古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

空白の桶狭間

2011-12-11 | 読書
『空白の桶狭間』。加藤廣さんの小説が文庫本(新潮)で出たと聞き、買ってきました。
加藤さんは、東大法科卒。山一證券に勤務し、経済研究所顧問を経て、2005年に作家としてデビュー。小説『信長の棺』を日経新聞に連載、75歳での高齢デビューが話題となった人です。
 一読してこれは「新講談」だと思いました。著者は奇想天外の物語を作り出した。
 桶狭間の戦いは謎が多い、動員兵力5千の信長が、二万を越す今川の大群を何故打ち破ることが出来たか?通説では信長は、迂回奇襲作戦で義元を倒したというが、今川の諜者の目をどのように欺き、義元に接近できたのか?それ以前に桶狭間で義元が昼食を取ると何故知りえたのか?そもそも、桶狭間は東海道の道筋を若干とはいえ離れている。
 この謎に、著者の案出したストーリーでは、実は秘かに信長は義元に降伏を申し出た。その降伏の会見場が桶狭間であったというのです。
 そして、この作戦を案出したのが木下藤吉郎(後の秀吉)であり、降伏の密書を取り次いだのが松平元康(後の徳川家康)だということにしている。
 この秘策を藤吉郎が信長に提案するくだりが面白い。
「一の谷の戦いこそ、此の度のわれらと今川との戦いの参考にすべきもの。これは源氏の仕掛けて見事な謀略でございます。」
 寿永3年2月7日の一の谷の戦いには次のような伏線があった。
その前日、平氏は福原で清盛の4年目の法要を営んだ。その時、後白河法皇の使者が着いた。――和平交渉のために、法皇様の代理が福原に下向する。交渉中は一切武力行動をしないように源氏に対して命じた。平氏もこれに従うように――平氏は、法皇の内意を受けて軍装を解き、完全休息。そこに源氏の軍勢の総攻撃。
 「此のたび実地に摂津に参り、実際に鵯越を検分してまいりました」
 幸若舞「敦盛」は信長の好む唯一の舞、この話を持ち出せば信長は乗ってくる。藤吉郎はそう睨んでいた。
「ほう、摂津まで足を伸ばしてか」
「・・・鵯越は馬を下ろすにさして困難なところとは見受けられませぬ。それに、とても平家に気付かれずに降りきれる場所とは見えませぬ。一にかかって平氏側に戦意がなかったための大敗と藤吉郎拝見仕りました」
 後白河法皇の偽勅に相当するのが信長の降伏文書。では、鵯越の馬に相当するのは何であったか。そこまで種明かしをしては作者に申し訳ない。
この話に家康が絡んでくる。
三英傑の揃い踏み。まさに、新講談、と思いました。
 

湖東三山紀行

2011-12-08 | 旅行
湖東三山&比叡山旅行記です。
 11月29日午前10時、JR西岐阜駅に着きました。電車を下りると、すぐSさんに会った。、「Hさんは、次の電車かな?」。車で来るJさんと4人(40年ほど前、労組活動を共にした仲間)がこの駅で落ち合い、一泊の車旅行の予定です。Sさんに「Sさんは67、68歳?」と聞くと「大台に乗りました」と笑う。じゃ、みんな70台に乗ったわけだ」。改札口を出たらHさんがいた。待つほどにJさんの車が来た。
「お久しぶり」、「羽島から高速に乗りましょう」、「お天気は良くなりそうだネ」、など車中で話しながら名神を走り、彦根インターで高速を下りると、西明寺の矢印。今日は湖東三山の紅葉狩りです。307号線を約20分で西国薬師第32番霊場・西明寺に、11時半。平日にも関わらず、相当の賑わい。
鮮やかな紅葉が驚きです。三重の塔は工事中。囲いの中の階段を上がると、竹釘の箱を手元に作業中の職人が見られました。屋根(檜皮葺)葺替修理にともない、積極的に修理現場の公開とのこと。本堂は金釘を一本も使わない建築、鎌倉初期の建立で、国宝第一号の指定だそうです。
この寺、信長に焼かれたのですが、天海上人の助言により家光が再建したといわれる。

