古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

21世紀の資本主義論

2016-05-15 | 読書
『21世紀の資本主義論』及び『貨幣論』という岩井克人さんの文庫本(ちくま学芸文庫)をPARCOの本屋で見つけ買ってきました。面白い著者でした。
教えられたことを以下に列記します。
 資本主義は、資本の無限の増殖を目的とし、利潤を永続的に追求していく経済活動の総称、換言すると、それは、個々の企業が市場において獲得する利潤を媒介として発展していく経済過程のことである。この利潤はいったいどこから生まれるのか。利子と独立した利潤は存在しない。それでは利子はどこから生まれるのか。もちろん貨幣の借り貸しから生ずる。貨幣の借り貸しとは、現在の貨幣と将来の貨幣を交換する行為であり、そこで契約される利子とは、現在の貨幣価値が将来の貨幣価値よりどれだけ高く評価されるかで決まる。 シュンペーターは、このような利潤論に真っ向から対決する。彼によれば、利潤とは「差異」から生まれる。製品の仕様や生産方法や輸送方法、さらには市場の立地や組織形態といった点に関する一つの企業の他の企業にたいする相対的優位性によって生み出される。
実際、初期の資本主義、商業資本主義は、地理的に離れた国の間の価格差を媒介して利潤を生みだすものだった。シュンペーターは生産性「差異」が利潤を生むと喝破したのです。
しかしその「差異」は、革新の成功によって一瞬のうちに作り出され、模倣の群れにより急速に消し去られる不安定な存在である。資本主義に固有の不安定性の根源に、「差異」の創造と消滅をめぐる個別企業同士の競争過程を見出したのが、シュンペーターであり、本来、商品と商品の交換を媒介する手段でしかない貨幣があたかも一つの「商品」であるかのように人々に保有されることによる実体部門と貨幣部門の相互干渉を見出したのがケインズである。
基軸通貨とは、「グローバル市場経済の貨幣」の意味です。
市場経済のなかでは、だれもが一般的交換手段として貨幣をもたなければ経済生活を営みえない。それは生産者も消費者も、そして投機家もなんら変わることがない。即ち市場経済において人間は本質的に「投機家」として生きていかざるを得ない。貨幣を媒介にしてモノを売り買いするとき、貨幣と言う投機商品を「投機家」としてお互い同士売り買いしているのだ。市場経済は「投機」そのものの上に成立している。
市場としての真の危機は、貨幣を貨幣として支えてくれる(他人が貨幣として受け取ってくれるという)予想の無限の連鎖が崩壊してしまうことである。これが「ハイパ・インフレーシヨンである。
 ドルが基軸通貨たりうるのは、それは、世界中どこでもひとびとがドルを基軸通貨としてうけいれてくれるという「予想の無限の連鎖」があるからだ。グローバル市場経済におけるハイパーインフレ―シヨンとは、基軸通貨ドルの価値の暴落する「ドル危機」。それは基軸通貨ドルを支える「予想の無限の連鎖」の崩壊です。
真の危機に対する真の解決策がもしあるとすると、それは中央グローバル銀行の設立以外にない。しかし、今の世界掲示に中央銀行が誕生する基本条件が欠けている(続く)。