古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

資本主義の極意

2016-05-01 | 読書
 以下、『資本主義の極意』(佐藤優著、NHK新書2016年1月)を読んで思ったこと。
先日、日本がオーストラリヤに売り込もうとしていた潜水艦の開発がダメだったと報じられた。なぜ日本はステルス戦闘機F35の部品輸出や、オーウトラリヤとの潜水艦共同開発など「経済の軍事化」を進めているのか。
この本では、それが過剰な資本を処理する近道だからと、説いている。
 世界恐慌後の日本が満州に進出して恐慌を脱したように、現代の日本も軍事産業の対外進出によって、資本の過剰を乗り切ろうとしている。
 資本の過剰。これは資本家にとって、お金は沢山あるのだけれど、投資する先――――つまり」儲ける先がなくなる状況のことです。
銀行預金の金利がほとんどゼロになってから十年以上。ゼロどころかマイナス金利さえ話題になっている。そもそも資本主義は、金利が高い所に資金を流すことで、資金を有効に使おうというシステムだから、金利がゼロになったら、資本主義はなりたたないのでは?と、心配になる。金利ゼロは資本主義を崩壊させかねない大問題だと思うのです。
金利ゼロとは、それは、ゼロにしても銀行から借りようとする人がいない。つまり、資金の需要がないということ。資金を借りても、投資先が見当たらないということだ(資金でなく資本というべきかも)。資金需要量に比べ資金量が過剰と言うことで、異例の金融緩和で資金量を増やせば、ますます過剰になるのでは?不況が続くと、どこの国も金融を緩和し、資金供給をふやそうとする。しかし、必要なことは、供給でなく資本の需要を増やすことです。
そして不況の克服に成功しない国は、国家が市場に介入しようとする。
 歴史をふりかえると、ロシヤ革命のインパクトで、資本主義は国家的独占資本主義に変貌し、資本の運動にブレーキがかかりましたが、ソ連の崩壊によって、ブレーキは外れ、ふたたび資本主義は加速し、新・帝国主義の時代が訪れました。現代の資本主義の下では、新自由主義と帝国主義が同時に進行しています。
 TPPの本質。それは「域内では新自由主義を貫徹し、域外に対しては帝国主義的に差別化すること」
 アベノミクスは、瑞穂の国の資本主義です。
 第1の矢の金融政策はどう読み解けばいいか。日銀が国債を買い取って大量の紙幣を市中に供給すれば、さらに資本は過剰になる。これは資本主義の危機を深めるのでは?
 紙幣を刷ってばらまけば物価は上がる。これは貨幣数量説です。
しかし、経済はそんな単純な理屈で動かない。
 インフレ期待があると、「ならばお金は大切なので、貯めておこう」という人が少なからず存在します。

 アベノミクスがもたらした最大の変化は、円安と株高です。株高で最も儲けたのは外国人株主でした。
株式は、所有しているだけで配当が得られる。だから、「資本主義的生産の最高の発展」と資本論は言う。しかし、株式の実態はパラサイト資本です。実体経済に寄生することでしか資本になれない。しかも実体経済と離れて売買される。そうなると、株の売買で儲ける金融経済が独り歩きしていく。そして、この株式資本の運動に障害//となる規制を取っ払うことが新自由主義の目標になっていく。
 このように見ることではじめて、安倍政権が武器輸出3原則を緩和し、安全保障関連法案を成立させたことの含意も見えてきます。投資先を見つけることで、資金の過剰を解決しようとしているのです。

 次にミクロの問題を考えよう。現在の日本では、明治以来はじめて「教育の右肩下がり」が進行しているのが問題です。
 このように、考えさせられる指摘の多い本でした。