親鸞聖人の750回遠忌で寺宝の親鸞聖人木造が公開中でした。
http://www.saimyouji.com/new/open02.html


 西明寺を出たら12時半。「金剛輪寺までに適当なレストランがあれば入りましょう」というと、ドライバーのJさん「ないですよ」。彼は以前着たことがあるみたい。およそ10分で着く。国道傍の駐車場は満杯で、坂道を登った上の駐車場に停める。近江33観音第15番札所。入場料は一人500円(3箇所とも500円でしたから協定価格?)。ここも賑やかでした。
12時45分になっていたので、境内の茶屋でうどんと稲荷ずしの簡単な昼食にしました。食事後まずは、湖東三山一の名園古庭、国の名勝にも指定されている庭園を見る。
鎌倉期に元寇の乱の戦勝記念として建立された雄大な本堂(国宝)に至る石段は、山岳城郭であった頃がしのばれます。戦国期佐々木六角氏が、ここを城郭として信長に抵抗したそうですが、攻め滅ぼされ、石垣の多くが安土城に運ばれたそうです。ここが日本最後の山岳城で、安土が日本最初の平城との解説がありました。
金剛輪寺を出て、次は百済寺です。20分ほどの距離、307号線を左に折れた場所
です。
近江33観音第16番札所。ここも天台宗の寺、3寺ともに比叡山延暦寺の末寺ということらしい。
何故、百済寺は「ひゃくさいじ」で「くだらでら」でないのかな?
 国道から少し入り込んでいるためか、前の二寺よりは人出が少ない。ここの庭園もすばらしい。近江国の最古級寺院。今から1400年の昔、推古14年(606年)に、聖徳太子によって百済国の「龍雲寺」を模して創建されたといわれ、「龍雲寺」と「百済寺」の本尊は同一の巨木から彫られた「同木二体」の十一面観世音菩薩と伝えられています。
十一面観音像は西明寺、金剛輪寺にもあった(十一面観音像信仰とでも言うものがあったのかも?)。宣教師ルイス・フロイスが「地上の天国」と絶賛した「百済寺」は、別名『百彩寺』と呼ばれるそうです。
面白いのは、北緯35.1度の線上に、百済、鞍馬山、比叡山、百済寺、熱田神宮、荒子観音(名古屋)が直線上に並ぶとのことです。

比叡山の旅

2011-12-08 | 旅行
 百済寺を見終わると、3時半。陽のあるうちに宿舎に行きたいと、車に乗り込みました。
今宵の泊まりは、比叡山の延暦寺会館です。
 八日市ICから名神へ。栗東ICで下りて琵琶湖大橋(通行料\200)を渡る。「秋の日は釣瓶落とし」というが、まさに名言。薄暗くなってきた。湖西道路に乗り、雄琴で下りる。すぐ「比叡山」の標識があった。奥比叡ドライブウェイの入り口で、切符を受け取る。根本中堂近くで駐車場があった。真っ暗なので、停めてケイタイで宿舎の会館に電話すると、「そこから防災道路を400m下りてください」という。すぐ延暦寺会館が見えてきた。5時20分着。
フロントで「入山チケットをお求め下さい。通常500円ですが、宿泊者は350円です」、最初に入山チケットを購入した(勿論宿泊料とは別です)。
早々に入浴。夕食に、ビールを頼むと、サントリーの「プレミアムモルト」と「モルト」がありますと言う。「なぜ、サントリーなのかな?」、「社長がこの近くの出身なので、一生懸命売り込んでるのじゃない」。これが精進料理なのだろう。鮪の刺身かな、と口に入れたら蒟蒻だった。

夕食後、恒例の勉強会。今回のテーマ担当はHさんで「原発事故」を問題提起した。
資料は「さようなら原発、1000万人署名運動の資料と10月25日の中日新聞の「特報」。原発の労務者が、放射線の線量計を外さされて働かせられていたという記事だ。Hさん「日本の新聞は、何が載っていないか?考えて読む必要があるが、中日・特報は他紙に載っていないことを教えてくれる」。
「東京新聞の伝統が残っているのでしょう」と小生。その後、喧々諤々・・・

翌30日6時少し前に目覚めた。他の3人はもう起きていた。70代になると目覚めが早い。6時半から、希望者は朝の勤行に参加できますとのことだったから、暗い中、徒歩で5分ほどの根本中堂に行く。僧侶の読経が始まるのを後ろの座席に座り聞いていた。全然聞き取れない内容のお経を、後ろに坐った宿泊客が朗々と唱和していたから、信心の厚い人は違う。読経の後、15分ぐらい僧侶が来て講話をしてくれた。「不滅の法灯」について、信長による比叡山焼き打ちの際は、出羽の立石寺に分灯していたものを再建後持ち帰り、伝教大師以来の法灯が続いていると解説していた。
8時半過ぎチェックアウト。まずは、国宝殿を観てから山頂に上ろう。1時間ほど国宝殿を観てから、車で848mの山頂を目指した。山頂ロープウェイ駅の駐車場に車を置き、徒歩で登る。山頂の848mの三角点にタッチしてきた。
叡山は東塔、西塔、横川の3地区に別れる。宿泊した会館や根本中堂は東塔。も一度東塔に戻り大講堂を見ようというSさんの意見で大講堂へ。昭和39年に山麓坂本から移築した建物。次に西塔へ行く。常行堂・法華堂、釈迦堂など。ここに、Jさんの父君の奉納したミニ仏像がありました。
西塔を見終わった後は、横川(よかわ)地区へ。ここは5~6km離れているので、人影は少なく、空気も澄んでいる感じです。写真は横川中堂です。
 ここには虚子の碑があった。「清浄な月を観にけり峰の寺」
ここ横川は、源氏物語の舞台となった場所。川に身投げした浮船を横川の僧都が救い上げるというストーリーでした。
「比叡山に来ても、こんなにいろいろ観たのは初めて」と僧侶のHさんも言った。もっと時間をかけてみるべきものは沢山あるのだが、12時半になった。
帰途につく。
比叡山ドライブウェイの出口で料金を払うと、レシートを呉れたが、
【仰木~延暦寺往復 小型自動車(割引)
入庫時刻 2011/11/29 16:56、清算時刻 2011/11/30 12:54 2,000円】
「入庫時刻」って、比叡山用語?(割引は宿泊者割引です)
帰りも琵琶湖大橋を渡り栗東から羽島へ。4時前、西岐阜駅で解散、「また来年あいましょう」。以上、70代4人旅の報告です。


