタイルを奨励する企業が現れた。メディアが牽引力となって一般市民の意識が高まり、自転車の利用を支持する人が増えた。活動家とメディアと中小企業が手を組むことで、DIY型の介入を都市改革へと押し上げたのである。

メディアの活用は、自転車都市化への風潮を高め、アイデアをクラウドソーシングする効果的な方法であった。アーバンアーバンやパルチザニンダなどのウェブサイトがそれを示している。ポルスキーは、2011年以来、パルチザニングの運営者の1人として、自転車都市化に向けたゲリラ型の非公認な取り組みを多数主催してき址たとえば、市内のあちこちに自転車の安全なルートや通りを示す「標識」を設置した。その戦略の一環として、ソーシャルメディアと「タクティカルアーバニズム」を組み合わせて、人々の意識を高め、ニュース媒体を引きつけて公の議論を促した。
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ファシズムに向かっているのか?

『「開戦前夜」のファッシズムに抗して』より 「民族根絶やし」の危機

ファシズムとは何か? その定義は様々であろう。現実の政治の中において言えることは、政治的目的の達成の為に差別や排除が横行し、戦争へと向かい、結果としてたくさんの人々を死なせてしまうことが私なりの定義とすれば、ヒトラー・ムッソリーニ・東条英機らをファシストと呼ぶならば、彼らは「結果として負けた」から、そう呼ばれるのであろう。もし、第二次世界大戦の勝敗が逆であったならば、ルーズベルト・チャーチルがファシストと呼ばれていたかもしれない。政治家は結果責任なのだから。

そして、今、わが国は「戦後レジーム」からの脱却を声高に叫ぶ政治家を総理大臣として戴いている。負けたことを否定したい、少なくとも忘れ去り、「未来志向」という言葉でごまかしたいという気持ちが透けてみえる。

他方で、世界経済の秩序を維持する為に、海外での武力行使を可能にする集団的自衛権の行使についても憲法をねじ曲げて列強の仲間入りを果たし、国連の常任理事国になるのだ、と力が入っている。

政界・官界・財界のリーダーたちが考えているように、自衛隊の若い隊員がほんの少数殺されてくれる(彼らの言葉で言えば、「国の為の犠牲」)だけで、敗戦を消し去ることができるという彼らの思惑通りに進むならば、それは結構なことかもしれない。

しかし、「戦後レジームからの脱却」という言葉は、日本を再び苦難の道に引きずり込む可能性を持っているのではないか? 事態は想定を超えて取り返しのつかないところにまで行ってしまうのではないか、と危惧する。

それは、どういうメカニズムで起こるのかを本稿において明らかにしてゆきたい。

二〇一五年九月一八日から九月一九日の未明にかけて、政府的には「平和安全法制」と呼ぶわけだが、その実態は「平和安全」ではなく「戦争することに根拠を与える法律」が、国会を取り巻く多くの抗議や心配の声を無視し、大変な混乱の中で成立した。

この九月一八日から九月一九日にかけての日というのは、一九三一年柳条湖事件を関東軍が工作した、まさにその日であった。読者も御承知の通り、この柳条湖爆破工作事件を端緒に、わが国は、満州事変、第二次世界大戦と、泥沼の戦争への道に嵌まり込み、三〇〇万人を超える死者を出すことになる。

今年の、天皇陛下の新年に当たってのご感想の中に、「本年は終戦から七〇年という節日の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」

と、述べられている。まるで、満州事変の始まった九月一八日に戦争法が成立してしまうのを予言するかのようなご感想である。

今を生きる私達からすると、満州事変から太平洋戦争へと続く悲惨な歴史を振り返る時、何故あのような判断を、当時の政治リーダーや行政リーダー(軍部を含めて)がしたのか、理解に苦しむ。理解に苦しむどころか、現在へと続く連続した歴史の中で起きた出来事ではなく、あの戦争の時だけの切り離された時間と空間での特別な出来事であり、悪夢のようにも思えてしまう。

しかし、悪夢ではなく、それは現実として起きた戦争なのだから、そのようなことを二度と繰り返してはならないと考えるのが当然であろう。一方で、悪夢のようなものは、一刻も早く記憶から消し去らなければならない、と考える現実感覚の乏しい人達もいる。

安倍内閣、あるいは安倍内閣を取り巻く政治勢力、あるいは閉そくした経済状況の中で軍事部門に経済的利益の増大を企図する中央財界の経営者の一部らは、明らかに後者なのであろう。

私は、政治家である。政治家は街頭で演説する。私が、「海外での武力行使、いわゆる戦争する根拠を与える法律を作れば、必ず戦争になります」と、演説すると、「そんなことになるわけがない、安倍総理も平和の為である、戦争しない為である、なぜなら抑止力が高まるからである、と言っているではないか」という反論が返ってくる。

では、本当はどうなのだろうか?
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