古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

かきつばたウオーキング

2016-05-28 | 旅行
5月27日は、シニアクラブのウオーキングで八橋に行く計画でした.2~3日前の天気余殃では「金曜日は雨」とのことで、心配していたのですが、夜はぱらついた雨が朝には上り、良いお天気になりました。
 集合時刻の9時半、東エレベータホールへ行くと、私を含め10人(男2、女8)が集まっていました。10時、金山駅でホームに行くと、「駅員さんが500円切符持っていかなかった人がいると、この切符くれた。誰か切符もってないひといない?」とHさんが言う「そんな筈は?」とポケットの切符をみたら。600円の切符である。確か500円のボタンを押したしお金も500円しか出してない。「前の人が切符とりわすれたんだ」と言った人がいる。そうなんだ。私が一番先に販売機で切符を買ったのだが、前の人が切符をもっていかなかったので、私がその切符[600円)を取って、私がお金を出した500円切符をメンバーの次の人が受け取り、以下順番に前の人の購入した切符を受け取ったので、最後の500円切符が一枚残ったわけだ。
 こんな経験は初めて!まぁいいか、とそのまま豊橋行の特急で知立へ。知立で猿投行に乗り換える。「三河知立」の次が「三河八橋」である。
下車してみると、昨日までの「かきつばた祭り」はおわっているので、案内の旗は片づけられてない。下見はしっかりしておいたので、無量寿寺への道は間違えず7~8分で着く。
 お寺は臨済宗妙心寺派の寺で奈良時代の慶雲元年(707)創立。文化9年(1812)方厳売茶翁により再建、現在の杜若庭園もこの時造られたとのこと。
「かきつばた我に発句の思いあり」芭蕉の句碑があった。
 そのかきつばた庭園を見に行く。残念ながら花は盛りを過ぎ、咲いているのは池の中の数本、大部分は枯れてしまっていた。
「在原業平の銅像があったはずだが…」と言うと「向こうにありました、イケメンでした」
業平は平安時代のイケメンである。

池の周りのベンチに腰を下ろしてお昼にする。「下見に来たときは花も沢山ありましたし、売店も出ていたのですが「かきつばた祭り」が昨日で終わり何もありません」と小生が挨拶すると、「でも、人が少ない(我々以外の観光客は2~3組だけだった)静かでいいじゃない」といってくれた。昼食の跡、「近くの名所を見て回りましょう。松がおすすめです。」
 かきつばた園の出口を南に1区歩くと八橋町の信号、そこを右折すると「鎌倉街道」と言われる古い街道である。街道沿いに在原寺(ざいげんじ)。業平の菩提を弔う業平塚が築かれた(寛平年間889~897)折りに塚を守る人の御堂として創建された寺とのこと。

 更に街道を歩くと名鉄の踏切があった。踏切の手前に「根上りの松」という松があったので、そこで記念写真を撮る。広重が描いた竪絵東海道40番目「池鯉鮒の宿八橋村の絵」に描かれた松だという。
 ちなみに「知立」の名は「池鯉鮒」、宿場の入り口にあった御手洗池に鯉や鮒が多くいたことに由来する。池鯉鮒宿は日本橋から数えて40番目の宿。距離は日本橋より約330km。
踏切を渡ると、右手の小さな丘に公園があり、そこに業平塚があった。

業平のお骨を分骨して祀ったものとの説明の掲示があった。この塚を見学後帰ることにした。
3時前無事に帰宅出ました。