池田教授のTPP論

2011-12-04 | 経済と世相
  生物学者の池田清彦さんが、TPPを論じていた(週刊朝日12月2日号)。
【野田首相は是非ともTPPに参加したいようであるが、今TPPに参加したらどんなことになるか、頭を冷やして考えた方がいい。かくいう私も実は大震災前まではTPPへ参加しても別にたいしたことないんじゃないかと思っていた。・・・超高級品の農産物を作って中国とインドの金持ち連中に売りつければいいんだからTPPは関係ないよと主張したのだ。
しかし福島第一原発の大事故によってこの話はお釈迦になった。日本の農産物は放射能汚染が疑われて、ここしばらくは高値では売れないだろう。またここに来て分かったことは、自動車などの工業製品が外国で売れるかどうかは為替相場次第で、関税の撤廃は余り関係ないことだ。
震災後、アメリカがデフォルト寸前になり、ユーロ圏ではギリシャの財政が実質上破綻して、為替相場は円独歩高だ。これが何を意味するかよく考えた方がよい。ざっくり言えば、日本はねらわれているのだ。なぜ1000兆円もの借金があり、津波と原発事故で痛みつけられている国の通貨が世界で一番強いのか。そしてなぜアメリカがTPPへの参加を日本に強く迫るのか。それは、アメリカが日本を食い物にしようと虎視眈々とねらっているからだ。そう考えればすべて帳尻があう。TPPは、農業では多少損するが、工業製品の輸出では儲けの方が多いといった問題ではさらさらないのだ。私はそのことに思い至ってちょっと背筋が寒くなった。
TPPが実施されれば、ドル安円高を利用して、アメリカは日本にどんどん物を売りつけるだろう。労働市場が自由化されれば、アメリカの失業者が日本に送り込まれるかもしれない。これらを阻害する国内法はTPPの大義の下につぶされる。野田は日本をアメリカの植民地にしたいのだろうか。】

「じっくり考えた方がいい」、私も同感です。私の考えでは、TPPは経済問題ではなく、外交・国防の問題なのです。日本の防衛が今後もアメリカに頼りたいのであれば、疲弊したアメリカ経済を救うため日本は相応の負担をせよ、というのがアメリカのTPPの本音です。
日本の防衛をアメリカに頼るべきだと考える人たちにとっては、TPP参加以外の選択肢はない!そこで、今後も日本はアメリカに防衛を頼るべきか、じっくり考えた方がいいのです。

スポーツ医事相談

2011-12-03 | マラソン
2日夜、一年ぶりにスポーツ医事相談に市総合体育館に出かけました。日本ガイシアリーナの一郭です。予約は7時半でしたが7時ごろ着きました。
 相談室で¥500の料金を払い、尿の採取、受診票の自己申告欄(最近体に不調があるかなど)に記入して順番を待ちます。
 診断は最初、体重、体脂肪率、血圧、肺活量などの測定。その後、「脚伸展パワー測定」のテストがありました。測定器の座席に座り、シートベルトを締め、前のプレートを合図とともに両足で思い切り蹴飛ばす。そのときの脚力を電力のワット数に換算して表示するものです。482(昨年476W)でした。
次はメインの自転車エルゴメーターです。
心電図を取りながら自転車をこぐ。ほぼ1分ごとに負荷を上げ、また血圧を測る。13分40秒、160Wまで負荷が上がったところで後はダウンの5分間。徐々に負荷を下げ血圧、心拍数測定。
そして医師の測定結果の説明とスポーツアドバイザーのアドバイスです。
医師は「昨年とほぼ同程度の体力です。心臓・肺の機能もまったく異常ありません。従来と同様の運動を続けてOKです」。
最後に「アンケート記入願います」。見ると、この医事相談は何回目ですか?」
「何回目だろう」、「NOZUEさん、10回目ですよ」とアドバイザー。俺って、そんなに来ているの?
 スポーツアドバイザーは、「持久力を代表する推定最大酸素摂取量は52.7ml/kg/分(昨年55.5)、昨年と比し少し下がったとはいえ、20歳代の男子であっても、この数字なら良い方です。体脂肪率は11.9(昨年14.1)でした」。
練習量の落ちている割には、筋肉は落ちていない。
アドバイザーは「これまでどおりに運動されてください」と言った。
以上、今年の医事診断の報告です。