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無為であること

『ポケットの中のダイヤモンド』159ガンでは、一貫して、「思考を止めなさい」。そうすれば、あなたの信の姿に目覚める。無防備でいることの勇気が必要ということ。これしか言っていない。

そこで思い出したのは、会社に入ったときに誓ったことです。それは、「無為」であること、観察者に徹することをでした。真理探究で数学科に入って、その応用を会社と社会で作り上げようとした時に、実行者としての自分ではなく、まずは観察しよう。とことん観察しようと決意しました。

ある面ではうまくいったけど、観察していると、どうしても先が見えてきてしまいます。こうすればいいなどのシナリオが浮かんできます。その姿を描いていると、それを一緒にやる人たちが集まってきて、いつの間にかできてしまうことが続きました。

今は思考を中心の生活を送っています。会社での仕事でも考えることです。未唯への手紙でも、最初の項目が「考える主体としての自分」になっています。

この本では、思考を完全に停止させることで、真実の持つ光と輝きを体験できると述べている。

年齢的にも、また無為に戻らないといけないですね。無為になると、あの恐怖が浮かんできます。それが怖くて、考えるフリをしているところもあります。

そろそろ、自分の存在がなくなるという、底知れぬ恐怖に向い合わせましょうか。そのブラックホールが光り輝くホワイトホールにつながっているのかはやることでしか解決されないでしょう。

自分がそれに耐えられるかどうかわかりません。
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